昨日のブログ、実は書きかけのモノを投稿していました。
昨日は月に一度の出社日で、長い通勤時間のお陰でブログ執筆が進みました。
どれくらい進んだかというと…
まずは、朝の通勤時に
前日に投稿できなかったブログ を仕上げて投稿。
続けて、帰りの電車内でも、当日分のブログの下書きを行っていました。
ただ……
時間があり過ぎた所為で、内容を盛り込み過ぎてしまい、纏め切れなくなりました。(汗)
仕方なく、
ホンダがもっとも輝いていた時期のみの抜粋してブログをアップしましたが、当初はその他の時期についても書いていたのです。
そんな訳で、今回のブログは、昨日のブログの下書き段階で書いてあったうちの、纏めきれなかった残りの部分です。
プレリュードに関するブログを書いた際、改めて「ホンダって、変わったメーカーだなあ…」と思いました。
言うまでもなく、ホンダ(本田技研工業)という会社名の由来は創業者の本田宗一郎であり、ホンダの企業理念も宗一郎氏の熱い思いから来ているものだと思われます。
そんなホンダの黎明期は、正に宗一郎氏の伝記として語られるものです。
国内でも後発の二輪車メーカーが、世界最高峰のマン島TTレースに挑戦し、制覇したり…
まだ自動車メーカーでもなかった頃にF1に挑戦し、勝利したり…
四輪車生産への進出にしても、自動車メーカーの数を減らそうと画策していた通産省に自ら乗り込み、認めさせました。
そんなホンダが現在の様な世界的な自動車メーカーとなれたのは、実は宗一郎を否定したからなのですがね。
あ、人物として否定された訳ではなく、宗一郎がゴリ押しした空冷エンジンの否定と 若手エンジニアによるCVCCエンジンの成功です。
まぁ、この辺の逸話は色んなところで書かれていますので、ここでは割愛します。
相変わらず導入部が長いブログとなっておりますが、ここからが本題です。(汗)
ホンダという会社の『どの辺』が変わってると思ったかというと…
作っている車のイメージがコロコロと変わるという事。
10年ひと昔という言葉がありますが、10年経つとまるで別の会社の様になってるんですよね。
【1970年代】
何と言っても、初代シビック(1972年)です。
初代シビックは、ミニやゴルフといった欧州車の様な合理性の塊の様な車でした。
パッケージングに関しては先進的だったものの、デザインに関しては良く言えばシンプル&クリーンですが、裏を返せば特徴の無いスタイリングでした。
この頃のホンダ車は、華のないデザインの車ばかりでした。
【1980年代】
80年代もまずはシビックです。
ワンダーシビック(1983年)は、コーダトロンカを採用して自動車のデザインに革命をもたらしました。
その他にもトールボーイスタイルのシティや
フロントエンジン車とは思えないほど低いボンネットのプレリュード
いずれの車も、他のメーカーでは考え付かない様な車ばかり。
また、この時期の車は、走りでも他メーカーとは一線を画していました。
VTECエンジンを搭載し
遂にはスーパースポーツの NSXも出しました。
ホンダが一番輝いて見えた時期ですね。
【1990年代】
90年代はSUVの時代ですね。(ホンダ風に言えば『クリエイティブ・ムーバー』)
スポーツイメージに陰りが見えた頃、オデッセイが登場(1994年)しました。
バブル景気の終焉と共にスポーティクーペの人気は廃れ、スキーやキャンプの足として人気を博したのがクロカン四駆やミニバンなどのRVでした。(当時はSUVという名称は無かった)
スポーツ路線だったホンダにはクロカン四駆を作る余力は無く、アコードの生産ラインを利用してミニバンを作るくらいしか出来ませんでした。
それ故、全高は低く、後席のスライドドアも採用できませんでした。
しかし、低重心やホンダお得意の4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションなどにより、スポーティな走りが評価され、オデッセイは大ヒットとなりました。
オデッセイに続く『クリエイティブ・ムーバー』商品群も、次々にヒットを飛ばします。
ステップワゴンに、
CR-V
S-MX
HR-V
SUV群が売れたホンダでしたが、セダンやクーペは売れませんでした。
その要因の1つには、セダン系を中心にアメリカ偏重の車作りをしていたという事もあったのですがね。
長くなったので、後編につづく。(笑)
Posted at 2024/02/01 01:45:57 | |
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HONDA | 日記