前回(その4)での花火大会は
日南市で開催されたものですが、
飛鳥Ⅱはその日(7月19日)の
午後1時に
油津港
東地区第9・10岸壁に着岸、
日南市による歓迎式典の後、
青島から
鵜戸神宮などを周るオプショナルツアーやシャトルバスを利用した
飫肥(おび)の城下町めぐりに、乗客は繰り出したのでした。
← クリックで
拡大 飫肥(おび)の
武家屋敷通り
我々夫婦はこれまで
日南海岸を(特に私は数回)巡ったことがあるし、復路のシャトルバスに乗れなかったら・・・などと考えて、
当初は船内で遊ぶつもりだったのですが、シャトルバスも余裕がありそうだし、せっかくだからと、
気がつくと飫肥の街歩きに繰り出していました。
これは、シャトルバスの
発車時刻まであと数分になってから、やはり飫肥の街に行ってみようと決めたものの、私達は船内カードだけで
無一文だったので、財布を取るために、歓迎式典を見ていた岸壁から再度乗船 → 部屋までの
往復200mを走るという暴挙に出た結果、実現したわけなのですが、絶対行かないつもりだった
嫁は、知らないうちにシャトルバス中の人となっていて・・・
あとから散々、
そんな筈じゃなかったのにと言われました
(^_^;)
油津港も
飫肥も同じ
日南市内にあり、
バスで20分ほどの距離です。
シャトルバスは、飫肥城観光駐車場で我々を降ろしてくれましたので、早速観光案内所で複数の
施設に入館できる切符を買い求めました。約1時間後に予定されている帰りのシャトルバスまでの散策になります。
手近なところから・・・・
まずは
豫章館。
こちらは、明治になって飫肥藩知事が住んだ
武家屋敷です。
続いて
飫肥城内にはいりますが、こちらは最初に通る
大手門。
当地の特産品である
樹齢100年以上の飫肥杉4本を使って
昭和53年に復元されたものだそうです。
こちらは、
松尾の丸と呼ばれる建物。
飫肥城には
9箇所にお城があるのだそうですが、これもそのひとつで、こちらも
樹齢100年以上の杉を使い江戸時代の書院造りの御殿として、
昭和54年に再現したものです。
明治を代表する
外務大臣である
小村寿太郎は此の地の出身です。
こちらは
生家。別の場所から移築されているものです。
冒頭の写真は、この家の近くから
武家屋敷通りと呼ばれる方向を撮ったものです。
小村寿太郎の足跡を展示、活躍ぶりを紹介している
国際交流センター小村記念館へのアプローチです。
日露戦争を終結に導いた人物として有名な小村寿太郎ですが、小村記念館内の一角には、
ポーツマス条約に調印した状況も
再現してありました。
この他、
飫肥城歴史資料館も見学、僅か1時間にしては
中身の濃い街歩きでしたが、船に戻れなくなると大変ですので、バタバタで元の駐車場に戻って、無事車中の人となっていました。
復路も約20分、船に戻ってからは、
船の外観写真を撮っていないことが残念でしたので、取り敢えず、撮れるところまで歩いて行って撮りました(^_^;)
本当は、
対岸の山間を通るR220から我々の船室のある
右舷を撮りたかったのですが、それはあまりに無謀(遠い
)なので諦めました。
代りに、先日
こちらのブログで、
私が撮りたかった当日の飛鳥Ⅱの写真を発見しましたので、拝借させていただきます。
この岸壁は、通常、貨物の積み下ろしに使用されており、コンテナも沢山置いてありましたが、後方に見えるのは陸揚げされた
木材チップを一時保管するヤードです。
時間的には前後しましたが、以上が花火大会の日、午後の
寄港地での街歩きでした。
【関連のブログ】
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本日はここまで来ました!
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今日からは、こちらで(^_^)/
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今夜も、逝っちゃいそうです
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旅も終盤~
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飛鳥Ⅱでゆく(その1:乗船前までの旅)
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飛鳥Ⅱでゆく(その2:乗船)
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飛鳥Ⅱでゆく(その3:初日のディナーから深夜の意味深な話まで)
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飛鳥Ⅱでゆく(その4:油津港花火大会────*・:゜.゚.。 ) 【リンク追記版】
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Posted at
2014/08/08 22:53:27