一昨日(10月6日(木))は鎌倉に行ってきました。9月8日(木)に横浜の友人と「
鎌倉殿の13人紀行 」と称して韮山近辺を訪ねましたが、これだけでは画竜点睛を欠き「鎌倉に行かなくてどうする!」と今度は鎌倉編でございます。
何度も書きましたがアスパラは鎌倉の出身で、いまでも本籍は鎌倉に残してあります。住んでいたから、どこにどんなお寺があるかというのは詳しいですが、お寺の歴史とか成り立ちになるとほとんど知りません。妙本寺に行くと言うのは境内に住んでいる親友K君の家に行くことだったし、寿福寺を回って帰ると言えば混雑を避けて抜け道していくことでした。こんな程度ですから鎌倉殿紀行をするにはあらかじめ頭を整理しなければなりません。
それから「電車で行くか、クルマで行くか」を悩みました。鎌倉は道が狭いし駐車場が高いので、初めは電車のつもりでしたが、行くのは老人ですからね~。疲れたらクルマに戻れるというのは大きな魅力です。平日ですからクルマで行って駐車場にぶち込んで、あとは歩けるだけ歩こうと気を変えました。結果としてこの選択は良かったです。寒さに対応できるように着るものをたくさん積んで行きましたが、木曜日はとんでもない寒さで用心に持っていった服を全部着込んで、それでちょうど良かったくらいです。
【10月6日の行程】
長泉町→沼津IC→東名→海老名SA→横浜青葉JCT
→横浜北西線→横浜港北JCT→第三京浜→都築IC
→友人宅→都築IC→第三京浜→横浜新道
→保土ヶ谷IC→横浜横須賀道路→朝比奈IC
→朝比奈峠→大刀洗→浄妙寺→
①報国寺
→タイムズ鎌倉雪ノ下第2
-[ここから徒歩]-
②大蔵幕府跡
③源頼朝の墓
④北条義時の墓
⑤北条義時邸跡
→タイムズ鎌倉雪ノ下第2→
-[クルマに戻る]-
→鎌倉とうきゅう駐車場
-[再び徒歩]-
⑥銀座アスター鎌倉賓館
⑦寿福寺
⑧川喜多映画記念館
⑨鶴岡八幡宮
⑩若宮大路段葛(だんかずら)
⑪小町通り
⑫妙本寺(比企ヶ谷(ひきがやつ))
→鎌倉とうきゅう駐車場
-[クルマに戻る]-
→名越(なごえ)→逗子マリーナ
→逗子ヘルスケアマンション→逗子→
⑬LA VERDE(ラ・ヴェルデ)
→逗子IC→釜利谷JCT→首都高湾岸線
→ベイブリッジ→大黒JCT→首都高大黒線
→生麦JCT→首都高横浜北線→馬場IC
→友人宅→都築IC→第三京浜
→横浜港北JCT→横浜北西線→横浜青葉JCT
→東名→御殿場JCT→新東名→長泉沼津IC
→長泉町
横浜で友人をピックアップしてから、横浜横須賀道路を通って久し振りに朝比奈峠を越えました。
峠を下りたところで脇道に入り、大刀洗(たちあらい)を目指します。上総広常(かずさひろつね)の首をはねた梶原景時(かじわらかげとき)が刀を洗ったところですが、近くまで行ったら道も狭くなってしまい、雰囲気だけ感じて戻ってきました。
続いて通り道から少し入った鎌倉五山第五位の浄妙寺も覗きましたが、ここもクルマを置きにくいので山門前で失礼しました。
【①報国寺】
報国寺は鎌倉殿の13人には関係ありませんが、アスパラ家がずっとお世話になっているお寺さんであり、敬意を表して立ち寄らせていただきました。
竹の庭で有名ですが、久し振りに訪ねてみたら、まるで京都のお寺のようにお庭がきれいに整えられています。ちょっと感動しました。
奥の山裾にはやぐらと呼ばれる、鎌倉では特徴的なお墓が見えます。
【②大蔵幕府跡】
旧跡を訪ね歩くにはクルマは不便なので、コインパーキング(タイムズ鎌倉雪ノ下第2)にぶち込みます。平日だからか他にクルマは無くて、あっさり置けました。
頼朝の邸宅であり御所だったところは清泉小学校というカトリック系の小学校になっており、石碑以外に何もありません。
アスパラは鎌倉の中高一貫校に通っていましたが、私の学年ではこの清泉小学校の出身者が最大勢力で、それに続くのが鎌倉市立御成小学校出身者という順位でした。
【③源頼朝の墓】
そのまま奥に進むと頼朝の墓があります。
鎌倉は道が狭くてバス通りは危ないため、アスパラは自転車で出かけるには、ここの前を好んで通っていました。アスパラにとって「頼朝の墓」というのは地名であって、史跡という意識はまったくありませんでした。
山に向かって階段が延びていますが、71年の人生でこの階段を上がるのは多分2回目です。近くに住んでいると言ってもその程度です。
上がったところにはタイトル写真のように源頼朝の墓があります。
【④北条義時の墓】
頼朝の墓の階段を下りて、少し東に移動すると同じような階段があり、再びこれを登ると広場があって、ここが義時の墓があった法華堂の後です。そう言われてもよく分かりません。
さらに階段を上がれば三浦一族のやぐら、大江広元のお墓だそうですが、もうこの階段を登る気力は消え失せて割愛させていただきました。
【⑤北条義時邸跡】
荏柄天神の参道をまわると、iPhoneの地図アプリには「北条義時邸跡」というのが現われていて、おもしろそうなのでちょっと回ってみました。
しかし、それらしいものは何も見つかりません。ただこの辺に建つ家はセンスを感じるすてきな家ばかりで、十分に楽しませていただきました。
コインパーキングに戻り、50分の駐車代金440円を支払って出庫しました。
もうお腹が空いているので、早く鎌倉駅の近くに移動して次のラウンドに備えましょう。
駐車できる確率が高い大きな駐車場としては駅近くに「鎌倉とうきゅう駐車場」があります。
とうきゅうで2,000円以上の買物をすれば2時間分が無料になりますが、結局4時間半も停めていたので、素直に平日の最大料金3,000円を払いました。平日は30分500円ですから、3,000円で頭打ちならばハラハラしながら駐車場所を探すよりは気が楽です。
【⑥銀座アスター鎌倉賓館】
すっかりお腹が空きましたが、鎌倉での昼食は案外難しいです。観光客相手の店はやけに混んでいたり、素人がやっているようなお店だと、高い値段を取りながらとんでもなく安直なものが出てきたりします。
裏駅(江ノ電の出る西口を昔から鎌倉では裏駅と呼んでいます)にある銀座アスター鎌倉賓館を10数年前に使っていましたが、まだそのままあるようなので行ってみます。銀座アスターですから味は問題ないですし、お店は2階なのに小さなエレベータでしか行けなくて分かりにくいため、知らない人が飛び込んでくることはまずありません。
客は地元鎌倉の方ばかりで、落ち着いたハイソな雰囲気のお店を、恭しく席にご案内いただきました。
平日限定のランチにしましたが、体も温まり、さらに友人が案内の御礼だとご馳走してくれたので、尚のことおいしくなりました。
【⑦寿福寺(じゅふくじ)】
腹も満たされたので、午後の部を始めます。
鎌倉五山第三位のお寺で、頼朝が亡くなった翌年に妻政子が建立しています。
この頃になると雨も強くなり、一段と寒くなってきて、友人は震え上がっています。
奥の小径で山に上がれば、北条政子と3代将軍実朝の墓もありますが、根性無くそれも割愛いたしました。
【⑧川喜多映画記念館】
寿福寺から鶴岡八幡宮に抜ける道の途中には「川喜多映画記念館」があります。数々の外国映画を配給していた川喜多夫妻の旧宅跡を公開していて、後ろに見える別邸は哲学者和辻哲郎が練馬区で居宅として使用していた江戸後期の民家を鎌倉に移築して、ここで海外からのお客様をもてなしたそうです。鎌倉のお屋敷という雰囲気が見られます。
ここから小径を辿って小町通りに出たら、友人はガラッとハイテンションになりました。あっちはナニ、こっちはナニと興味津々で、まずいところに連れてきたようです。
ずっと寒くて震えていたので、ちょうどバーゲンしていた用品店でセーターを買い「あったか~い!」と生き返ったそうで、これは良かったです。
【⑨鶴岡八幡宮】
八幡宮なんて、いつもそこにあるという感覚でいまさらと思っていましたが、折角来たのだからちょっと寄りたいと友人が希望するのでやって来ました。雨の中で修学旅行の生徒達もたいへんです。でもコロナの影響でしょうか出展している露店が少なくて、こんなに広々とした印象の八幡宮は初めてです。
八幡宮と言えば本宮楼門に掲げられた額の「八」の字ですが(下から撮りましたがこんなに雨が降っています)、神聖な神の使いとされている二羽の鳩で表現されています。鎌倉名物豊島屋の「鳩サブレー」はこの扁額の鳩を真似ています。
【⑩若宮大路段葛(だんかずら)】
八幡宮から鎌倉駅に向かって若宮大路の真ん中で一段高くなっている段葛を歩いていきますが、修学旅行生やちょうど下校時の横浜国大附属鎌倉中学校の生徒に囲まれて、逃げながら歩きました。
【⑪小町通り】
途中から小町通りに戻れば、やはり目を惹くお店ばかりでちっとも前に進みません。雨の降る平日ですからまだしもですが、これが休日だったらアスパラにはとても無理でしょう。
駅前の鎌倉ニュージャーマンでお土産を買い、鎌倉とうきゅうで安売りしていたシャインマスカットを買ったりしてからその荷物を駐車場のクルマに放り込んで、最後に妙本寺に向かいます。
【⑫妙本寺(比企ヶ谷(ひきがやつ))】
ここは比企能員(ひきよしかず)一族が住む谷戸(やと)だったので「比企谷(ひきがやつ)」と呼ばれますが、比企一族は権力保持を目論む北条一族によって滅ぼされ、このとき幼少で生き延びた比企大学三郎能本が、日蓮聖人に「わが一族の菩提を弔って下さるのは、このお聖人しかいない!」と決心して、自分の屋敷を献上したのが妙本寺の始まりだそうです。(妙本寺HPより)
駅の近くにありながら谷に深く囲まれていて、私らが行ったときはまわりに誰もいなかったため、静かに比企一族の怨念が漂ってきている雰囲気でした。
祖師堂
階段を登ると祖師堂がありますが、こんな寂しいところにこんな立派なお堂がとびっくりします。右手に比企一族のお墓がありますが、そこは見落としました。
この時期としては50年ぶりという寒さと雨の中を頑張った「鎌倉殿紀行 鎌倉編」は、これで終わります。
クルマに戻り北条時政の館があったという名越(なごえ)を抜けて逗子に出ます。アスパラ奥様が大のお気に入りで、亡くなる3ヶ月前に「
YOKOSUKA軍港めぐり 」の帰りに立ち寄ったイタリアレストラン「LA VERDE(ラ・ヴェルデ)」に友人をご案内しました。雰囲気は変わらず、いまも楽しくおいしいお店でした。友人も気に入ってくれたようです。
無事に今日の大仕事を終えてお腹も一杯になり、帰りは首都高湾岸線でベイブリッジに回って横浜港の夜景を楽しみました。
友人を送り届けてから東名で帰りましたが、いまはリニューアル工事のため大井松田ー御殿場間で左ルートを閉鎖していて、なんだかスピードに乗れない走りが続いたのは誤算でした。
【走行記録】
出発 : 8時46分
帰着 :22時05分
走行距離:324km
テレビの「鎌倉殿の13人」は、年末に向けていよいよ盛り上がってきました。2回実施したアスパラの「鎌倉殿紀行」は自分にとって良い勉強になりました。ただ、伊豆では修善寺、伊東が漏れていますし、鎌倉も建長寺、亀ヶ谷(かめがやつ)、浄光明寺、極楽寺なんかを補強したいところです。そんなことを言っていると京都、大津にも行くことになったらたいへんです。