(前回からのつづきです)
昨年登場したCX-3と似たようなイメージのマツダ車が、たしか過去にいたはずなんだけど・・・
CX-3の紹介記事やカタログ等に接してずっとそう思いながらも、なかなか明確な答えが探し出せず悶々としていた私ですが、とあるキーワードが突然に、半ば迷宮入りが確実視されていた難題を解決してくれたのです(笑)。
“URBAN TUNED”
これだけでピンときたマツダマニアな人も一部にいらっしゃるはずですが、そうでない大多数の健全な方々のために、元ネタを説明しておきますと・・・
私がCX-3を形容する幾多のコトバとの共通性を感じ取ったこのキャッチコピー。その主はというと、1987年に発売された
“マツダ・エチュード”です。
エチュードは、二代目のFFファミリア(BF系)をベースに派生したスタイリッシュな3ドアハッチバック。発売当初は1600DOHCエンジンのみで、ファミリアの基本コンポーネンツを流用しながら、都会的な雰囲気や上質さをウリにした個性的な”スペシャリティーカー”でした。
と同時に、マツダにとってエチュードは、旗艦・ロードぺーサーの発売以来12年ぶりとなる久々のブランニューモデル(新車名)でもありました。
・・・などと、ついつい紹介に力が入ってしまうのは、このクルマは私(と我が家)にとって初のマイカーだったからでして(^O^)。
1988年に実家でトップグレードの「Gi」を購入し、その翌年から5年以上に亘って私の初代マイカーとして活躍。忘れ難き素晴らしい思い出を沢山作ってくれました。
そういえば、購入の直前、旧アンフィニ店(・・・いや当時はマツダオート店か)の担当セールス氏が
「リアコンビがソアラに似ていてカッコイイでしょ!」
なんて、ビミョーな褒め言葉を使っていたのを今懐かしく思い出しました(笑)。
そんな遠い記憶を呼び起こしながら、あらためてエチュードのカタログの文言を眺めてみると・・・
画像の見開きページには
「都会に暮らすセンシブルピープルが求めているのは、こころのマテリアルとしてのちょっと刺激的な存在感。スペックの奥にある自分らしさのテイスト。人々のそんな気持ちを見つめて、新しいステージにデビューしました。アーバンチューンド、エチュードです。」
とあるし、メカニズム紹介の前書きでは
「いまはもう、技術が大いばりする時代じゃない。大切なのは、乗る人の気持ちをほんとうに快くすることができるか、理屈抜きにワクワクさせることができるか、です。世の中の人々の目は、とっくにそういうレベルに達している。だからこそ、スタイルからエンジンまで、きちんと造りこまれたクオリティの高さとか味わいが求められているのでしょう。マツダのニューブランド エチュードは、アーバンチューンドがテーマ。乗る人の個性が見えてくるさりげない存在感や、肌で感じる気持ちのよさを求めて、全身をチューンしました。」
ときて、その結びは
「いかがですか。さりげなく美しいニュープロポーション。明るく伸びやかなハーモニックインテリア。小粋な走りが楽しめる洗練のポテンシャル。都会に暮らす人のこころにフィットする「新素材」として、マツダのニューブランド エチュードは誕生しました。」
とあります。
ことさら「都会、都会・・・」と繰り返すことでかえって田舎者を強調してしまっているのはご愛嬌として、特定の名称が露出する部分を除けば、30年の時を経て今、CX-3のカタログにそっくり転記したとしても、天地がひっくり返るほどの違和感はないように感じます(^^;)。
ま、そもそも、搭載技術よりもスタイルを重視したクルマのカタログ文言にはそれほど劇的な違いはないはずですが、これを「一貫性がある」というか「変わり映えしない」というかは、人それぞれかも(笑)。
ということで、ベース車との差別化の方向性が、一見すると姿カタチや技術に共通項がないように見える両車の間に、私が僅かながらの近似性を見出した理由だったわけですね。
あー、スッキリした(^^)v。
でも・・・
両車の売れ行きって、天と地ほど差があるよねって?
(たしかに、エチュードの総生産台数をCX-3は半年足らずで凌駕したし 爆)
いやいや。
遠い昔に奏でた”練習曲”が四半世紀もの時を経て、立派な前奏曲(あ、これはホンダだった)・・・いや、協奏曲(う、これもホンダだ)・・・もとい、立派な交響曲となって現代に再演されたのだと解釈しておきましょうね(^^)。
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隠れ家のマツダ | 日記
Posted at
2016/01/27 23:48:24