2019年09月01日
防災の日に、「飛騨川バス転落事故」を振り返る
9月1日は、防災の日です。いくつもの災害がある中、「飛騨川バス事故」を振り返ってみました。
この事故のことは以前から知っておりました。観光バスが激流の飛騨川に転落している様子の写真を見たためです。詳細は知りませんでした。「狭い山道を運行中のバスが、運転士の運転ミスで崖下の川に転落、104人が死亡した事故」だと思っていました。高度経済成長期の観光ブームと道路整備の追い付かなさが原因だと、勝手な解釈をしていたのでした。
しかし本日、良く調べてみると、気象災害と運転士やバスツアー開催会社の判断ミスが重なった事故で、今日の「ブラック思考」にも通じる要素を感じたのでした。
事故が発生したのは、1968(昭和43)年8月18日未明だそうです。前日に台風が弱まりながら日本海側に抜け、温帯低気圧に変わりました。台風は同心円の形状から、東側に温暖前線が、西側に寒冷前線を伴う温帯低気圧の形に変わります。日本のほとんどの地域が、温暖前線と寒冷前線に挟まれる領域に入りました。台風が通過すると、その通り道には南側から暖かく湿った風が流入します。台風が通過すると、その通り道には南側から暖かく湿った風が流入します。
バスツアーは、17日夜に名古屋市内を出発、国道41号線を北上していました。一時晴れていたものの、夜になって湿った空気が流入し、さらに寒冷前線が接近したようです。南側からの湿った風が岐阜県内の山にあたり、国道41号線付近には積乱雲が次々に発生、雷と豪雨が続いたそうです。
バスツアーの運転士は、皆慣れた道であったために、豪雨の中でも途中まで無事移動できたのでした。ところが道路で土砂崩れが発生、ツアーの打ち切りを決定したのでした。来た道を引き返したのですが、途中消防団に呼び止められ、ツアーの半分の台数はその場にとどまりました。
消防団と出会わなかったツアー前半のバスはそのまま進行しましたが、土砂崩れに巻き込まれたトラックに進路を阻まれ、バックをして引き返しました。ところが今度は引き返し中に後方で土砂崩れが発生、行くことも戻ることもできなくなりました。
閉じ込められたバスは、その場にとどまるしかなかったのですが、雨は降り続きます。この時の雨は、100mm/hの強さで継続したようです。そして午前1時過ぎに、バス二台を巻き込む形で土砂崩れが発生、バスはガードレールごと飛騨川に押し流されてしまいました。
押し流されたバスでは、3人が助かったのみで、あとは全員死亡したとのことです。バスツアーに参加したのは団地の家族が中心でしたので、中には一家全滅というご家庭もあったとのことでした。
この事故以前、道路は土砂崩れが発生しない限り閉鎖されませんでした。事故をあらかじめ防ぐ目的で、連続降水量が一定になったときに、道路を閉鎖する制度が出来たのでした。また合わせて、この時期に行われるようになった「交通安全基本計画」では、「ラジオで気象情報を報道し、ドライバーが行先の気象状況往路状況を知るための手段とする。」ことを盛り込みました。
現在、台風や大雪、強い雨などの、災害が起こることが予想される場合には、事前に気象情報が発表されるようになりました。不要な外出を控え、人に被害が発生することを防いだり、発生しても少なくるようにする「減災」の考え方が広まってきました。被害が起こってから被害を復旧するのではなく、被害が予想されるときには社会活動を控え、みんなで被害を減らそうとするものです。
そんな中ですが、主に営業職の人たちの中では、こういった過去の人たちの教訓などを無視して、乱暴な考え方をする人がいます。
「雨にも負けず風にも負けず」
「かん難汝を球にす」
「たとえ火の中水の中」
「走れメロスのメロスのように、ズタボロになってもお客様のところに行くことで誠意を示す」
などです。
過去の人は亡くなってしまいましたが、災害を語り継ぐことでその死を無駄にしない活動が各地で行われています。この尊い死を無駄にする、「努力、根性」論は、絶滅に追い込む必要があると思っています。
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Posted at
2019/09/01 22:07:43
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