ついに先日、身近でこんなセリフを聞いてしまいました。
仕事上で関係する外部の年配の方が、「良い機会なのでうなぎをご馳走しよう。誰か若い人も連れてきてね。」と言っているので、私は自分よりも若い人に声をかけました。
すると、
「あ、僕その曜日は友達と遊ぶので行けません。」
とのことでした。これまで、ゆとり世代が発する「読み人知らず」の言葉として、「その飲み会は、仕事ですか?残業代は出ますか?」があることは聞いていましたが、まさか身近で耳にしてしまうとは、予想だにしませんでした。
これまでも私はゆとり世代の
分析をしました。そもそも「ゆとり世代」という呼び方は、「文部省が行った学習要領改訂と土曜休日政策が、1987年代以降生まれの人をだらしなくした」ことを揶揄するものです。私はその揶揄の仕方に、「果たして、学習要領の削減と、半日休日だった土曜日を一日休みにするだけで、人が変わるものだろうか?」という疑問を感じていました。しかし、先日インターネットニュースを見ることで、すべての疑問が解けたのでした。
時に1987年、自身に子供が産まれたアグネス・チャン氏は、仕事場に子供を連れて来るのでした。彼女の子育て論、「子育てをする上で、親と子供がたとえ一時でも離れることは、子供にとって大きなストレスになる」、というものです。その姿を作家の林真理子氏は痛烈に批判し、大きな争いとなりました。芸能人対芸能人の争いは、もしかしたら歴史上初の出来事だったかもしれません。前年の男女雇用機会均等法も関わり、週刊誌やテレビのワイドショーは面白がってこれを煽るのでした。
その結果がどうなったかは、全く覚えていません。ただ、余りにも我を張るアグネス・チャン氏の論調も林真理子氏の外見も気持ち悪く、「どっちでも良いから早く終わってくれ」、というのが大半の人の反応だったと思います。それでもこの論争は、1年くらい続いたかな??
ところが、これをきっかけに「子供のストレスになることは、これをしてはならん!」という風潮が生まれました。1985年には中学校を中心にいじめ問題が発生、自殺者も多数出たのでした。
これを受け、「いじめは子供に対するストレスが原因」と、当時の教育評論家たちはストレス排除論を押し進めました。そもそもそれまで、「ストレス」という言葉がありませんでした。もちろん言葉がないだけで、ストレス事象はありましたよ。子供の学習塾通いは既に過熱気味でしたし、兄弟姉妹がいれば上の子は下の子の面倒を見させられたし、下の子は上の子のお下がりを使ったり、街を歩けば不良がカツアゲの対象を探していました。
子供からストレスを排除するために、例えば以下のようなことが行われました。
街
・砂場は猫が糞をして遊んだ子供が病気になるので廃止
・うんていやジャングルジム、ブランコにシーソーは、子供が怪我をするので廃止
・電車の中で子どもが遊んでいても、知らないおじさんが叱るとストレスになるので、皆見て見ぬふり
家庭
・ゲーム機や流行りのおもちゃを持っていないと友達にいじめられたり仲間はずれにされるので、子供が欲しがる前に買ってあげる
・子供が将来大きくなってレジャーで遊べないとかわいそうなので、スキーやサーフィン、海外旅行には行きたがる前に連れて行く
・ちょっと良いことがあると、記念にファミリーレストランで家族で食事(当時、ファミリーレストランはやや贅沢な食事の場でした)
学校
・授業を聞いても教科書を見てもわからないとかわいそうなので、先生はわかりやすく教える
・それでもわからない生徒には、「「質問をしてきたこと」を熱意がある」と評価する
・受験勉強はかわいそうなので、公立高校は内申書を基本に生徒を評価
・給食で苦手なものを無理に食べさせるとかわいそうなので、子供は食べ物を残し放題
テレビ
・刑事ものの格闘シーンは残虐であり、見る子がかわいそうなので廃止
・ロボット物や戦艦ものアニメは、一方がもう一方を殺すという残虐な内容なので廃止
加えて、バブル景気初期であったこともあり、両親やその両親もお金が余っていました。子供が生活をする上で他の子供よりもひもじい思いをするとかわいそうなので、たっぷりとお年玉などが与えられました。当時の子供には両親とその両親の合計、「6つの財布」があると言われていました。銀行などは、預貯金需要として子供をターゲットにしていました。
上記のごとく、以前の子供が貯金をしたり、学業成績の向上をネタにねだったりしてようやく手に入れられたものが、「標準装備」になっていました。結果、子供はお年玉などを全て貯金することが出来ました。
カネ余りになった子供は、子供が大人に質問をするテレビ番組で、こんな質問をしていました。
「私たちは将来の勉強のために、株などに投資すべきでしょうか?」
回答者である大人は、流石にこう答えていました。
「君たちは、学校で勉強したり、友達と一緒に遊んだるすることが大切だ。」
もっとも、貯金をしたところで家すら買えないほど土地が高騰し、行き場がなくなったお金が車や子供に向かったという側面もあります。
あらゆる点で子供からストレスが排除されただけではありません。例のゆとり教育政策では、「なるべく勉強以外のことを評価するように」、とされていました。もちろん当初は、「小さい子やお年寄りの面倒を見たり、木工仕事や草木を育てたりすること」などの、世の中に必要な机の上での勉強以外で大切なことに重きを置くような方針だったのです。
しかし行き場を失った評価方針は、何と「テレビゲームがうまく出来ること」すら、評価しても良いポイントにしてしまいました。当時のテレビ番組で、子供がゲームに夢中になると、「「バグ」や「コマンド」といった、パソコン用語を学べる」と、大真面目に答えるパソコン関係者もいたくらいです。
そうそう、「ほめて伸ばす教育」も、この頃から出始めたと思います。まとめると、「やりたくないことはやらなくて構わないことになり、やりたいことはたとえゲームであってもやると褒められる」風潮になってしまいました。
アグネス・チャン氏がゆとり教育論を提唱したわけではないのですが、「発言が世論をゆとり教育に向かわせ」てしまったと思えてならないのです。
Posted at 2016/06/29 23:07:43 | |
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