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2018年10月02日 イイね!

序論 平成30年記

 平成時代が、そろそろ終わります。今年の年末は、各テレビ局が平成30年記を特集した番組を放送すると考えられます。

最近では、「1995年は終末思想がはびこり、ビールをはじめとした庶民的娯楽消費が低迷し、景気がさらに悪化した。」などの理論が現れています。一体どこから現れたのかわかりませんが、当時を経験した者が当時のことを記録しないと、どんどん書き換えられてしまいます。

そこで、私も平成30年記を書くことにしました。


時代分け

1期 昭和61(1986)年~平成4(1992)年 景気成長期
2期 平成4(1992)年~平成7(1995)年 景気後退第1期
3期 平成7(1995)年~平成9(1997)年 景気後退第2期
4期 平成9(1997)年~平成11(1999)年 景気後退第3期
5期 平成11(1999)年~平成15(2003)年 ITバブルと同バブル崩壊期
6期 平成15(2003)年~平成20(2008)年 楊炎景気とリーマンショック
7期 平成20(2008)年~平成27(2015)年 リーマンショック不景気と東日本大震災後
8期 平成27(2015)年~平成30(2018)年 次世代への準備

近代史や個人による歴史の執筆は、難しいものです。今まさに起こっていることは、そのときは大したことがなかったとしても、後から振り返ると「ああ、あの時が転換点だったんだ。」と思うことがありますし、その反対もあります。

また、個人的な出来事(卒業、進学・就職、結婚、出産、不幸など)があると、歴史観が左右されることがあります。まあ、私のブログですから、左右されるのは当然だと思ってください。

そして、平成30年記と書きながら、1期が昭和61年から始まっています。これには議論があるとおもいます。第一次オイルショック、オイルショックからの復活の昭和52年、1980年代始まりの昭和55年、ロスオリンピックの昭和58年なども考えましたが、平成景気につながったのは昭和61年の出来事だと思いましたので、このようにしました。

経済や社会という誰でも書ける論理は控えめにして、サラリーマン一家のただの車/ドラマ好きが書く歴史として、読み続けていってください。
Posted at 2018/10/02 22:31:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | ビジネス/学習
2018年09月22日 イイね!

「東京ラブストーリー」に、1991年の世相を読み解く

「東京ラブストーリー」に、1991年の世相を読み解く 現在、関東地方では1991年冬期に放送されたドラマ「東京ラブストーリー」が再放送されています。出演者やストーリー、当時の私のことは見終わってからとし、当時の世相や風俗についていろいろ検証してみました。

当時の世相
 既に平均株価の下落から1年が経過していました。しかし消費の拡大はまだ続きいていました。「日本は土地本位制だから株価は関係ない。」などという人もいました。多くの人の心の中には「今のところ好景気だけれど必ず終わる。終わるのはいつだろう。」と、疑心暗鬼の時期でした。消費が後退するのは1992年7月頃、本格的に不景気感に襲われるのは、1993年夏期でした。

高層建築物が少ない
 東京オリンピック(昭和39年)頃に建設された建物や施設の老朽化が始まり、「都市再開発」が叫ばれていました。そのため「地上げ」行為が行われていたはずなのですが、画面中には1960年代から70年代に建設されたと思われる「店舗兼住居」や「都心の一戸建て」「個人商店」が多数見られます。高層ビルやマンションが林立したのは、2000年代に入ってからだったのですね。
 主人公たちが勤務する「ハートスポーツ」というスポーツ用品メーカーは「コンクリート打ちっぱなし」や「鉄製感をあらわにした柵」などが見られます。当時最新のデザインですが、その後の流行とは随分異なります。

古い車が少ない
 画面中に見られる車は現在で言うところの「ネオクラシックカー」ですが、1970年代の車はもちろん、1980年代前半の車もほとんど見られません。例えば「E70型カローラ/スプリンター」や「910型ブルーバード」は1980年代に大ヒットしましたが、画面では全くといってよいほど見られません。

レジャーが少ない
 登場人物4人は、水上温泉にA70型スープラの逆輸入車で1泊旅行をします。当時既にパジェロやハイラックスサーフなどのSUVが流行っていたはずですが、これは意外でした。1980年代前半には「おじいさん、おばあさんの旅行」とされていた「温泉旅行」が、若者のレジャーとなり始めた時のようでした。
 当時はまだ趣味の多様性が認められておらず、20歳代前半の若者がすることというと、実は「ウインタースポーツ」くらいでした。「鉄道・アニメーション・ゲーム・アイドル」は「ネクラ」の烙印を押されて死刑宣告をされたのに等しく、「ラーメン食べ歩き」などは行為すら存在しない有様でした。意外に肩身が狭い時代、恋愛しかすることがなかったとも言えます。

オフィスのパソコンは1台
 せいぜい顧客リストを入力しておくことや文書作成と印刷が主体で、調べる手段でもなければ通信手段でもありませんでした。しかも作成したリストや書類は、フロッピーディスクに保管していました。予備に紙の打ち出し表などもあったりしたものです。パソコンを使えるのはごく一部の女性で、キーボードを流暢に操作できると「プロフェッショナル扱い」されたものです。

レストラン等の内装
 今日では割と明るい色使いで、大理石等の艶がある石を床材に使用するケースが多いです。しかし、全体的に暗くこげ茶色が多く、あまり明るい感じがしません。1970年代後半を思わせる内装です。

厚着?
 1991年初頭は、結構寒い時期でした。防寒するのは当然ですが、みんな着膨れています。織田裕二の服装は、下着シャツ(予想)、襟付きのシャツ、セーター、ジャンパー、それにマフラーをしており、上半身はまるで雪だるまです。今ほど屋内の暖房が効いていなかったのでしょうか?
 1989年に松田優作版「探偵物語」が再放送され、主人公が着用していた「うす茶色のダウンジャケット」が、1991年初頭の横浜で流行っていました。その流行は翌年都内に、その翌年に埼玉に伝わりました。スキーウエアは既にあったはずですが、ダウンジャケットは流行っていなかったか高額だったのでしょうか。
余談ですが、当時の街中では「ヘリーハンセンの蛍光黄、ピンク、黄緑、オレンジのジャンパー」姿が多数見られたのですが、画面には皆無です。なお、警戒色でもある蛍光色のジャンパーは目立つために、後年警備係員等の目印用服になってしまいました。

ブルーデニム皆無
 ブルーデニムは流行ったり廃れたりしています。1988年頃に吉田栄作氏が白いヘインズのTシャツに、今で言うところのダメージデニムを引っさげて登場しましたが、彼の誇大発言が反感を買った時期です。ブルーデニムは「貧乏な若者の服」とされたため、登場人物どころか歩行者も履いていません。復活するのは、チーマーの元祖が現れる1994年頃です。

髪型
 ワンレングスや「トサカ前髪」が見られます。眉はピーク時よりも細くなっているように感じます。後年、「茶髪(ちゃぱつ)と呼ばれるような、カラーリングあるいばブリーチヘアは一切見られません。それどころか、ソバージュもいません。1991年には絶滅していたのでしょうかね。江口洋介氏は女性で言うところのセミロングですが、彼の芸風によるもののようです。

思いのほか清楚?
 「ワンレン・ボディコン」などと一括りにされる傾向がありますが、そういう人は映っていません。主人公赤名リカは、紺のブレザーにうす茶色のゆるいパンツ姿のこともあります。「知的に見せる」ことが当時のファッションの傾向だったようです。

本作の歴史的位置づけ
 トレンディドラマの代表的作品として語られることが多いですが、私の記憶ではその末期だったと思います。次の春期には、既におじさんになっていた武田鉄矢と浅野温子主演の「101回目のプロポーズ」が放送されます。もはや普通の恋愛ものの手段が出尽くし、奇策として出てきた作品でした。
 本作は、「恋愛は都会で暮らす若者のゲーム」として描いていた1990年までのドラマに対し、「モノは充実したので心の充実を図った純愛もの」として制作されたと記憶しています。「トレンディドラマ」と呼ぶよりは、原作者の「「柴門ふみ」もの」と分類したほうがよさそうです。

おまけ「トレンディドラマ」について
 今でこそ、平成景気前後の若者主人公恋愛ドラマを示す言葉として使用されていますが、確か違ったはずです。松下由樹主演「オイシーのが好き」の前半において、「ストーリーよりも若者の流行をカタログ雑誌のように描いた映像」としたものが「トレンディ(描いた)ドラマ(仕立て映像)」だったと思います。しかし、「オイシー~」が途中で話が尽きたのか、普通の恋愛ものドラマになりました。本作も、部分的ではありますが、「若者風俗はこうなんだよ」とでも言いたげな、誘導シーンがあります。


シリーズを見終わったら、ストーリーを含めて感想を書きます。
Posted at 2018/09/22 00:07:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 音楽/映画/テレビ
2018年05月05日 イイね!

昭和40年代自動車雑誌で、当時の事情を知る

 この日は、つくばサーキットで開催されたモータースポーツイベントに行きました。暑い上にイベント本体は出走者が楽しいもので、イベント本体よりも出店しているお店に関心が向いていきました。

お店の中には、自動車専門古書店がありました。カーグラフィックやモーターファンのほか、現在ではすでに廃刊になった本もありました。当時の世相を知るうえで、非常に良い参考になりました。自動車の歴史がある中で、昭和50-53年の排出ガス規制と、昭和48年の石油危機は大きな節目になっており、それ以前のことはあまり伝わってきません。また、昔は今のように細かいことにこだわったり保管したりすることは、「偏執狂」と呼ばれたために、当時の記録はあまり残っていません。ただし、今回読んだ本は3500円と非常に高額な値段がつけられていたために、買うには至りませんでした。今回は、その中に書かれていたことを紹介します。

1.日本石油主催ドライバーズクラブ(昭和45年頃)
 石油元売りの日本石油は、オーナードライバーの増加とレジャーとしてのドライブの一般化から、ドライバーのクラブを主宰していました。さらなるドライブの普及と、制度を利用してどんどんガソリンを消費してほしいというもののようです。

内容は、1万円/年の会費を払うことで、クラブ提携宿泊施設が使い放題というものらしいです。一見、非常にお得な内容に感じられますが、当時の情勢を考えると「?」な部分があります。

何しろ、多くの勤務先では日曜・祝日のみが休日で、土曜日は良くて午後半日休みでした。長期休暇は旧盆の時期3日と、年末年始4日間程度でしょうか。もちろん、「レジャーに行くので何日間か休みます」というのは、認められなかったようです。

高速道路は、東名・名神高速道路と中央自動車道の一部、都市高速道路のみで、関東では関越自動車道も東北自動車道は開通していませんでした。ドライブでは、当然ながら一般国道を使用します。生活道路となった現在の国道とは異なり、信号機の数こそ少なかったでしょうが、平均速度もあまり上がらなかったと考えられます。そのため、週休1日か1.5日では、関東からですと那須あたりまでが精いっぱいではないでしょうか?

そのため、各地の観光宿泊施設利用し放題でも、実際に利用可能な施設に限りがあるということです。また、何度も同じところに行くこともあるでしょうが、たいていの場合にはその都度行く場所を変えたいものです。結局、登録してもあまり利用されず、利益が出やすいか加入者が少ないサービスだったのかもしれません。

2.モータースポーツは駐車場や河原で!
 モータースポーツ指南本も多く発売されていました。日本アルペンラリーが開催されたことからも、当時の「モータースポーツをしてみたい」欲は高かったと推察されます。手軽に始められるモータースポーツとして、ジムカーナが勧められていました。ジムカーナの練習や仲間との競技会などを「「大きな駐車場」や「河原」でしてみよう!」と呼びかける内容になっていました。

現代では、車を乗りつけて集会を開いていたり、エンジンの回転を上げて走っていたりすると、場所管理者が飛んできて追い払われたり、警察に通報されたりするものです。民家がない場所では、他人に迷惑をかけない範囲でいろいろ出来た、緩い時代の雰囲気をうかがわせる記事でした。

3.モータースポーツ入門車
 今も昔も、モータースポーツの入門に適当な車も不適当な車もあります。当時はセダンやクーペ、バンばかりでしたが、高級車やバンは除かれます。また、多くの人が買い、後付けパーツの販売量が増えそうな車種が適当とされていました。その車種は、
カローラ(E10、20系)
多くの人が最初に購入する車として適当で、膨大な数の車が売れていました。スタンダードやデラックスのようなグレードに加えて、スポーティーさを加味したSLグレードが設定されていたこともその理由だと思います。トヨタにはもっと安価でSLグレードもあったパブリカもありましたが、こちらは紹介程度でした。

ブルーバード(510)
昭和45年では、410型はもう「古くてモータースポーツ用には勧められない」とされていました。510型はパワーも当時としては高めでシャシーの能力も高く、ラリーイメージも強かったために、おすすめの車種にされていました。

サニー(B10系)
カローラ同様、販売台数が多かったために、適当な車とされていたようです。5速M/TのGXグレードが登場するのは次のモデルで、本モデルではそれほどスポーティーなイメージはありません。販売台数が重要だったようです。

コルト、コルトギャラン
こちらもブルーバードと同様、ラリーイメージが高い車でした。リヤサスペンションがリーフ/リジッドアクスルながら操縦性が高く、エンジンも出力が高かったために、おすすめの車とされていたのでしょう。

おまけ
ブルーバードと同程度販売されていたコロナ、FWDのスバル1000などは、おすすめ車両にはされていませんでした。また、DOHCエンジンを搭載したセリカは発売されて間もない時期で、能力は不明とされていました。

4.たくさんある「スピードショップ」
 現在は数を減らしてしまった「チューニングショップ」ですが、この頃は雨後の筍のように出てきたようです。まだオートバックスやイエローハットなどのカー用品店も大規模ではなく、自動車整備工場と自動車販売店しかない時期でしたので、ちょっとした部品取り付けの需要があったのでしょう。都内、都下、神奈川県内がその中心で、いろいろ腕自慢のお店があったようです。

また、自動車メーカーないしは大規模ディーラーには、現在のGRガレージに似た形態の「スポーツコーナー」があり、ここに相談することができたようです。まだ排出ガス規制がなかった時期ですから、ソレックスやウエーバーといった高性能キャブレター、排気系部品、サスペンションなどもいろいろ融通をきかせてくれたようです。

まとめ
 当時は、東京オリンピック以後、短期間の不景気を経て訪れた、景気拡大期間でした。給与水準は高くありませんでしたが、お年寄りが少なく生産年齢人口が多かったため、各種社会保険料は安かったそうです。子供も養育費をあまりかけない時代でしたし、家を買ったら車、という雰囲気だったようです。

当然、スマートフォンやテレビゲーム、パソコンもない時代ですから、飲食を除くと大人の娯楽は限られていました。そんな中で、車を買うだけでなく、ドライブをしたり、モータースポーツをしたりと、いろいろ車を使った遊びがもてはやされたのでしょうね。

残念ながら、オイルショックを通じて車遊びが厳しくなり、一部の人がラリーを楽しむか暴走族になった、昭和50年代初期を迎えるのでした。

ちょっとした本の立ち読みでしたが、オイルショック以前の好景気の雰囲気を垣間見たのでした。
Posted at 2019/09/30 00:01:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | クルマ
2016年06月29日 イイね!

ゆとり世代発生の原因はアグネス・チャン氏!?

 ついに先日、身近でこんなセリフを聞いてしまいました。

 仕事上で関係する外部の年配の方が、「良い機会なのでうなぎをご馳走しよう。誰か若い人も連れてきてね。」と言っているので、私は自分よりも若い人に声をかけました。

すると、

「あ、僕その曜日は友達と遊ぶので行けません。」

とのことでした。これまで、ゆとり世代が発する「読み人知らず」の言葉として、「その飲み会は、仕事ですか?残業代は出ますか?」があることは聞いていましたが、まさか身近で耳にしてしまうとは、予想だにしませんでした。

 これまでも私はゆとり世代の分析をしました。そもそも「ゆとり世代」という呼び方は、「文部省が行った学習要領改訂と土曜休日政策が、1987年代以降生まれの人をだらしなくした」ことを揶揄するものです。私はその揶揄の仕方に、「果たして、学習要領の削減と、半日休日だった土曜日を一日休みにするだけで、人が変わるものだろうか?」という疑問を感じていました。しかし、先日インターネットニュースを見ることで、すべての疑問が解けたのでした。

 時に1987年、自身に子供が産まれたアグネス・チャン氏は、仕事場に子供を連れて来るのでした。彼女の子育て論、「子育てをする上で、親と子供がたとえ一時でも離れることは、子供にとって大きなストレスになる」、というものです。その姿を作家の林真理子氏は痛烈に批判し、大きな争いとなりました。芸能人対芸能人の争いは、もしかしたら歴史上初の出来事だったかもしれません。前年の男女雇用機会均等法も関わり、週刊誌やテレビのワイドショーは面白がってこれを煽るのでした。

その結果がどうなったかは、全く覚えていません。ただ、余りにも我を張るアグネス・チャン氏の論調も林真理子氏の外見も気持ち悪く、「どっちでも良いから早く終わってくれ」、というのが大半の人の反応だったと思います。それでもこの論争は、1年くらい続いたかな??

 ところが、これをきっかけに「子供のストレスになることは、これをしてはならん!」という風潮が生まれました。1985年には中学校を中心にいじめ問題が発生、自殺者も多数出たのでした。

これを受け、「いじめは子供に対するストレスが原因」と、当時の教育評論家たちはストレス排除論を押し進めました。そもそもそれまで、「ストレス」という言葉がありませんでした。もちろん言葉がないだけで、ストレス事象はありましたよ。子供の学習塾通いは既に過熱気味でしたし、兄弟姉妹がいれば上の子は下の子の面倒を見させられたし、下の子は上の子のお下がりを使ったり、街を歩けば不良がカツアゲの対象を探していました。

子供からストレスを排除するために、例えば以下のようなことが行われました。


 ・砂場は猫が糞をして遊んだ子供が病気になるので廃止
 ・うんていやジャングルジム、ブランコにシーソーは、子供が怪我をするので廃止
 ・電車の中で子どもが遊んでいても、知らないおじさんが叱るとストレスになるので、皆見て見ぬふり
 
家庭
 ・ゲーム機や流行りのおもちゃを持っていないと友達にいじめられたり仲間はずれにされるので、子供が欲しがる前に買ってあげる
 ・子供が将来大きくなってレジャーで遊べないとかわいそうなので、スキーやサーフィン、海外旅行には行きたがる前に連れて行く
 ・ちょっと良いことがあると、記念にファミリーレストランで家族で食事(当時、ファミリーレストランはやや贅沢な食事の場でした)

学校
 ・授業を聞いても教科書を見てもわからないとかわいそうなので、先生はわかりやすく教える
 ・それでもわからない生徒には、「「質問をしてきたこと」を熱意がある」と評価する
 ・受験勉強はかわいそうなので、公立高校は内申書を基本に生徒を評価
 ・給食で苦手なものを無理に食べさせるとかわいそうなので、子供は食べ物を残し放題

テレビ
 ・刑事ものの格闘シーンは残虐であり、見る子がかわいそうなので廃止
 ・ロボット物や戦艦ものアニメは、一方がもう一方を殺すという残虐な内容なので廃止
 
 加えて、バブル景気初期であったこともあり、両親やその両親もお金が余っていました。子供が生活をする上で他の子供よりもひもじい思いをするとかわいそうなので、たっぷりとお年玉などが与えられました。当時の子供には両親とその両親の合計、「6つの財布」があると言われていました。銀行などは、預貯金需要として子供をターゲットにしていました。

上記のごとく、以前の子供が貯金をしたり、学業成績の向上をネタにねだったりしてようやく手に入れられたものが、「標準装備」になっていました。結果、子供はお年玉などを全て貯金することが出来ました。

カネ余りになった子供は、子供が大人に質問をするテレビ番組で、こんな質問をしていました。

「私たちは将来の勉強のために、株などに投資すべきでしょうか?」

回答者である大人は、流石にこう答えていました。

「君たちは、学校で勉強したり、友達と一緒に遊んだるすることが大切だ。」

もっとも、貯金をしたところで家すら買えないほど土地が高騰し、行き場がなくなったお金が車や子供に向かったという側面もあります。

 あらゆる点で子供からストレスが排除されただけではありません。例のゆとり教育政策では、「なるべく勉強以外のことを評価するように」、とされていました。もちろん当初は、「小さい子やお年寄りの面倒を見たり、木工仕事や草木を育てたりすること」などの、世の中に必要な机の上での勉強以外で大切なことに重きを置くような方針だったのです。

しかし行き場を失った評価方針は、何と「テレビゲームがうまく出来ること」すら、評価しても良いポイントにしてしまいました。当時のテレビ番組で、子供がゲームに夢中になると、「「バグ」や「コマンド」といった、パソコン用語を学べる」と、大真面目に答えるパソコン関係者もいたくらいです。

そうそう、「ほめて伸ばす教育」も、この頃から出始めたと思います。まとめると、「やりたくないことはやらなくて構わないことになり、やりたいことはたとえゲームであってもやると褒められる」風潮になってしまいました。

アグネス・チャン氏がゆとり教育論を提唱したわけではないのですが、「発言が世論をゆとり教育に向かわせ」てしまったと思えてならないのです。
Posted at 2016/06/29 23:07:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 暮らし/家族
2016年03月07日 イイね!

田舎がなくなってきますね

 まもなく北海道まで新幹線が開通します。函館まで4時間少々ということで、日本の各地がどんどん短時間で結ばれるようになってきました。

仕事柄、地方都市などに出張することが多いのですが、年々どこでも風景が同じになってきていることを感じます。ガソリンスタンド、コンビニエンスストア、ファミリーレストラン、家電量販店、紳士服の量販店、どこでも風景が似ています。

 働く前は、実は旅行の類が好きではありませんで、関東地方を出たことすらほとんどない有様でした。

私が小学生の頃に再放送をしていたアニメ「アパッチ野球軍」では、四国の山脈が舞台になっています。テレビも見たことがない子供たちが描かれ、「四国はすごいところなんだなあ」と思ったものでした。

小学4年生の時に買ってもらった日本地理の図鑑では、大都市圏以外では過疎化が進み、廃墟が残るのみであるかのような写真が多数掲載されていました。会津若松、足尾、夕張、飯塚etc。

時に1988年1月、「NEWジャングル」の「浩平が泣いた」というお話では、田舎から出てきて騙され裏切られ続けてきた青年が、自暴自棄になってライフルを乱射するお話がありました。刑事の浩平(江口洋介)と彼がファーストフード店に入るシーンがあるのですが、犯罪を起こしてしまった犯人は、初めてそういうお店に入るようでした。

大学進学の際、15歳離れた叔父が私にこう言いました。「田舎から出てくる人もいるんだから、そういう人には親切にしてあげなければダメだよ。」

いざ入学し、クラスでお互い自己紹介をしました。1都3県以外出身者以外の出身地は、以下の通りです。

茨木県日立市、富山県富山市、愛知県名古屋市千種区、愛知県豊川市、愛媛県今治市、愛媛県松山市。

神奈川出身の一人と気が合ったので、おじに言われたことと「浩平が泣いた」のことを交えて、「ファーストフード店で注文する方法とかを教えてあげたほうが良いのかな?」と言いました。

すると旅行好きだった彼は、「地方でもファーストフード店くらいあるよ!」と言いました。

後年、出張で上記の地域に行きましたが、私の住まいよりも都会でした。。。叔父と私の年の差15年でも、かなり世の中が変わったことを感じたのでした。

私のとっての「田舎」は、もう日本のどこにもないのかもしれませんね。田舎の人でも便利な生活を望むでしょうし、発展は全国平等にあるべきですね。

以下に、私の田舎像を取り上げます。


2170年頃の岩手県の民家。燃料には薪を使っています。もんぺに長靴の姿も懐かしい。



1979年頃の長野県黒川村。農作物は大八車で運びます。





1979年の山梨県のとある村。農業は機械化されておらず、鋤で耕しています。



1960年代の浜松市内のある場所。肥桶で肥料を運んでいます。
Posted at 2016/03/07 23:53:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 旅行/地域

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