その7の勤務先から数百mのところに、学校3年目7月に勤務した喫茶店があります。しかし、まさに日本有数の繁華街であること、街並みの変化などもあり、通りませんでした。
この喫茶店はチェーン店で、現在でも存在しています。おぼろげな記憶ですが、当時はその繁華街への集中出店をしていたように思うのですが、現在は地域広く展開しているようです。ケーキがおいしく、リーズナブルなお店です。
これまで
その5のホモソーシャルな職場を長く続け、そろそろノーマルな雰囲気に接する必要を感じたためです。また、友人にホテルの厨房洗い場でアルバイトをしている人がいて、慣れれば何でもない仕事、と、話を聞いていたこともあります。
勤務を始めたのは7月下旬の日曜日だったように思います。天気は曇りでしたが、蒸し暑い日でした。「日本有数の繁華街」、「日曜日」、「ケーキがおいしくリーズナブルなお店」ともなれば、混雑して当然です。
私は勤務初日、当然ですが厨房の洗い場に配属されました。教育を受けずにいきなり接客は無理ですが、洗い場なら機械の使い方を教えるだけで務まる、と考えたのでしょう。なお、洗い場であっても制服(ワイシャツにスラックス)と革靴を着用することが義務付けられています。洗い場ゆえに風通しは悪く、温水を用いるために気温と湿度は高めでした。お客は非常に多かったようで、機械洗浄だけでは間に合わず、手洗い場でも一時誰か手伝っていたように思います。私は汗だく、革靴はすっかり濡れてしまいました。
今思えば、洗い場ですら追い付かないのですから、調理場は持った追い付かなかったことでしょうね。不満など言っていられません。
それが何と、私の存在は無視されており、午前10時から午後10時まで休憩なし、食事なし、水分補給なし、トイレは行けたのかどうか記憶にありません。私は時間中に気分が悪くなってしまい、本当に座り込んでしまいたくなってしまいました。景色がゆがみ、機械稼働中に後ろの壁にもたれかかっていたら、何度か持ち直した、という状態でした。
日が落ちて店内の混雑が落ち着くと、社員とアルバイト女子の談笑の声が聞こえてきます。洗い場も落ち着いてはきましたが、機械の稼働を停めるほどではありませんでした。
勤務終了近くの午後9時頃になり、ようやく店長に呼ばれました。
「昼休み取れなかったんだってねえ。ゴメンゴメン。ケーキ食べて良いよ。それから、接客の訓練をしてみようか。」
と、ウエイターとしての教育が始まりました。私は疲れ切ってやる気が出ず、何とかこなす程度にしかできませんでした。
勤務初日からいきなり休憩時間なし、しかも気分まで悪くなるという状況で、私には金額と労働が合わないように感じてしまいました。職に貴賎なし、これも訓練とは思ったのですが、これでは本業の学業に支障が出てしまうことが予想されました。前にも書きましたが、この年は体調が悪く、本当に体を壊してしまいそうな予感もしました。従って、ごく短期で辞めさせてもらいました。
忙しい職場なら、昼食が午後や夕方になってしまうこともあるでしょうけれど、存在を忘れてしまうのはひどいですよね。
このことがあって以来、私はレストランや居酒屋などで注文した品物がなかなか来なくても、「調理場はてんてこ舞いなんだろうな。」と、黙って待つことにしています。
Posted at 2022/04/02 21:10:08 | |
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