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C28JA60TAKAのブログ一覧

2007年07月31日 イイね!

「 DUTSUN FAIRLADY SPL212 」

「 DUTSUN FAIRLADY SPL212 」

ダットサン・フェアレディ SPL212
1960年(昭和35年)日産自動車


フェアレディの名を冠した最初の車は、このSPL212型となる。車名はミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来するもので、当時の日産の社長、川又克二が前年に渡米した際、ブロードウェーでの同ミュージカルの観覧で感銘を受けたことからの命名。ただし、当時の日本語表記は「フェアレデー」であった。

 型式記号はそれぞれ、「S」が「スポーツ」、「P」が「パワーアップ版」、「L」が「レフトハンドドライブ(左ハンドル)」を表す。数字の百の位の「2」は第二世代の意味であるが、この場合はダットサン210、220の派生車であることからそれに揃えたかたちとなっている。十の位は、奇数が乗用、偶数が貨物(トラックシャーシ流用のバスも偶数)で、「1」と「2」が小型の「ダットサン」、「3」、「4」以上が「ニッサン」となる。ダットサンスポーツの場合は「小型乗用」なので「1」となる。一の位は、「0」を基本型とし、改良が入った回数を表しており、SPL212の場合は、2回目のマイナーチェンジモデルということになる。

 この212と次の213は北米専売モデルの扱いであり、左ハンドルのみの生産であったが、少数が日本国内でもそのまま販売された。生産性を考慮し、ボディは一般的なスチール製にもどされ、より頑丈なダットサントラック221型用シャーシの採用で、ダブルウイッシュボーンと縦置きトーションバーによる独立式フロントサスペンションを得た。エンジンは、ブルーバードにも使われた、1189cc OHVのE1型に変更され、SUツインキャブを装着し、48PS/8.4Kgmの出力を発揮、フロアシフトの4速トランスミッションを介し、最高速度は132km/hと発表された。自動車としての洗練度は英国製ライトウエイトスポーツカーに遠く及ばなかったが、これらの改良により、市場での競争力は着実に高まっていった。


Posted at 2007/07/31 07:35:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月30日 イイね!

「 DUTSUN SPORT DC-3 」

「 DUTSUN SPORT DC-3 」

ダットサンスポーツ DC-3
1952年(昭和27年)日産自動車


 戦後初の国産のスポーツカーだが、フレームやエンジンなどの主要パーツはトラックからの流用で、これにオープンのボディを乗せただけ。しかし、まさにフェアレディの原点といえる車だ。搭載されたD10型エンジンは直列4気筒SV(サイドバルブ)で860cc、パワーは20馬力、トルクは4.9kgmと非力で、最高速も70km/hほど。生産計画は50台だったが25台しか売れなかった。

Posted at 2007/07/30 08:11:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月28日 イイね!

「 SKYLINE 350GT CPV35 」

「 SKYLINE 350GT CPV35 」

スカイラインクーペ 350GT CPV35
2003年(平成15年)日産自動車


 1999年10月 第33回東京モーターショーにスカイラインとは別のモデルとして発表されていたコンセプトカー「XVL」を、2001年6 月、ルノー上層部の意向でV35型スカイラインとして発売。従来スカイラインGTの象徴の一つであった直列6気筒エンジンに替わり、V型6気筒直噴ガソリンエンジンのVQ30DD型、およびVQ25DD型エンジンを搭載。トランスミッションは4速および5速オートマチックのみの設定された。また、丸目のテールランプが廃止(後のマイナーチェンジで復活)されたことなどから、新世代のスカイラインの在り方を表現したモデルといえ、プレミアム・スポーツセダンとしてみた場合、性能的にポテンシャルは高い。

 しかしながら、「新世代のスカイライン」としての外観とそれに付随するイメージが、結果としてかつてのスカイラインファンを遠ざける結果となってしまった事は否めない。旧来のスカイラインファンからはスタイリングや乗り味が総合的に不評で、「これはスカイラインではない」等と言われる事が多い(土屋圭市には「あれはセフィーロです」と言われてしまっている)。つまり、一般的なセダンとしてはかなりの実力を持っているものの、「スカイライン」としてのオリジナリティ、あるいはスペシャリティが感じられるクルマではない、という結論が導き出せるだろう。


「世界的に有名な3つのアルファベットがあります。G、T、Rです。私はここでお約束いたします。必ずGT-Rは復活します。」これは2001年東京モーターショーのプレス・カンファレンスでカルロス・ゴーンが"GT-Rコンセプト"を前に行ったプレゼンの最初の言葉である。R34で終わりをみせたGT-Rが2007年10月に復活する。


Posted at 2007/07/28 09:47:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月27日 イイね!

「 SKYLINE GT-R BNR34 」

「 SKYLINE GT-R BNR34 」

スカイライン GT-R BNR34
1999年(平成11年)日産自動車


 1998年5月 R34型発売。ホイールベースを短縮し「ボディは力だ」のCMキャッチコピー通りにボディ剛性が向上され、安全性も向上した。スポーツモデルでRB25DET型を搭載する「25GT-t」はついに280psを発揮するまでに至ったが、クラス下のランサーエボリューションやインプレッサが既に同程度の出力を達成していただけに、パワー重視のユーザーからはあまり興味を持たれなかった。

 1999年1月 R34型GT-R発売。このR34型GT-Rは第2世代最後のRだけに歴代GT-Rの中でも究極のGT-Rと言える進化を遂げた。Vスペックには量産車初のオートクレーブ工法で形成されたカーボンディフューザー等のアドバンスドエアロシステムを採用、鍛造18インチホイールを装備、トランスミッションは独ゲトラグ社と共同開発した6速MT、ブレーキはイタリアの名門ブレンボ製を標準装備。エンジンは第2世代最後となるRB26DETT型を搭載。自主規制枠一杯の最大出力280psはそのままではあるが、R390GT1で培われた技術を活用し、最大トルク 40.0kg/mを達成する等、究極のドライビングプレジャーを名乗るに相応しい車に進化した。その結果、当時COOとして日産を立て直した現日産CEOであるカルロス・ゴーンの口から「日産で最も好きな車」と言わせた。車内においてはコンソール中央にマルチファクションディスプレイと呼ばれる車両の状態を確認するモニターが搭載され、水温、ブースト圧などを表示することが出来る。Vスペックとノーマルでは多少表示項目が異なる。

2000年1月 2ドアスポーツクーペに「25GT-V」を追加。GT-Rに第33回東京モーターショーに参考出品された特別塗装色ミッドナイトパープルIIIを3ヶ月期間限定で設定。2000年10月 GT-Rマイナーチェンジ。内外装の一部変更、およびVスペックに替わりVスペックIIをラインナップ。量産車としては初のNACAダクト付きカーボンファイバー製ボンネットフードを採用。その他色の変更、アルミペダル化、ターンシグナルランプのクリア化が行われた。

 2001年6月 RB型エンジン搭載最後のモデルで3年という短いサイクルでV35型へバトンタッチ。その後もGT-Rは継続販売された。2002年1月その年の 8月のGT -R生産終了を発表。これは、2000年排出ガス規制に適合しない車種が、引き続き生産出来る猶予期限が切れる為であった。同時に最終特別限定車「M・ spec Nür」、および「V・spec II Nür」を設定。前者が630万円、後者が610万円である。「Nür」とは、GT-Rもテスト走行で使用した、ドイツのニュルブルクリンク・サーキットから命名された。

Posted at 2007/07/27 07:50:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月26日 イイね!

「 SKYLINE GT-R BCNR33 」

「 SKYLINE GT-R BCNR33 」
スカイライン GT-R BCNR33
1995年(平成7年)日産自動車

 1993年にフルモデルチェンジ。ボディをふたたび大型化。主力は2.5Lとなり、全車3ナンバーとなった。GT-Rは1995年1月に発売。R32型に比べてボディサイズが大型化された事により、居住性は大幅に上がったが同時に車両重量も増加、精悍さは失われた。特に発売初期の頃はGT-Rも含め R31型程ではないが評価・評判共にあまり芳しくなかった。R33が発表されたとたんに、在庫のR32に注文が殺到したというエピソードもある。

 歴代のGT-Rでは初めてテレビCMがつくられ、ニュルブルクリンクオールドコースでのラップタイムが7分59秒だったことから、R32型GT-Rとのタイム差を元に「マイナス21秒ロマン」というキャッチコピーが用いられた。(余談であるが、このマイナス21秒と言うラップタイムは本来ならばフルノーマルと言う意味であるが、後のR34型のラップタイムが公表されなかったのと重なり、過給圧アップや足回りのチューンを施していたと言う疑惑が持たれていた事もあった。この事については土屋圭市も言及しており、激怒したというエピソードがある)

 1996年 ビッグマイナーチェンジ。外装が大幅に変更された。発売当時、テレビCMで「男だったら、乗ってみな。」というセリフとキャッチコピーを展開したところ、クレームがつき、映像はそのままで「キメたかったら、乗ってみな。」に差し替えられ、その後「好きだったら、乗ってみな。」というバージョンも作成された。後期型GT-RにもCMが作られたが、「最新のGT-Rが、最高のGT-Rだ。」という、R32以前のコアなファンの心理を逆なでするコピーが不評で、後に「私たちの国には、GT-Rがあることを誇りたい。」となるなど、パブリシティにおいても紆余曲折のあったモデルであった。

 この頃のGT-RやJZA80スープラRZ-S等のスポーツモデルは出力こそ自主規制値の上限である280psとなっているが、実際にはマフラー等で出力を絞っているだけであり、マフラー等の吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンでも実測値で400ps弱、またコンピューターのリセッティングをすればGT-Rでは400-430ps、スープラに至っては500ps弱という出力が発生してしまうため、自主規制は有って無いような物となっている。

Posted at 2007/07/26 07:45:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ

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