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C28JA60TAKAのブログ一覧

2007年07月19日 イイね!

「 SKYLINE HT2000GT-R KPGC10 」

「 SKYLINE HT2000GT-R KPGC10 」
スカイラインHT2000GT-R KPGC10
1970年(昭和45年)日産自動車

セダンに比べ70mmホイールベースを短くし運動性能をアップさせ、S20エンジンを搭載したGT-Rは、リアにはブラックアウトされたオーバーフェンダーが装備され、よりスポーツ度を増した。多くのレースシーンで活躍し、神話になりつつある栄光の通算52勝という輝かしい成績を挙げた。CMでは「愛のスカイライン」と呼ばれ、形が箱形だったため「箱スカ」という名称で親しまれた名車だ。当時価格は150万円だった。

Posted at 2007/07/19 07:28:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月18日 イイね!

「 SKYLINE 2000GT-R PGC10 」

「 SKYLINE 2000GT-R PGC10 」
スカイライン2000GT-R PGC10
1969年(昭和44年)日産自動車

 3代目スカイラインはニッサンとプリンスが合併された後の68年に発売されたが、プリンスR380に搭載されたレーシングエンジン、GR8型直列6気筒DOHC24バルブエンジンをデチューンしたS20エンジンを搭載したモデルが「スカイラインGT-R(PGC10型)」だ。160馬力、18.0kgmのパワー、トルクを発生するモータースポーツのために作られた究極の4ドアセダンといえる。ツインチョークのソレックス40PHHキャブレターを装備し、排気量は1989cc。

 GTに対する外観上の特徴はリアフェンダーのサーフィンラインがカットされている他、モール類が設定されていない点である。1969年10月 マイナーチェンジ。所謂「ワンピースグリル」に変更された。

Posted at 2007/07/18 19:09:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月16日 イイね!

「 SKYLINE 2000GT S54 」

「 SKYLINE 2000GT S54 」
 1963年9月 G1型直列4気筒OHV1484ccエンジンを搭載する、「理想のファミリーカー」というキャッチコピーで、小型ファミリーセダンとしてS50D-I型が発売された。モノコック構造を採用したボディのバリエーションは4ドアセダンとステーションワゴン(W50A-I型)の2種類。当初、バンはスカイウェイ(V51A-I型)としてラインナップしていたが、後のマイナーチェンジでスカイラインバンとなった。当時欧米に導入されつつあったメンテナンスフリー化を進め、4万kmまたは2年間保障の封印エンジンや、1年間3万km無給油シャシーなどが話題を呼んだ。

 1964年5月 第2回日本グランプリGTクラス出場のため、より強力なG7型直列6気筒OHC1988ccエンジンを、ボディのフロント部を200mm延長して搭載したスカイラインGT(S54A-I型)を開発。スカイラインに初めてGTの名が与えられたS54は、これまでの4気筒エンジンとは異なり、G7型直6OHCエンジンを搭載した。そのため、フロント部分が長くなったスタイルは「カッコイイスポーツカー」として人気を博した。また、型式番号がら親しみを込めて「ゴーヨン」とも呼ばれた。

 ホモロゲーション用に100台を生産し販売したが、日本グランプリ決勝では1周だけ優勝候補であったポルシェ904の前を走り、2位でレースを終えた。まさに「羊の皮をかぶった狼」で、スカイライン伝説の始まりだった。GTクラス優勝のポルシェ・904は、プリンスの日本グランプリ3冠を阻止するべく、中部地方の某メーカーが取り寄せた、との噂が出回った。904のドライバーは式場壮吉であり、式場は前年度その某メーカーのワークスドライバーとして日本グランプリに参加しているからである。

 当時、東京新聞の記者だった三本和彦が「羊の皮をかぶった狼」と記事のタイトルにしたが、当時のプリンス自工の広報部からはクレームがついたらしい。

 1965年2月 レースモデルと同等にウェーバー製のキャブを3連装し、125psを出力したスカイライン2000GT(S54B-II型)発売。1965年9月 シングルキャブ仕様(105ps)の2000GT-A(S54A-II型)が追加。2月に発売されていた2000GTは「2000GT-B」となった。このとき、GT-Aは青のGTエンブレム(通称;青バッヂ)、GT-Bは赤のGTエンブレム(赤バッヂ)を装着した。1966年8月 プリンス自動車が日産自動車と合併したため、車名をニッサン・プリンス・スカイラインに変更した。

Posted at 2007/07/16 08:00:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月15日 イイね!

「 SKYLINE SPORT COUPE 」

「 SKYLINE SPORT COUPE 」
スカイラインスポーツクーペ BLRA-3(R21A)
1962年(昭和37年)プリンス自動車工業

 1960年のトリノショーに出品された、クーペとコンパーティブルの2タイプの「スカイライン・スポーツ(BLRA-3型/R21B型)」は1962年4月に追加された。日本初のスペシャリティカーといわれた。GB4型1862ccの直列4気筒OHVエンジンを搭載。最高出力は94馬力、トルクは15.6kgm。

 つり目4灯ヘッドライトの特徴的なスタイル、クーペとコンバーチブルの2 タイプの設定、クーペ35台、コンパーティブル25台しか生産されなかった等、注目を集めたが、ボディの殆どがイタリアの職人の指導によるハンドメイド(イタリアのデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティとアレマーノ社の手により製作)ということもあり、クーペの価格は185万円、コンパーティブルは195万円と、当時としても高価であった為、ビジネスとしては成功したとはいえない。

 特徴であるつり目ヘッドライトは、板金型がハンドメイドゆえに誤差があり、左右で角度が若干違っている。搭載するエンジンはGB4型。同年の第4回日本アルペンラリーに出場し、7位完走を果たす。テレビドラマウルトラQの劇中で使用されていた。

 1962年9月 「スカイラインスーパー(S21D型)」発表。4灯式ヘッドランプをもつフラットデッキスタイルとなる。

Posted at 2007/07/15 08:00:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月13日 イイね!

「 SKYLINE DX 」

「 SKYLINE DX 」スカイラインDX(ALSID-1)
1957年(昭和32年)富士精密工業

 1957年4 月富士精密工業(当時)より発売されたALSI-1型がスカイラインの初代となる。グレードはスタンダード(ALSIS-1型)とデラックス(ALSID-1型)の2種類。GA30型1484ccの直列4気筒OHVエンジンを搭載。当時としては外車にもあまり採用されていなかったバックボーントレー式フレームを採用していた。最高出力は60馬力、トルクは10.75kgm、最高速は125km/h。

 キャッチコピーは「プリンス スカイライン」スカイラインと名づけられた最初の車であった。このスカイラインDXの価格は当時120万円。時計やヒーター、ラジオまで標準装備されていた高級車であった。1958年 マイナーチェンジ。同年7月 第1回日本アルペンラリーに出場し、優勝および総合3位を飾る。優勝ドライバーは自動車ジャーナリストの古我信生。1959年10月 エンジン出力を70ps(馬力)へ向上し、ALSIS-2型(スタンダード)、ALSID-2型(デラックス)となる。1960年2月 マイナーチェンジ。丸型2灯テールランプに変更されたほか、デラックスのみ4灯式ヘッドランプを採用する。
1960年10月 スタンダードがマイナーチェンジにより4灯式ヘッドランプに変更。


Posted at 2007/07/13 08:03:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ

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