2008年02月27日
彼が彼女に初めて会ったのはまだ、冬寒の残る4月。
ヘッドハンティングでの引き抜きということらしい。
赴任してきた彼女は部屋も所属も違ったが、彼のプロジェクトに参加することになる。
「彼女は29歳。大学院出だ。優秀だぞ!
君のプロジェクトに参加させるから面倒見てくれ」
「はい」
「独身らしいぞ」
「・・・」
「彼女は結婚のために戻ってきた、もうすぐ婚約発表だ」
嘘か本当かわからないが、職場内にはまだ見ぬ彼女のことを話す社員が多くなった。
・・・噂の彼女は彼氏付き、か・・・
彼はこのプロジェクトの主任。去年の赴任早々、彼はこのプロジェクトの主任となった。
というより、このプロジェクトのために彼はここに呼ばれた。
・・・主任、主任って、それも、いきなり。
好きでなったわけじゃないのに・・・
彼が彼女と面と向かって話をしたのは、急に決まったプロジェクトの顔合わせの時。
「よろしくおねがいします」
・・・なんか、怖そう・・・
「よろしく」
・・・噂の彼女か。
俺みたいに、感覚とか、
はったりとかで生きていく人間とは違うんだろうな・・・
「プロジェクトのこと、まだ勉強不足で…。
あたし、どうすればいいですか」
「…まあ、適当にやって」
「!」
・・・何?この人。信じられない!・・・
Posted at 2008/02/27 08:13:43 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年02月26日
帰りの道は早い。
それは今の彼女にとって一番辛いことだ。見慣れた軽井澤の景色をいくつも追い越していく。そして彼お得意の近道へ・・・
・・・あっという間に着くの?・・・
知らないうちに軽井澤に着いたように、知らないうちに帰り着いてしまう。渋滞だったらいいのに、と彼女は思った。少しでも長くこの時間を味わっていたい。彼女はこの大切な時間を覚えておこうと最大限の努力をしてみるが、車の窓から見える景色と同じで過ぎ去ってしまうのが辛かった。
「どこかに止めてください。どこか、ちょっと話しができるところに・・・」
彼の近道は気のきいた喫茶店などからはずいぶん離れたところを通っている。交通量は少なくないが、信号は全くと言っていいほど通過していない。どうやら来た道とも違うようだ。あとどれくらい彼との時間があるか彼女にとってもわからなかった。まだ続くようでもあるし、いきなり消えてしまうような気もする。
「それじゃ、この辺でいいかな?」
しばらく走って彼が選んだそこは夕焼けの川面が見える場所。彼女は久しぶりに川の音を聞いたような気がした。彼女の心に水の音がやさしく、せつなく響く。
「あの、これ…」
彼女の想いのすべてがそこにあった。
「もうすぐ、お誕生日だし…」
彼にはそれが何か、すぐにわかった。今日、軽井澤では見つからなかった、彼が今一番欲しいものだった。
「ありがとう。大切にするよ」
Posted at 2008/02/26 07:53:31 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年02月25日
「ううん、何でもない」
気持ちとは全く反対の言葉が彼女の口からこぼれた。時間が二人を追い越していく。軽井澤の景色が色を失っていくような気がした。渋滞を気にすることのなかったドライブも、彼と歩いた旧軽も、見つからなかった時計も、二人のテーブルにあったコーヒーと紅茶も、全部がずっと前のことのように感じた。
・・・軽井澤、忘れない・・・
夕暮れの軽井澤は別の顔を持つ街だ。店じまいをする店のかわりに街頭に灯りがともり、いくつかの店がライトアップされると、旧軽は昼間の雑踏がうそのように静かな街になる。そうなる前のしばらくの間、夕暮れの軽井澤にはノスタルジックな風が流れる時間がある。
「ちょっと冷えてきたね。大丈夫?」
彼女は笑顔を作ろうと努力してみたが、自分でも顔がこわばっているのがわかった。それは寒さのせいだけではなかった。そこには二人を乗せて、ここに連れてきてくれた彼の車があった。でも、もうそれは彼女にとって、ここから帰るための切ないものにしか思えなかった。さっきから彼女は思っている。一番聞きたいことなのに口に出してしまうと、この場から彼だけがいなくなってしまいそうな気がした。
・・・これは、始まりなの?それとも・・・
「行こうか」
彼の声が冷たく感じる。そんなことはないはずなのに。彼女の気持ちを無視するように彼は車に乗り込むと、ドアを閉めた。彼女は今日の二人の軽井澤を胸にしまいこむために、もう一度だけ振り向いた。
風がふいた。
Posted at 2008/02/25 23:12:18 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年02月24日
少し風が出てきた。彼のカップはさっきから空になっている。彼女の紅茶も冷めてしまった。そろそろ帰らなくちゃいけない時間のはずだ。いつまでもここにいる訳にはいかない。そんなことは彼女もわかっている。
「そろそろ、行こうか」
彼の口から聞きたくない言葉が彼女の胸を突き刺して、雑踏にひろがった。
彼は彼女の前を駐車場に向かう。足取りはゆっくりだが、止まることはない。彼女を急がせてはいないが、そろそろ帰らなきゃならないという彼の気持ちがわかる早さだ。彼との軽井澤の時間はもう残り少ない。彼女は彼の後を追うように歩く。
「この郵便局の軽井澤の澤っていう字、難しい澤の字を使ってるんだよ。知ってた?」
ふいに旧軽の郵便局の前で立ち止まった彼が、彼女につぶやく。
「ううん、知らなかった」
彼は照れくさそうに続ける。
「別に、知らなくてもいいことなんだろうけど…」
彼女はすごいと思った。彼はいろんなことを知っている。他の人が何も感じないようなところまで感じることができる。それが彼にとっては当たり前のことのように彼女は感じ、そんな風に感じることができる人と一緒にいるということが心地よかった。彼女の持っていないような感覚ひとつひとつが彼を彼にしているような気がした。それが彼女が感じる彼らしいと思えることだとその時わかったような気がした。
駐車場まではたいした距離ではないが少し歩く。彼は彼女を気遣ってゆっくり歩いている。彼について歩くのは難しくなかったが、彼女の気持ちの切り替えはできない。
・・・お願い、もう少し・・・
「どうしたの?」
立ち止まりそうになる彼女に彼はそう尋ねた。
・・・聞かなきゃ・・・
Posted at 2008/02/24 10:27:40 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年02月23日
「パキラだったらこれだな」
彼は彼女の後から手を伸ばすと、いくつかあるパキラから迷いもせずに一つを選んだ。
・・・あたしが選んだのと同じだ!・・・
「記念に…買ってあげるよ」
「何の記念?」
「今日の記念」
「?」
レジから戻った彼は彼女にパキラの包みを渡す。
「コーヒーでも、飲もうか?」
「…」
笑顔で返事をしたかったが、彼女にはうなずくことしかできなかった。店の外はオープンカフェ。旧軽をながめるようにそれはあった。
・・・こんなところに? 知らなかった・・・
「ホット」
「あたしは、アールグレイ」
飲み物が運ばれてくる間、彼女は彼の顔を見ることができなかった。そこには旧軽の雑踏の中で何かを探すような彼の瞳があった。頼んだコーヒーと紅茶が二人のテーブルに運ばれて来ても彼の瞳は遠くを見つめていた。
「おいしい!」
「ここの紅茶はおいしいって評判なんだ。俺はいつもコーヒーだけど」 「よく来るんですか?ここに」
「…たまにね」
おいしい紅茶だった。今までだっておいしい紅茶を飲んだことはあった。でも、今日のこの空間を含めて、紅茶がこんなに幸せな味だと感じたことはなかった。
Posted at 2008/02/23 10:49:24 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | その他