2008年05月21日
市街地を抜けるまでに、ちょっと時間がかかった。
跨線橋の手前の交差点は今日も混んでいて、青信号を2回見送った。
「 この交差点、いつも混んでるんだ 」
彼女は彼の言葉に感心したように頷き、窓の外に目をやった。
「 もうすぐ海に着くけど、その前にちょっと休憩しよう 」
彼女は振り返って返事をしながら、彼に向かって奇麗に微笑んだ。
青信号を待ってアクセルを踏む。坂を上り、海が見えた。
「 海だ 」
彼女は遠くに海を見つけると嬉しそうに手を叩いた。
彼は彼女の言葉に心臓の高鳴りを感じた。思い出したのは昔のこと。彼は今と昔との感覚のずれを修正することが出来ず、彼女の顔を見た。昔ではなく、それは今の笑顔だった。
「 ここから海が見えると海にきたんだ、って気がする 」
「 街の向こうに見える海って、素敵ですよね 」
彼女は言葉を続けた。
「 何か良いことが待ってそうな気がしませんか? 」
彼が頷く番だった。彼女の言葉の通りだ。だから自分はここから見える海が好きだったんだと、この時初めてわかったような気がした。
少しスピードを緩め、海を見ながら跨線橋を下る。二つ先の交差点のコンビニの駐車場に車を入れた。
「 海の匂い 」
ドアを開けた彼女がそうつぶやくのが聞こえた。
Posted at 2008/05/21 07:54:38 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年05月20日
その日は朝から気持ちのいい天気だった。助手席の彼女は白いワンピースだ。
「 あたしがこんな色のワンピースを着るなんて珍しいんですよ 」
その日待ち合わせの場所で、最初に彼女はそう言った。
そういえば彼女はいつも黒っぽい服を着ていたような記憶がある。
「 あたし、こう見えても大学の頃は、
友達から恋愛相談されることが多かったんです 」
「 こう見えても、って、俺にはそう見えるけど? 」
「 そうですか? よく頼りないって言われます 」
「 そうなの? そんな風には見えないけどな 」
そうは言ったが、彼から見れば彼女は、他の人からの相談に乗ってあげるほど余裕があるようには感じられなかった。彼女は何に対しても精一杯だから、彼女の方がつぶれちゃうんじゃないかと思った。
「 そんな君が相談する相手はちゃんといたの? 」
「 あんまり、いなかったですね。自分で溜め込んじゃうタイプかな 」
たぶん、そうだろう。だからほっとけないように感じてしまうんだと彼は思った。
「 そして、それが重すぎて、どうにもならなくなってしまう 」
「 そうですね。そういうこともありましたね 」
どことなく昔を懐かしむように彼女は窓の外に目を向けた。
「 俺も海が好きなんだ 」
唐突の様だったが、彼女は彼を見て静かに少しうなずいた。
「 君と一緒に海を見たかった 」
彼女に笑顔が広がった。
Posted at 2008/05/20 08:00:58 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年05月19日
実際その日はそれから2週間も先のことだった。
仕事が忙しかったせいもあるが、彼はなかなか話を切り出せないでいた。
「 今度の日曜日、都合はどうかな? 」
言ってしまってから、断られたらどうしようかと彼は心配した。
「 その日は空いています。大丈夫です。 」
彼女の言葉にほっとする。
「 すいません、どこに行くか決まっているようなら教えていただけますか? 」
「 どこか行きたいところはある? 」
「 おまかせします 」
「 うん、海に行こうと思ってる 」
彼女の嬉しそうな声が返ってくる。
「 海ですか! あたし、海大好きです 」
「 そう、良かった 」
海でなら、話ができそうだということは言わない方がいいような気がした。
お酒の力を借りることも考えたが、違うような気がした。いろいろなことをきちんと伝えるのにはお酒は不似合いなんだと思えた。
「 晴れるといいですね 」
「 きっと大丈夫 」
根拠がある訳ではなかったが、晴れるような気がした。
Posted at 2008/05/19 08:40:03 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年05月17日
仕事場では話は出来そうもなかった。もともと仕事以外の話ができるほど時間的余裕はなかったが、彼自身の気持ちの中で、彼女に対して妙に意識してしまっているのにも気づいてしまった。焦ることもないような気がしていた。自分の気持ちをもう少し整理したい気持ちもあった。
彼女が昔のことをマスターから聞いて知っている以上、彼女には何も隠さずに話が出来るということにおいては気は楽だが、昔と今を比べてしまうのだろうという不安が彼の中にはあった。時間をかけなければいけないとも思った。自分の気持ちがあっても、それを彼女に伝えて理解してもらうのは簡単なことではない。
いろいろなことを、頭の中では分かっているつもりでいた。でも不安だった。彼女と会うことも、彼女に気持ちを伝えることも、とてつもない大きな決断だろうと思った。何日もの間、彼は決心が出来ずにいた。日が経てば経つほど考えはまとまらない。それからしばらくした雨の夜、彼女からメールが届いた。
こんばんは。雨ですね。
最近、元気がないみたいで、心配しています。
彼女からのメールは長くはなかったが、それが逆に彼女の不安を映し出しているように感じた。
・・・こんなに彼女に心配させているのか・・・
彼は言葉を探しながら返事を打った。
こんばんは。メールありがとう。
みんな知ってるんだよね。マスターから聞いたよ。
その話をしたいんだ。都合をつけてほしい。
彼女からの返事はすぐに届いた。
はい、いつでも。
もう、引き返すことはできない。彼女のメールは彼に開き直りとも思えるような勇気を与えてくれた。
・・・もう、引き返さない・・・
Posted at 2008/05/17 22:07:23 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年05月16日
目をつぶっていると昔のことばかり思い出すような気がして起き上がった。
太陽の光が波に乱反射して、不規則な輝きを放っていた。波の音を表す五線譜のようにも見える。
彼はずっと海を見ていた。そしてその間、海もずっと彼を見ていた。
海はずっと昔から彼を見ていた。昔の彼も今の彼も、この海が見続けているような気がした。
そうやって海は人の全てを映してきたのだろう。喜びも、悲しみも、何も言わずただ、たゆたいながら。
この海の深さは、人の想いを沈めるためのものなのではないかと彼は思った。
そしてこの海の深さは、人の心の傷の深さなのではないかと彼は思った。
・・・海に思い出を捨てにくる、か・・・
昔聞いた歌の、どこかの歌詞にあった言葉のようで、思わず彼は苦笑した。
彼には思い出を捨てることなど出来ないような気がした。思い出だって自分の人生の一部なのだから。
思い出を胸に抱いて生きていくような人間だっているような気がした。
思い出にすがらないと生きていけないような人間だっているんじゃないかと思った。
自分がそうであっても仕方ないような気もした。
それは諦めにも似た気持ちだった。自分の気持ちを自分でコントロールできないはがゆさ。
ふと後ろから声が聞こえたような気がして振り返った。
・・・誰もいるわけはないか・・・
その時、彼が思い浮かべたのは彼女の顔だった。彼女の笑顔を思い出した。
自分の心のよりどころは、昔の思い出ではなく、今の彼女なのかもしれないと彼は思った。
・・・彼女とこの海に来よう・・・
彼の気持ちは海の輝きのように、過去と現在の間で揺れていた。
Posted at 2008/05/16 15:48:00 | |
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