2008年05月15日
コンビニで買ったミネラルウォーターはまだ冷たかった。
海辺のいつもの場所に止めたバイクのエンジンは、彼のそばでキンキンと音を立てている。
目の前に広がる砂浜と、その向こうにある人工的に造成した砂浜は雰囲気が異なる。
どちらかと言えば家族連れのために作られた人口の砂浜は、遠浅でテトラポットによって波が消され、穏やかな潮の満ち引きが計算されているようだった。
海水浴客とサーファーがうまく住み分けられるように両方の浜の真ん中には防波堤のようなコンクリートの上に土が盛られ、芝が張られ、ちょっとした公園になっている。両方の浜が見えるちょうど中間点に駐車場があるが、かれはその駐車場ではなくサーファーの車が何台か止まっている舗装されていない駐車場にバイクを止めていた。
平日ということもあり、海に来ているのはウェットスーツを着込んだサーファーがほとんどだった。
そういえば、波間に浮かぶ黒いウェットスーツのサーファーを見て、オットセイのようだと笑っていた。
・・・俺にはあの頃の思い出がありすぎる・・・
彼が結婚を申し込んだのもここだった。
いろいろなお想いが一気に彼の気持ちの中に入り込んできた。
・・・俺には思い出を捨てることはできそうもない・・・
次から次へと浮かんでくる、あの頃のこと。思い出は美しいと言われるが、不思議と楽しかったことばかり思い出すのはどうしてだろうと彼は思った。しばらくの間、低い波と悪戦苦闘しているオットセイたちを見ていたが、目を閉じると彼はゆっくり仰向けになった。まぶたを通して、太陽の光がオレンジ色に輝いている。
・・・思い出と現実と一緒にして、生きていけるだろうか・・・
一人になった時、辛くて、苦しくて、どうしていいかわからなかった。生きていることの意味を感じることさえできないような気がした。どうすることもできず、酒をあおったこともあった。いろいろなことがフラッシュバックして頭の中に入り込んでくる。
太陽がやけに眩しく感じた。
Posted at 2008/05/15 07:47:18 | |
トラックバック(0) |
軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年05月10日
「 俺は……、どうすればいい? 」
マスターはちょっと驚いたように彼の顔を見つめ、そしてこう言った。
「 似た者同士なんだな。彼女にも同じことを聞かれた 」
「 同じことを? 」
「 私はどうすれば良いでしょう、って 」
マスターは自分のグラスの残りを飲み干すと彼の前に立ち、大きく息を吸い込むと一つだけため息をついた。
「 すまない。お前に謝らなくちゃならないことがある 」
「 何? 急に…… 」
「 お前の昔のことを彼女は知っている。俺が話した 」
マスターが改まってそう言うなら、本当のことなんだろう。マスターの目が彼を見ている。
「 彼女は全部知ってるってこと? 」
「 そうだ 」
彼はマスターに向けていた視線を自分のグラスに落とした。
「 いつ? 」
「 お前が彼女を連れて来た日だ。
お前が彼女を送ってから帰った後、すぐに彼女は戻って来た 」
マスターの答えは聞こえなかったのかもしれない。何も耳には入って来ない。
「 そうか、彼女は全部知ってるのか…… 」
自分自身を納得させるように彼は静かにつぶやいた。
Posted at 2008/05/10 09:11:26 | |
トラックバック(0) |
軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年05月09日
ステアされるグラスの外側にうっすら霜がつく。
マスターは溶けた分の氷を足し、冷えたミネラルウォーターを静かに注いだ。
「 あと3回半。合計で17回だ 」
「 17回に、何か意味があるの? 」
「 これが一番美味い水割りだ。飲んでみろ 」
できたての水割りを口に運ぶ。まろやかな口当たりの琥珀色の液体が喉に流れ込む。
さっきの1対1とはまた違った味わいだ。17回のステアにも意味があるような気がする。
どうだ、美味いだろ?と言う代わりに、マスターは自分のウイスキーを口に運び、深くうなずいた。
女性ボーカルのジャズがけだるそうに流れている。マスターの好みの曲だ。
「 彼女はお前が好きだ。直接彼女から聞いた訳じゃないが 」
彼は突然の「 好き 」という言葉に驚き、その単語の意味を思い出そうとしていた。
「 好きって、どういうこと? 」
「 たぶん、お前が考えている意味と同じだ 」
胸の鼓動が早くなったのはウイスキーのせいではないだろう。
彼はこの前彼女と一緒にこの店に来た時のことを思い出していた。
「 マスターも知ってるだろ?この前彼女に、他の男のことで相談された 」
「 彼女はそいつを好きだと言ったか? 」
「 好きだとは言ってないけど… 」
「 お前がカッコつけて、勘違いしてるだけじゃないか 」
「 勘違い? 」
マスターはあきれた奴だ、とでも言うように彼を見ながらため息をつき、空になった自分のグラスにウイスキーを注いだ。
Posted at 2008/05/09 07:43:28 | |
トラックバック(0) |
軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年05月08日
「 で、お前の気持ちはどうなんだ? 」
マスターがいきなり核心に触れるような話をしたのは、店に誰もいないからだけではないのだろう。
その時彼には、マスターが少し前まで彼女と話をしていたことの記憶さえ消えてしまっていた。
「 それが…、わからないんだ 」
1対1を口に運ぶ。香りを味わう余裕はない。
「 彼女のこと、好きなのか? 嫌いなのか? 」
「 選択肢がその二つしかないのなら、前の方 」
「 好きなんだな? 」
「 高い確率で、たぶん… 」
マスターもグラスを口に運ぶ。しっかり香りも味わいながら。
「 なぜ、彼女に気持ちを伝えない? 」
「 彼女が俺のことをどう思ってるのか… 」
そこまで言うと、彼は一つの記憶をたぐり寄せることができた。
「 彼女と何の話をしたの? 俺のこと、何か言ってた? 」
「 まるで、高校生みたいな質問だな。 」
マスターは空になった彼のグラスを片付け、キンキンに冷えたグラスを冷蔵庫から取り出すと、大きめのクラック・ド・アイスをそのグラスにたっぷり入れた。
別の冷蔵庫から冷えたウイスキーを取り出すと、グラスに指2本分程注いで、丁寧にステアし始めた。
「 13回半 」
「 え? 」
「 ステアは13回半だ 」
マスターは真剣なまなざしで、グラスの液体の中にマドラーで丁寧に氷をくぐらせた。
Posted at 2008/05/08 07:42:11 | |
トラックバック(0) |
軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年05月07日
「 さっきまで、彼女がそこに座っていた 」
それは唐突だった。シングルモルトの話から彼女の話へ。
・・・彼女が、ここに・・・
頭から水をかけられた様な気持ちというのは、たぶん今のような気持ちだと彼は思った。
「 何をしに… 」
「 酒を飲みに来たのさ。当たり前だろ、ここは酒を出す店だ 」
そんなことはわかっている。彼女のことで動揺している自分をマスターに悟られたくはなかったが、そんな気持ちの余裕はどこにもなかった。ふいに店に入る前のいたたまれないような記憶の香りを思い出して気が重くなった。
「 どうした? 」
「 最近、昔のことを思い出すんだ 」
「 それで? 」
「 思い出すだけ… 」
実際その通りだった。ただ思い出すだけで、不思議と感情は動かなかった。悲しい訳でもなく、辛い訳でもない。強いていえば、どこか懐かしさを感じるようなけだるさがあった。
「 彼女にお前の素直な気持ちを話してみたらどうだ? 」
「 なんか…怖いな… 」
・・・何が怖いんだろう・・・
彼は言ってからそう思った。自分は何が怖いのか。
「 自分の気持ちを認めるのが怖いのか? 」
マスターの言う通りかもしれない。覚悟を決めたように彼はうなずいた。
Posted at 2008/05/07 07:42:08 | |
トラックバック(0) |
軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記