2008年03月26日
「 スワロフスキーですか?
たしか六本辻あたりにあるというのを聞いたことがありますが… 」
「 ありがとうございます 」
有力な情報だ。今のところ他に何も頼るものはない。
店を出て駅入口の交差点を右折する。駅の南側にショッピングモールができたせいか、駅の北側の人出は以前より少なくなってきたようだ。
200メートルほど走った新軽井沢の信号を右に曲がると六本辻に向かう。
右折して100メートルもしないうちに急激に道幅が狭くなる。
「 これ以上行っても、何もありません、って風景だな… 」
民家もなく、森の中に迷い込んだような感じだ。軽井澤と言えば軽井澤らしいが…。
積雪が道路の端に多少残っている。冬の軽井澤の寒さには多少閉口するが、夏とは違う美しさが、そこにはある。
六本辻は文字通り六本の道路が集まったような交差点だ。その交差点が見えて来ると左手に目指す店はあった。
・・・ここかな…?・・・
道路の左側の林の中には、赤レンガの建物がたたずんでいる。
駐車場に車を入れると、赤レンガの壁のその建物の右奥に、さらに二つの建物が並んで見えて来る。
「 ここじゃなかったら、お手上げだな… 」
木が茂っているせいか、駐車場に雪は残っていなかった。あたりの静けさは厳しい冬を迎える前触れのようだ。
奥の店をのぞきに行くのもちょっと気が引けて、一番手前のレンガ作りの建物に入る。
・・・喫茶店なのかな?・・・
アールヌーヴォー調のドアを開ける。暖かい。
入口を入ると左にガラスケースが見える。中にはいくつかのアクセサリーが並んでいる。
・・・スワロフスキーだ・・・
Posted at 2008/03/26 09:05:07 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年03月24日
「 あいつ、結婚してるんですよ。あいつの気持ちの中ではね 」
彼女には意味が分からなかった。
「 正確には婚約者がいたということなんですが。籍は入れてないんですけどね。
まあ、籍は入れてもらえなかった、って言った方が正しいですかね。
でも、あいつ自身は今でも結婚したつもりでいるんじゃないですかね 」
彼には婚約者がいた。家族間での紹介も済み、後は挙式の日取りを決めるだけだった。
大恋愛だった。誰もがうらやむような仲の良い二人だった。
双方の両親も大賛成だった。誰からも祝福され、二人は幸せの絶頂にいた。
突然の婚約者の発病。入院。
感情障害と呼ばれる精神疾患のひとつ。双極性障害。いわゆる躁鬱病だった。
彼はかまわなかった。彼女の病気は自分が直すのだと信じていた。
彼の両親は無言を通した。
「 今回のことは、ご縁がなかったということで… 」
そう言ったのは、婚約者の父親だった。
治療に専念させるということで、退院してから、婚約者の母親の実家に引っ越したということも伝えられた。実家がどこにあるかは彼には最後まで教えられなかった。
彼女の携帯も解約され、彼には婚約者と連絡を取る術は何もなかった。
一度だけでも逢いたいという彼の願いも、動揺を与えるからという理由で許されなかった。
「 必ず迎えにいきますから 」
という彼の言葉に、婚約者の父親は涙で謝り、何度も何度も深々と頭を下げた。
「 あいつはずっと苦しんでいるんだ 」
マスターの言葉は彼女にとってあまりにも重いものだった。
Posted at 2008/03/24 13:58:51 | |
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2008年03月23日
「 開店前だけど、酒はある。何か飲むかい? 」
酔っていてわからないのか、困って答えられないのか、
彼はしばらく必死に考えて、絞り出すように声を出した。
「 この店で一番強い酒を… 」
そう言うと彼は両手で顔を覆った。
マスターは戸惑った。そこに座った彼は、もうずいぶん飲んでいる。
これ以上はちょっと心配だ。
「 これで飲めるだけお願いします 」
彼はポケットを探り、千円札三枚と何枚かのコインをカウンターに置いた。
「 もうこれ以上お金は… 」
そう言って彼は目を閉じた。
カウンターから転がり落ちたコインを拾いながら、マスターは言った。
「 酒より、水だ。 」
彼からの返事はなかった。すでに彼は酔いつぶれてしまっていた。
仕方ない奴だな…
マスターはそんな彼を見て、自分の若い頃を思い出した。
俺も昔はこんな風に飲んだこともあったっけな…
様子を見ると、しばらく休ませておけば大丈夫なようだった。
飲み過ぎだろう。心配なさそうだ。
これが、彼とマスターの出会いだった。
Posted at 2008/03/23 14:55:23 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年03月17日
「 はい、どうぞ。 」
彼女の目の前には、さっき彼が飲んでいたのと同じものが置かれている。
「 さっき、あいつが飲んでたでしょ? モスコミュールです。 」
変わった飲み物だと思っていた。グラスではなくマグカップに注がれている。
「 あいつ、あなたのことをよく話してくれてました。
頑張り屋の女の子がいるって。 」
彼が? あたしのことを?
「 仕事の話は、愚痴ばっかりなんだけどね。 」
彼のことをもっと聞きたい。彼のことをもっと知りたい。
「 あいつとの付き合いも、結構長いんですよ。 」
マスターは彼女の気持ちを察したように、彼の話を続けた。
「 あいつが初めて店に来た日、実はこの店、開店する二日前だったんですよ。
開店の準備でちょっと倉庫に行って、戻ったときにあいつはそこに座ってたんです。
開店前だっての知らずにね。ビックリしましたよ。黙って座ってるから。
戻って来た時も、しばらく、気がつかなかったくらいでね。
開店前だって言ったら、すごく困った風でね。
でもあいつを見てたら、なんとなくほっとけなくて… 」
マスターは自分のグラスを口に運んだ。
「 よく覚えてますよ。その時のことは。 」
マスターは昔を思い出すかのように、懐かしそうな顔で話を続けた。
Posted at 2008/03/17 07:39:10 | |
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軽井澤物語 (08/2/19~08/5/30) | 日記
2008年03月16日
「 いらっしゃい。やっぱり戻ってきましたね。 」
彼女は繁華街を走るタクシーの中で、店に戻ってくれるように運転手に頼んだ。
運転手は露骨に嫌な顔をし、一方通行もあるから時間がかかると告げた。
いくつかの信号に止められ、車の前を横切る酔っぱらいに遮られ、車はなかなか進まない。
彼女は料金を払うと車を降りて、来た道を走って引き返した。
「 きっと戻って来るから、待つように言ったんだけどね。 」
マスターは悲しそうな声で彼女にそう伝えた。
さっきまで二人が座っていたテーブルはグラスも片付けられ、ひっそりとそこにあった。
仕方なく帰ろうとする彼女に、マスターが声をかけた。
「 一杯、つきあってもらえませんか? 」
マスターは自分のグラスをかざし、彼女にカウンターの端の席を勧めた。
走ってきたこともあって、彼女の喉はカラカラに乾いていた。
「 ありがとうございます。それじゃ一杯だけ。 」
彼女はさっきの支払いのことも心配になってマスターに聞いてみることにした。
「 すいません。さっきの支払いは… 」
「 その席、あいつのお気に入りなんだよ。いつもその席さ。 」
マスターは彼女の言葉を遮るように教えてくれた。
彼はいつもここに…
「 支払いは済んでるよ。あいつのツケだけどね。
ツケって言っても、前払いでもらってるんだ。
借りを作るのが嫌いだなんて言って、
ずいぶんこの店に貯金してる。
銀行でもないのにね。 」
マスターの口調は優しい。その優しさに包まれて彼女は目を閉じた。
Posted at 2008/03/16 19:16:54 | |
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