
そんなに沢山はいらっしゃらないと思いますが、お越しの皆様、お元気でいらっしゃいますでしょうか。昨日、ボクが住む埼玉県西南部は梅雨の中日となり、真夏のような暑さとなりました。
ところでボクは、先週半ば頃から「禁断症状」に襲われました。
「やっぱり『あの味』を堪能したい…!」
原因は、先週訪れた丸長須坂店。
まさか須坂まで行く訳には行きません。
平日は五反田勤務、最も近い「丸長」は、おそらく目白。1時間しかないランチタイム、物理的に訪れることは不可能です。
金曜日。
ふっ、と思い出しました。
「そうだ!明日の『朝ごはん』は、あそこにしよう!」
朝7時に家を出ると決めて床に就いたのですが、起きたら既に9時!
「あちゃー…!…でも、行くゾー!」
どかどか足音をたてて階段を降りると、既に起きていた母が
「おはよう。朝ごはんは?」
「要らない。それより出掛ける!」
唖然とする母を尻目に、さっさと着替えてロードスターに乗りました。
さて、到着したのはこちら。丸長坂戸店です。
須坂店の記事で触れましたが、丸長は敗戦後、長野県出身の5人の蕎麦職人が、共同経営という形で、荻窪に「丸長」を出店したのがルーツ。そこから4人が独立、それぞれ「丸信」「栄楽」「大勝軒」「栄龍軒」の暖簾を掲げます。
こちら丸長坂戸店の初代店主は、目白「丸長」で修業。「丸長のれん会」のHPによれば創業は昭和46年12月。来年で50周年を迎える老舗です。
現在は、創業店主の息子さん兄弟が切り盛りされています。
ボクが初めて伺ったのは、おそらく15年ほど前。
初代の時代、ジツに『ヘンタイよい子』なお店でした。
第1点。
上の写真は昨日撮影しましたが、暖簾が小さいことを除き、特に違和感はありません。ところが当時は、
「常に、シャッターを閉じての営業」
でした。
上の写真の左端、隣家との境の奥、
ポリバケツの手前右に通用口の扉がありますが、この狭苦しい路地に待ち客は並びました。食事を済ませて帰る人も「逆流」するので、結構大変でした。
この時代の写真を掲載したHPを見つけましたので、ご興味のある方は訪れてみて下さい。
ttps://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/cfbd8409860f2ca0aa03d8567eeb2bf7
※頭にhをつけて下さい。
さて、
見事に「寝坊」してしまい、お店に着いたのは10時過ぎ。待ち客は1人だけ、ラッキー!
2代目がシャッターを開けて営業するようになってからの、暗黙のルール。
こちらでは、待ち客は店内に入らず、外に並びます。
食事を済ませた客が帰り空席が発生すると、厨房の中から2代目が手を休めることなく、先頭の待ち客に目配せします。こう書いてしまうと「高飛車」と受け止められそうですが、お店に入ればご主人は必ず「いらっしゃいませ」、お勘定を済ませて出る時には「ありがとうございました」と仰ってくれます。
ご主人がボクに「目」をくれました。
「いらっしゃいませ!」
メニューは、壁に貼られた短冊のみ。
右側の一部が写っていませんが、暖簾に掲げるデフォルトの「つけそば」は750円です。
ちなみに「丸長」系列では麺を別鉢のスープに浸して食べるものを「つけそば」と標榜するお店が多いようです。一方、「丸長」から独立して「大勝軒」を掲げる山岸さん系列では「もりそば」が一般的です。今ではこの種の食べ物は「つけめん」とのワードに一括りされがちですが、こんな細かいことにも「流派」があるようです。
さーて、何にしようかなー。
「ざるチャーシ…」
全部言い終わらないうちに、ご主人が、
「ゴメンナサイ、チャーシュー、もうなくなっちゃった…」
恐れていた事態…。寝坊の代償デス!
という訳で、そのまま「ざるそば」をお願いしました。
『ヘンタイよい子』の第2点。
時計の針は、まだ10時15分。北口の「まりぼ」の開店は11時45分。
既にチャーシューは売り切れ。
ちなみにこちらの営業時間は、朝8時から14時。
東京の都心部ならわかりますが、ここは埼玉県の坂戸市。
こんな午前中にシフトした営業なのに、開店と同時にお客さんが次から次へと入ります。福島県の喜多方市のラーメン屋さんは朝から開くと聞きましたが、ここ坂戸市にも「朝ラーメン」の文化が根付いているようです。
L字のカウンターのみ、席数はおそらく12から15。
初めて訪れた時は「シャッター閉じ」で、穴倉でヒソヒソ食べている感じがしました。午前中なのに明け方までしこたま酒を飲み、夜明け前に食べているかのような錯覚に陥りました。2代目になってからは開けて営業するようになりましたが、どちらの遣り方もボクは好きです。
「つけ汁」作りです。
最初に、結構な量の砂糖を入れ、そこに鍋からスープを注ぎ、最後に具を投入していました。
偶然ですが、座った席が「麺茹で」の前。
ご主人が俯き、真剣に茹で加減を確認されていました。
「はーい、お待ちー!」
「ざるそば」の登場!
見るからに「オイシソー!」
「いっただきまーす!」
ズルズル啜りました。
…うん、この「ワシワシ」感!!
丸長系に特有の噛み応えです。
先週堪能した須坂店の方が硬く、ウェーブも凄かったけれど、どちらが優でも劣でもありません。埼玉と長野、遠く離れていても「丸長」の暖簾です。
つけ汁です。
結構な脂が浮かんでいますが、ボクは抵抗なく美味しく感じました。
須坂店のものよりも、かなり濃いもの。
それもそのはず、須坂では「スープ割り」はありません。
その反面、辛味は須坂の方がありました。メニューに「お子様や辛い味が苦手な方には、辛味を抜いてお出しします」とありました。こちら坂戸では、デフォルトで唐辛子は入っていません。
で、唐辛子を少しだけ入れてみました。
…うん、この味、…イイ!
須坂店と言うよりも、所沢大勝軒の味に近くなりました(笑)!
麺を全部食べ終えて、スープ割りに。
これが、たまらなく、
「おいしかったーーー!」
こうして写真で見ると細かい油が浮かんでいますが、実にあっさりとしたものでした。
大変、美味しく戴きましたが、頻繁だった初代のご主人と奥様の「夫婦喧嘩」が思い起こされました。ボクが原因だったことも…。その時は奥様が柄杓で「割り」をして下さったのですが、ご主人が「注ぎ過ぎ」と怒ったのでした。奥様はボクには聞こえない程度の低いトーンで二言三言、抵抗されていました。当時、こういうシーンは珍しくなく、訪れる度に展開されていました。
…これが『ヘンタイよい子』の第3点!
こんな風に書くと、何だか「食欲がなくなる」との意見が出るかも…。
でも、仲の良いご夫婦でした。
ご主人は見るからに職人気質の方で、どちらかと言うと神経質な感じ、半端ではない「オーラ」を放っていました。
少しでも気に入らないことが起きたり、ご自身の「予定」が「調和」しないと、一気に「やる気」が失せてしまうタイプに見えました。決して「上から目線」ではなく、逆で「シャイ」だったように見えました。
ボクの勝手な想像ですが、シャッターを閉じたのは、お客さんが列をなして待っているのが見えると、「不味いと思われたらお終いだ」的な、物凄いプレッシャーに襲われたからではないかと思います。埼玉の地で営業時間を極端に午前にシフトしたのも、お客さんに「あまり知られないように」営業したかったからのような気がします。
ここまで書いて、坂戸店を最初に訪れたよりも、遥かに昔のことを思い出しました。他愛のないエピソードですが、宜しければお付き合い下さい。
学生時代、1980年代のこと。
荻窪北口、青梅街道沿いに「行列の出来る」ラーメン屋さんが2つありました。
西側のお店は当時、「東京味のグランプリ」という所謂「グルメ本」の「ラーメン」のジャンルで、唯一「三つ星」を与えられました。評価者はプロの料理人ではなく、誰も知らないけれど自称「演芸評論家」で、何故か「食べ歩き」では名が通っていました。
1時間並びました。
「コ」の字型のカウンターだけの、やけに広いお店でした。
やっと行列の先頭になり、漸く案内されて入店しても「いらっしゃいませ」はなし。おまけにカウンター席の背後には、びっしりと待ち客が佇んでいました。
オーダーは、店主が顎先で指して初めて出来るシステム。
客は一様にデフォルトのラーメンを「中華そば」とか「そば」と称して注文していました。「売り」だったのは、味付け玉子が入ったもので「玉子そば」!
一方、焼き豚入りは「チャーシューそば」ではなく「チャーシューメン」で受けていました。
ボクが顎でしゃくられました。
入店からつぶさに見ていましたが、あまりの「食わせてやる!」的な態度に、どうオーダーするかを決めていました。
でかい声で、はっきり言いました。
「ラーメン!」
…食べている人たちの箸が、一斉に「ピタッ」と止まったのを、今も鮮明に覚えています。
店主が俯いて茹でながら、割と大きな声で訊き返しました。
「…中華そばかい?」
「ここはラーメン屋さんではないの?」
「……うちは中華そば屋だ!」
…若かったナー。
「あんたが客に『中華そば』と言わせているものは、世の中では一般的に『ラーメン』として認知されているもの。それを敢えて『中華そば』と言わせるのであれば『チャーシューメン』はおかしい!『チャーシュー中華そば』だろ!」
「……出て行け!!」
60年近く生きていますが、こんな『アホラシイ』理由で退店を命じられたのは、最初で最後(笑)!!!!
その時は「ふざけるな、何様のつもりだ!」との感情に支配されていましたが、この齢になった今振り返ってみても、つくづく「客を客とも思わない店」だったと思います。結局食べずに追い出され、その後も一度も行きませんでしたので、美味しかったのかは不明(笑)!
「うちの流儀に納得出来ないのなら、来なくて結構!お前が来ずとも、うちには『中華そば』を食いたい客が、毎日わんさか来やがる!」
的な、典型的「殿様商売」!
…こんな『偉ーーい中華そば屋』もありましたっけ(笑)。
この店の後日談。
開店から看板まで終始行列なのに、「こいつは怪しい!?」と目をつけたのが税務署。店が出したゴミの袋を開け、使用済みの割り箸を数えて客数を掴み過少申告の証拠を提示、「脱税」で検挙しました。当時、ラーメン好きの間でかなり話題になり、朝日新聞も取り上げました。かなりの追徴金を課され
たと記憶していますが、それが原因かは知りませんが、今はもう存在しません。
ちなみに「東側」の某店。
まだ今も営業中。
ですが、当時からとにかく
「高い!」
現在のお値段。
中華そば 850円!
わんたん麺 1250円!!
ちゃーしゅー麺 1350円!!
ちゃーしゅーわんたん麺 1700円!!!!
最後に食べたのは30年以上前ですが、ボクが抱いた感想は、
「不味くはないが、500円程度ならば納得!」(笑)!
…ここも「食いたけりゃ高くても払え!」の『偉ーーい中華そば屋』(笑)!
ちなみに当時、ボクはこれらの「超有名で行列の絶えない2店」を敬遠し、南口の本家本元の「丸長」か、北口の同系の「丸信」に通っておりました!
閑話休題。
名古屋に「丸長のれん会」のお店、「丸和」さんがあります。
当時勤めていた会社の名古屋営業所の面々と訪れたことがありますが、失礼ながら「味」を全く覚えておりません。ただ、大変に満足したことは間違いありません。
その「丸和」さんのルーツが、こちら「丸長坂戸店」!
今回、坂戸店のことを調べていて、こちらのHPを知りました。
やっぱり坂戸店の先代、偉大でした!
ttps://www.krkjapan.com/2018/03/04/vol-77-%E3%81%A4%E3%81%91%E9%BA%BA-%E4%B8%B8%E5%92%8C/
※頭にhをつけて下さい。
という訳で、全部おいしく戴きました。
お皿、小鉢、蓮華の全てに「丸長」の文字が!
考えてみれば「丸」も「長」も、実に縁起の良い漢字。
全てを美味しく戴けば、ラッキーも3倍になるのかも…(笑)!
ちょっと長くなりましたが、お付き合い戴き、有難うございました。
丸長坂戸店
埼玉県坂戸市南町15-14
0492-83-7413
8時-14時 水・日 休