
ここ数週間、満足に羽を伸ばすことが叶いませんでした。
ボクが勤める会社は夏は多忙の極み、土曜出勤が続きます。加えて日曜日には妹と母の施設探しをしていたのが原因です。更に、ショート・ステイから母の洗濯物を回収、自宅で洗って届け、細切れの空いた時間には「ゴミ屋敷」の片付け…。もうクタクタでした。幸い、施設への入居も決まり、この日・月は纏まった時間が出来ました。
自宅の片付けをしていたら、これまでの母の人生、今後のボク自身、そして愛憎が絡み合う母とボクとの関係が炙り出されたことを実感しました。何だか過去と現在、そして未来を行きっ戻りつの複雑な心境になり、いたたまれなくなりました。
そんな昨日、こんな心境の時に相応しい場所を思い出し、ロードスターで向かいました。
掘割状の線路を跨ぐ橋の袂に、こんな特異な建物が目を惹きます。
和風でも洋風でもなく、かと言い和洋折衷でもなし。
大きな黒猫の看板が掛けられています。
跨線橋の上から。
洒落た旧い洋風の一階に、半ば朽ちたような二階が被さります。
表面のペンキが剥がれ始めていますが、「カフェ 夏への扉」と読めます。シックな深緑の背景に、黒猫が横臥しています。
こちらにも猫が。
開け放たれた、白い枠のガラス扉。少し角度をつけた二本の握りは、昭和の時代にあちこちで見られた意匠。令和の時代に出会うと、却って新鮮に感じます。
ここは、東京都青梅市。
立川から出発した青梅線の電車が、青梅駅に到着する手前に佇む喫茶店。
おそらく、5、6年ぶりに訪れました。
「いらっしゃいませ」
厨房からご主人が、カウンターから奥様が声を掛けて下さりました。
うん、ちっとも変っていない…。
2席だけのカウンターには、常連と思われる男性が座っていました。
窓際には、やっぱり猫が…。
店内は逆L字型。
右下は青梅線の掘割で、右奥へ緩やかなカーブを描いて立川へ向かいます。
三連窓は下開き。美しいシルエットに目を惹かれます。
青梅線の代わりに川が流れていれば、宮ケ瀬の「スパゲティ青山」のよう。
開閉可能な窓は、全て開けられています。
…そう、このお店にはエアコンはありません。
青梅線を見下ろす、小さなこのテーブル席に座りました。
奥様が、メニューを持って来てくれました。
表面をパウチ処理した、二つ折の細長いもの。
昔の喫茶店って、これが定番だったなぁ…。
野菜カレーとアイスコーヒーのセット(1250円)をお願いしました。
裏には、お店のイラストがあしらわれています。
テーブル上には、お洒落なヨーロッパ調の照明。
台風の接近で曇り空でしたが、まさしく「夏への扉」。
奥多摩のミンミンゼミとアブラゼミの合唱が、心地良い風に乗って届きます。
時折、眼下を電車が通ります。
青梅駅構内の外れと言って差し支えないロケーション。
「…ゴトン、…ゴトン、ゴトン」の緩やかな音。
お店の雰囲気と、ピタリ符合します…。
扉を開けたまま固定する金具。
今では絶滅機種…。
三菱マークの扇風機。
大時代的デザインが、旧いインテリアに溶け込んでいます。
天井の丸い照明も、
段違いが施された壁、天井、梁の符合部も、手の込んだ意匠。
それぞれが強烈な主張をすることなく、ひとつひとつが放つ微かな存在感が融和した空間。どこか懐かしく、キリスト教建築的。上でご紹介したライトや扇風機など、店内のオブジェの「背景」として機能します。
さて。
奥様が届けてくれました。
おー、ステキ!
「いただきまーす!」
茶色のごはんは「玄米」!
ともするとボソボソの食感になりがちですが、ふっくら炊けています。
ズッキーニ。
にんじん。
茄子。
ピーマンとほうれんそう。
それぞれの野菜が溶け込んだ、甘い味わい。
どこか家庭的で優しさが滲み出ています。
それでいてスパイシー、後から汗が出ます。
ざっくり潰したポテトが主役のサラダ。
脇役はトマトとレタス。
特段、変わったものではありませんが、おいしく戴きました。
食後にアイスコーヒーを戴きました。
深煎りでビターな味わい、ボクのストライクゾーンでした。
さて。
店名「夏への扉」と、あちこちの「猫」の由縁は…。
やはり今も書棚にありました。
お読みになった方は多いと思いますが、アメリカ人SF作家、ロバート・A・ハインラインの名著「夏への扉」。タイムトラベルもので全くの空想世界ですが、何事も上手く行かない主人公が、時空を往きつ戻りつするプロセスで、自分を取り戻す内容。それぞれのシーンには、現在を生きる私たちが、身につまされたり思わず頷いてしまう描写が。そして「猫」は、主人公の大切なパートナーとして登場します。
この小説を初めて読んだのは、遥か彼方の学生時代。
政治学の授業のレポートに、ジョージ・オーウェルの代表作「1984」の感想文の提出を求められた直後のこと。たまたま酒席でこのことが話題になり、あれこれ話していた時。その後某新聞社に入り(ボクは見事に落ちました)、外信部一筋に勤めたK君が言ったのでした。
「オーウェルは、閉鎖的な監視社会の到来を危惧、予言と警告としてあの本を書いた。でも、個々人が見舞われる招かれざる現実と、その克服の過程を描いてはいない。社会の構成単位はあくまでも個人であり、それぞれの過去と現在が昇華して、初めて未来に繋がる。俺は、それをテーマにした小説を読んだが、「1984」よりも遥かに惹き込まれた。勿論、ちっとも政治的ではないことも、大きな魅力さ」
席にいた面々はあまり興味を示さず、違う話題になりました。
ボクは大いに掻き立てられ、彼からこの本を教えて貰ったのでした。
何度か読み返した本。
自宅の何処かにあるはずですが、探し始めれば幾つもダンボールを開けることになり、「ゴミ屋敷」は更に「ゴミゴミ屋敷」になってしまいます。
「夏への扉」からの帰り、「夏への扉」を探しに、書店に向かうと決めました。
このお店の名前は、ご主人がハインラインに魅せられて命名したそうです。
ついでながら、もうひとつ「タネアカシ」を。
お店の建物は、嘗ては耳鼻科の診療所だったとか。昔、他のお客さんと会話するご主人が、そう語ったのを聞きました。
あの雰囲気、道理で…。
夏への扉
東京都青梅市住江町16
0428-24-4721
10:00-18:00 火休
※お店には駐車場はなく、前の道は狭く擦れ違いは困難。
ボクは、メインストリート沿いのコインパーキングに停めました。
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Posted at
2021/08/09 06:56:31