• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ArtBlakeyのブログ一覧

2025年07月05日 イイね!

還暦を過ぎての「人生」とは…

還暦を過ぎての「人生」とは… 猛暑が続いておりますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。ボクは64歳目前で現職に移り、早くも9か月が過ぎました。6社を渡り歩き、長く総務管理職を勤めましたが、現在は初の業界で初の経理系最底辺職。今日は少し、この間の実体験を書いてみようと思います。

 現在、職場は新参のボクを含めて7名体制。全員が転職者ですが、ボク以外はすべて同業他社から。その道の「プロ」ばかり。業界特有の慣習に熟知し、会話には専門用語が飛び交います。そこに未経験の64歳が入りましたが、まるで赤子も同然。定期的で単価の決まった仕事は「定型」のため処理は比較的楽ですが、矢鱈と単発の請負が多く、しかもそれらのほぼ全てが、価格は担当者同士の「口約束」で決まるため、確認に手間と時間が掛かります。細かいプライスの集積で請求金額が決まるため、ややこしいことこの上ありません。

 体力、気力、集中力の低下を意識しながら取り組んでおりますが、ミスが頻発。しばしば怒られる始末。結果的に、まだ信頼を得られていません。情けないやら、悔しいやらで、落ち込むことも頻繁…。
 還暦を過ぎての「再就職」。ハローワークやネットに出ている求人の大半は、警備、清掃、介護など。事務系は殆どありません。幸いにもボクは事務職として採用されましたが、過去の総務管理職経験は全く通用しません。

 どんな職に就くにせよ、還暦を過ぎて再就職を目指す場合、求職者の「売り手市場」はほぼ存在せず、求人側の「買い手市場」なのが実態。相手が提示する職種と雇用条件に、自身を合わせなければなりません。

 このような条件下での再就職後の実態は、あまり語られることはありません。

 サラリーマンのファースト・ステージで長く管理職を勤めた人材は数多存在しますが、再就職ではマネジメント能力を要求される求人は、ほぼゼロ。ボクのように、初の業界と職種で、不慣れな仕事に就いている(これから就くことになる)方は、珍しくないと思います。その多くは気力や記憶力の減衰と戦いながら、臍を噛むような思いを抱えているように思います。再雇用の過酷さと同様、再就職後の実態も厳しい…。どちらにせよ、長く培ったキャリアは評価の対象にはならず、「労働者」ですらない一介の「労働力提供者」としての存在に過ぎない…。これがこの9か月間に身を持って学んだことです。

 あと6か月で65歳、来年2月から年金は満額になります。上記のような現在、今後の身の処し方について、あれこれ思いを巡らせています。

 一つだけ、確実なことがあります。

 それは「これからの人生で、今日が最も心身ともに優れた日」であるということ。身体は下降線に向かうばかり、決して回復はありません。「このまま働き続けても、周囲の期待に応えられないだろう」との思いが膨らみつつあります。同時に60歳で完全引退した義弟のように「健康なうちに、もう好きな事に残された時間を使いたい」との気持ちに傾き始めてもいます。

 還暦過ぎの「生き方」は、本当に難しいと実感しております。



2025年06月08日 イイね!

間もなく「前期高齢者」の戯言

間もなく「前期高齢者」の戯言 なかなか更新が進まない此処にお越し下さる皆様、ご健勝でいらっしゃいますでしょうか。きっと皆様の多くは、ボクとほぼ同世代と想像しております。
 ボクはあと半年で「前期高齢者」になります。

 60代ともなれば、誰もがその後の人生をどう生きるかを考え、決める必要に迫られます。この段階で、主に二つのグループに大別できると思います。

 一つは定年や再雇用満了により、完全引退される方々。ボクの3歳年上の義弟がそう。60歳の定年時に再雇用を選ばず、何のためらいもなく、大手生命保険会社をさっさと辞めました。特別支給の年金が始まる63歳までの3年間は、貯蓄の取り崩しと、学童保育の指導員として勤める妹の給与で生活しました。現在も勿論無職。毎日、図書館に通ったり、地域のイベントを巡ったりしています。また、時々はソロで旅行に出かけています。少し前には、西表島に行き、すっかり日焼けして帰って来ました。彼が無職を選んだ動機は「もう、好きでもない仕事に残りの人生を費やしたくない、この先は徐々に体が衰えるのは確実、楽しめるうちに楽しみたい」というものでした。

 もう一つはボクのような、年金とのダブルインカム志向派。経済的な理由でこれを選択される方は意外に多いようです。
ボクの場合、その側面もありますが、早くに男寡になったため、少しでも社会と繋がっている必要性を感じたことが大きな理由でした。また同時に、40年も働いたというのに、「仕事をしていない自分」を思い描くと、恐怖心に似た感情に陥ったことが挙げられます。収入が途絶えることに加え、「社会人としての居場所を喪失する」のが怖かったのだと思います。今思えば、完全な「ワーカーホリック」。じたばた抵抗しながら選んだのが資格取得。ところが記憶力や精神力の減退は想像以上で、あっけなく撃沈…。幸い試験に失敗した直後に現職の内定を得て現在に至ります。ところが此処は、過去記事に記したように問題のある職場。まあ、64歳が雇って貰えるだけましですが、特別支給の年金支給が始まり、大好きだったシュタイネの閉店で、考え方が変わりつつあります。

 従前は「生涯現役」を目指していました。
今は、「何時まで仕事を続けようか」に変化しました。
楽をしたいからではなく、義弟の一言が、やっと理解出来たと感じています。

 60代以降の人生をどう構築すべきかについて、この国は長年年金を支払って来た個々人に対し、誰も自分が何時この世を去るかを予見不可能にもかかわらず、「75歳まで繰り下げれば支給額がどんどん増えるヨー」などといういい加減な制度を運用し、「あとは自分で決めればアー」と、まるでクレヨンしんちゃんのような言葉を言外に囁いていると感じます。

 長く患われた長嶋さん、懸命にリハをされたそう。
 あれほどの方にも、お迎えは来るのだと、改めて思い知らされました。
 凡人、平民のボクは「健康寿命」を強く意識させられました…。

 皆様は、如何でしょうか。
2025年03月23日 イイね!

人間は、かくも変わるもの…

人間は、かくも変わるもの… 既にご報告のように、ボクは昨年3月一杯、63歳4か月で退職、10月から現職場に再就職しました。この一年間で生活と環境、そして何よりもボク自身が大きく変わりました。良い機会だと思いますので、少しこの辺りについて書いてみます。

1.「焦り」が消えた

 2月から特別支給の年金が支給されるようになりましたが、退職当時はそれまで無収入に陥ることに対し、底知れぬ恐怖感を感じていました。実際には有休消化があり最後の給料は6月でした(通常の半分程度でした)。資格試験の受験と発表までは再就職活動をしませんでしたが、失敗と同時に開始、9月頭に再就職が決定。10月から勤め始め、11月から給料がでました。結果的に無収入の期間は5か月でしたが、失業手当と再就職決定の祝い金が出たので、持ち出しは最小限でした。また、2月から年金受給が始まりました。
 この間、「将来を切り開かなければ」と、もがき苦しみましたが、全て「結果オーライ」となりました。今は「焦り」は雲散解消、心穏やかに過ごしています。休みが少ないのが最大のデメリットですが、通勤地獄とは無縁の生活になり、定年後の仕事として文句は言えないと感じています。

2.体力と気力の衰え

 これは誰も避けられない現実です。

 仕事面では「何とかしなければ」とか「もっと良い結果を出さなければ」とやって来た40年間でしたが、「まあ、この位でいいだろう…」といった、中庸の考えに至った気がします。新しい職場でもあり、対人関係も自己主張は避け、特定の派閥に属したり、その場に不在の人物に対する陰口や中傷には加わらないと決め、実行しています。一般には、この状態になることを「あの人、丸くなったね」と言うような気がします。

 体力的に感じるのは、緩やかな下降線にあること。毎日意識することはありませんが、昔は平気だったことが辛くなったと自覚する時があります。最も感じたのはW1Sの取り回し。ちょっとしただけで息が上がります。また、革靴を履かない生活になったからか、たまに履くととても疲れます。

3.出費が減った

 スーツを着なくなり、服飾関連の出費はほぼゼロに。事務職ですが、職場へはワークマンで買ったスニーカーと、支給品の作業服で通っています。また職場の全員が車通勤のため、飲み会もゼロになりました。
 都心の職場に通っていた当時。ボクは退勤後に書店やレコード店に立ち寄り、結構な買い物をしていましたが、それもこの半年間、ほぼゼロになりました。今読んでいる本は、当時買い求めたものの「積ん読」状態だったもの。これが結構な量で、自分でもビックリしています。現在は船戸与一の大作「蝦夷地別件」を、少しずつ読んでいます。

4.自分を「核」とした考え方になった

 決して「自己中」ではありません。
 これまでの40年間は会社主義、組織優先、結果主義の体制で、がむしゃらに働きました。ところが今回の仕事は、年金受給者を対象とした低賃金、昇給・賞与なしの待遇。責任職でもありません。いわば「Business」ではなく「Task」。与えられた仕事を消化すること以外に、重要な何かを求められることはありません。
 今、こうして働いているのは「会社」のためではなく、「残りの人生を有意義に過ごすための手段」と認識するに至りました。

5.心が穏やかになった

 上記の1から4の結果、こうなりました。職場で事件や言い争い、不条理な出来事があっても「そうですか」程度の認識で流すようになりました。善悪の悪を明らかにするための「証言」を求められても、明言はしないこととしています。諍いに加担すれば、この職場環境と心の平静が保てなくなるから。今の会社や従業員のためではなく、自分の残り少ない人生を充実したものとすることが目的で働いているからです。


 自分でも思います。

「劇的に変わったな…」

 と。
2025年03月02日 イイね!

日記から…

日記から… このところ思うが、最近漸く「この仕事」を受け容れたと自覚するに至った。

 5か月が経ったが、つい最近まで「しっくり来ない」「レベルも社会的地位も低い」「惨めだ」的な観念が、心の片隅に居座っていた。通勤時に西武新宿線の踏切で満員の通勤客を見れば、「もうあの中には入れないのだ…」との思いがこみ上げ、何か取り残されたような気分になった。だが最近はその想いは徐々に薄れ、「これからは残された時間・人生を、如何に楽しく有意義に過ごそうか?」と、自身に問いかけることが多くなった。

 この原因は、年金の受給が始まったことと感じる。
 10月に再就職したものの安月給、持ち出しが続いた。だが受給開始で安堵感が得られ、同時に立派な「年寄」になったことを自覚させられた。俺に残された時間は、せいぜい15年程度。これ以上、多くを望むべくもなく、毎日をつつがなく、楽しく過ごすことこそが大切と思い至った。

 ここの仕事では、多くを望まないことが大切。
 給料が上がることはないし、何かが劇的に変わることもない。
 つまり何かを「期待」しないことが大事。責任はなく、その程度の扱いで、安月給と社会保険、厚生年金への加入を確保できるのだから、「お気楽」に働くことが大事と気づいた。そうしながら、休暇は少ないけれど、今後の自分の時間を「有意義なこと」「楽しいこと」新しいこと」に使えばいい。そういう働き方でいいのだ。これまで40年間、フルスイングで働いて来たが、これからはどこか「ダラーン…」とした遣り方でもいいと思う。

 考え過ぎはダメ。
 明るく「ダラーン…」と、毎日を過ごそう。
 もう64歳、それでいい。

2025年02月18日 イイね!

年金の受給が始まりました

年金の受給が始まりました 先週14日、金曜日。
 待望の「特別支給の年金」が振り込まれました。

 471ヶ月、40年の480ヶ月まで、あと9か月での受給開始でした。再就職したので、支払い月数はまだ増えます。

 …何だか「ホッとした」というのが、正直な気持ちでした。
 現在の安い給料と合わせれば、前職での再雇用期間中に突如前触れなく減らされた給料と、ほぼ同額になります。去年5月の退職からこの1月まで、貯蓄の取り崩しが続いていましたが、これで歯止めがかかりそう。

 今の日本では、60歳から受給開始の65歳までをどう生きるかが、サラリーマンの悩ましいところ。再雇用で役職を剥奪され、給料の大幅減は当たり前になりました。

 ボクは幸いにも、再雇用で役職の剥奪はされませんでしたが、給料は62歳半年の5月に、何の前触れもなく減らされました。このまま再雇用に甘んじても、来年以降も毎年減らされる可能性があること、それですら65歳で「チョキン!」とジ・エンド。そうと悟り、資格試験に挑戦を決めました。そんな去年の3月、40代の新支店長と衝突、その日の夕方に辞表を叩き付けました。でも6月の試験には惨敗…。無力感にさいなまれましたが、9月には再就職が決まりました。そして、今回の受給開始。

 ラッキーでしたが、もがき苦しみながらも、自分なりにセカンド・ステージを目指し、あれこれ考えながら行動したことが結実したように感じています。65歳まで不遇に耐えても、そこでお終い。だったら1歳でも若いうちにチャレンジすると決めた矢先での新支店長との衝突でした。結果的には引導を渡された形となり、即座に退職を決め、夕方には提出しましたっけ…。彼は驚きのあまり血の気が失せ、言葉を出せなくなりましたが、結果的には既に決めていたことを実行するチャンスをくれたと思っております。

 来年には、満額が受給されるようになります。
 何とか乗り切ったと感じています。

 これから、この不遇の時代を迎える方、また今、その真っただ中にいる方へ。

 あちこち頭をぶつけ、たん瘤を作りながらの日々でしたが、こんなボクでも何とかなりました。「65歳」は、勝手にこの国が決め、企業が渋々雇い続けていることに過ぎません。その先も、まだまだ人生は続きます。

 なりたい自分の実現を目指して、どうか頑張って下さい。
 応援しております。

 

プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

愛車一覧

マツダ ユーノスロードスター マツダ ユーノスロードスター
現在12万キロ、まだまだ現役です!
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation