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ArtBlakeyのブログ一覧

2020年04月26日 イイね!

山下達郎 / Melodies

山下達郎 / Melodies 昨日、白沢峠で「生きていてヨカッタ!」と思いましたので、今日は「巣篭り」に協力です。毎週日曜日は84歳の母親を連れての買い物が恒例でしたが、今日からはボクが独りで行きました。

 午前の早い時間に済ませ、あるレコード探しをしました。
 何とか無事見つかったのがこれ、山下達郎さんの「Melodies」です。

 勿論、ボクは山下達郎さんの大ファンですが、敢えて今日探そうと思ったきっかけは、先週報道された、ブルー・コメッツのリーダー、ジャッキー吉川さんのご逝去です。

 このレコード、達郎さんの名刺代わりとも言える名曲「クリスマス・イブ」を収録した名盤。あまりにも有名ですが、実は意外と知られていないのが、A面の1曲目「悲しみのJODY」で8小節の短いテナー・サックスのソロを吹いているのが、元ブルー・コメッツの井上大輔さんなのです。

 ブルー・コメッツ時代。
 テレビの出演時、中央前列に3人が並びました。中央が井上大輔さん(リード・ヴォーカル、フルート、テナー・サックス)、右が三原綱木さん(ギター、コーラス)、左が高橋健二さん(ベース、コーラス)の布陣。全員短髪の背広ネクタイ姿。タイガースやテンプターズとは一線を引いたファッション。ソフトでメロディアスな旋律に、甘く抒情的な歌詞。今でも通じる作曲のセンスが凄かった…。中央に立つリード・ヴォーカルの井上さんは左右の二人より背が低かったけれど、吹かないフルートを両手で握り締めて懸命に歌う姿に、子供ながら感動したものでした。



 当時のブルー・コメッツのフロントです。

 ブルー・コメッツの文句のつけようがない代表曲と言えば、「ブルー・シャトー」。この曲は、井上大輔さんのペンによるもの。この他にも「青い瞳」なども書いています。後年には、当時のシャネルズの大ヒット曲「ランナウェイ」やフィンガーファイブの「恋のダイヤルナンバー6700」などを作曲、アーティストの代表曲になりました。一方、サックスやフルート・プレイヤーとしても多々のレコーディングを遺した、職人肌の「天才ミュージシャン」でした。

 「Melodies」を発売日に購入、嬉々として針を落としたのが1曲目の「悲しみのJODY」。1番の歌詞を達郎さんが歌い終えると、野太いテナー・サックスが!ビリビリとした硬いリード特有の音で、絶妙のタンギングで低音から高音まで変幻自在に吹きまくりました。僅か8小節のソロ、もっと聴きたいと思いました。このプレイヤー、一体誰だろうと思い参加ミュージシャンの名前を見ると「Daisuke Inoue」とありました。
 
 当時、大学4年の6月でした。
 既に就職活動が始まっていましたが、マスコミ志望だったボクは、まだ学生会館で勝手にテナーやソプラノを練習しながら、チンドン屋さんのバイトもしていました。そんな時にこのアルバムが発売され、井上さんの強烈なテナーにノックアウトされました。僅か8小節のソロに、楽器を奏でるテクニックだけではなく、「歌ごころ」を感じ、「さすが井上大輔!」と頷きました。

 そんな彼ですが、2000年5月30日、突然自ら命を絶ちました。
 病気がちだった奥様の看病疲れと、自身の網膜剥離に悩んでいたそうです。そして翌年には、奥様が後を追い自死されます。

 当時、ボクは妻の心の病気と闘っている最中でしたので、尊敬する井上大輔さんの自殺が物凄いショックでした。同時に「あれほどの人でも、凡人のボクと同様の悩みを抱えて生きているんだ…」と思い知らされました。

 ジャッキーさんの死の報で、井上さんのことを思い出しました。
 実際にお会いしたことはありませんが、ブラウン管を通じて見る笑顔は、とてもハンサムなのに人懐っこいものでした。



 今日、何度も繰り返して「悲しみのJODY」を聴きました。
 
 「こういうサックスが吹けたらなぁ…」と思っていた当時を、懐かしく思い出しました。あの頃は常に、夢や希望が胸に満ちていました。音楽を聴き、小説を読み、映画を見ると、その度に似ていて非なるロマンティズムのようなものが、次から次へと沸き出ました。振り返って見れば、きっとそれが「若さ」だったのだと思います。
 
 今でも井上さんの足元にも及びません。
 が、久し振りに聴き入ってしまい、あの頃感じたロマンティズムが胸に去来しました。
 …そう、たとえ今年還暦でも、人生にはロマンティズムが不可欠!!



 最後に。
 ジャッキーさん、安らかにお眠り下さい。
 あちらで、井上さんと旧交を温めて下さいね…。



Posted at 2020/04/26 16:40:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | レコード(ジャパニーズ・ポップス) | 音楽/映画/テレビ
2020年04月26日 イイね!

白沢洞門(長野県北安曇野郡白馬村)

白沢洞門(長野県北安曇野郡白馬村) 昨日25日の土曜日。
 外出自粛が叫ばれていますが、ボクは難聴治療のため、朝3時に家を出て、長野県須坂市の鍼灸院へ向かいました。未明の関越道は、かなり車が減っていましたが、上信越道に入ると、殆ど走っていませんでした。トラックやトレーラーの姿も見えず、この国の物流が大変心配になりました。
 6時40分に到着。鍼灸院の朝礼が終わった6時45分に呼ばれて治療開始、7時45分には終わってしまいました。

 須坂まで来てこのまま帰るのは勿体なく、以前から訪れたかった「3密」を避けて楽しめる処に寄ることに決めました。
 いつも帰路は国道406号線を菅平方面に向かいますが、昨日は逆に長野市方向へ。人の姿のない善光寺を通過、白馬村方向へ向かいます。



 小田切地区下小鍋です。
 東京では既に葉桜ですが、ご覧のとおり満開です。



  ダム湖に沿って、トンネルと洞門を抜けて来ました。
 


 反対側には、次のトンネルが口を開けています。

 

 幾つかトンネルを抜け、国道とは思えない狭い道を進むと、やがて鬼無里地区に入ります。鬼無里は「きなさ」と読みます。「鬼無き里」との集落名は、嘗ての人々の願いと言うか、地域のシャーマニズムが起源のような気がします。それだけ昔は生活が厳しかったのだろうと想像しました。

 この建物は、農協のようです。
 こんな山深い里に、立派な旧い西洋様式の建築を認め、思わず停車して撮影しました。左側の赤いトタン屋根の車庫とおぼしき部分は、明らかに後年の増築。美観上余計な存在ですが、それでも素晴らしいものです。



 「旅の駅鬼無里」です。
 営業はしておらず、開いているのはトイレだけでした。



 やがて、こんな光景が。
 手前の山の稜線の向こう側に、白きたおやかな峰が覗いています。
 そう、今日の目的がこれです。
 胸がわくわくしました。



 狭い道が短い森を貫きますが、そこに製材所がありました。
 人の気配や物音はなく、ウグイスの鳴き声が心に沁み入りました。



 枯れ色に覆われた地を抜け、集落に出ました。
 その最初の建物がこれです!
 素晴らしき光景、あたかも夢を見ているかのような気がしました。
 同時にデ・ジャヴ(既視感)に襲われました。

 左奥にももう一軒ありますが、川を跨ぐ小さな橋はバリケードで封印されていました。



 接近して撮りました。
 人の気配はありません。



 玄関は封印されていました。



 石臼らしきものがありました。
 嘗てはこれを使って食材を加工したのでしょう。
 そして、これらを使っていた方は、おそらく天に召されたことでしょう…。
 
 輪廻転生と言うか、小さな人の人生が連環となり、後年に生を受けた者が決して変えられぬ「歴史」が作られて行くのだと、これらの石臼が語ってくれた気がしました。

 

 地区の集会所らしき建物です。



 大きな庇のある木枠の窓。
 明るいモルタルと雰囲気がピッタリです。



 玄関扉の金属製の取っ手。
 最近は、めっきり見なくなりました。
 左右の取り付け位置が少しズレているのはご愛嬌です。



 集会所の前には「押切バス待合所 公衆有線」との張り紙がされた小さな建物が、ぽつんと佇んでいました。張り紙の下には「鬼無里村」とあります。今、ここは長野市ですので、吸収されたのでしょう。
 既に使用されておらず、時計も止まっていました。



 先へ進みます。
 茅葺の廃屋がある地区から先は、狭く急峻なカーブが連続する山道になりました。長野市鬼無里から少しだけ小川村を走り、白馬村に入ります。



 その先に、突然これが現れました。
 ここは最高地点の白沢峠。白沢洞門です。
 こちら側には短い鉄骨製の洞門が組まれていますが、この右奥に短いトンネルがあります。



 いざ、ゆっくりとロードスターを進めた先に待っていたのは…。



 突然、銀嶺の北アルプス連峰が目に飛び込んで来ました!!
 車を降り、暫く佇んで眺めてしまいました。



 長野市側から1時間ほど走った間、上の部分が少し見えただけでした。
 ところが、峠の短いトンネルを抜けた途端、今度は全貌を惜しみなく見せてくれました。勿論、感動しましたが、むしろボクは「圧倒されて」おりました。



 30分ほど、彼の地でこの光景を独占して堪能しました。
 
 コロナの影響で、飲食店はほぼ全てが休業中。朝、昼とも食事はコンビニのおにぎりとお茶でした。それでも、行き交う車やバイクは殆どなく、とても贅沢なソロツーリングとなりました。

 特に、鬼無里から白沢洞門までの道は、限りなく「幻想的」!!
 繰り返しになりますが、あたかも夢を見ているかのようでした。そして、ボクが感じた「デ・ジャヴ」は、きっと過去に見て来た夢の中の光景のような気がしてなりません。
 狭く急峻なカーブも多い2級国道ですが、ボクは自信を持ってお薦めします。まだ訪れたことがない方は、ボクに騙されたつもりで訪れてみて下さい!

 あー、行ってヨカッタ!
 また行こうーーっと!




 







Posted at 2020/04/26 15:12:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | お出掛け | 旅行/地域
2020年04月19日 イイね!

アンシェント・ホテルの旧いシトロエン(長野県北佐久郡軽井沢町)

アンシェント・ホテルの旧いシトロエン(長野県北佐久郡軽井沢町) 2週間前の4月4日の土曜日。
 須坂からの帰路、既にご報告済ですが、菅平から鳥居峠、北軽井沢を抜けました。
 その後、峰の茶屋から白糸ハイウェーに入り旧軽井沢方面へ。
 ワインディングの坂道は、コロナの影響からか車は殆ど走っていませんでした。
 途中、アンシェント・ホテルの前を通過した時でした。突然、視界にこんなお洒落なクルマが飛び込んで来ました。



 引き返し、ホテルに入る道にロードスターを入れ、暫く鑑賞させて戴きました。大時代的なクラシック・カーのフォルム。国際会議の会場前で、チャーチルが降りて来そうな雰囲気です。



 ラジエターのエンブレム。
 「シトロエン」です!
 
 …チャーチルは、ちょっと違ったようです(笑)
 
 マルチェロ・マストロヤーニとソフィア・ローレンではありません!
 ハンフリー・ボガードとイングリツト・バーグマンでもありません! 
 ここは、『アラン・ドロンとカトリーヌ・ドヌーブ』にしましょう(笑)!



 ウィンカーには、ストップランプも埋め込まれています。
 小さいけれど、お洒落な意匠は、さすがフランス製です。



 ピンボケでごめんなさい。雰囲気を汲み取って戴ければ幸いです。
 手前に飛び出したドアノブです。
 このタイプは人と接触すると凶器となるため、後年禁止されたと聞いたことがありますが、デザイン的には秀逸です。



 ハンドル回りです。
 すっきりと簡素なもので、余計なものがなく機能美の極みです。



 濃紺の塗装が渋くて「カッチョイイ」!

 いやー、暫く周囲を廻り、眺めまくりました。
 フロントとリアに『1930 SX 49』とありますので、1930年製の型式SX49なのだろうと思いますが、ボクはこの時代のクルマに関する知識が皆無、排気量等の諸元をご紹介出来ないのが「かたわら痛い」ところです。

 ボクは北軽井沢から下りてきましたが、場所は旧軽井沢から白糸ハイウェイを登り、小瀬の料金所を通過した直後の左側です。ボクが見た時は、たまたま天気が良く外に出していたのかも知れません。宿泊してホテルマンにお願いすればきっと見せてくれると思いますが、「1泊5万円!!」だとか!
 モチロン、貧乏人のボクは、泊まったことはありません(キッパリ)!

 
 
Posted at 2020/04/19 16:19:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他クルマ・バイク | クルマ
2020年04月19日 イイね!

KM90再生の記録 その伍拾壱

KM90再生の記録 その伍拾壱【はじめに】
 高校生の時、卒業する先輩から1万円で譲って戴いたのがMC1。この名前はあまり耳馴染みがありませんが、所謂型式名です。日本ではカワサキ90MSを経てKM90の名称で販売されましたが、ヤマハのミニトレが大ヒット、終始日陰の存在でした。ところが輸出先のアメリカではそのままこの型式名で市場に出て、小さな車格とパワフルな2ストエンジンが好評で、大量に流通しました。
 以来40年。今も我が家に棲み続けております。
 此処では某ブログに掲載した内容を、一部修正しながら「引っ越し」掲載します。かれこれ10年以上前に書いたものですので、パーツの供給状況等に変化が生じている可能性がありますことをご承知下さい。
 引っ越しの理由は、今もこの記事が残っている某ブログが、サービスの停止を発表したことです。本来の目的はボク自身の備忘録ですが、もし興味を持って戴けたらお読み下さい。
 なお、90MS、KM90、対米輸出されたMC1の全てを対象としますので、カテゴリはMC1としますが、タイトルには日本で一般的に通っているKM90を使用します。


2010-12-26

難関!オンボロキャブ その1

 皆様、ご無沙汰ばかりですみません。

 いろいろ身辺に変化があり、この半年間、オートバイ趣味とは殆ど無縁の生活です。W1S、兎2羽を手放し、現在はKM1号機、KS2、組立中のKM2号機だけと、ちょっと寂しいラインナップとなってしまいました。また再び落ち着いて乗れるようになったら復活すると、泣く泣く誓いました。

 閑話休題。

 という訳で、久し振りのKM2号機です。
 いろいろ忙しかったこと、一旦着手したら「大変」間違いなしのため、延ばし延ばしにしていたキャブレターです。2号機が抱える最大の「問題児」です。



 ご覧のように、限りなく「ボロボロ」!
 過去の記事をご覧戴ければご納得戴けると思いますが、何しろ最初に開けた時のショックは忘れません。腐ったイエローケーキ状のガソリンが堆積し、猛烈な腐敗臭が部屋に充満しました。
 ちなみに写真にフロートが写っていないのは、腐食で使い物にならず即ゴミ箱行きになったからです。

 さて、ここで問題です。
 一見「完バラ」でこのまま組めば良さそうに見えますが、ボクが着手をためらっていた原因は何でしょうか?



 プランジャーの新旧比較です。
 …ボロボロに腐食した上、ヒン曲がっております。



 正解は、この写真。
 本体に固着したニードルジェットが犯人です。
 過去、何度かキャブクリやガソリンにドブ漬けしてデタッチを試みましたが、まるで「だめ」。
 本来ならチョット叩くだけでスッと抜けるのに、まるで歯がたちません。
 今回も同様でした。
 本体を叩き壊したら一大事、カワサキから新品は出ません。
 で、いそいそと隣のバイク屋へ。

 社長「あー、まーたメンドーなものを持って来たナー」

 ヒコーキ屋の店じゃないのに、毎度のことですが、嫌がる社長に無理矢理新品と一緒に預けてしまいました(笑)



 で、昨日の夕方に立ち寄ると…。

 「いやー、厄介だったよ。壊しちゃったら弁償も出来ないからヒヤヒヤだったよ」

 さすがプロ。
 ご覧のように、新品が収まっております。
 何でも、ヤマハが販売店用に分けている缶入りの強力液体キャブクリーナーにドブ漬けの後、プレス機で慎重に押し出したそうです。
 左が外れた「犯人」。
 真鍮製なのに、見るも無残な姿です。
 表面は腐食が酷く、しかもベットリとタール状のものが…。
 社長によれば「本体とパーツの僅かな隙間に残ったガソリンが揮発して腐り、ガッチリ固着していた。これがキャブクリに溶けたもの」とのことでした。

 やっと一歩、先に進みました。
 キャブが組めたら、次は足回りです。
 それが終われば、いよいよ「組み上げ」です。

 …でも一体、いつになるやら。
 大体この書庫、KM90を標榜しておりますが、殆ど「車両全体」の写真がありません(笑)。

 KM90の記事をご覧の皆様。
 それでもよろしければ、また来年も、たまには見にいらして下さいね。
 今年は大した進展がなく、すみませんでした。
 これからも宜しくお願いします。

 (もしかしたら、年内にまだアップするかも…)


Posted at 2020/04/19 14:57:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | MC1 | クルマ
2020年04月12日 イイね!

Marvin Gayy / What's going on

Marvin Gayy / What's going on 昨日の土曜日。
 半年ぶりにかかりつけの歯科を訪れ、義歯の調整をして貰いました。その帰路、川越の大正浪漫通りを通過しましたが、開いている店舗は1割から2割程度。観光客も殆どおらず、コロナ禍の猛威を痛感させられました。ボクはテレワークとは無縁のため、感染は他人事ではありません。

 そんな週末。
 家から出るなとの方針に従い、懸案のレコード整理を少ししました。今回の最大の「発掘品」が、このマーヴィン・ゲイの不朽の名作「ホワッツ・ゴーイング・オン」!ベリー・ゴーディが1959年に「自動車の街」(Motor Town)デトロイトに創設した「モータウン・レコード」が1971年に放った大傑作です。

 マーヴィン・ゲイはゴーディーの姉と結婚したため、親戚の関係でした。ところが「三種の声」を持つと形容される程のシンガーなのに、精神的に不安定。観客の前で歌うことが大の苦手で、ステージでバンドが彼の曲のイントロを奏で始めても一向に登場せず、二度目が終わっても出て来なかったとか。客席のゴーディは堪忍袋の緒が切れ楽屋に向かうと、床に蹲ってがたがた震えていたそうです。そのお尻を靴で蹴飛ばして、漸くステージに立たせたという逸話があります。
 そんなマーヴィン・ゲイの精神的不安定は、キリスト教ベンテコステ派の牧師だった父からの、躾の範疇を越えた精神的虐待が原因だったそうです。

 都会的で洗練された声の持ち主でしたが、そんな性格もあり、ショービジネスの世界では、なかなか芽が出ませんでした。その彼が一躍評価されたのは、女性シンガー、タミー・テレルとのデュエット。情感豊かに男女の愛の美しさ、切なさ、そして別離の哀しみを歌い、たちまちスターダムに駆け上がります。
 ところが、悲劇が待ち受けていました。
 タミー・テレルは極度の頭痛持ちで、かなり苦しんでいたそうです。1967年、バージニア州の大学でのコンサートの最中、一緒に歌っていたテレルが突然ステージ上で倒れ、マーヴィン・ゲイの腕の中に倒れ込みました。脳腫瘍との診断で、その後18カ月間に8回もの手術を受けたのでした。その甲斐もなく、彼女は1970年3月16日、フィラデルフェアの大学病院で息を引き取りました…。
 
 あまりにもリアルに男女の情愛を歌った彼らに、「出来ているのでは」との声は珍しくはなかったそうです。しかし現実は、マーヴィン・ゲイは既婚者、タミー・テレルには同棲相手が存在しました。そんな関係でしたが、感受性が強い彼はテレルの死が受け入れられず、病床にあった期間とその後暫くは、全く仕事をせず家で酒を飲み、妻と喧嘩に明け暮れていたとか。テレルの死で、彼女とのデュエットで得た「セックス・シンボル」としての自身の存在と、厳格な父親から授けられた倫理観の狭間で、苦しみもがいていたのだそうです。

 1970年。
 31歳の彼はやっと一筋の光を見つけます。
 一時はプロ・フットボール選手を目指しましたが、ほぼ同時期に自ら音楽制作(プロデュース)を開始したのでした。元々ジャズやドゥーワップを好み、泥臭いソウルではない方向性を掴み始め、モータウンの作曲家アル・クリーブランドとフォー・トップスのレオナルド・ベンソンとの数回のフリー・セッションで、名曲「ホワッツ・ゴーイング・オン」の原曲が出来上がります。

 この時、モータウンはデトロイトからロスへの移転計画の最中にあり、クリーブランドは移住のためにロスに長期滞在します。その間に、マーヴィン・ゲイはさっさと独りでレコーディングしてしまいました。結果的にこれが世に出て大ヒットしたのです。

 ところが。
 シングル曲しか出来ておらず、これを含めて発売するアルバムの準備が、何一つ出来ていませんでした。ここから、マーヴィンの「コンセプト」が始まりました。

 「ホワッツ・ゴーイング・オン」は、公民権運動が高揚した60年代から70年代の過渡期に、アメリカ社会で虐げられていたマイノリティとしてのアフロ・アフリカンの現実を、「家族」の観点から歌いました。ベトナム戦争から戻った弟のフランキーから、戦場の残酷さ、悲惨さを体験談として聞いたことが起点です。その観念を更に広げ、曲毎にテーマを設定して製作されました。「ベトナム戦争」に始まり「貧困と犯罪」、「環境汚染・公害」を提起、そして「今後を支えることになる子供たちを救おう」と結論付けます。ラブ・ソングを封印した真摯な制作方針は、国境と人種を越え絶大な評価を受けます。

 ボクの個人的な思いですが、ジャンルを問わず、この作品を越えるコンセプト・アルバムは存在しないと思います。ビートルズの「サージェント・ペッパー…」や、ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」を遥かに凌ぐ大傑作と信じております。
 それは「分かり易さ」。メランコリックなバックミュージックに終始ミディアム・テンポの甘い彼の声。それに載せた強烈なメッセージが、聞く者の心を揺さぶります。それでいて、歌詞は平易。

Hey baby, what'cha know good
I'm just gettin back, but you knew I would
War is hell, when will it end,
When will people start gettin' together again
Are things really gettin' better like newspaper said
What else is new my friend, besides what I read

といった具合…。

 この作品でスターダムに上り詰めた彼ですが、1984年4月1日、父親と口論の末、射殺されるという悲劇で世を去りました。

 ボクが彼の存在を知ったのは、学生時代に吉田ルイ子さんの著書「ハーレムの熱い日」を読んだことでした。ロック、ジャズには既にどっぷり浸かっていましたが、ソウル・ミュージックは殆ど知りませんでした。モータウンもそうですが、ソウルは黒人が歌い黒人マーケットに販売するため、制作の重点は廉価なシングル盤が主体。どうしてもアルバムは「寄せ集め」の印象が強く、積極的に聴く気になれなかったのでした。この大傑作を聴いたことで、見事に「ソウルの底なし沼」に嵌ってしまったのでした。



 これは、一緒に出て来た40周年の記念盤で、未発表音源を含むアナログ1枚、CD2枚のセット。



 なかなかいい雰囲気です。

 個人的には「ディスタント・ラヴァー」の原曲が収録されていたのがナミダモノでした。

 あまりにも有名なアルバムですので、ソウルに興味のない方が聴かれても「ア、この曲、聴いたことがある!」となるケースも充分ありそうです。
 
 音楽好きの方なら、絶対に嵌る一枚です。








Posted at 2020/04/12 17:18:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | レコード(ソウル) | 音楽/映画/テレビ

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何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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