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ArtBlakeyのブログ一覧

2020年06月28日 イイね!

枠屋(長野県須坂市)

枠屋(長野県須坂市) 去る6月13日。
 難聴の治療後、生憎の雨でしたが旧小田切家住宅を見学した他、市内の旧い建築物を堪能して来ました。
 須坂市には歴史的建造物が非常に多く、とても一日で全てを見ることは出来ません。旧小田切家住宅のように今は博物館的な機能に特化した処もありますが、多くは住宅や商店として今も使用されています。
 そんな須坂の建築物にあって、非常に珍しいものをご紹介します。



 須坂市のほぼ中心部、八十二銀行須坂支店の東隣に佇むこちらは、居酒屋「枠屋」さん。最大の特徴は「うだつ」。左右の妻壁が、大きく前後と上に向かって張り出しています。防火が目的で、主に関西方面で連接して家屋が並んだ街並みで見られたそうです。ボクはおそらく、初めて見ました。



 特にこのように、主屋の棟より高いものを「本うだつ」と呼ぶそうで、大変貴重なものだとか。ちなみに「生活や地位が向上しない」、「状態が今ひとつよくない」ことを「うだつが上がらない」と言います。これはうだつを造って上げるには、大変にお金が必要だったことが語源との説があります。
 左には、何か動物らしきオブジェが見えます。猫でしょうか。こんな「遊び心」、粋です。



 左の妻壁の2階に窓はなく、のっぺりとした印象です。



 枠屋さんの屋号を記した木製看板です。
 毛筆体の文字を浮かせ彫りした、見事な手仕事です。上に富士山を思わせる山が描かれていますが、ここ北信の地から姿を見ることは出来ません。別の山なのかも知れません。

 この建物、正式な呼称は「旧丸山家住宅」。15代も続く旧家で、「つづき屋」の屋号をもつ建具屋さん。須坂で製糸業が盛んだった頃、生糸を巻く糸枠を製造しており、「枠屋」と呼ばれるようになったそうです。



 懐かしいコーラの販売機とベンチが!
 東京では、どちらもすっかり淘汰されてしまいましたが、こうして旧家の前で現役で稼働しています。何だか嬉しくなりました。



 横の黒板です。
 営業日が記されています。



 中を拝見したくなりましたが、居酒屋さんのため午前は無人。見たければ泊りがけで訪れる必要があります。



 「須坂市歴史的建築物」のプレートがありました。



 懐かしい!
 すっかり姿を見なくなりましたが、昔は早朝に、牛乳瓶を自転車の荷台に積み、配達人の方が家庭に届けてくれたものでした。こちの箱は、届いた牛乳を入れて貰う木箱。「長野牛乳」なのがイイ!
 ちなみに、我が家は青地に白文字で「名糖牛乳」デシタ!

 

 屋根は出桁造りのようです。
 瓦も重厚な趣。
 それでいて、2階の窓がお洒落な意匠です。



 右45度からです。
 こうして見ると「うだつ造り」の構造が見て取れます。
 おそらく、関東地方では殆ど見ることは出来ないと思います。
 明治初期の建築を見て、とても新鮮な気持ちになりました。

 こういう旧く由緒ある建築をお好きな方は、一度須坂市を訪れてみて下さい。きっとご満足されると思いますが、嵌ってしまうかも…。


枠屋(旧丸山家住宅(つづき屋))

長野県須坂市須坂新町614-2

Posted at 2020/06/28 16:16:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧き良き建築 | 旅行/地域
2020年06月27日 イイね!

所沢大勝軒(埼玉県所沢市)vol.2

所沢大勝軒(埼玉県所沢市)vol.2 2週前の土曜。
 長野県須坂市の「丸長」で「つけそば」を堪能、帰宅と同時にまた食べたくなってしまいました。
 先週土曜。
つけそば一皿だけのために須坂までは行けず、久し振りに坂戸店を訪れました。ワシワシとした「つけそば」を戴き、途中でスープに七味を少し加えたところ「所沢大勝軒」を思わせる味となり、願望が「玉突き」に!ところが翌日の日曜日は定休日。一週間、「禁断症状」に見舞われました。
 本日、飛ぶように訪れました。



 開店は11時。駐車場は7、8台分あります。
が、埋まってしまうと最初の入店客の誰かが帰るまで、徐々に長くなる行列に溜息を吐きながら車内で待つことになります。なので1時間は待つつもりで出ましたが、工事による交互通行渋滞に引っ掛かり、到着は10時20分。幸運にも最後の1台分に入れることが出来ました。
 既に開店を待つ列が!
 前に12人!…残念(後でご説明します)。

 暫くして、東池袋系の「制服」、白タオルの鉢巻に紺色シャツ姿のご主人が登場、前からオーダーをとり始めました。やはり11人だけ。
 半開きのシャッターが全開した時。凡そ30人が並んでいました。




 券売機です。
 「もりそば(小)」720円、「ネギ」80円、「ゆで玉子」50円を買いました。今、密を避けるため、店内で待てるのは2人までか1グループだけです。



 衝立やシートはありません。



 ご主人からの、こんなメッセージが掲示されていました。
 お人柄が滲み出ています。



 師匠・山岸さんによる色紙です。
 お客さんには本当に腰が低く、同時にお優しい方でした。それはお弟子さんに対しても同じだったのだと思います。ただ、それがマイナスに作用してしまった部分があるのは否めません。
 こちらのご主人は、師匠の教えを実に忠実に守られています。

 席はカウンターのみ。
 厨房側に7席、背後の壁際に4席、計11席。
 今日は厨房側の左から4席目に座れました。「麺茹で」をつぶさに観察できる「特等席」、ラッキー!

 学生時代に週に1、2回は必ず通った「東池袋大勝軒」。
 なかなか山岸さんの作業が見えるカウンターの「特等席」には座れませんでしたが、何度か見たことがありました。「中華」と「もり」を一緒に茹で、先に「中華」の分を出して丼に入れていました。その後も「もり」の分は「茹で」が続き、暫くすると大きなザルで取り出し、流水に曝していました。その量が半端ではなく、その時に配膳を待っている客の数を遥かに超える分量でした。つまり、外でまだ並んでいる、次の回、ひょっとすると次の次の回の「もりそば」用を予め茹でておいたのだと思います。
 ここから先はボクの全くの想像ですが、山岸さんは当初、複数回分を予め茹でることはせず、毎回茹でていたのでは、と思います。ところが席数が限られた狭い店なのに、キャパシティを遥かに超える行列が出来るようになり、この方式を導入した気がします。この方式は「茹で置き」という表現で邪道とする向きもありますが、当時ボクは何の疑問も持たず、ツルツル、シコシコの「柔わ麺」を美味しく戴き、毎回満足して大学に向かったものでした。

 山岸さんは体躯が大きく、狭い厨房で「ヨッコラショ!」という感じで作業をされていましたが、痩身のこちらのご主人は手捌きが「ピタッ!」と板についており、観ていると「カッチョイイ」!江戸前寿司の職人さんを思わせます。
 師匠と同様、ご主人お手製の同じ麺で「中華そば」と「もりそば」を茹で、「中華」の分を先に出し、配膳が終わって暫く後に「もり」の分を揚げます。茹で置きは実施していないのに、限りなくあの「山岸謹製」に近いツルシコ感!師匠の麺は「柔わ麺」でしたが、こちらのものは「プリプリ」!!
 全くの私見ですが、麺に関しては、「ラーメンの神様」と讃えられる師匠を越えたと感じます。



「お待ちどうさまでしたー」
 
 ご主人が手渡してくれました。
 もり(小)・ネギ・ゆで卵、計850円です。
 40年前の東池袋では、毎回平気で300グラムを食べていましたが、今年還暦を迎える今は、小がやっと。

「いただきまーす!」



 まずは「スープ」。
 「甘・辛・酸」がバランス良く味わえる、秀逸な味わい。
 ボクは毎回、ネギをトッピングします。スープとの相性はバッチリ!



 麺です。
 「ツルツル・シコシコ・プリプリ」の三拍子!
 


 スープの小鉢の下から、デフォルトで入るゆで卵1/2が出て来ました。
 スープを吸っていて、「ウマーー!」
 こんなにおいしいものを食べたら、頬が緩みます。



 チャーシューは、大きなものが2枚。
 もも肉ですが、脂身のサシが入り、あっさりの中に多少のコッテリが味わえる逸品。毎回「これでお酒を呑みたい…」と思ってしまいます。
 他に入るのは、メンマ、ナルト、刻みネギ。それと、いつの間にか食べてしまったみたいですが、のりが1枚入ります。



 という訳で、麺は完食しましたが、お腹は既にパンパンの状態。
 ご主人が「スープ割りは如何ですか?」と仰いましたが、もう胃袋に一分の隙間もありませんでした。
 でも、大変美味しく戴き大満足!
 一週間の念願を遂げることが出来ました。

 東池袋大勝軒の看板を掲げるお店は、本当に沢山存在します。
 中には、お店の外に山岸さんの巨大な写真を掲げるところもあります。
 
 ご自身が苦労人。
 北信の中野市から上京、17歳でこの世界に。
 お子様に恵まれず、晩年は奥様に先立たれました。
 そんなご事情もあり、お客さんにもお弟子さんにも優しく接せられました。暖簾分けしたお弟子さんには「のれん代・看板代」のようなものは一切要求されませんでした。その結果、商業主義優先で山岸さんのポートレートを巧みに利用する一派も出現しました。一方、比較的短期間の修業で暖簾分けを認められた結果、味に統一感がなくなり、お店による優劣が現実化してしまいました。ボクの私見ですが、「優」は極めて少数、「劣」が大半に思います。騒動で二分された「のれん会」ですが、正統とされる系統でも、二度と行きたくないお店は沢山あります。
(ちなみに、こちらはどちらにも属していません)。

 一説によれば、山岸さんが倒れられた時。ご主人は既に独立しこちらの厨房に立っておられました。
 ところが、東池袋は大変な事態になっていたとか。
 普段、客にも修業中の若い従業員にも「威張り散らして」いたエラい方も含め、誰も「山岸さんの味」のスープを作れなかったとか。
 こちらに電話が入りました。
 お店を臨時休業にし、東池袋へ向かったそうです。

 ボクにとってこちらは、

 40年前の若かりし頃が、すぐさま甦るお店。
 あの「味」だけではなく「思い出」まで再生してくれるお店。
 厨房に山岸さんの姿はないけれど、
 あの一方通行の狭苦しいお店ではないけれど、
 一緒に頻繁に通った、50歳で早逝した親友の笑顔が浮かびます。
 2003年開店のこのお店には、ボクの青春時代の思い出が一杯詰まっています。

 ボク
「ごちそうさまでした!」

 ご主人
「ありがとうございました!」
 
 

所沢大勝軒

埼玉県所沢市緑町4-5-4

04-2926-9707

11時~15時30分(麺がなくなったら終了) 第1・3月曜日、日曜日休


【追伸】
最初の「11人」に入り、店外で注文出来た人には、あるサービスがあります。
それは、「ヒ・ミ・ツ」!(笑)
 


Posted at 2020/06/27 16:43:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン(丸長・東池袋系) | グルメ/料理
2020年06月21日 イイね!

西武鉄道安比奈線(埼玉県川越市)

西武鉄道安比奈線(埼玉県川越市) 昨日のこと。
 坂戸の丸長でざるそばを堪能。満足して川越に向かい、買い物をした帰りのことでした。国道16号線内回りを走行中、衝撃の光景が目に飛び込んで来ました。



 16号を横切る西武鉄道安比奈線。
 あまり耳馴染みのない路線名ですが、この名を聞いてピンと来る方は、相当の「廃好き」に違いありません。
 
 安比奈線は1963年に運転が中止され、その後半世紀も「休止路線」となっていましたが、2017年になり正式に廃止されました。その後、少しずつ架線と支柱が外されましたが、何と、ご覧のようにレールの撤去が始まっていました。
 
 レールがそのままの「枯れた風景」は何故か美しく、心惹かれるものがありましたが、まさか遂に…。それで、少しだけ現状を見ておこうと思いました。

 安比奈線は入間川の砂利を運搬するために、1925年(大正14年)に開業。その後、砂利の需要が下がり運行を中止しました。暫く後に、終点に西武新宿線の車庫を造る構想が浮上しましたが、この計画も頓挫してしまいました。



 背後は新宿線から分岐する南大塚駅。足元に少しレールが見えます。



 逆の方向です。
 左奥に片づけられたレールが見えます。
 この地点は踏切ですが、何故か本線と位置がズレております。本来はもっと左でしたが、およそ10年前に、踏切部分だけこの位置に移されたのでした。



 16号線を横切った先です。
 夏を前に、雑草で物凄いことになっています。



 入間川街道との横断部。
 まだ撤去はされておらず、



 その先にも錆びついたものが見えました。
 どうやら、16号線から先は、まだ撤去されていない様子でした。



 こんな小さな鉄橋が。



 線路の接合部がズレてしまっています。
 半世紀の歳月を感じます。



 ここは、安比奈線で最も有名なポイント、「緑のトンネル」。
 すっかり雑草が跋扈していますが、



 秋から春にかけては、こんな幻想的な光景を見せてくれます。

 何時だったか、もう20年ほど前のこと。
 「枯れの光景」を鑑賞するためにここに佇んでいたところ、南大塚の方からまだ幼顔の若い男性二人連れが歩いて来ました。

「こんにちは!」

 関西のアクセントでした。少しお話ししました。
 二人は大阪の高校の同級生。鉄道好きで、とりわけ「廃線巡り」がたまらないとのこと。地元関西の廃線は殆ど歩いたそうで、何としても「レールと架線が残る廃線のメッカ」安比奈線を歩きたく、実に日帰りの強行軍で訪れたと言っていました。彼らも今は30代半ばのはず。日帰りで訪れたこの安比奈線の正式廃止を聞き、どんな思いを抱いたのかナァ、と思いました。



 あまりにも身近で、そこに存在するのが当たり前になっていた安比奈線。
 片づけのし易い南大塚から、いよいよ撤去が始まりました。
 草が枯れてから、おそらく作業が再開されそうです。
 秋になったらまた訪れ、最後の風景を心に刻もうと思いました。




Posted at 2020/06/21 12:52:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃の美学 | 日記
2020年06月21日 イイね!

丸長坂戸店(埼玉県坂戸市)

丸長坂戸店(埼玉県坂戸市) そんなに沢山はいらっしゃらないと思いますが、お越しの皆様、お元気でいらっしゃいますでしょうか。昨日、ボクが住む埼玉県西南部は梅雨の中日となり、真夏のような暑さとなりました。
 ところでボクは、先週半ば頃から「禁断症状」に襲われました。

「やっぱり『あの味』を堪能したい…!」

 原因は、先週訪れた丸長須坂店。
 まさか須坂まで行く訳には行きません。
 平日は五反田勤務、最も近い「丸長」は、おそらく目白。1時間しかないランチタイム、物理的に訪れることは不可能です。

 金曜日。
 ふっ、と思い出しました。

「そうだ!明日の『朝ごはん』は、あそこにしよう!」

 朝7時に家を出ると決めて床に就いたのですが、起きたら既に9時!

「あちゃー…!…でも、行くゾー!」

 どかどか足音をたてて階段を降りると、既に起きていた母が

「おはよう。朝ごはんは?」

「要らない。それより出掛ける!」

 唖然とする母を尻目に、さっさと着替えてロードスターに乗りました。



 さて、到着したのはこちら。丸長坂戸店です。
 須坂店の記事で触れましたが、丸長は敗戦後、長野県出身の5人の蕎麦職人が、共同経営という形で、荻窪に「丸長」を出店したのがルーツ。そこから4人が独立、それぞれ「丸信」「栄楽」「大勝軒」「栄龍軒」の暖簾を掲げます。
 こちら丸長坂戸店の初代店主は、目白「丸長」で修業。「丸長のれん会」のHPによれば創業は昭和46年12月。来年で50周年を迎える老舗です。

 現在は、創業店主の息子さん兄弟が切り盛りされています。
 ボクが初めて伺ったのは、おそらく15年ほど前。
 
 初代の時代、ジツに『ヘンタイよい子』なお店でした。
 
 第1点。
 上の写真は昨日撮影しましたが、暖簾が小さいことを除き、特に違和感はありません。ところが当時は、

「常に、シャッターを閉じての営業」

でした。
 上の写真の左端、隣家との境の奥、



 ポリバケツの手前右に通用口の扉がありますが、この狭苦しい路地に待ち客は並びました。食事を済ませて帰る人も「逆流」するので、結構大変でした。
 この時代の写真を掲載したHPを見つけましたので、ご興味のある方は訪れてみて下さい。

ttps://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/cfbd8409860f2ca0aa03d8567eeb2bf7

※頭にhをつけて下さい。

 さて、
 見事に「寝坊」してしまい、お店に着いたのは10時過ぎ。待ち客は1人だけ、ラッキー!

 2代目がシャッターを開けて営業するようになってからの、暗黙のルール。
 こちらでは、待ち客は店内に入らず、外に並びます。
 食事を済ませた客が帰り空席が発生すると、厨房の中から2代目が手を休めることなく、先頭の待ち客に目配せします。こう書いてしまうと「高飛車」と受け止められそうですが、お店に入ればご主人は必ず「いらっしゃいませ」、お勘定を済ませて出る時には「ありがとうございました」と仰ってくれます。

 ご主人がボクに「目」をくれました。

「いらっしゃいませ!」



 メニューは、壁に貼られた短冊のみ。
 右側の一部が写っていませんが、暖簾に掲げるデフォルトの「つけそば」は750円です。
 ちなみに「丸長」系列では麺を別鉢のスープに浸して食べるものを「つけそば」と標榜するお店が多いようです。一方、「丸長」から独立して「大勝軒」を掲げる山岸さん系列では「もりそば」が一般的です。今ではこの種の食べ物は「つけめん」とのワードに一括りされがちですが、こんな細かいことにも「流派」があるようです。

 さーて、何にしようかなー。

「ざるチャーシ…」

 全部言い終わらないうちに、ご主人が、

「ゴメンナサイ、チャーシュー、もうなくなっちゃった…」

 恐れていた事態…。寝坊の代償デス!
 という訳で、そのまま「ざるそば」をお願いしました。
 
 『ヘンタイよい子』の第2点。
 時計の針は、まだ10時15分。北口の「まりぼ」の開店は11時45分。
 既にチャーシューは売り切れ。
 ちなみにこちらの営業時間は、朝8時から14時。
 東京の都心部ならわかりますが、ここは埼玉県の坂戸市。
 こんな午前中にシフトした営業なのに、開店と同時にお客さんが次から次へと入ります。福島県の喜多方市のラーメン屋さんは朝から開くと聞きましたが、ここ坂戸市にも「朝ラーメン」の文化が根付いているようです。



 L字のカウンターのみ、席数はおそらく12から15。
 初めて訪れた時は「シャッター閉じ」で、穴倉でヒソヒソ食べている感じがしました。午前中なのに明け方までしこたま酒を飲み、夜明け前に食べているかのような錯覚に陥りました。2代目になってからは開けて営業するようになりましたが、どちらの遣り方もボクは好きです。



 「つけ汁」作りです。
 最初に、結構な量の砂糖を入れ、そこに鍋からスープを注ぎ、最後に具を投入していました。



 偶然ですが、座った席が「麺茹で」の前。
 ご主人が俯き、真剣に茹で加減を確認されていました。



「はーい、お待ちー!」

「ざるそば」の登場!
 見るからに「オイシソー!」

「いっただきまーす!」



 ズルズル啜りました。
 …うん、この「ワシワシ」感!!
 丸長系に特有の噛み応えです。
 先週堪能した須坂店の方が硬く、ウェーブも凄かったけれど、どちらが優でも劣でもありません。埼玉と長野、遠く離れていても「丸長」の暖簾です。



 つけ汁です。
 結構な脂が浮かんでいますが、ボクは抵抗なく美味しく感じました。
 須坂店のものよりも、かなり濃いもの。
 それもそのはず、須坂では「スープ割り」はありません。
 その反面、辛味は須坂の方がありました。メニューに「お子様や辛い味が苦手な方には、辛味を抜いてお出しします」とありました。こちら坂戸では、デフォルトで唐辛子は入っていません。



 で、唐辛子を少しだけ入れてみました。
 …うん、この味、…イイ!
 須坂店と言うよりも、所沢大勝軒の味に近くなりました(笑)!



 麺を全部食べ終えて、スープ割りに。
 これが、たまらなく、

「おいしかったーーー!」

 こうして写真で見ると細かい油が浮かんでいますが、実にあっさりとしたものでした。
 大変、美味しく戴きましたが、頻繁だった初代のご主人と奥様の「夫婦喧嘩」が思い起こされました。ボクが原因だったことも…。その時は奥様が柄杓で「割り」をして下さったのですが、ご主人が「注ぎ過ぎ」と怒ったのでした。奥様はボクには聞こえない程度の低いトーンで二言三言、抵抗されていました。当時、こういうシーンは珍しくなく、訪れる度に展開されていました。
 …これが『ヘンタイよい子』の第3点!

 こんな風に書くと、何だか「食欲がなくなる」との意見が出るかも…。

 でも、仲の良いご夫婦でした。
 ご主人は見るからに職人気質の方で、どちらかと言うと神経質な感じ、半端ではない「オーラ」を放っていました。
 少しでも気に入らないことが起きたり、ご自身の「予定」が「調和」しないと、一気に「やる気」が失せてしまうタイプに見えました。決して「上から目線」ではなく、逆で「シャイ」だったように見えました。
 ボクの勝手な想像ですが、シャッターを閉じたのは、お客さんが列をなして待っているのが見えると、「不味いと思われたらお終いだ」的な、物凄いプレッシャーに襲われたからではないかと思います。埼玉の地で営業時間を極端に午前にシフトしたのも、お客さんに「あまり知られないように」営業したかったからのような気がします。

 

 ここまで書いて、坂戸店を最初に訪れたよりも、遥かに昔のことを思い出しました。他愛のないエピソードですが、宜しければお付き合い下さい。



 学生時代、1980年代のこと。

 荻窪北口、青梅街道沿いに「行列の出来る」ラーメン屋さんが2つありました。
 西側のお店は当時、「東京味のグランプリ」という所謂「グルメ本」の「ラーメン」のジャンルで、唯一「三つ星」を与えられました。評価者はプロの料理人ではなく、誰も知らないけれど自称「演芸評論家」で、何故か「食べ歩き」では名が通っていました。
 
 1時間並びました。
 「コ」の字型のカウンターだけの、やけに広いお店でした。
 やっと行列の先頭になり、漸く案内されて入店しても「いらっしゃいませ」はなし。おまけにカウンター席の背後には、びっしりと待ち客が佇んでいました。
 オーダーは、店主が顎先で指して初めて出来るシステム。
 
 客は一様にデフォルトのラーメンを「中華そば」とか「そば」と称して注文していました。「売り」だったのは、味付け玉子が入ったもので「玉子そば」!
一方、焼き豚入りは「チャーシューそば」ではなく「チャーシューメン」で受けていました。

 ボクが顎でしゃくられました。
 入店からつぶさに見ていましたが、あまりの「食わせてやる!」的な態度に、どうオーダーするかを決めていました。

 でかい声で、はっきり言いました。

「ラーメン!」

 …食べている人たちの箸が、一斉に「ピタッ」と止まったのを、今も鮮明に覚えています。
 
 店主が俯いて茹でながら、割と大きな声で訊き返しました。

「…中華そばかい?」

「ここはラーメン屋さんではないの?」

「……うちは中華そば屋だ!」

 …若かったナー。

「あんたが客に『中華そば』と言わせているものは、世の中では一般的に『ラーメン』として認知されているもの。それを敢えて『中華そば』と言わせるのであれば『チャーシューメン』はおかしい!『チャーシュー中華そば』だろ!」

「……出て行け!!」

 60年近く生きていますが、こんな『アホラシイ』理由で退店を命じられたのは、最初で最後(笑)!!!!
 その時は「ふざけるな、何様のつもりだ!」との感情に支配されていましたが、この齢になった今振り返ってみても、つくづく「客を客とも思わない店」だったと思います。結局食べずに追い出され、その後も一度も行きませんでしたので、美味しかったのかは不明(笑)!
 
「うちの流儀に納得出来ないのなら、来なくて結構!お前が来ずとも、うちには『中華そば』を食いたい客が、毎日わんさか来やがる!」

的な、典型的「殿様商売」!
…こんな『偉ーーい中華そば屋』もありましたっけ(笑)。

 この店の後日談。
 開店から看板まで終始行列なのに、「こいつは怪しい!?」と目をつけたのが税務署。店が出したゴミの袋を開け、使用済みの割り箸を数えて客数を掴み過少申告の証拠を提示、「脱税」で検挙しました。当時、ラーメン好きの間でかなり話題になり、朝日新聞も取り上げました。かなりの追徴金を課され
たと記憶していますが、それが原因かは知りませんが、今はもう存在しません。

 ちなみに「東側」の某店。
 まだ今も営業中。
 ですが、当時からとにかく

 「高い!」

 現在のお値段。

 中華そば 850円!
 わんたん麺 1250円!!
 ちゃーしゅー麺 1350円!!
 ちゃーしゅーわんたん麺 1700円!!!!

 最後に食べたのは30年以上前ですが、ボクが抱いた感想は、

「不味くはないが、500円程度ならば納得!」(笑)!

 …ここも「食いたけりゃ高くても払え!」の『偉ーーい中華そば屋』(笑)!

 ちなみに当時、ボクはこれらの「超有名で行列の絶えない2店」を敬遠し、南口の本家本元の「丸長」か、北口の同系の「丸信」に通っておりました!
 


 閑話休題。

 

 名古屋に「丸長のれん会」のお店、「丸和」さんがあります。
 当時勤めていた会社の名古屋営業所の面々と訪れたことがありますが、失礼ながら「味」を全く覚えておりません。ただ、大変に満足したことは間違いありません。

 その「丸和」さんのルーツが、こちら「丸長坂戸店」!

 今回、坂戸店のことを調べていて、こちらのHPを知りました。
 やっぱり坂戸店の先代、偉大でした!

ttps://www.krkjapan.com/2018/03/04/vol-77-%E3%81%A4%E3%81%91%E9%BA%BA-%E4%B8%B8%E5%92%8C/

※頭にhをつけて下さい。



 という訳で、全部おいしく戴きました。
 お皿、小鉢、蓮華の全てに「丸長」の文字が!
 考えてみれば「丸」も「長」も、実に縁起の良い漢字。
 全てを美味しく戴けば、ラッキーも3倍になるのかも…(笑)!

 ちょっと長くなりましたが、お付き合い戴き、有難うございました。



丸長坂戸店

埼玉県坂戸市南町15-14
0492-83-7413

8時-14時 水・日 休


 
Posted at 2020/06/21 05:21:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン(丸長・東池袋系) | グルメ/料理
2020年06月14日 イイね!

丸長須坂店(長野県須坂市)

丸長須坂店(長野県須坂市) 昨日の13日。
 旧小田切家住宅を見学後、丁度お昼時になりました。
 須坂市には、かねてから行きたいお店があり、早速向かいました。



 こちらは、丸長の須坂店。
 かの「ラーメンの神様」と讃えられる故山岸一雄さんの、東池袋大勝軒の源流、丸長の看板を掲げるお店。首都圏に丸長を標榜するお店はそんなに多くはありませんが、それほど少なくもありません。ここ長野県には、長野市、中野市、そして須坂市のこちらの3店があります。
 店到着は11時25分、一番乗りでしたが、まだ「準備中」の看板が。



 「丸長の暖簾」。

 丸長系列のお店には「丸長のれん会」という繋がりがあります。
 チェーン店の管理本部のようなものではなく、要は「同じルーツを持つお店の親睦会」。特段の縛りはなく、加盟店の社長は年に何回か、会合を持っているそうです。

 「丸長」は敗戦後、長野県出身の5人の蕎麦職人が、東京・荻窪に共同経営の形でラーメン店を開いたのがルーツとされています。そこから現在の「丸長」「丸信」「栄楽」「大勝軒」「栄龍軒」として独立して行きます。以降も、それぞれの看板からのれん分けが広まり、ラーメン界では事実上最大の流派となりました。しかし、この5系統に繋がる全てのお店が「丸長のれん会」に属しているわけではなく、5系統の店舗総数は判然としません。
 ちなみに、こちらの須坂店は信州中野店からの暖簾分け。「丸長のれん会」には属していない様子ですが、信州中野店は加盟店。まあ、立派なのれん会系です。

 余談ですが、「ラーメンの神様」山岸一雄さんの死後、東池袋大勝軒系列のお弟子さんたちの間で、跡目争い騒動が勃発。遂に2つに分裂しました。
 中野市の出身、大勝軒で修業された山岸さんは「丸長のれん会」に加盟していたため、後継者として指名された某氏が自動的に継ぐこととなりました。ところがその人物は、突然何の前触れもなく、電子メールで「丸長のれん会」を脱退する旨を伝えたとか。それを受けたのは、「丸長のれん会」会長で、山岸さんの兄弟子の中野大勝軒・坂口さん。一方的で口頭説明すらない通達に、半ば呆然とされたとか。その経緯を知った非主流派の複数の社長さんは「山岸御大のルーツは丸長、埋め合わせのつもりではありませんが、是非ボクらも加えて下さい」とお願いし、認められたそうです。その結果、加盟店の社長さんには「お爺さんとお孫さん」みたいな年齢差の方も珍しくなくなったとお聞きしました。



 営業時間です。
 訪店される場合、ご参考になさって下さい。



 11時半きっかりに開店。
 若い女性の店員さんに、

 「お待たせしましたー、どうぞー」

 と招かれました。



 当然ですが、客席は無人。
 ところが、あれよあれよと言う間に満席になり、待ちも発生しました。



 メニューです。
 普通の「ラーメン」「中華そば」はなく、「つけ麺」のみ。
 トッピングの「えのき」は、初めて見ました。
 味玉つけ麺の中盛りをお願いしましたが、後でねぎを追加、全部で1050円をお支払いしました。



 10分程して、先ほどの女性が

 「お待たせしましたー」

 マスクで口元は見えなかったけれど、優しい声で持って来てくれました。

 一見で、ダイナミックな麺に目を奪われました。
 不均等な太さとウェーブ。
 ボクは今までに、本家本元の荻窪店、目白店、家から比較的行き易い坂戸店の3店を訪れましたが、それら3店とは見た目が全く違います。また、所謂「東池袋系大勝軒」系とも異なります。多くの場合、東池袋系は太いストレートの麺を、かなり柔らか目に茹でて提供します。
 おそらく、ダイナミックな食感だろうと想像しました。



 食べてみました。
 予想通り!
 かなり噛み応えのある、太く縮れた硬い麺。丸長特有の「あまから」スープをよく掬ってくれますが、噛んでいるとスープを補給したくなります。調味料の横に置かれたレンゲを取り、一口啜る度に一口含みました。まさしく、計算し尽くされた絶妙のバランス!



 味玉は、半熟より少し硬め。味付けは薄いもの。
 半分に割り「あまから」のスープを浸して食べると

 「ウ、ウマー…!」

 他の具は、刻んだチャーシューとナルト、メンマ、刻みねぎでした。



 という訳で、全て食べました。
 小食のボクは、1.5玉をお願いする時には少し躊躇しましたが、今回は余裕でした。スープも全部飲みたかったのですが、去年秋の健康診断の結果と、今年還暦を迎えることを考えて止めました。

 いやー、素直に「オイシカッター!!」

 お支払を済ませてお店を出ると、駐車場にはもう、1台も入れない状態でした!


丸長須坂店

長野県須坂市大字日滝4282
026-246-9991

11:30-14:30
月曜休






Posted at 2020/06/14 17:08:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン(丸長・東池袋系) | グルメ/料理

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何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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