
鉄道。
自分は若年者からのファンではありませんでした。
趣味として興味を持ったのは、軽井沢~横川間の急こう配を走破する補助機関車を知ってから。
この区間は長野行き新幹線が開通した1997年に廃止されまして、当時は夕方のニュースでなんとなく見ていました。
その後、ネットにて専用機関車であるEF63の特徴や通過電車との協調運転を知り、鉄道ファンになったのです。なので、現役時代の横軽間は味わったことが無いのです。
廃止後に横川機関区跡に作られた碓氷峠鉄道文化むらですが、今回が4回目の訪問です。
車で訪れたのは2回目。
初め訪れたときは、文化むらから横川駅までの線路跡がそのまま残っていたことを思い出します。
そして宿泊したのは横川駅近隣の東京屋。
遅くのチェックインでしたので、無理を言って朝食のみのプランに変更してもらいました。
前日の夕食は高速のSAで購入した峠の釜めし。冷えていても美味しいのですが、一度作り立てを食べたことがあって、それはそれは美味しかったことを思い出します。
僕のなかでは間違いなく駅弁の一位(笑)
翌日部屋から外を見てびっくりしました。
横川機関区隣だったのは知っていましたが、窓から体験運転用のEF63が見えます。
文化むらの管理棟は機関区時代のものをそのまま流用したもの。
後ろに聳えある龍駒山(通称:ざんげ岩)も見えます。
ざんげ岩は、この機関区を俯瞰できる良撮影地でした。
現役時代は、峠を行き来する電車の麓側に連結する2台のEF63が下の写真のように眺められたのだそう。
さて、チェックアウト後に見たかったのは、横川駅前の側溝のふた。
この蓋にはアプト鉄道時代に使われていたラックレールが再利用されていました。
今まで訪れた中で、普通の鉄板に変更されていたこともあったので、まだあるのかと。
大丈夫。まだまだ健在で安心。
駅前の動輪も。
3号機のものですが、僕が所持している運用最終日のビデオで在りし日の姿が見られます。
さて、文化むらに入ると、EF63と189系あさまが迎えてくれます。
ヘッドライトが点灯していると、”生きているなぁ”って感じます。
その近くに、横軽間の最大勾配である66.7‰を再現した傾斜とアプト時代にラックレールがどう敷設してあったのか、が見ることが出来ます。
この写真ではそれほどの急勾配に見えませんが、ここから辿ることが出来る旧線跡(アプトの道)をメガネ橋まで歩くと傾斜具合がよくわかります。はっきり言ってキツイです(汗)
ただ、あさま号といえば、こちらの塗色のイメージだなぁ。
峠の主であった、EF63。
2台ワンセットで運用されていました。
峠を安全に上り下りする特別装備が満載されています。その装備を
ネットで調べていて、鉄道のとりこになったのでした。
運転席の前から見て左側に白いポール式のアンテナがあります。取り付け当初は反対意見が多かったらしい。それも、特別装備の一つです。
当時の価格を現在に換算すると3~6億円ほど。
EF63は、横軽専用であったのに対して、横軽間とそれ以外の通し機関車はEF62型です。
こちらにも、白いアンテナが装着されていまして、EF63の助けを借りて横軽を通過する際に運転手同士のコミュニケーションツールになっていました。
フロントウインドウのサイドが曲げガラスなので、それがEF63に比較すると女性的デザインだと言われる理由です。
EF63の運転席。
昔の工場のオペレーター室はこのような感じでした。
アナログメーターが多数あり、操作はレバー式スイッチ。
初めてEF63のシミュレーターを運転してみました。
本物のEF63の操作系を生かして、窓の外にモニターを設置したものです。
圧力計や電流計も生きています。
下りのシミュレートなので、制限速度を超過しないように発電ブレーキを調整します。
丸山変電所跡を過ぎたあたりかな。
確か45km/hを超過すると非常ブレーキが作動するらしい。
速度調整は発電ブレーキ(モーターを発電機として利用して、発電した電気は屋根上の抵抗器で消費する)のノッチ操作で調整。結構難しいです。
ホームに近づきました。
何故か猫がお出迎え。
やはり停止線に合わせてピタッと止めるのが難しい。
電車でGOのゲームもそうでした。
外に出まして、展示車を見て歩きます。
ここでは、思い入れがある車両を個人的な観点で述べます。
蒸気機関車のD-51。
この型は初期型の煙突と屋根上のドームがつながったタイプ。静態保存機関車としては珍しいです。
EF15。
戦前から続く制式貨物用旧型電機(いわゆる旧型電機)で先輪が1軸ついているのが特徴的です。貨物用機関車で減速比が大きく、力はあるが速度が出ないタイプ。
2011年まで登録された車両が存在してました。
EF53。
客車用旧型電機で、人気があった機関車です。
旧型電機は先輪が2軸が客車用、1軸が貨物用でした。旧型電機のこの2台は台枠の上に運転席を含む箱型のキャビンが乗っかっているのが特徴です。
現在塗装修理中ですね。
EF59。
山陽本線、瀬野~八本松間(通称セノハチ)の峠超え用後押し機関車。EF63と同じ用途ですね。
主に貨物列車用ですが、先輪が2軸です。これは、客車用機関車から改造されたからでしょうか。
EF58。
旧型電機の傑作といえる客車用機関車。
先輪2軸ですが、キャビンが先輪までかぶっているので、非常にスマート。
減速比の関係で高速走行が得意な機関車です。
ここからが国鉄時代の新性能機関車。先輪が無いタイプです。
EF30。
銀色のボディは関門トンネル専用機である腐食防止のため。
交直流機関車ですが、交流で機能するのは一部です。交流走行箇所は門司駅構内だけだから、らしい。

文化むらの中ではずっと降雨が続いていました。
その後は横浜に向かいましたが、関越道を走行する際には排水性が良い高速で水たまりが出来るほどの降雨の強さになりました。
チンクはミシュランのPS4を履いていて、雨には強いタイヤですが、100km/hほどでも微妙なカウンターステアを当てながら走る必要があるほどに(汗)
高速が通行止めにならなきゃいいなと思いながらも、予定時間に横浜の宿泊先に到着して何より!
EF60。
新性能機関車のデザインはこんな感じ。
ヘッドライトが大型の1灯なのが特徴です。
主に貨物用です。
隣のキハ20も最初は大型の1灯式ヘッドライト。
EF65。
国鉄型機関車ですが、現在も現役世代が居ます。
万能機関車で貨物用、客車用特化タイプもあり、山岳もお手の物です。
左右に分割された2灯式ヘッドライトが新型電気らしい。
EF70。
交流電気機関車で、北陸地方で運用されました。
ただ、60Hzの交流のみの対応だったため、運用場所が限られており、その後に登場した交直流機関車のEF81が便利だったために短命でした。末期は敦賀機関区で大量に留置されていた写真が印象に残っています。
この1台しか現存していません。
EF80。
直流と交流50Hz対応で常磐線が主な働き場。
寝台特急ゆうずるは常磐線経由だったので、この機関車でけん引していたでしょう。
直流機関車は青系の塗色、交直流・交流機関車はピンク系の塗色です。
次は気動車。
キハ20。
僕が大好きだった岩泉線のキハ52系はこれがベース。デッキ(出入口付近の仕切られた部屋)が無く、出入り口から直接入る気動車。床は板張りでした。
JRでは運用されていませんが一部の地方鉄道で運用が継続されています。
懐かしいな。
ディーゼル機関車のDD51。
蒸気機関車を廃止させた張本人と呼ばれた機関車(汗)
でも、DD51も残存している個体はわずか。
東日本大震災の時は非常時の輸送手段として大活躍しました。
ラッセル車のDD54。
DD51をベースに除雪車にしたもの。
パワーが大きいが故、活躍できる場所が限られたマシン。
飛ばした雪が沿線周囲に被害を与えたとか。
構造ですが、雪を砕いて掻き込む回転体と、その奥にある跳ね飛ばし用の回転体の二つからなります。
ムカデのような車輪が特徴的な、操重車のソ300。
クレーンが付いており、工事などで使用する重機です。
以前の訪問より増えた車両がこちら。
新幹線用軌道確認車GA-100。
夜間の工事後に線路に問題が無いか確認する車両らしい。
変わり種がこちら。
新幹線のトンネルの点検用らしく、線路と線路の間のくぼんだ空間を走行する車両みたいです。二人乗りだそうだけど、新幹線が運用中でも走行するのかな?
最後に、園内をぐるっと1周できるDLあぷとくんに乗車しました。
週末であれば、蒸気機関車のグリーンプリーズ号も運行されています。
乗車側の反対側に来たら、運転体験中のEF63とすれ違いました。
電圧を低くして運航しているとはいえ、あのブロアの音は健在でした。
乗車体験できるのは、横軽間の下り線を利用して、2kmほど離れたとうげの湯までトロッコ列車がありますが、平日は運休(汗)
そのような点から休祭日に訪れたほうが楽しめるかなぁ。
さいたま市の鉄道博物館や京都市の京都鉄道博物館とは規模も内容も違いますが、横軽間に特化した博物館として今後も訪問したいと思います。
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