久慈ありすにきゅんきゅんな今日この頃。
皆様、お疲れ様です。
さて、前回の
ラブケミストリーと一緒に買った伊坂幸太郎さんの魔王。
なぜこの本を選んだかというと、単に伊坂作品で内容を知らなかったから。
映画では何本か見ていますが、原作では1冊も読んでません。
伊坂作品に関わらず、映画やアニメでおもしろい=原作もおもしろいとは限らないと思ってまして。
で、映画で面白いと思っていれば、それだけで十分なんですよね。
基本、小説も映画もアニメも娯楽なので、楽しめればそれで構わないのです( ´ー`)
前置きが長くなりましたが、早速。
アマゾンの内容紹介
「小説の力」を証明する興奮と感動の新文学
不思議な力を身につけた男が大衆を扇動する政治家と対決する「魔王」と、静謐な感動をよぶ「呼吸」。別々の作品ながら対をなし、新しい文学世界を創造した傑作!
以下、ネタバレ長感想文になるので反転で。
自分が読んだ数少ない作家さんのなかでも、石田衣良さんと同じ脳内フォルダに入りそうな感じでした。
主人公の親友である、島との出会いのシーン、
学生の時の島は、周囲から、「短い髪のほうが似合うって」と誘導されても、「見苦しいから切りなさい切りなさい」と突かれても、頑として長髪のままだった。
という件(くだり)があるのですが、社会人になった島は、営業で外回りするからか暑くて髪を短く切り、その別れ際、
「じゃあな」と彼は首だけで振り向き、肩のところで手をひらひらとやった。
と締められます。
この肩のところで手をひらひらとという部分。
学生時代はあったと思われる肩にかかる長髪が、社会人の今はないという時代の流れを表す描写が嬉しい。
その表現が良いか悪いかはともかく、そういう作家の意図?を見つけられるというのも、読む側の楽しみです( ´ー`)
内容として、
主人公は、自分が思った事を相手に喋らせることができる『腹話術』の能力を持っていますが、能力は能力として。
で、ひたすらに考えるんですね。
相手が自分の立場だったらなんと言うか、何の意図があって相手がそれを話すのか。
そこに、現在の日本の政治家の考えとか、独裁政権とか一党政治の是非についての考えを多視点で書かれています。
で、犬養という政治家が出てくるわけですが、これが大阪市長の橋下さんに似ているんですよね。。。
一般人を味方につけ、世論を動かす。
ただ、初版が発売されたのが2005年。
橋下さんのwikiを見ると、2007年12月に府知事選挙に出馬らしいので違うのかもしれませんが、先を予見するかの如くの内容に改めて驚きを感じます。
アメリカに媚びへつらう日本。
その流れを犬養が物言う日本に変えよう!と扇動する。
その中で、日本人がアメリカ人に刺されるという事件が起きる。
暴徒化した日本人に、日本に帰化したアメリカ人の家に火をつけられる。
その流れに主人公は違和感を覚える。
で、犬養に近づいて能力を使い、その流れを止めようと自分の意見を伝えるのですが、流れは止まらず・・・。
民主主義(人民が権力を所有し行使する政治形態)が独裁政権を支持すれば、ファシズムでのナチズムでも起こりえるんですよね。
でも、その独裁政治の政策に賛成か?と問われると、分野によりけりなのかと。
だけど、支持されやすい政策で実績を積む独裁政治では、多少の悪にも目をつぶる流れに傾きやすい。
ナチズムによる反ユダヤ人主義によるホロコーストが最たる例かと。
自分に害悪さえなければそれでかまわないと思い見過ごす。
その分、自分が粛清の対象になったときにも救いの手は来ない。
皆が自らへの制裁を恐れ、反論なく指示に従う。
対外に媚びへつらうのが不満だったのに、対内に媚びへつらう。
大阪維新の会は、党内でも意見の食い違いもあるようで独裁的な一党政治にはなりにくいのかもしれませんが、一党政治は好ましくないなぁと。
野党も、与党の意見には何でもかんでも反対で、足を引っ張る野党ではなく、道が外れたら連れ戻せる野党としての存在感が求められているじゃないかなぁと。
そんなこんなで、この作品はもっと語るべきところがあるのですが、そこは読んでいただくとして・・・。
今回の「魔王」「呼吸」に連なる作品として、
モダンダイムスがあるそうなので、次回はそちらを読もうと思います。
Posted at 2012/06/17 21:01:12 | |
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