徒歩日本縦断の話の前に、もう少しだけ時間をさかのぼります。
時は、自転車日本縦断した高校三年生の夏休み。
毎年7月になると、この旅を思い出します。
小学生でもできるんだから高校生はできて当然と強がっていたけど・・達成できなかったらどうしよう、途中で事故ったらどうしよう・・・と、不安ばかり抱えて’93年7月14日、旅立ちました。
あれ、学校は?って思いますよね。
自分だけ特別に一週間早く夏休みにすることを許されました。しかも出席扱いで。
自分がこれから挑戦する事を理解してもらえたと思うと嬉しかったですし、粋な計らいをしてくれた先生には感謝でした。
そして、フェリーでいきなり九州へ。
実際に旅すると”案ずるより産むが易し”でした。
不安はすぐなくなり、毎日が楽しい日々。雨が多くて辛い時もあったけど、今日はどんな人と出会うんだろう?この先はどんな風景になってるんだろう?って感じで。
で、無事に宗谷岬まで走り達成しました。(道中は長くなるので省略します)
オロロンライン
国内で一番好きな道路で、ヘッダー画像がこのオロロンラインです。
稚内の北防波堤ドーム
夏はキャンプ場と化します。最近はどうなんだろう?
クッチャロ湖の夕日
(残念な事に、この旅の写真は北海道編しかありません。九州・本州編は、フィルムが空回りしててちゃんと撮れてないという大失態をおかしました)
今思うと、この旅は自分の人生の転換期でした。
この旅の前後では、物事の考え方が違うし、周囲の自分を見る目が変わりました。
そして、高校卒業後も旅を続けようと決めました。
次は、チャリダーから徒歩ダーに転向して、この自転車日本縦断を超える旅をしようと・・・
そう決めてからは、片道5㎞の自転車通学を徒歩通学に切り替えたり、旅費を稼ぐため学校行事は必ずサボってバイトしたり・・・校内では変わり者で浮いた存在になってしまいましたが・・。
でもその前に、乗り越えないといけない壁がありました。
それは、進路問題と親を説得すること。
「高校卒業後は、進学はしない。1年かけて徒歩日本一周してから就職する」
こう親に打ち明けましたが、結果は反対。当然ですね、当時はバブル崩壊直後で見通しが甘いと・・・
そんな中、急遽とある公務員の就職が決まったんですが、身内の猛反対にあい断念。
そして、叔父もこの進路問題に加わりこう言われました。
『そんなに旅がしたいのか?なら、手に職付けろ。一人前になったら、後は好きなように生きろ』と。
この一言で決断しました。
「わかりました、大工になります。でもその前に時間を下さい」と・・
(ちなみに、この叔父が親方です)
交渉の結果、半年だけ遊んでいいことになりました。
こうして、本当は徒歩日本一周がしたかったんですがそれは諦めて、半年でできる歩き旅を考えたら徒歩日本縦断になりました。
Posted at 2014/07/06 19:12:04 | |
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