
←空自のT-33A、ウィイキペディアより引用
先日、空自入間基地にF-104Jを見に行ったが、
1999年11月22日に空自入間基地のT-33Aが墜落し
2名の自衛官が殉職する事故がありましたよね。
彼ら2名は入間川河川敷に激突する直前まで、
ベイルアウト(緊急脱出)しませんでした。
乗員は中川尋史二等空佐(47)と、
門屋義廣三等空佐(48)の2名。
彼らは、入隊時、宣誓文を読み上げ、書名捺印して入隊した。
自衛官入隊時の宣誓文
“私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、
日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、
常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、
政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、
事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、
もつて国民の負託にこたえることを誓います。”
交信記録
13時38分 :基地管制塔に「マイナートラブル発生」という第一報が入る。
↑入間基地まで北東39Km、高度760mの位置を時速450Km/hで飛行中
その30秒後:「変な音がして,ちょっとオイルのにおいがしますので降ります。」
↑この時の高度は約760m
13時39分49秒:「コックピット・スモーク。リクエスト,ストレート・イン。フルストップ」
「操縦室から煙が出ている。基地の滑走路に直接飛んで行き着陸する」
13時40分14秒:「エマージェンシー!(緊急事態)」
↑この時すでにエンジンストール
13時42分14秒:中川機長より「ベイルアウト」の宣言
↑高度約360m、基地まであと4Kmの位置、
T-33Aのベイルアウトに必要な最低高度は300m
13時42分27秒:上の「ベイルアウト」宣言後、再度「ベイルアウト」の宣言
↑2名の乗員はまだ脱出していなかった。
13時42分36秒:高さ60mの送電線に接触、入間川の河川敷に墜落。
T-33が送電線と接触する直前、近所の目撃者が乗員1人の脱出を見ていたそうです。
高度約70m。後席の門屋三佐でした。門屋三佐はパラシュートが完全に開かないまま墜落し、
地面に叩きつけられ、亡くなりました。中川機長の脱出は、高圧線と接触したその瞬間だった
ようです。垂れ下がった送電線のほとんど真下に中川機長は放り出され亡くなっていました。
交信記録に残されているように、ベイルアウトの通報が2回も発せられています。
13時42分14秒に宣言した後、13秒後の13時42分27秒に2回目のベイルアウトの宣言。
何故一回目のベイルアウトで脱出しなかったのか。
空自パイロットの証言がネットにあります。(コピペします)
2回のベイルアウト通報、空自のパイロットであれば誰でも理解できることだそうです。
そのパイロットによると、1回目はベイルアウトでしか回避できない状況を報告したに過ぎない。
そして、最後の瞬間に僅かでも時間があれば本当にベイルアウトします、とのこと。
その理由を聞かれると、そのパイロットは『今ベイルアウトしても助かることはないと分かっていても、
作動させないと脱出装置を整備した整備員に要らぬ心配をかけることになりますから』
もし住宅密集地の上空でエマージェンシーに遭遇したら、どうするのかとの質問に対する
パイロット氏の答え、
『被害を最小限にとどめるため、最後まで操縦を続ける覚悟はあります』と言い切った上で、
『ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。そうしないと、
脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから』とのことでした。
彼ら2名は、宣誓したように「
事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、
もつて国民の負託にこたえる」事を自己を犠牲にして完遂したんでしょうね。
彼らはエンジンがストールした機体を、被害を最小限にとどめるべく最後まで操縦桿を握り続け、
そして結果としての絶望的な高度でのベイルアウト、かれらは極限的な状況の下で、
整備士のことまでをも思いかばった。
彼ら自衛官に付託された責任感は重い、とても重い。
そして今、原発で、さらにより広範な被災地で彼らに国民は守られている。
自衛隊機墜落
「人間を矮小化してはならぬ。」狭山ヶ丘高等学校学校長・小川義男先生
↑リンク切れのため下記に・・・
人間を矮小化してはならない
↓約22分の動画です。
【ニコニコ動画】【軍事】世界の軍用機-検証!戦闘機緊急脱出システム
Posted at 2011/04/22 20:18:54 | |
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