
←ジェームズ・グレイナー著「風に賭ける」
アラスカの山岳飛行士ドン・シェルドンの生涯
昭和50年(1975)11月1日発行、初版
ドン・シェルドン、ブッシュパイロット、植村直巳氏の1970年のマッキンリー登頂の際にベースキャンプまでの荷の運搬は氏の手によった。
「風に賭ける」の中に”五輪の小さな花”という章がある、植村直巳氏の登頂から2年後の1972年の日本からの登山隊、それはエベレストへの試金石としての女性5人組みの登山隊だった。
「彼女等はまるで小さなかよわい人形だった。周りにおしゃべりと笑いを振りまいている様は、さながら野に咲く花でも見ている感じだったけど、誤解してはいけないよ、彼女等は文字どおり本物のスポーツマンだったんだぜ。まず強く心を打たれたのは、真底から幸福そうなその様子だったと思う。体重はせいぜい90ポンドといったところだったろう。たとえリレー輸送したとしても、自分の目方とおなじぐらいの荷を背負うことになるんだろうという計算は、別に数学の天才でなくったってすぐに判ることさ」
しかしドンは彼女らが選んだ登攀ルートに不安を感じた。深い雪の中、そして長大な登攀と厳しい寒さ、その危惧は現実となってしまった。雪上に救助の文字を書き、動けない仲間をテントに残し、一人で救助要請に下降。
ベースキャンプまで下降しドンに連絡、救助される。そしてそのまま機上からの仲間の捜索、ドンは気丈なこのクライマーに驚嘆する。機上から雪上に書かれた救助の文字を見るドン、しかしそこには着陸できない。
捜索活動にドンは自宅と事務所を登山隊長の関口美智子に提供した。
「報道陣がわっと押しかけてきた。ミチコは電話で話している時間の方が多いくらいだった。いろんな所から電話がくるんだ。半ダースもの新聞社の記者連中だとか、クライマー達の親類や親しい人達だとか、日本領事館とかいった辺りからだ。会話の様子がどうも気になったんだが、私もロバータもすっかりこの気の毒な女性に同情してしまったなあ」
美智子は捜索経費とモラルの面でがんじがらめになっていた。領事館からは捜索経費の全額負担を申しいれられていた、そんな美智子をみていたドンは「何とかして美智子のために彼女の仲間を探してあげたい」という思いが頭の中から離れなかった。
北海道から渡辺幸子の夫が突然タルキートナーに来る。彼は来る日も来る日もドンの格納庫と事務所との間を歩いては北西の空を見上げて行方知れぬ妻の報せを待っていた。
そんな彼の姿を見ていた捜索隊に加わったレイ・ジュネ。
「ワタナベの歩きまわっている様はほんとに悲しい眺めだった。そこで言ったんだ。『そうだ、ほんとうによく見ようと思うんならヘリコプターが一番だぞ』私は日本領事館に電話して、ヘリコプター用の料金を支払ってくれるかね、と訊いてみた」
そしてレイは飛行時間7時間の回答を得ることができた。
ヘリ捜索の効果は得られた、それは飛行制限時間の30分前、サウスウェスト・バットレス稜線下でついに発見。
この日本人女性達がこの山を登るだけの経験を持っていたかと考えるか、と訊かれたとき、ジュネの簡潔な答えには叡智の閃きが溢れていた。
「経験とは一体何だね。山の中では、人は常に学びとるだけなのさ」
ドンは言う。
「彼女達が頂上に着いたのは確実だね。例えば、時計は墜落のショックで九時を指して止まっていた。ジュネの話だと、19000フィートの地点に踏み跡があったそうだ。まず私は、登頂しなかった、という方には断じて賭けないね」
そして、
ドンは妻のロバータと語らって、かなりの額にのぼるフライトの費用をほとんど帳消しにしてしまった。それで関口美智子という小柄な黒い瞳の友人が、打ち砕かれた夢を再び抱くことのできる日を迎えらる足しにでもなればという願いをこめたのであった。
という言葉でこの章は結ばれている。
・・・
日本にはヘリによる山岳救助のパイオニア、東邦航空の篠原秋彦氏がいた。だれも真似する事のできない的確な捜索、そして独自の救助方法(法に背いた救助方法)。氏の事故を聞いた時、にわかに信じられなかった、今でも「何で彼が」と心にのしかかる。
氏は鹿島槍での救助活動中に殉職されてしまった、54歳。(2002/1/6)殉職という言葉では無く、殉教者のように思えてならない、それほど一途に尽くされていた。ドン・シェルドンは53歳で癌で亡くなられた(1975/1/26)
全力を尽くせば、人は全力で助けに向かう。
【レスキュー 『篠原 秋彦の軌跡』1_6】
【レスキュー 『篠原 秋彦の軌跡』2_6】
【レスキュー 『篠原 秋彦の軌跡』3_6】
【レスキュー 『篠原 秋彦の軌跡』4_6】
【レスキュー 『篠原 秋彦の軌跡』5_6】
【レスキュー 『篠原 秋彦の軌跡』6_6】
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上の動画の中で高橋和之氏が登場するけど、氏はエンドロールに出てくる
㈱ヘリテイジの社長。救難救助用具製作にも尽力をされています。
カモシカスポーツも同じ。
(私の使っているテント、ここのテント。以前はサレワの初代カマボコ型、通称カマ天)
同じく、エンドロールに出てくる
「ハチプロダクション」、美しい映像!穂高岳山荘の小屋番もされています、
ブログ「ぼちぼちいこか」上のブログに美しい穂高の写真や遭難救助の様子(2012/05)が書かれています、是非一読を!7月のブログに岳沢から穂高に向かった単独行の人がいたそうだけど、こうもり傘をピッケル代わりなんて無茶!
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映画「アイガー北壁」を見て、昔の本を引っ張りだそうと思ったらこの本が目に付いたこの「アイガー北壁」、本で読み頭の中で描いていたシーンと同じ情景が描き出される忠実に映像化したんだろうと思う、後日この映画の感想をかきたいなと思う
※
ちょっと長くなるけど2chからコピペ、「消防・防災ヘリコプター関係者の皆さん」から
254 : NASAしさん : 02/01/07 02:18
6日午後0時半ごろ、長野県大町市の北アルプス・鹿島槍ケ岳(標高2889メートル)の
一ノ沢ノ頭(標高約2000メートル)付近で、救助ヘリコプターからロープで現場に降りて
遭難者4人を救助していたトーホーエアーレスキュー社長が、救助作業中に姿が見えなく
なった。約30分後、約10メートル離れた場所に倒れているのが見つかり、
同市内の病院に運ばれたが、全身を強く打っておりまもなく死亡した。
255 : NASAしさん : 02/01/07 02:23
県警、防災の皆さん。
あなた達は、亡くなった篠さんを
越えることが出来ますか?
篠原さん、お疲れさまでした。
合掌。
256 : NASAしさん : 02/01/07 02:40
デブデブの機体に隊員ゾロゾロ乗ってるうちは無理でしょう。
篠さんの影響が如何に大きいか、これからわかるはず。
ありがとう篠原さん。さようなら。
258 : NASAしさん : 02/01/07 13:55
長野防災は存在意義を問い直されるだろうね。
当の隊員達が一番痛感してるだろうけど。
上等な装備たっぷり、訓練ばっちりのはずの防災が行けなくて
(まあヘリ的には装備たっぷりがいかんのだが)
民間のショボイ単発機が何故行ける?
と納税者に小1時間問いつめられても仕方あるまい。
261 : NASAしさん : 02/01/07 22:14
登山者は帰るのは春になるかも知れない。って事を充分理解してから山に登ってくれ。
何があっても助けを呼ばないでくれ。
助けに行くほうが遭難することもあるんだ。都合のいい事言わないでくれ。
262 : 大町市民 : 02/01/07 23:01
長野県の防災って格納庫、一番奥に有るんですよね。
あんな所で緊急の時、30分以上のんびりと出動する気なんですか。
県は、何を考えてるんだ。
篠原さんの最後のボイス聴いてたけど遭難者が荷物捨ててれば、
篠原さんも救護ネットに乗れたはずですよ。
これからは、民間の救助隊員から犠牲者を出さないよう防災が
死ぬ気で飛ばないと。
270 : NASAしさん : 02/01/10 22:13
篠原さんに憧れていました。
公が出来ないことを民がやる。
私なりに、長野はバランスのとれたところだと思っていました。
でも、慣れとか優しさが今回のことを・・・
官僚に言いたい。
公ヘリをもっと飛ばせろ。
自分の山を知らずして、なにができる。
くだらない、行事と称して、関係機関へのごますりはやめろ。
金はそこから、作られるかもしれないが、
いい頭をもっとはたらかして、飛ばせろ。
東邦のすごいところは、自分の山を熟知したクルーと
篠原さんの情熱。
どちらも、かけたら、救助はできない。
今度は公ががんばる番。
ひとつの死がおおきなきっかけになりますように。