
朝日新聞記者の本田勝一の取材?による連載記事「中国の旅」、ここから『無かった』南京事件が始まりましたよね、同じ朝日新聞が焚き付けた従軍慰安婦とおなじようにね。そしてその「中国の旅」を受け、総評が中国に「建設資金を提供するから記念館を作れよ」と焚き付け、設計は日本人、建設費用は全て総評が集めた寄付で南京大虐殺記念館が出来ましたよね。
「中国の旅」、中国政府が用意した中国人に語らせそれを検証も無いままに記事にした。その記事の疑問を本田勝一にぶつけると彼は「中国側が言った事をそのまま記事にしたまでだ、中国に疑問をぶつけたら」と、そして「問題があるとすれば中国自体ではありませんか」と。
沖縄タイムズが「鉄の暴風」を取材・出版した経緯と全く同じ。「鉄の暴風」、沖縄タイムズはGHQが用意した証言者をGHQが用意した交通手段で取材し、原稿は全てGHQの検閲を受けた。沖縄タイムズが独自に取材し編集した訳では無い、そして印刷は朝日新聞。
iRONNAにこのような記事がある『
本多勝一「中国の旅」はなぜ取り消さない』。この記事の中で本田勝一が書いた日本兵の残虐行為、1879年に中国の李圭が書いた「思痛記」に記述されている残虐行為と同じだと明確に指摘している。
最前線の背後から最前線の兵を監視し、もし前線から逃亡でもすれば即座に自軍である兵を射殺する督戦隊がいた中国軍。中国帰還者連絡会の方々はこの事については沈黙を守っているが中帰連に関係ない方々はトーチカに縛り付けられている兵について戦記で書かれている、「かわいそうであった」と。
南京に入場した日本軍、累々と横たわる遺体を目にしたと種々の記録に書かれている。この遺体こそ督戦隊に射殺された中国兵。蒋介石はアイシャルリターンと言って傷病兵を置き去りにして上層部だけ先に撤退したマッカーサーと同じく敵前逃亡していた。
南京事件、多くの記者や欧米の人々が「そこにいた」のに何故一枚も写真が残されていないんだろうか、不思議だ。南京大虐殺記念館の写真、東中野教授が全ての写真の出所を明らかにし、一枚も南京の写真が無かった事を明らかにした事を論破できるのかな。
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中国の五つ星ホテル「温嶺九龍国際大飯店」がアパホテルの対抗として「ラーベの日記」を客室に置くと朝日新聞が嬉々として報道していた。『
アパに対抗? 中国のホテル、客室に南京事件記録した本』。
・・・引用ここから
ラーベ氏の記録は中国国内で評価が高く、2014年に習近平(シーチンピン)国家主席がベルリンで講演した際も「中国でとりわけ愛され、尊敬されているドイツ人」と述べた。
・・・引用ここまで
みなさんご存じのように「ラーベの日記」はラーベが目撃した内容では無い、すべて伝聞を日記形式にしたもの。朝日新聞さん、記事には書いていないけどよもやそんな事は知らないとは言わないですよね。
進軍した日本軍、村々が焼かれ、村人が殺されていたのを見た、ラーベも誰かから聞いたのかその事は記述している。しかし中国、日本軍が焼き払ったと言う、三光作戦という作戦名の作戦で焼き払い、殺戮し、略奪したと。
中国の五つ星ホテル、キンペイの贅沢禁止令で稼働率は採算ギリギリの60%。空室に置かれるのかな「ラーベの日記」。五つ星ホテルと言っても各国で認定基準が違うので当然欧米の五つ星と中国の五つ星は格が違う。
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朝日新聞や中国が言っている南京事件の翌年の1938年、蒋介石の命令による黄河決壊事件が発生しましたよね。中国国民党が日本軍からの追撃を食い止めるために黄河を決壊させた。水死者100万人。
日本軍はどうしたか、日本軍は即座に農民の救助と堤防の復旧に全力を注いだ。農民の救助中も国民党は救助作業と、さらに住民と共に行っていた堤防の復旧作業を軍事攻撃で妨害した。この時中国側は「日本軍が堤防を決壊させた」と事実と違う虚偽を世界に伝えた。
↓日本軍が救助した中国農民。(Wikiから)
黄河決壊事件のWiki中の「河南旱魃と民衆の離反」の項にはこのような事が書かれている。
・・・引用ここから
作家の劉震雲によれば、1942年から1943年にかけて河南省では水旱蝗湯(すいかんこうとう)と呼ばれる水害、旱魃、イナゴの発生(蝗害)、及び湯恩伯による重税により、300万人あまりが餓死した(オドリック・ウーによれば死者300万人、土地を捨てた者300万人、救援を待つ飢えた人々は1,500万人を数え、河南の西部、南部、東部の順に伝染病の被害があったことも指摘している)。この状態が続けば河南省は全滅していたが、1943年の冬から1944年の春までの間に日本人が河南の被災地区に入り、軍糧を放出して多くの人々の命を救った(ウーによれば飢饉の数年間、日本側は各地の食糧倉庫から食糧を放出し、飢えた人々に食糧を調達していた)。そのため、河南省の人々は日本軍を支持し、日本軍のために道案内、日本軍側前線に対する後方支援、担架の担ぎ手を引き受けるのみならず、軍隊に入り日本軍による中国軍の武装解除を助けるなどした者の数は数え切れないほどだった。
1944年春、日本軍は河南省の掃討を決定した(一号作戦)。そのための兵力は約6万人であった。この時、河南戦区の蒋鼎文司令官は河南省の主席とともに農民から彼らの生産手段である耕牛さえ徴発して運送手段に充てることを強行し始めた。これは農民に耐え難いことであった。農民は猟銃、青龍刀、鉄の鍬で自らを武装すると兵士の武器を取り上げはじめ、最後には中隊ごと次々と軍隊の武装を解除させるまでに発展した。推定では、河南の戦闘において数週間の内に約5万人の中国兵士が自らの同胞に武装解除させられた。すべての農村において武装暴動が起きていた。日本軍に敗れた中国兵がいたるところで民衆によって襲撃、惨殺、あるいは掠奪され、武器は勿論、衣服までも剥ぎ取られた。3週間以内で日本軍はすべての目標を占領し、南方への鉄道も日本軍の手に落ちた。この結果、30万の中国軍は全滅した。
・・・引用ここまで
中国共産党の言う「残虐な日本兵」、どこにその姿がある?
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2017年1月11日のしんぶん赤旗の記事「
2017焦点・論点 「ポスト真実」にどう向き合うか」。
・・・引用ここから
日本でも首相が福島第1原発の状況を「統御(アンダーコントロール)されている」といったり、防衛大臣が南スーダンの首都は「治安が落ち着いている」とのべたりしています。
こうした事実に基づかない主張がまかりとおることが社会で起きています。これはインターネットの文化と深くかかわる問題で、一部の国でなく世界で見られます。政治的立場の左右を問わない、社会的な風潮として考えるべき問題です。政治の場合、それを「ポスト真実の政治」と呼んで問題点を考えることが増えてきました。
・・・引用ここまで
事実を伝えないのはあなた方の専売特許ですよね、南京事件・従軍慰安婦、あなた方はどう伝えている。事実を隠蔽し感情論とレッテル貼りで攻撃するだけ。この記事、当世風の言葉で言うと正にブーメラン。
『ポスト真実の政治、事実に基づかない政治(英:post-factual politics)とは、政策の詳細や客観的な事実より個人的信条や感情へのアピール(英語版)が重視され、世論が形成される政治文化である。』←Wikiから引用
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スッキリ!! 01月19日 170119
スッキリ!! 17 01 19
スッキリ!! 01月19日 170119
宇野常寛の歴史的観点にネット大炎上!アパホテル客室「南京事件は虚構」本に中国反発、という報道を受けて。
↑アパホテルは10:54まで、宇野が出てくるのは9:40から。
宇野常寛の言う歴史修正主義、彼のこの言葉の定義を是非聞きたい。歴史とは修正されて当たり前の事、事実が発見されればその事実で解釈する。その歴史感を中傷する為に「修正主義」のレッテルを貼るのであれば宇野こそ歴史修正主義者そのもの。
宇野よ、文化交流云々と吠えているけど中国からの国費(日本の国費ね)留学生は何人いるかしっているのか?試験料・入学金・授業料は日本持ち、さらに小遣いを支給し帰省する費用も日本の国費で負担している。平成26年のデータによると、外国人の国費留学生、中国人は
51.3%・94,399人、韓国人は
8.6%・15,777人、これだけの人数の留学生を日本の税金で丸抱えしている。
ちなみに毎月日本政府から支給されている返還の必要のない生活費。
学士課程:¥117,000
修士課程:¥147,000
博士課程:¥148,000
日本のリベラリストの方々、大いに騒いでほしい。その事によって事実が周知されるからね。駐韓大使召還がどれほど日本国民に支持されているかをリベラリストの方々は想像だにしなかったんでしょうね、それが今回彼らを沈黙させているんでしょうね。
2018年11月18日追記
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2017年1月23日追記。
鈴木史朗氏「南京大虐殺などあり得ない」 【実体験】
鈴木アナウンサーの南京大虐殺の嘘を語る
2018/3/24追記
上記留学生人数、留学生総数を記載してしまいました。受給人数は後日訂正します。
2018年11月18日追記
上記件、城之内みなさんのツイートを引用させて頂きました。
Posted at 2017/01/21 08:05:03 | |
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