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イイね!
2018年10月23日

これも レーサーレプリカ?

これも レーサーレプリカ? バイクには「レーサーレプリカ」なるジャンルがあります。

80年代に吹き荒れた、空前のバイクブーム。

とにかく売れまくったバイクは、この時期、飛躍的に進化していきました。

1982年、カウルが解禁されると、性能は一気にエスカレート。

次第にデザインは、レーサーに近づいていきました。


そんなレーサーレプリカ、進化の度合いは激しさを増す一方で。

中には、レーサーにライト、メーター等の保安部品を付けたもの。

そんな趣のものも、見受けられました。

例えば、コイツとか。





ホンダ NSR250R



当時私は、RZ250R(RRのカウルレス)に乗ってました。

この初代NSRには、少し乗ったことがあります。

馬力はどちらも45psなのですが・・・

パワー感が、全く違います。

イメージ、RZの5割増くらい?

しかもパワーバンドが、ない!

アクセル開ければ、どっからでも強烈な縦Gが出ます。

私にとっては楽しさを通り越し、恐怖すら感じさせるものでした。

でもNSRの伝説は、これが序章。

この次に、とんでもないモンスターが誕生します。






この青白、「テラカラー」と言って分かる方は、もう少ないのかな?

ちなみに、これには乗ったことがありません。






で、私のYSR80。

これも広義でレーサーレプリカの範疇に入れてよいかと。

前述の様に、ベースはレーサーではありません。

あくまでイメージのベースは、これです。





YZR500



ヤマハのワークスレーサーです。

YSRは、元々が50cc。

このYZR500から、排気量のゼロを1つ取って・・・

車名の「Z」を180度ひっくり返すと・・・・はい、出来上がり!


中味は、全くあやかっていません。

当時でも既に旧型だった、RX50用空冷エンジンを流用。

外観はフルカウルをまとった12インチタイヤの、なんちゃってレーサーレプリカでした。


果たしてこれも、同じ範疇に入れてもいいのか。

先日ホンダ コレクションホールで、これと対面しました。

当時欲しかったんですよね。





DJ・1R F1 ウィニング スペシャル



当時、私もDJ・1に乗ってました。

サムネイル写真、一番右の白です。

それまで乗っていたヤマハRX50を、中免所得を目指す友人に練習用に譲り。

別の友人から、DJ・1を購入しました。

同じDJ・1でも、こちらは限定車。

中古車市場でも、なかなか見られなかったでしたねぇ。


これも、「レーサーレプリカ」と呼んでいいのか?

YSRよりも、立ち位置は遠いのですが。

デザインの元は、これでした。






ウィリアムズ ホンダ FW11


1986年、ホンダF1第2期にて、初のコンストラクターズチャンピオンを獲得したマシンです。

当時のメインスポンサーは、キャノン。

それと共に採用されたこのカラーが、カッコ良かったですね。





ちゃんと、キャノンのロゴも入っています。

でもスクーターだと、ちょっと見づらくなりますね。





フロント周りには、記念モデルを表すものがついています。





1986年、コンストラクターズチャンピオンのステッカーです。


元ネタはF1ですが、うまくそのイメージをスクーターに活かせているなぁと、関心させられるデザインです。

このカラー、今やってもカッコいいのでは?

でも、これがキャノンカラーだと分かる人は、もう少ないでしょうねぇ。






CMでお馴染みのこの曲、「DJ in My Life」

ソニーの「Overnight Success」と並んで、日本でだけ有名な洋楽です。


あっ、今調べていてわかりました。

この2曲、作詞作曲者が同じ人だった!
ブログ一覧 | ホンダ | 日記
Posted at 2018/10/23 10:05:35

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この記事へのコメント

2018年10月23日 10:26
うう、懐かしいバイクの名前が…
病気再発しそうです‼

この頃は、世の中すべてがイケイケでしたね。規制で45馬力との表示のくせに、実質は60馬力くらい出ちゃう250CCとか…(汗)
記事でも書かれているように、ホンダのバイクは2stでも低速から力があって誰にでも乗れるイメージでした。
オイラ、バイクはアンチHONDAなんですが、その辺りが理由。優等生過ぎて面白くなかったんです。
対極にいたのはSUZUKI。これは無理だと思ったもんです。

最後に。
レ、レッドファイブ( ̄□ ̄;)!!
たまらん‼
YouTubeで検索しちゃおう(笑)
コメントへの返答
2018年10月23日 12:39
こんにちは。
コメントありがとうございます。

ほんと、勢いがある時代でした。
その代わり、モデルチェンジも早く・・・
わずか1年でフルチェンジ! というのも少なくありませんでした。

そのあたりは堅実なイメージのあった、カワサキ。
Z400GPがGPz400になり・・・
あっというまに、GPz400Fと。
「カワサキよ、お前もか」と、軽く裏切られた気分になりました。

ホンダは、MVX250Fも乗ったことがあります。
パワー特性は、NSR250Rと同じ。
4ストみたいで、明確なパワーバンドがないです。
ヤマハ パラ2の感覚で、タコメーターを見ずに全開加速をすると、オーバーレブしそうになります。
2018年10月23日 11:23
DJ in My LifeもOvernight Successもβデモテープで持ってる。
ついでにβMax900mark2と3000もまだ使えるし。

共に1984年秋口EPIC SONYのデモで宣伝してましたよ。
てか・・・当時懸賞が当たりそこのレコード会社へ出向いたから。

テリーデサリオが「Overnight Success」を・・・アメリカンダンスブーム後半でしたね?

PS.
DJ-1・・・打倒・JOG No.1がキャッチフレーズで販売して記憶が・・・・
コメントへの返答
2018年10月23日 12:44
こんにちは。
コメントありがとうございます。

「DJ in My Life」は、このCMのタイアップ曲でしたよね。
なので、海外で発売していたのかが、ちょっと不明です。
実質邦楽と同じ扱いの様な、気もしています。

DJ・1
表向きは「Dolphin Jump No1」と、メーカーでは言ってましたが。
本音は、きっとそちらですよね。

なにせJOGは、HY戦争に敗れたヤマハを救ったモデルですから。
2018年10月23日 12:48
こんにちは
あの頃はネコも杓子もっていう感じで異常でしたね。けど、その恩恵なのか、技術がかなり進歩したようにも思えました。
自分は下手なんで、当時はSR400かCB250RSに乗ってたかな。レプリカなんてとてもとても。フェアリングの恩恵を受けたのは極最近、ZX11にのってからです。手放しちゃいましたけど。
 ところでレプリカ、ヘルメットにもありましたね。画像のF1に乗ってた方の大ファンでアライのレプリカ買っちゃいました。(廉価版しか手がでなかったけど)メットだけレプリカでした。
 
コメントへの返答
2018年10月23日 13:32
こんにちは。
コメントありがとうございます。

私も、ワクワクしながら見ていましたね。
まだ就職前で、渦中にはいなかったので。

思えば私も、ハーフカウルとかメーターバイザー付きが多かったです。

GPz400FとかCBR250Fourとか、FZ250 PHAZERとか・・・

そういえば4ストシングルは、今のジェンマが初です。

人生生きているうちには、SRに行っとくべきかなぁ、と思っています。
SRXは、もう少しで買いそうになりましたが。

レプリカヘルメット、かなり多かったですね。
スペンサーとかガードナーとか、平とか。

私の友人も、ジェンマ50で平レプリカでした。
2018年10月23日 13:32
1982年と言えば、オイラは二十歳
専門学校の2年で生活の足はスズキ ユーディーミニだったにゃ(^^)
オイラの周囲で2輪免許を持ってる連中はRZ350派が大勢を占め、少数の限定解除持ちがGSR750カタナに流れる図式になっていたにゃ。
当時は刀狩りが横行して、GSR派は夜専門で走っていたり(笑)
オイラは付帯免許の原チャしか乗れなかったけど、パッソルより速かったユーディーミニをスカッシュに ごぼう抜きされた衝撃は大きかったにゃ(^_^;)
その時の衝撃は後々まで続き、10年後に走行5kmのスカッシュを手に入れ、現在も保管しているにゃ♪

レプリカに全く関係なくてご免なさいにゃ(^_^;)
コメントへの返答
2018年10月23日 15:42
こんにちは。
コメントありがとうございます。

中免組はRZ350なんですね。
私の周りでは、250ccなら2スト、それ以上は4ストという感じでした。
速さなら2スト350ccなのですが。

RZ350には、吸排気いじったのに1度乗りました。
パワーバンド以下では250より遅いのですが、ひとたび5000rpmを越えると、涙が後ろへ流れる加速をします。

パッソルも乗りました。確かフルスケール45km/hだったのですが、それで十分足りてましたね。
スカッシュは、そんな希少状態で保管されていたのですね。
公道復帰させるのは、ちょっともったいないかも。
2018年10月23日 13:38
うろ覚えな書き込みしたような・・・(^_^;)

カタナはGSRで良かったですか?
GSXだったかな??

あれっ???訳解んなくなったにゃ(爆)
コメントへの返答
2018年10月23日 15:46
カタナは、GSX750Sになります。
その後出たのが、レーサーレプリカのGSX750Rでした。
GSRは、最近まで販売されていたネイキッドモデルになります。
2018年10月23日 19:21
私はヤマハのチャンプ・スペシャルに乗ってました。
もちろんTECH21カラーです。そのせいでTECH21カラーのブルゾンやらグローブやら、色々買いましたっけ。

コメントへの返答
2018年10月23日 21:00
こんばんは。
コメントありがとうございます。

チャンプといえば、YSRと同年代のモデルですね。
ということは、赤白ストロボカラー・・・ではなく、限定のTECH21カラーでしたか!

あのライトブルーは、新鮮でしたね。
YSRにもTECH21カラーありましたし。

鈴鹿8耐での、TECH21 YZF750。
悲願の初優勝は、TECH21カラーでしたね。
2018年10月24日 23:40
私の栄光のイタリアンレッドのじょんま号は3速オートマということもあり出だしはめっちゃ遅いですが、最高速はウィリアムズホンダのベース車であるDJ1よりも速く、最終的にはじょんま号が抜き去ってました。まるでマイケル・ディレーニーがエリック・スターラーを追いかけるように(笑)
コメントへの返答
2018年10月25日 0:34
こんばんは。
コメントありがとうございます。

私にとっての、忌まわしい記憶。
あっ、そういえば、まだディオじゃなかったですね。

5.5psを誇るDJ・1Rが、僅か3.5psのジェンマに最高速で負けるとは・・・

DJ・1はピッタリ60km/hで加速が止まりますが、ジェンマは65km/hくらい?

抜かれたとはいえ、すぐに引き離されてはいないので、もしかすると、5km/hも差がなかったかも。

コースも土手上で平坦だったのが、敗因でしたね。
ほんの僅かでも上り坂になっていれば、屈辱的な思いはせずに済んだのに。

ジェンマはイタリアンレッドなので、スターラーってことでいいのかな?

プロフィール

「@大都会パート12 さん ありがとうございます。
すみません、返事が遅くなりました。無事オフ会は終了して、帰路の途中です。残りは400km、月曜中に着けば良いので、のんびり帰ります。」
何シテル?   04/28 20:17
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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