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くまとっどのブログ一覧

2021年07月07日 イイね!

愛車遍歴 No1 <史上最弱>

愛車遍歴 No1 &lt;史上最弱&gt;1986年~1987年まで乗っていました。

晴れて免許を取得し、公道デビューを果たした、私。

その第一歩を共に歩む事になったのは、父の元愛車、スカイライン ジャパン 1800 Ti-Lです。

駐車場で少し動かした事しかなかった、スカT。

今度は実際に公道を走らせる事が出来ます。

それまで運転した事のあるクルマは、「0番目の愛車」たる教習車だったこのクルマ。





マツダ カペラ


3代目、最後のFRモデルで、異形ヘッドライトの後期型でした。

路上教習の頃には、4代目FFモデルとちょうど入れ替えの時期。

でもFFはあまり乗る機会もなくて、専らお世話になっていたのは、こっちのFRの方でした。

この3代目カペラ、スカTと比べると、FR, 1800cc、ボディサイズと似た様な部分が多いんです。

なので、3代目カペラと比較しながら、スカTを見ていきます。






動力性能は、スカTの方が遅いです(キッパリ)。

LPG仕様だったカペラと比べて、どう贔屓目にみても遅いです。

それはやはり、51年規制のNAPSだったからでしょうね。

この後に出たDR30ターボが「史上最強のスカイライン」ならば、うちのスカTは間違いなく「史上最弱のスカイライン」だったでしょう。

エンジンはL18S。

1800cc OHCのキャブ仕様で、105ps。

これがインジェクションだったら、まだ救い様もあったでしょうね。

遅さの要因は、パワー感もさることながら、そのレスポンスの鈍さ。

アクセルとタコメータが、全然合っていません。

無理に引っ張ってみたところで、ただ苦しそうなだけで、全然速くはありません。

元々は排ガス規制を考慮していない時代に生まれた、L18S。

後付けした触媒やらEGRやらで、走りよりも規制クリアを最優先させていたのでしょう。

サイドブレーキ戻し忘れたかな? そんな感じの加速です。

やはり、そんなL18では厳しかったのでしょう。

デビュー僅か1年で、Z18エンジンに変更されました。

ちなみにジャパンの形式は「C210」。

後期型の「C211」は、GTの異形角目化からだと思っていました。

ですが、さにあらず。

前期型誕生の1年後、53年排ガス規制クリア車から「C211」となったそうです。

GTは丸目4灯のまま、TIはZエンジンになってからです。

当時の日産車、こういう外観変更なしでも排ガス規制対応すると、形式が変更されるケースがあったんです。

この話、実はみん友さんのブログで知りました。

うちのL18エンジン搭載のスカTは、ある意味希少モデルと言えなくもないです。
(希少だけどプレミアムではないです)






スカTで、もうひとつ印象的だったのは、ハンドルの重さ。

使用タイヤは、165SR13。

今だと軽自動車が使う様なサイズです。

パワステが非装着なのは、おそらくカペラと同じ。

でも操舵力が全然違います。

スカTの方が、重いです、それも異常な程に。

それがどのくらいだったのか。

次にワンダーシビック Siを購入したのですが、これはノンパワステ車。

スカTから乗り換えた時、てっきりパワステ付きだと思いました。

1600ccとは言え、185タイヤを履くFFノンパワステ車が、パワステ付きに思えるなんて・・・。

またある時は、免許を取ったばかりの弟が、車庫入れ時にステアリング操作が追い付かず断念。

以降、彼は2度とスカTのステアリングを握る事はありませんでした。

そのくらい、スカTの操舵力は、尋常ではなかったのです。






スカTに乗っていたのは、専門学校時代。

週末くらいしか乗る機会はありません。

でも、あんまりお金がなかったので、基本はバイク。

なので、実はそんなに距離を乗っていません。

片道100km越えって、ほとんどなかったかも。

とにかく遅いので、積極的に乗っていなかった事も、少なからずありました。

第一印象が良くなかった、スカT。

実際に乗り始めても、劇的に印象が良くなったりはしませんでした。

当時からクルマは、いじり系ではなく走らせ系(速くよりも遠く系)。

もしスカTじゃなければ、もっと積極的に出掛けていたかも。

そんな風にさえも、正直思っていましたね。

でも、今のスカイライン好きの原点は、このスカT。

多分、乗っている時は欠点ばかり気になっていたけど、乗り換えてから初めてわかった良さみたいのが、きっとあったんだと思います。

それは今も声高に言っている、キャスターアクション。

この後乗り換えたワンダーシビックは、とにかく希薄なステアフィールが気になっていました。

オーバーアシストを嫌ってノンパワステにしたものの、それでもなんか頼りない接地感。

しっかりとした接地感は、タイヤではなくアライメントで作り出している。

ワンダーシビックに乗り換えて、初めて気付きました。

結局未だに、クルマの評価をここでしているのは、スカTの影響なんでしょう。






右も左も分からず、初めて乗ったスカT。

初心者には遅いという印象しか残らず、それ以外は見えていませんでした。

だから、クルマを乗り継いで段々分かってきた時に、改めてスカイラインを体験したい。

そう思う様になったんですね。

それがかなり無理して買った、ER34へと繋がったんです。

ER34に乗ってから、スカTの良さが改めて分かってきたんだと思います。

1年程乗った所で、迎えた車検。

当時は車齢10年を越えると、毎年車検となります。

また就職先も他車系列会社だったので、日産車は通勤NG。

父の形見と言えなくもないのですが、乗り換える事にしました。





これは桐生のクラシックカーイベントで見つけたカタログです。

ジャパン前期のTI、しかも最初期L型エンジン仕様です。

「私が買わねば、誰が買う」そんな使命感から、購入した次第です。

子供時代、免許取得後と、実はあんまり印象の良くなかった、スカT。

それが後年、もの凄く影響される事になるなんて、全く思いもよりませんでした。

もし今、スカTに今逢ったら、どう思うんだろう?

最初は仲良く出来なかったので、なんか悪い事しななぁ、って思うのかな。
Posted at 2021/07/07 10:29:59 | コメント(3) | トラックバック(0) | 愛車遍歴 | 日記
2021年03月05日 イイね!

私の愛車遍歴 No ゼロ <父のクルマ>

私の愛車遍歴 No ゼロ <父のクルマ>昨年、義父より引き継いだアクティトラックが、22台目の愛車となります。

おそらく、もうこれで終わりなんじゃないかと。

そんな思いもありますので、忘れないうちに一度まとめておこうと思います。



私の最初のクルマは、父の最後のクルマ。

なので免許取得前には、既にうちにありました。

自分の愛車遍歴の前に、導入編として「父の愛車」から紹介していきます。






父の最後のクルマは、スカイライン ジャパン 1800 TIでした。

その前に乗っていたのは、初代パルサーの4ドア。

さらにその前、わが家最初の愛車は、ファミリア ロータリー セダンでした。

ファミリアが来たのは、小学校の初め頃。

オイルショック&排ガス規制が、真っ只中 の時でした。

スポーツカーと言えども、軒並み牙を抜かれてパワーダウン。

そんな中、未対策10Aロータリーパワーは無敵だったと、父が豪語していたのをよく覚えています。

ただその代償も大きく、燃費は3~5km/lLくらい。

あとエアコンもなかったですし、初期ロータリーなのでトラブルもボチボチ。

そこで1978年、これに買い換えました。





当時出たばかりの初代パルサーです。

その頃、私は小学校高学年。

7年後に免許を取ったら、たぶんパルサーが最初のクルマになるんだろうなぁ。

そんな風に思っていました。

日曜日には洗車を手伝ったり、ちょっとした外出でも乗せてもらったり。

もうこの頃は「ドライバー」も読んでいたので、アルミはアレでタイヤはコレで・・なんて妄想してましたね。



それが確か2回目の車検近くだった、ある夜。

父が帰宅するなり、ボソッと「クルマ、買い換えた」と。

普通だったら「新しいクルマが来る!」と嬉しくなるのでしょう。

ですが私は、それよりも「パルサーがいなくなる」方がショックで・・・

その夜は、ほんと泣きました。

翌日、冷静になったところで、改めて父から話を聞いたんです。

買ったのは 1977年式のスカイライン 4ドア 1800 だそうで。


あっ、ケンメリの後期型なんだ。

ケンメリなら多少不便でも、やっぱりハードトップだよなぁ。

それにGTじゃなくて、4気筒のスポーティ系なんだ。

しかも1年古くなってるじゃん。

なんかネガティブな印象しかありません。

スカイライン、名車なのは子供ながらに十分理解しています。

ですが、新車からずっとある、なんのトラブルもないパルサーを出してまで、買うクルマなんだろうか?

スカイライン、逢う前から第1印象最悪です。





スカイラインは、父が会社の帰りに引き取って来ました。

夜、ちょっと離れた賃貸の駐車場まで見に行くと、そこにあったのは・・・ケンメリじゃない?

まさかのジャパンでした。

そういえば、ジャパンって1977年の8月にフルチェンジしてたんだ。

でも新しいジャパンになったからと言っても、そんなに嬉しさがありません。

まだまだパルサーロスの方が大きいです。



私のクルマウマシカは、父の影響によるものです。

そんな父ですから、やっぱり一度は「スカイライン」に乗ってみたかったんでしょうね。

愛スカの頃にもCMで、「2年クルマに乗ると、スカイラインが欲しくなる」なんてコピーもありましたし。

やっぱり、クルマに一家言ある人のクルマ、って感じですよね。

新車でもGTでもありませんが、やっと念願だったスカイラインが来た。

父はそんな気持ちだったのでしょう。



パルサーはなくなりましたが、ジャパンもやっぱりカッコいいよなぁ。

そうなると現金もんで、日曜日に洗車もすれば、近所でも乗せてもらっていました。

その頃は中学生になっていましたから、スカイラインにどんな伝説があったのかは、よ~く知っていました。

当時から文系自動車趣味人の片鱗を見せていたので、雑誌を読み漁っていたんです。

うちのスカTもその末裔ですから、やっぱり特別なクルマなんだろうなぁと思えて来ました。





結局、父が乗っていたのは2年あまり。

その後は病気になり入退院を繰り返していたので、暫くはずっと駐車場に停められたままになりました。

結局1年ほど動かさなくなったので、手放そうか? そんな話もありました。

ですが当時駐車場の順番待ちが、うちの近所では2年待ちと言われていた時期。

おそらく1年後、私が免許を取った時には、駐車場が確保出来ないだろう。

なので、そのままスカTは維持していく事になりました。



そのまま置いておくとバッテリーが上がるだろうと。

それを口実にエンジン始動をさせるのが、私の役目としていました。

エンジンを始動させると、やっぱり動かしたくなるもんなんですよ。

「クラッチが固着するかも」を新たな口実に、前後に動かしたりもしました。

そのおかげで、教習所での最初の時間。

1回目からエンストもせず発進が出来たのは、練習の賜物です。

当然その事は、教官にバレバレでしたけど。



そして18歳、念願の免許取得。

晴れてスカイラインを、駐車場から出せる身分になりました。

ここからのスカイラインは、「最初の愛車」。

一緒に走れる様になった頃の思い出は、また次回へ。
Posted at 2021/03/05 11:39:14 | コメント(5) | トラックバック(0) | 愛車遍歴 | 日記

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「スバル360のブレーキシューを組み上げ、シュークリアランスも調整終了。
なのにエアが抜けない・・・。
そういえば、以前も結局4輪やらないとダメだった様な。」
何シテル?   04/17 18:01
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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