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くまとっどのブログ一覧

2021年10月22日 イイね!

R380に挑む 幻のフェアレディ

R380に挑む 幻のフェアレディ日産 R380。

1960年代、モータースポーツ黎明期に誕生した、グループ6のレーシングカーです。

その後は、怪鳥R381、6L V12のR382へと進化した事で、日産レーシングカーの礎とも言えるでしょう。

ですがこのクルマ、最初から日産車だったのではありません。

R380が初参戦したのは、1966年 第3回日本グランプリ。

その時の車名は、プリンス R380だったのです。

日産とプリンスが合併したのは、その3か月後の事でした。


この第3回日本グランプリ、日産も打倒R380を目論み、このマシンで参戦準備を進めていました。






日産 A680X


当時のデザイントレンドだった、ロングノーズ&ショートデッキ。

フェアレディZとの近似性も感じられますが、Zの誕生はこの2年後。

それどころかフェアレディの2000cc SR311すら、まだ発売されていません。

そのベースは、日産とヤマハが共同開発したスポーツカー、通称 日産2000GT(A550X)だと言われています。

車体構成は、フェアレディ(SP311)同様のフレーム式。

それにFRPボディを架装しています。






注目のエンジンは、このB680X。

当時最新だったL20をベースに、ヤマハがDOHC化。

2バルブなれど、ツインプラグ仕様となっていました。

パワーは190psと、同じ直6 2000cc 4バルブのR380に肉薄。

十分勝機がうかがえるパフォーマンスを有していたのです。

そうして開発も着々と進んでいた頃、予想だにもしないニュースが飛び込んできたのでした。


1966年8月 プリンス自動車と日産の合併


ここで大きな問題が発生します。

次回の第4回日本グランプリ、日産にはA680XとR380の2台のマシンが存在する事になります。

果たして、2台でエントリーするべきなのだろうか?

ここは勝てる可能性のある1台に、資源を集約させるべきではないか?

検討の結果、この様な判断が下されたのです。






R380を日産ブランドに変更し、II型へ進化させる


この決定を受け、A680Xは開発中止。

一部関係者のみで秘密裏に開発されていたA680Xですが、日産社内で公開される事もなく、その後廃却処分されてしまいました。

ここまで完成していたA680Xを、このまま葬ってしまうのは、あまりに忍びない。

そこで第3回日本グランプリ参戦用に、このマシンが仕立てられたのです。






フェアレディ S


参戦エントリー時の車両形式名は、SP311。

しかしどう見ても、1600cc OHVのマシンとは到底思えません。

エントリーが市販車ベースのGTクラスではなく、プロトレーシングのGPクラスからの参戦なのですから、その高性能ぶりは想像に難くありません。

搭載されたエンジンは、B680X。

開発中止の憂き目にあったA680Xのユニットを、ここに押し込んでいます。

あのフロントフェンダーにある、エアアウトレット。

幻となったA680Xの残像にも思えてきます。

このフェアレディ S、開発中止が決定しているので、勝っても負けてもこれが最後のレースです。



そして迎えた、1966年5月2日、第3回日本グランプリの開幕です。

予選は生憎の雨模様。

ウェット路面では、パワー差の影響は小さくなります。

それにミッドシップのR380は、挙動がナーバスだったのかもしれません。

予選の結果です。






1位 フェアレディ S

2位 トヨタ 2000GT

3位 プリンス R380


ポールポジションは、フェアレディ S。

2位は、これがデビュー戦となった、市販前のトヨタ 2000GT。

純レーシングカー、プリンス R380、ポルシェ906を抑えて、FRの2台がフロントローに並びます。






5月3日の決勝は、快晴。

ドライとなった富士スピードウェイで、R380、ポルシェ906は生き返ります。

ポールからスタートしたフェアレディ S。

1コーナーまでに、R380、ポルシェ908の後塵を拝する事に。

完調とは言えない中で走行を続け、結局、レース中盤にエンジントラブルでリタイヤ。

そして最後のレースを終えたのでした。


日産とヤマハのスポーツカー共同開発。

日産とプリンスの合併劇。

数々の歴史に翻弄された末に誕生した、フェアレディ S。

歴史に「〜たら 〜れば」はありませんが、この時期の日産には色々なストーリーがありますね。
Posted at 2021/10/22 11:54:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2021年10月15日 イイね!

頭の上は USA!

頭の上は USA!神奈川県藤沢市にあるいすゞプラザへは、いつも一般道で行っています。

ご察しの通り、費用削減が一番の理由なんです。

最近ではそこを更に突き詰めて、移動手段がクルマから原付へ。

そうなるとハイスピードなバイパス道だと怖いので、選択肢はおのずと普通の道になってきます。

これが良いルートで結べなくて、なかなか大変なんです。

しかも面倒な事に、同じ道を使うと飽きてしまうのが、私の性分。

そんな訳で新しいルートを開拓すべく、都度地図を見ながら思案しています。

そんなある日、ここが目に止まりました。






キャンプ座間

座間市と相模原市にまたがる、広大なアメリカ陸軍の基地です。

地図で見ると、こんな感じ。






この青い四角の部分になります。

敷地面積は、約230万平方メートル。

この数字もデカ過ぎて、訳わかりません。

中にはゴルフ場もあります(実は半分くらいが、これ)。

まぁ、とにかく広大です。

あれ? この地図、下の方に目を凝らすと・・






えっ! 東西を貫く様に道が横切っている!

しかも一部はトンネル?

米軍基地の中に道路って・・・安全保障上、どうなんでしょ?

テロのターゲットにもなりかねないのでは?

もしかすると厳重警戒下にあって、ちょっと怪しい動きでもしようものなら、狙撃される?

なんだか、妙な緊張感を伴いそうな場所です。

果たしてこの不思議な道路、一体どうなっているんでしょう?

普通の人が通っても良いのでしょうか?

いすゞプラザへの道中で、寄ってみました。






まずは最寄り駅、小田急線 相武台駅の北口を目指します。

その前から繋がる道で、住宅地の中へ・・・

途中、枝分かれする道を曲がると・・・

道は掘割で、1車線+αと歩道に変わります。

結構な狭さです。

掘割斜面の上には、延々と続く壁。

道からは、中を伺い知る事が出来ません。






トンネル東側の入口手前で、一旦停止、

このあたりになると、センターラインが引かれる程の道幅に拡幅されています。

このトンネル、最近まで改修工事が行われていたそうです。

その為、道幅も広く綺麗になっています。

それにしてもこの頭上は、まぎれもなくキャンプ座間。

つまり日本ではありません。

これ、壁をよじ登ったら、間違いなく狙撃だよなぁ。

頭の上は、USAなのか・・・

なんとも不思議な景色です。







トンネルを抜け西側出口に着きました。

この先は、普通に住宅地です。

交通量の多い県道へは、もう少し細い道を進まないと接続されていません。

なので、ほんと住宅地のど真ん中です。

こんなところに原付を止めて写真撮っていたら、職質されるかな?

そんな不安もありましたが、何事もなく無事でした。

この道、それほど交通量は多くなかったです。

道中、クルマとは遭遇せず。

バイク、自転車、歩行者とすれ違っただけです。

後で調べると、道が狭いので時間帯によって、一方通行にしているそうです。




この謎トンネル、名称は「新戸(しんど)隧道」と言います。

それにしても何故、米軍基地の地下に道が出来たのでしょう?

ここがキャンプ座間になったのは、1950年。

それ以前にも、ここには広大な施設がありました。







陸軍士官学校です。

元々は東京 市ヶ谷にあったものが、1937年に移転して来ました

ちなみに最寄り駅の「相武台」、これも陸軍士官学校が由来となっています。

この名前は、昭和天皇がここに行幸された際、同校所在地を「相武台」と命名したからなんです。

さて、この新戸隧道、実はこの士官学校時代に作られたものです。

広大な地を有していた、士官学校。

結果として、この地区を東西に分断する様な形になっていました。

その為、学校西側の方は、最寄りの相武台駅へ行くのに、大きく迂回を強いられる事に。

流石にそれは不便だと、学校敷地内をショートカットする様に作られたのが、この新戸隧道だったのです。

その後、士官学校は戦況悪化に伴い、長野県佐久市へ疎開。

そのまま終戦を迎えた後に接収されて、現在のキャンプ座間となったのです。

この時、新戸隧道は共用停止にはならず、現在へと存続されています。


ストリートビューを見ると、改修工事前の映像が見られます。

延々と続く掘割の細い道には、不思議な趣が感じられます。
Posted at 2021/10/15 11:49:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記
2021年10月08日 イイね!

ミラジーノ 試乗

ミラジーノ 試乗いくつになっても慣れないものです、緊急地震速報。

地震の揺れよりも、あの警報音に驚きます。

それだけ人に緊張感を持たせる音なのですから、本来の役割はキッチリ果たしているんですね。

でも、せめてテレビの警報音くらいにして頂けないかと、ちょっと思います。

スマホの音は、ほんとドキッとしまんで。



9月に入り、なんだか周辺が慌ただしくなって来ました。

ブログも、ネタの仕込みだけが進んで、なかなかまとめられない状況でして。

今までがかなり暇だったので、それはそれで良かったかなと。

そんな中で迎えたのが、アクティの車検。

いつもはディーラーにお願いしていました。

なので、代車は当然ホンダ車です。

ですが今回、ディーラーのセレブ車検に出す財力もなく・・・

自分で検査場に持ち込もうにも、手持ちの現金がなく・・・

そんな訳で、今回はネットで探した近所のGSで車検を受けました。

その時、代車で借りたのが、このクルマです。





ミラ ジーノです。

これは2代目にあたるモデルで、最終型になります。

実はミラ ジーノ、ちょっと苦手でした。

当時、軽自動車から端を発したレトロ調デザイン。

従来モデルとの違いは、確かに主張出来ていました。

ですがそのデザインに、後付感が強過ぎて。

目立つ事は目立ちますが、どうにも美しく感じられなかったんです。

初代ミラ ジーノも、灯火類のデザインが飛び抜け過ぎて、ちょっとチグハグ感が否めないかなぁと、私は否定的に見てました。

ですがこの2代目になると、レトロ感は生かしつつも全体的にバランスが取れた事で、モダンになりました。







初代で苦手だったのは、フロントマスク。

ライト、グリルのデザインが突出していて、個性というよりは違和感を持っていました。

それが2代目になると、レトロ感を残しながらも全体のフォルムに合ったデザインとなり、違和感がなくまとまりが出てきました。

このデザインモチーフ、ずっとミニ(アレックス イシゴニスの方)だと思ってたんです。

でも実は、コンパーノだったんですね。







内装も木目調パネルを使った、クラシカルな仕様に。

このmomo製ウッドステアリングは、好印象でした。

グリップが同じmomoの革製ステアリングよりは細く、ナルディのウッドよりは太く。

私には丁度良いサイズでした。

握った時の感触も硬めで、この方が好みです。

木目調パネルにフェイク感があるとか言われますが、私は気になりません。






シートは色が良いですね。

この色が内装を明るくするのに、かなり貢献しています。

ホンダってここまで明るい色は、あまり使っていない印象です。

汚れが目立つから? なんでしょうか。

ただ座高が高くアップライトに座る私に、残念だったのがシート形状。

かなり小さいです。

シートバックは、肩甲骨くらいまでしか高さがなく、肩はサポートされません。

ターゲットユーザーが女性だから?

私が、規格外の座高高さだから?






エンジンは、NAの3気筒、58ps / 6.4kg・m。

定速走行時は静かです。

ですが加速時や登坂時だと、ちょっと賑やかになるかなぁ。

決して耐えられないレベルではありませんけど。

パワー不足は感じられませんでした。






ATは4速。

変速ショックは少なめでした。

元々の耐久性が高いのか。

クラッチの接続が、ちょっとルーズ気味な設定なのか。

もしかするとキックダウン等の、荒いシフトチェンジをされていないからかもしれません。






ここからは、ちょっと気になる部分。

直進性がちょっと甘いかなぁ。

もっともこれはスカイラインをモノサシにした、かなり厳しい評価ですが。

使っているタイヤが155/60-14と、最近の軽ではポピュラーなサイズ。

この幅の影響も、多少はあるのかも。

ワンダリングしてるのかな?

このクルマのキャラクターから考えると、幅を狭めて13インチでも良かったのかも。

その方がばね下重量も軽減されるし、タイヤのハイトも高くなり剛性が下がるので、NVHは良くなります傾向です。






これはボンネットオープナー。

別に機能上は、全く問題ありません。

ですがホンダでは、こういう処理はしないかと。

大概は内装パネルにビルトインされています。

でもこれで、困る事はありません。

この辺りが、2社のコストに対する違いなんでしょうね。



最近、お仕事でお世話になっている、ダイハツ車。

そろそろ1度は買わないといけないかなぁ、なんて思っています。

このミラ ジーノは好印象だったので、次はアリなのかも。

ただN-ONE買ってまだ日が浅いので、暫くは買い替え予定がありませんが。



それよりも好印象だったのが、このクルマそのもの。

ルーフにクリア剥げがあるものの、全体的にキレイです。

それにATの変速フィールに、ショックが少ない。

私の経験からクルマの状態って、ATのシフトフィールとタイヤの減り方で、だいぶ分かる気がしています。

このクルマは、その2つが良かったです。
(タイヤは交換済みだったのかも)

大事に使われていたけど、クリア剥げと13年越えたんで、買い換えられちゃったのかな?

でもそういう使われ方をしていたので、代車として余生を過ごしているんでしょうね。

このミラ ジーノ、丸1日だけのお付き合いでしたが、いいクルマでした。
Posted at 2021/10/08 11:34:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | ダイハツ | 日記

プロフィール

「スバル360のブレーキシューを組み上げ、シュークリアランスも調整終了。
なのにエアが抜けない・・・。
そういえば、以前も結局4輪やらないとダメだった様な。」
何シテル?   04/17 18:01
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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