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くまとっどのブログ一覧

2021年01月29日 イイね!

私がスバルを買わなかった理由

私がスバルを買わなかった理由群馬在住で自動車関連企業に身を置く、この私。

スバル車にも部品が、多少ですが搭載されています。

過去22台の愛車遍歴の中で、スバル車を買ったのは今回のスバル360が初です。

本来であれば、自社部品を搭載したクルマを買う事で、ひいては自分の収入に反映される事となるのですから、むしろ率先して購入すべきなんでしょう。

ですが、この仕事に従事して30余年、それまでスバル車を購入した事がありませんでした。

それはなぜか?

3つの理由があります。





① 雪道走行が皆無


私の住む前橋は、群馬南部。

この群馬県、南部と北部ではかなり気候が違います。

今年よくニュースで取り上げられた、みなかみ町は群馬北部。

例年以上の記録的な降雪で、今年は180cmを越える程だったそうです。

スキー場も多く隣接しているくらいですから、毎年かなりの降雪があります。


片や群馬南部。

ほとんど雪が降りません。

関東南部にある東京で雪が降っても、群馬南部は降らない。

昨日の1/28は、正にそうでした。






それよりも大きな要因。

私は半世紀生きながらも、スキーをした事が一度もありません。

群馬生まれだと学校でスキー教室があるのですが、その頃は群馬にいませんでしたので、それも未受講でした。

その後、社会人なりたての頃は、バブル期のスキーブーム真っただ中。

冬にラジオをつければ、ユーミン、広瀬香美がガンガンヘビロテされていた時代です。

周りでもスキーをやらない人の方が、少数派でしたね。

当時の私は、(今もそうですが)クルマエンゲル係数が非常に高く、クルマ以外の事に余裕がありません。

なのでスキーへの初期投資は、非常にハードルが高かったんです。

それに私は当時から、文系インドア指向で人混みが苦手。

バブル期週末の金曜日、仕事で埼玉から群馬へ帰社する時に走る関越道にて。

行く手を阻むのは、スキーキャリアを乗せた大量のクルマ達。

その大群の中に身を置こうとは、思いませんでした。





② フロントオーバーハングの長さ


私のデザイン趣向に「オーバーハングは短い事」というのがあります。

前後オーバーハングを短くしてタイヤを四隅に配置する事で、足を外に踏ん張っている感じが出て来ます。

そうすると、視覚的に重いものが中央に集まっている様に見えるので、塊感が出てくるのです。

今の愛車を購入する時、N-ONEとN-WGNを比較したのですが、N-ONEを選んだ理由の1つは、オーバーハングの短さだったんです。

スバルは縦置きFFなので、オーバーハングにエンジンが載ります。

水平対向なので直列エンジンよりは短くなっているものの、やはり横置きFFと比べると長いです。

仮にスバル車でFFを選択しても、ここは変わりません。

また実際のところ、フロントオーバーハングに重量物があるので、ハンドリングはどうなんだろう?

どうにもフロントオーバーハング、気になってしまいます。





③ スポーティーカーイメージが希薄


私の中にある、スバル車のイメージ。

「道なき道を行く」ヘビーデューティーなクルマという印象です。

AWDと言えば、なにはなくとも走破性。

あの初代アルシオーネも、あんなに薄いボディでしたが、AWDは地上高が上げられていましたからね。

バブル期、スバルは既にレガシィでWRCに参戦していました。

ですが、「三つ子の魂百まで」ではありませんが、ヘビーデューティーAWDのイメージが強く、Fun to driveというイメージが薄かったんです。


そんな理由から、2WDの横置きエンジンでやたら元気なエンジンを搭載していた、ホンダ車ばかりを乗り継ぐ事になっていました。



もし、現行のスバルラインナップで、上記条件の当てはまらないクルマとなると・・・
(それがスバル車らしいのか? は置いておいて)

あっ、1台ありますね。





スバル BRZ


AWDではないので、フロントにデフが不要。

その為、エンジンをフロントオーバーハングに搭載する必要もありません。

しかも、ただフロントデフを外しただけでなく、エンジンを車両中心寄りに移動させているので、オーバーハングも短めになっています。

こうなれば、前後重量配分も良いですよね。

ただ逆に、スポーティイメージが強すぎるきらいがあるのかな。

むかしだったら、大歓迎なんですけど。

もうちょっと落ち着いた雰囲気があるといいですね。

例えばセダンとか。

しからばこのパワートレインを使って、セダンが作れないですかねぇ。

例えば、こんなクルマみたいなもの。





アルテッツァ


大人になったハチロクキッズへ、トヨタが放ったコンパクトFRセダンです。

当時これがカッコよく見えて、カタログをお貰いに行きました。

FR故にかなり短い前後のオーバーハング。

しかも絞り込みも強かったので、かなりコンパクトに見えました。

そこがまた塊感が出て、カッコよかったですね。



BRZベースで、令和のアルテッツァって、作れないですかねぇ。

むかしのトヨタだと、セリカに対してそれをベースにしたカリーナも出して、量産効果を上げていました。

そんな感じでFRセダンが作れないものかと。

でも今はそんなにクルマが売れないので、セダン仕様を開発しても償却出来ないのでしょうね。

あるいは、生産キャパが86 & BRZで、もう限界とか?



SUVばかりの世の中に、スポーティセダンで一発ぶちかます! 

なんて、無理かなぁ・・・
Posted at 2021/01/29 10:32:49 | コメント(11) | トラックバック(0) | スバル | 日記
2021年01月22日 イイね!

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 後編

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 後編埼玉県上尾市に存在した、もうひとつの自動車工場。

それが東急くろがね工業だった事は、前回分かりました。

では、その工場はどこにあったのか?

その調査を進めていきます。

社名と地名で検索をしていたところ、こんな資料が出て来ました。








大正製薬社史、昭和36年の記述です。

東急くろがね工場跡地を取得した、とあります。

という事は、上尾市にあった大正製薬所有地だった場所が、東急くろがねのあった場所だという事です。

早速調べた結果、この施設が出てきました。






大正製薬総合運動場


左半分は運動場で、右半分は薬草園だったそうです。

この場所、なんとUDトラックスから2km程と、非常に近接なところにありました。

まさか、こんな近くに自動車工場が並んでいたなんて・・・

実際の位置関係を、当時の航空写真で確認します。






これは1979年の写真です。

右下、テストコースのある工場が、UDトラックス。

その左上にあるのが、大正製薬総合運動場です。

その上には、西上尾第一団地が広がっています。


東急くろがねの操業期間は、1960〜1962年。

UDトラックス本社工場は、1962年操業開始です。

つまり2つの建物が、同時期に存在していた事になります。

なので、UDトラックスの工場と特徴的な西上尾第一団地を目印に時間を遡れば、東急くろがね上尾工場も見えてくるはずです。






まずは1974年。

右下、僅かに写っているのが、UDトラックスです。

その上、西上尾第一団地があり、その下側に運動場はなく更地です。

この場所、実はかなり長期間手付かずだった様です。






続いて、1972年。

これだとUDトラックス、西上尾第一団地との位置関係も把握出来ます。

この時もまだ更地です。






これは、1967年。

西上尾第一団地は1968年完成なので、まだ存在しません。

目印がなくなってしまったので、大正製薬運動場の場所は何処に?

なので今度は、違う建物を目印にします。






左が1972年、右が1967年です。

右下がUDトラックス。

1972年の写真を見ると、大正製薬運動場の左斜め下に工場の様な建物があります。

これは1967年にも存在していました。

新目印下、Yの字になった道のレイアウトも同じです。

これを新しい目印にして、探してゆきます。






今度は1964年。

新目印の建物は2つから1つに減っていますが、既に存在しています。

大正製薬運動場は、相変わらず更地ですね。

操業停止からまだ2年後なので、建物が残っているのでは?と期待したのですが・・・

そして次は、1961年。

東急くろがね、操業期間中です。

この写真に写っているはずです。






あれ? 新目印にしていた建物もなくなりました。

それにUDトラックスも、まだ存在していません。

ただ右下に建設前の更地があります。

すっかり畑ばかりになってしまい、なんだか分からなくなりました。

また再度、場所の特定をしなければなりませんね。

UDトラックスの場所と道路レイアウトから、推測します。






左が1964年、右が1961年です。

UDトラックス上側の道を左に進み、上下に走る道の上側に向かうと、新目印の建物がありました。

上下に走る道は、1961年時点で既にあります。

この道は、途中Yの字に分岐するのですが、それで確認出来ます。

Yの字の間に新目印の建物がありましたので、1961年では青丸辺りがその場所になります。

大正製薬運動場はそこの斜め向かいですから、そこが東急くろがね工場の場所になります。

ですが、工場操業している1961年なのに、そこは・・・まだ更地です。

えっ? 大正製薬跡地は、東急くろがねの場所ではないの?

これで振り出しに戻ったかぁ・・・と落胆しながら、再度1961年の写真を眺めていました。

すると・・・なんだろう、これ?






先程の新目印(青丸)の場所から更に上に進むと、大きな建物の様なものがあります。






ひょっとして、これが東急くろがねの工場?

右上には、S字やクランクのコースらしいものも見られます。

となると、これがテストコースだったのでしょうか。

おそらくこれが、東急くろがね上尾工場ですね。


となると、実際工場のあった場所は、大正製薬運動場ではなくて西上尾第一団地になるみたいです。

それにしても東急くろがね、とてつもなく広大な土地を保有していたんですね。

あの青丸の付近までもが、所有地だったのですから。

工場建屋は、半分も使っていなかった感じです。



跡地は、ちょっと予想とは外れてしまいました。

当初東急くろがねは、この上尾工場を「東洋のデトロイト」とすべく、24万坪もの土地を取得したそうです。


そういえば、大正製薬が土地を取得したのは、1961年。

まだ東急くろがねは操業中でした。

いくら業績が悪かったとしても、操業中の工場土地を取得したりはしないですよね。

おそらく取得したのは、遊休地だったのでしょう。






そんな東急くろがねの跡地にあった、大正製薬総合運動場。

現在はショッピングモールになりました。

その名は、アリオ上尾。

昨年、ここで旧車のイベントが初開催されました。

旧車イベント開催の地が、元自動車生産工場跡地。

なんとも感慨深いものがありますね。
Posted at 2021/01/22 11:17:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | 昭和 | 日記
2021年01月15日 イイね!

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 前編

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 前編令和も3年目を迎えましたが、相変わらずの昭和ネタです。

埼玉県上尾市には、現在自動車の生産工場があります。





UDトラックス 本社・上尾工場


古くは「日産ディーゼル」でお馴染みだった会社です。

1999年、大株主の日産自動車が大変な事になり、あの人が登場。

日産ディーゼルもリストラの対象となり、工場閉鎖等の憂き目に遭いました。

2006年、株式の大半がボルボへ売却され、日産との資本関係は解消。

ですが、社名は変わらず。

2010年、遂にその社名も「UDトラックス」となります。

そして昨年からは、いすゞ傘下になりました。

こことは別に、かつて自動車生産工場が上尾にあったという話を、耳にしました。

それは一体、どの会社なんでしょう?

いろいろ調べていきたいと思います。

少ない手掛かりから手繰っていきましたら、こんな資料が出て来ました。






東急建設社史、昭和34年の記述です。

上尾で工場建設着手、とあります。

その社名は東急くろがね工業です。



東急くろがね工業とは・・・

東急が参画し2つの自動車会社を合併させ、1957年に誕生させた会社です。

合併当初は日本自動車工業と称していました。

その後1959年、改称して東急くろがねとなっています。


合併した会社の1つは、「くろがね」ブランドでオート三輪を生産していた、日本内燃機製造。

もう1つは、「オオタ」ブランドで小型乗用車生産をしていた、オオタ自動車工業でした。






初めに日本内燃機製造。

終戦直後は、復興需要でオート三輪は大盛況。

日本内燃機製造のくろがねも、販売が好調でした。

その後は、元々の自動車メーカーの他に軍需産業からの転換組も参入。

徐々に激戦の市場となっていきました。

最終的にオート三輪は、大きな資本と強い販売網をもつ、ダイハツ、マツダの二強に集約される事に。

日本内燃機製造の業績にも、暗雲が立ち込める様になってきました。






続いて、オオタ自動車工業。

戦前から積極的にモータースポーツ活動を行い、勝利を獲得。

高性能車のイメージを確立していました。

しかし戦後は、復興の為、まずはトラック優先の政策を施行。

乗用車メインのオオタは、スタートで立ち遅れる事になりました。

遅れて乗用車生産も再開されるのですが、小型タクシー需要に活路を見出そうとするも、強豪ダットサンが相手となり、販売が芳しくありません。

そんな戦後苦戦していた2社を東急の大資本で合併させ、起死回生を目論んだのが、日本自動車工業改め、東急くろがね工業だったのです。



合併後は、くろがねブランドの商用車を優先させます。

今度は激戦のオート三輪に見切りをつけ、新たな市場に参入を試みます。

それは軽四輪貨物、いわゆる360ccの軽トラです。

その為に新しく開発したのが、このクルマでした。






くろがね ベビー


当時の商用車の中では、非常に革新的なクルマでした。

レイアウトは、キャブオーバータイプのRR方式。

これは日本初のものです。

それまでのトラックと言えば、リジット式サス+空冷2サイクルエンジン。

とにかく頑丈で安価に作られていました。

ですがベビーは、4輪独立サス+水冷4サイクルエンジン。

他車よりも先進技術を投入する事で、商品力をアピールします。

キャブオーバーを採用したので荷台も広くなり、現代の軽トラックに近くなりました。

しかもその生産には、専用工場まで立ち上げてしまう程。

その工場こそが、今回調査している上尾工場になるのです。






1960年の発売後は、順調な売り上げを推移。

よもやくろがね復活か? そんな期待が寄せられる程でした。

ですがオート三輪と同じく、この市場にも大手メーカーが参入してきます。






スバル サンバー


いわゆる初代の「くちびるサンバー」です。

サンバーは期せずして、ベビーと同じRR方式の水冷エンジンで4輪独立車。

大手メーカーが作る後発ですから、その積載量、完成度等は、ベビーを凌いでいます。

ベビーは、ここでも脆弱な販売網がネックとなり、なかなか追撃に太刀打ち出来ません。

結局ベビーも、1962年に生産終了。

しかも、今回の大きな投資が仇となったのか、東急くろがねも完成車事業から撤退。

会社更生法の適用を受ける事となりました。






一時は倒産の憂き目にあった、東急くろがね。

その後は日産グループの傘下となり、エンジン生産工場として再出発しています。

後継となる会社は、現在も名前を変えて存続しています。






その会社は、日産工機。

一時は「REINIK」ブランドで日産ワークス活動を支えていた、あの会社です。

完成車事業では成功しませんでしたが、元はオオタの流れを汲む会社だからでしょうか、エンジン事業で活躍しています。



予想外の長さとなりました。

元東急くろがねの工場は、一体どこにあったのか?

続きは次回へ。
Posted at 2021/01/15 10:40:33 | コメント(4) | トラックバック(0) | 昭和 | 日記
2021年01月07日 イイね!

シフトチェンジの醍醐味

シフトチェンジの醍醐味お正月、福袋を頂きにホンダディーラーへ行って来ました。

担当営業さんによると、新型N-ONEの評判、上々だそうです。

やっぱり6MTの反響が大きいみたいですね。

世の中これだけATが普及しても、スポーティカーはやっぱりMTなんでしょう。

エンジンのパワーバンドや次のコーナーに合わせて、シフトレバーを駆使する姿。

「クルマを操っている」感がして、カッコいいと思います。

ATのDレンジホールドだと、なかなかそうはいきません。

アクセルを開けてからの変速になるので、ちょっと後手な感じになってしまいますからねぇ。

それにATをマニュアルシフトをしても、結局トルコンだからドライクラッチの様にダイレクトな接続感が希薄です。

MTは操作とクルマの反応がリニアになるので、スポーツドライビングの醍醐味が味わえると言えそうですね。






・・・こんな事を書いておきながら、実は私、あんまりMTへの思い入れがありません。

もし1台しかクルマが選べないのであれば、ATを選択するでしょう。

2台目だったら、MTが良いかな。

やっぱり全然乗らないと、スキルが下がってくる心配がありますので。

たまに乗って、あまりにもギクシャクしてるのも、ちょっとカッコ悪いかなぁ。

私にとってのMTは、そんな位置づけです。






私の愛車遍歴、3台目はサイバーCR-X Siでした。

実はこのクルマ、ATです。

ディーラーでも念押しされましたし、購入後、周りからも「なんで?」と言われたりもしました。

なぜCR-Xなのに、MTにしなかったのか?

当時、仕事の出張には、自分のクルマを使っていました。

社用車もあるのですが、例え仕事の移動であっても、やっぱり好きな自分のクルマで移動したいかなぁ。

そういう思いがあったからなんです。






それまで乗っていたのは、ワンダーシビック Si、5速MTでした。

当時、会社があったのは、埼玉南部。

走るエリアもその辺りで、平日の昼間はかなり渋滞していました。

自動車通勤だった事もあり、クルマは大半が渋滞モードでの使用。

さすがにMTだと疲れるなぁ、と思う様になり、CR-XはATにした次第です。






でもATのCR-X、決してつまらないクルマではありませんでした。

ショートホイールベース&ワイドトレッドのディメンションは、ATでも不変。

ハンドリングマシンである事には、変わりありません。

むしろシフトチェンジが簡素化される分、ステアとペダルに集中出来ます。

私の場合、スポーツドライビングをステアから感じる方なので、むしろATの方が合っているのかもしれません。






この話、実はバイクでも同じです。

YSRだと少ないエンジンパワー生かす為に、5速MTを駆使して走らせなければなりません。

そこから生まれるバイクとの一体感には、操る楽しさを感じられます。

ジェンマやディオのスクーターだと、その操作がありません。

ですが、単に移動する為の道具なのかと言うと、決してそんな事もありません。

スクーターにも、走らせる楽しさがあります。

私の場合、イメージした走りに現実どこまで近付けられるか、そこに楽しさを見出しているんだと思います。

なので、スピード、ミッションの構造は、あまり関係ありません。

つまり、乗っているバイクがディオでもYSRでも、もし仮にCBR1000RRだったとしても、楽しさを感じる根幹が同じなので、なにに乗っていても楽しいんですよ。

うちのたぬきさんからは「スクーターはつまらない」と言われます。

変速操作もないし、タンクもないので二―グリップ出来ない。

バイクとの一体感が感じられないから、そんな理由だそうです。

私は、そんな事はないんですけどね。

なんでしょうねぇ、乗り物に対する楽しさのハードルが、かなり低いんでしょうか。






前述のホンダディーラーでも、新型N-ONEを勧められました。

あんまり6MTに思い入れがない事、今のN-ONEが気に入っているから、当分は考えていません。

もっとも、すぐに買い換えられる予算がないのが、最大の理由なんですけど。
Posted at 2021/01/07 10:15:07 | コメント(5) | トラックバック(0) | 運転の心得 | 日記
2021年01月01日 イイね!

2021年 明けました。

2021年 明けました。明けまして、おめでとうございます。

ここ数年、群馬の赤城山は晴天のお正月です。

ただ真上には怪しい雲が・・・

きっと水上や新潟は、大雪なのかと思います。

豪雪地でお過ごしの皆様、お見舞い申し上げます。


昨年は、毎週ブログ1本、隔週で2本を目標にしていました。

そうすると、だいたい年間80本くらいになるんですね。

ですが昨年は60本と、数的には未達です。

でも、このくらいのペースで良いのかなぁ、と思っています。

数の目標を立てると、そちらに意識が向いてしまい、内容がまとめられていないものが見受けられました。

それであれば、週1本ペースくらいに絞り、より文章を磨いたものにしたいと思います。






例年通り、本日、群馬でニューイヤー駅伝が開催されています。

今年はどうなんだろう? と思っていましたが、沿道観戦を規制する事で開催されました。

その為、毎年会社から支給される旗を振る応援が、今年は自粛です。

沿道にも、注意喚起を促す看板が立っていますからね。

来年2022年は、こんな看板が立たない事を願います。



今年も、令和の時代に昭和ネタのブログを展開していく所存です。

本年もよろしくお願いします。
Posted at 2021/01/01 12:22:48 | コメント(5) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記

プロフィール

「スバル360のブレーキシューを組み上げ、シュークリアランスも調整終了。
なのにエアが抜けない・・・。
そういえば、以前も結局4輪やらないとダメだった様な。」
何シテル?   04/17 18:01
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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