今回の内容は、以前みん友のmeganetさんが立てた仮説を、私が検証したものです。
その時は、ブログのコメントかメッセージでのやり取りだったので、しっかりとした記録になっていませんでした。
もし今後、本件を調査する方がいらした場合、参考にして頂ければと思い、ブログでまとめることにした次第です。
座間にある日産ヘリテイジコレクションの紹介文です。
日産R381については、以下の様に記述されています。
現車は、1968年日本グランプリ優勝車、とあります。
その真偽について、検証をします。
まずは、日産 R381の概要について。
1968年〜1969年の日本グランプリ制覇を目論み、開発されたレーシングカーです。
このマシンにおける技術的な特徴は2つ。
エアロスタビライザー
可動式2分割ウィングです。
コーナリング時に激しく横Gが掛かると、ロールによってリアイン側のタイヤが浮き上がってしまいます(インリフト)。
これを防止する為、イン側のウィングだけを立ててダウンフォースを発生し、リアイン側のタイヤを接地させて、駆動力(トラクション)を発生させる働きをします。
V12エンジン
前年の1967年日本グランプリ。
日産は1966年にプリンスと合併した為、プリンス開発のR380で参戦しました。
日産版になりA-IIに進化させるも、生澤徹のポルシェ カレラ6に惜敗。
更なる戦力アップを目指し、新パワーユニットとしてR380用直列6気筒を2機繋げたV12エンジンの開発に着手します。
このエアロスタビライザーとV12エンジン。
次回日本グランプリまでの1年間だけでは、同時開発が非常に困難です。
そこで、1968年の日本グランプリには、エアロスタビライザーのみ自社開発。
エンジンは、シボレー製ムーンチューンのエンジンで代用することにしました。
1969年は、本命の日産製 5L V12エンジンのGRXを搭載し、完全版R381で参戦する計画としたのです。
その後、エアロスタビライザーの様なハイマウントウィングが、当時のF1で強度不足によるトラブルが多発。
結果、ヨーロッパでは使用禁止となり、それに倣って日本も使用禁止となりました。
エアロスタビライザーありきのR381ですから、外してしまうとダウンフォースが決定的に不足します。
また1969年の日本グランプリが、例年の5月開催から10月開催へ延期が決定。
その結果、開発期間に猶予が出来たので、1969年には新開発R382が投入可能となり、R381 V12仕様での参戦計画は中止となりました。
続いて、R381 1968年優勝車の詳細検証を行います。
優勝したのは、北野元選手のゼッケン20。
この車両の特徴です。
フロントのエアインテークにスポイラーが付いています。
リアタイヤ直前のロゴ、「Nissan」とあります。
これは1968年、東京モーターショーでの写真です。
ゼッケン20、フロントスポイラー付き、Nissanロゴ。
スポンサーステッカーの削除、張替がありますが、これは優勝車そのものと思われます。
こちらはゼッケン19、砂子義一選手のものです。
途中オーバーヒートにより白煙を吹き上げつつ、満身創痍ながらも6位入賞を果たしました。
この車両の特徴ですが、サイドの「Nissan」ロゴは同じですが、フロントのスポイラーはありません。
続いては、R30 スカイラインのカタログからです。
この写真には、見覚えのある方も多いかと思います。
R30 スカイラインの特徴である、ハイデッキの説明に用いられていました。
R30 スカイラインの登場は1981年。
この時現存しているのですから、この車両が日産ヘリテイジコレクション保管車と思われます。
このR381はゼッケン20ですが、リアタイヤ前のロゴが「DATSUN」になっています。
これは背景から察するに、日産のデザインスタジオで撮影されたものと思われます。
ゼッケン20で「DATSUN」のロゴ。
R30 スカイラインのカタログ撮影に使用されたのは、この車両ではないかと思われます。
またゼッケン20の特徴であった、フロントスポイラーがこの車両にはありません。
このゼッケン20は、果たして日本グランプリ優勝車なのでしょうか?
なぜ「DATSUN」と書き換えられているのでしょうか?
考えられるのは、2つ。
優勝したゼッケン20から、スポイラーを外し「DATSUN」に変更したか。
あるいは違う車両をゼッケン20に変更して、「DATSUN」に変更したのか。
これは、1969年 ベルギーのブリュッセルで開催された、モーターショーでの写真です。
このR381は「DATSUN」表記になっています。
ですが、ゼッケンは19、砂子車です。
フロントスポイラーがないのも、砂子車の特徴と一致します。
R381は、日本グランプリ終了後、優勝したゼッケン20の北野車は東京、ゼッケン19の砂子車はロスへ、それぞれモーターショー出展の為、搬出されています。
当時アメリカでは、日産車は「DATSUN」ブランドで展開されていました。
その為、R381に表記してある「Nissan」ロゴを見ても、それが「DATSUN」と同じ会社のものであるとは、認知されにくいのです。
そこで砂子車には、アメリカでは認知度の高い「DATSUN」への書き換えが施されたのだと思われます。
北野車はその後、日産に戻されましたが、砂子車はブリュッセルでも撮影されていることから、すぐ日本には戻されませんでした。
当時日本のメーカーは、記念車であっても保管する習慣がありません。
例えば、トヨタ2000GTの速度記録樹立車。
記録が達成された後、廃棄されたと言われています。
しかも廃棄記録もないので、憶測でしかないのです。
過去の栄光よりも、更なる未来の発展へ。
そんな意識があったからかも、知れません。
トヨタ20000GTの場合は、後年その功績を称えてレプリカを製作し、現在に至っています。
日産も然りです。
優勝車の北野車であっても、シボレーV8搭載のR381-Ⅰは、新型の5.0L V12 GRX-1へ換装され、テスト、実戦に使用されました。
一方、海外へ搬出された砂子車は、1969年時点でまだベルギーにあります。
海外ショーの出展を終え日本に返却された頃、開発は既にR382へと移行完了後。
つまり、帰国した砂子車は、既にその使命を全うしていたのです。
ですが、逆に1968年優勝当時の面影を残す、シボレーV8搭載の現存車は、この砂子車ただ1台となっていたのです。
このR381は、2005年にレストアを施されています。
その時に、ブランド表記、スポンサーステッカー等を、優勝した北野車仕様で仕上げられ、現在に至っています。
今回の結論です。
日産ヘリテイジコレクションに収蔵されているR381は、1968年日本グランプリ優勝車のレプリカである。
実は私、この仮説を聞くまで、あの車両は優勝車そのものだと思っていました。