なんだか、まただいぶ開いてしまいました。
異例な短さで開けた梅雨、そして連日の酷暑。
エアコン使用もままならない赤貧のわが家において、熱帯夜のブログ作成は苦行以外の何物でもなく。
そうして惰眠をむさぼる内に、書かない事が日常化。
このままでは、貴重な試乗体験も忘却の彼方となりかねない。
ここは一念発起、記憶を反芻しつつ、書き記していきます。
ちょうど涼しくもなった事ですし。
先月の名古屋遠征、2つ目の目的地は、岐阜県可児市。
こちらのみん友さんとも、2年振りの再会です。
ここでも貴重なクルマに試乗させて頂きました。
初代ブルーバードです。
それまでは、商用車も乗用車も同じブランドの「ダットサン」。
ですが、よりキャラクターを明確化すべく、乗用車には「ブルーバード」という名を冠し、別の道を歩ませる事になるのです。
(そうはいっても、それ以降もかなり近い関係ではあるのですが)
このモデルは2度のマイナーチェンジを経た、312型。
そのテールライトの形状から「タケノコ」の愛称を持つモデルです。
年式は1961年と、私よりも少し先輩。
近々手放されてしまうそうなので、その前にと試乗させて頂きました。
車内に車体番号のプレートがあり、生産工場が記されています。
そこに刻まれた工場名は、吉原工場。
静岡県富士市にあったのですが、現在は日産の工場ではありません。
完成車工場の後に、日産のAT工場となり、現在はミッションメーカー、ジャトコとなっています。
足元にある、このスイッチ。
この当時のクルマには、少なからずありました。
名称は、ディマー スイッチ。
ヘッドライトのハイロー切替を、レバーではなく足で操作していたんです。
シンプルなインパネ周り。
今とは衝突基準が異なるので、クラッシュパッドなしの鉄板剥き出しです。
そして当時は一般的な装備、コラムシフト。
前進3速とちょっと寂しい感じもしますが、当時はこちらの方がスマートだと言われていました。
エンジンは、1200cc 4気筒 OHV 55ps。
コストに優れたカウンターフロー式です。
さすがにサイドバルブではありません。
それでは、試乗に出発です。
まずはエンジン始動。
インパネ下にあるキーを捻り、セルを回します。
今のクルマと同じです(最近はスターボタンの方が多いかも)
ですがこのブルーバード、セル以外の方法でもエンジン始動出来ます。
それが、このナンバープレート上にある穴。
ここからクランク棒を入れて、手動でエンジンを回せば始動出来ます。
このクランク棒の穴、なんだか旧日産のマークみたいですね。
アクセル、クラッチのべダル類は、ちょっと重め。
これは、すぐに慣れます。
ちょっと困惑したのは、ステアリング。
ヒューマンパワーステアリングなのは重々承知していたのですが、大径ステアリングとスローなギアレシオには、ちょっと面食らいました。
交差点を曲がる時には、かなり多めのハンドル操作を要します。
ちょっと忙しいかも?と思えど、これもすぐに慣れました。
走り出して、気付いた事。
シフトチェンジ時に、一切の引っ掛かりがありません。
旧いクルマはとかく、シンクロ劣化によるギヤ鳴りや引っ掛かりは、つきもの。
でも、このブルーバードにはありません。
最近ミッションオーバーホールをしたという訳でも、ないようですし。
という事はこのミッション、かなりシンクロ容量が大きいのかも。
初代ブルーバードと言えば、日本初のフルシンクロミッション。
グリルにはエンブレムが、誇らしげに光っています。
なにぶん日本初の技術なのだからと、とにかく良いものを。
そんな気概が現れたミッションなのかもしれません。
もう一つ気になった事。
タイヤは轍を拾って小刻みにブレている様なんですが、それがハンドルに伝わってきません。
路面の状況が、ハンドルからは分かりにくいのです。
そう言えばこの時代、ステアリングギアはボールナット式が主流。
この機構はギヤ比を大きくして操舵力を小さくし、また路面からのキックバックを伝えにくい特徴があります。
このキックバックを伝えない、昭和30年代当時は非常に大事な意味を持っていたのです。
当時は国道とは言っても、未舗装が一般的で穴ぼこだらけ。
そんな道を現代の様なラック&ピニオン車で走ると、強烈なキックバックに襲われ、直進もままならない状況になりかねません。
そこで当時はボールナット式を使って、ハンドルが取られにくくしていました。
このクルマ、アンテナは左前のフェンダーに収納されています。
ラジオを聴こうとアンテナ先端を掴んで引っ張っても、アンテナは出て来ません。
実はアンテナ、ロックがされているのです。
根元のスリットにキーを差し込むと、ピョコっと出て来ます。
これは当時、アンテナを引き出されては折られる、そんなイタズラが横行していたそうで。
それを予防する為に、ロックが掛かっているのだそうです。
初代ブルーバード、試乗後の感想は「普通のクルマ」でした。
街中では必要にして十分なパワー。
それに驚かされた、強力なフルシンクロ。
3速までしかないミッションとか、エアコンがなくて暑いとか、言い出せばキリががありませんが、60年以上前のクルマなのに、普通に乗れます。
一般道だったら300km離れた群馬まで帰れるかも、そんな気もしました。
ブルーバードにおける「技術の日産」と言えば、やはり510型。
それ以前のブルーバードはまだ過渡モデルなのかな、そんな印象でした。
いやいやブルーバード、初代から「技術の日産」してましたね。
そういった技術で築き上げて来たのが、ビフォーゴーンの日産自動車。
あれから20年余り・・・。
もう戻れる事は、ないんでしょうね。
旧い日産車と接して、なんだか寂しくなってしまいました。