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くまとっどのブログ一覧

2020年04月29日 イイね!

なっちゃんでもなければ、シグマでもない。

なっちゃんでもなければ、シグマでもない。岡崎友紀さんです。

歌手でもあり女優でもあり、バラエティもOKと。

マルチな才能を発揮されていた方ですね。

当時の女優さんと言えば「こんな人、街中歩いている訳ないよなぁ」という様な、浮世離れの美人ばかり。

そこへ来ての岡崎友紀さんは、すごく身近な存在に感じられました。

そんなところが、今も繋がるアイドルの礎とも言えるのかな、と思います。

そんな岡崎友紀さん、覚えているのはこのドラマからでした。





なんたって、18歳



放送は1971年。

前作「おくさまは18歳」から続く、ライトコメディシリーズ第2作です。

製作はあの独特な演出で後年有名になる、大映テレビ。

当時私は4歳、たぶん観ていたのは再放送でしょうね。

ある日、街中でkmバスを見た時・・・

「ドラマと同じバスが走ってる!」と感激したのと同時に、あの会社は実在しているんだという事に、驚きました。







歌の方も、ドラマ主題歌を筆頭に、数々のヒット曲を輩出していましたね。



それから暫しの時を経て、1980年。

アーティスト名を「YUKI」に替えて、歌手活動を再始動。

そして、あの名曲が誕生します。






ドゥ―・ユー・リメンバー・ミー



作詞 安井かずみさん、作曲 加藤和彦さんのご夫婦が手掛けられた名曲です。

当時は売上トップ10に入る様な、大ヒットというものではありませんでした。

ですがその後、多くのアーティストによってカバーされていることから、時代を越えて愛されている名曲だという事がわかりますね。

今回取り上げたいのは、この次の曲。





メランコリー・キャフェ


こちらも、安井/加藤コンビが手掛けられた作品です。

メロディー、アレンジが洋楽の様です。

さすがは加藤和彦さん。

岡崎友紀さんもローマ字表記になってからは、歌声の印象がかなり違います。

確かに前作では、当初アーティスト名を「YUKI」とだけした事により、これが岡崎友紀さんだとは気付かれなかったのも、合点がいきます。


この曲を最初に聴いたのは、クルマのCM。

このメロディーが耳に残っていました。

はて? なんのCMだったか・・・

確か三菱車だったことは覚えています。

ギャラン シグマ・・・だったかな?


あのCMが改めて見たくて、Youtubeで検索。

「CM シグマ 岡崎友紀」と・・・


検索の結果、このクルマが出てきます。






2代目ギャラン シグマ(4代目のギャラン)のCMです。

あっ、シグマは暫く高倉健さんが、出演されていましたね。

早速、動画を観てみると・・・曲が違います。

ひょっとしてシグマではなく、その次のシグマが取れた初のFFモデルだったかな?

そこまで範囲を広げてみても、見つかりません。

私の記憶違いだったのかなぁ・・・


今度は、ギャランのCM、岡崎友紀さんの楽曲の両方から、探してみます。

すると、メランコリー・キャフェは、一般発売の前に、三菱の販促品で配られた非売品バージョンがあったそうです。

それが、こちら。









えっ? なっちゃん?



なんで、なっちゃん? 

なんで、星野知子さん?



この頃、星野知子さんは、NHK朝ドラ「なっちゃんの写真館」に出演中。

星野さん、これがデビュー作だったんですね。

歌は岡崎友紀さんですが、映像に出るのは星野知子さんでした。

しかもクルマは、シグマではなくて、エテルナシグマ!

だから見つからなかったんですね。

再度検索すると、さすがYoutube、動画がありました。







あれ? こんな地味な使われ方でしたっけ?

しかも名前のクレジットもなし。

それなのに鮮明に覚えていたのは、やはりこの曲が良かったからでしょうね。




最近お世話になっている、iTunes。

岡崎友紀さんの楽曲はあるのですが、「Yuki Okazaki」の楽曲はありません。

ドゥー・ユー・リメンバー・ミーも含めてです。

たぶんアナログ音源しかないので、ぜひ配信してもらいたいものですね。
Posted at 2020/04/29 10:17:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | CM | 日記
2020年04月22日 イイね!

ブルーバードのサファリ連覇を阻んだものは?

ブルーバードのサファリ連覇を阻んだものは?技術の日産



こう呼ばれる様になったのも、ラリーで培った技術の裏付けがあったからでしょう。

そのラリーとは・・・

灼熱のアフリカ大地を5000kmに渡り疾走する、サファリラリー。

そして、その名声を盤石にした功労者は、言うまでもなく、このクルマでしょう。





510型ブルーバード


デビューは、1967年。

SOHCエンジン、4輪独立サス、ディスクブレーキ・・・

当時の先端技術を、惜しみなく投入しています。

先代410型と比べると、飛躍的な変更ぶりです。

これは「進化」と言える様なものではなく、名前以外が全て変わった「変革」だとも言えるくらいの変貌です。

これだけの性能を有する510型ブルーバードですから、ラリーでの活躍は想像に難くはありません。








日産のサファリチャレンジは、1963年から。

312型初代ブルーバード、G31型初代セドリックでの参戦でした。

合計4台が参戦し、結果は全車リタイヤ。

以降は、1966年の411型ブルーバードSSによる、総合5位、クラス優勝が最上位でした。

この時の参戦記が、その後、石原裕次郎さん主演映画「栄光への5000キロ」の原作となっています。






そして、1968年。

満を持しての510型ブルーバードの参戦です。

この年はH130型セドリックと参戦し、セドリックは完走するも、ブルーバードはリタイヤ。

翌1969年は総合3位に入り、クラス優勝、チーム優勝の2冠を獲得します。


そして1970年・・・

フォード エスコート、ポルシェ911と死闘の末、遂に総合優勝獲得。

念願の3冠に輝きました。

これは日産初の快挙ですが、サファリ史上でも初の完全制覇となったのです。






510型ブルーバードの優勝は、以上です。





えっ? ちょっと意外です。

あの名車510型ブルーバードは、サファリで優勝を1回しかしていないなんて。

後年、PA10型バイオレットは、1979年~1982年まで4連覇を達成しています。

それなのに、いくらなんでも、これは少ないと思います。

一体、当時どんな強豪がいたのでしょう?

ブルーバードは、誰に連覇を阻まれたのでしょうか?











その答えは、サファリラリーの主催者、国際自動車連盟(FIA)です。

1970年から、サファリはヨーロッパラリー選手権(ERC)の1戦として、組み込まれていました。

当時のヨーロッパ勢は、フォード、プジョー、ポルシェ等の強豪揃い。

そんな中、アジアの島国から来た小さいクルマに、これ以上でかい顔はさせられないと。

ヨーロッパ勢が有利になる様、翌1971年にコース変更をしてきたのです。

主な変更点は、ラリーの高速化。

指示速度が100km/hに近く、時には160km/hにも及ぶ様なコースが、設定されていたのです。

ライバルのポルシェ、プジョーは、2000cc以上の大排気量。

フォードはブルーバードと同じ1600ccながら、ツインカムです。

こうなると、1600cc OHCと非力なブルーバードで対抗するには・・・

灼熱のサファリロード5000kmを、全域フラットアウトで駆け抜けなければなりません。

これもう、到底無理な話です。

結果、510型ブルーバードは、1971年の参戦を断念しました。

見事「日産封じは成功せり」、ヨーロッパ勢は、そうほくそ笑んだ事でしょう。







そして迎えた、1971年のサファリラリー。

連覇を狙う日産は、ここナイロビに降り立っていました。

必勝を期した、このクルマと共に。











フェアレディ 240Z


高速ラリーに生まれ変わったのならば、クルマもそれに対応させるまでです。

日産はブルーバードに代わる新兵器として、フェアレディZという隠し球を投入して来ました。

持ち込まれたものは、240Z。

シリーズ最高馬力を有するZ432ではなく、こちらを選択しています。

泥と砂埃のサファリでは、精密機械と言われる4バルブDOHCのS20では、耐久性に難ありかと。

そこで絶大なる信頼性を誇る、OHCのL24を選択しているのです。

奇しくもL24は、前年覇者L16とボア×ストロークが全く同じ。

4気筒だったL16に、そのまま2気筒追加したものとなっています。

何は無くとも、耐久性重視の選択です。

その結果、1600cc 130psから、2400cc 210psへとパワーアップしていました。







この年のサファリも、前年同様にポルシェとの一騎打ち。

そんな日産にも不安材料が・・・

過去の経験を生かした改造が施されているものの、初参戦ゆえの耐久性に不安がありました。

いきなり参戦して易々と優勝させてくれる程、アフリカの大地は優しくない。

それを一番分かっているのは、当の日産自身なのです。

しかし、日産にも抜かりはありません。

もしもクルマにトラブルが発生しても、それを迅速に対応出来る、優れたサービスクルーがいるのです。

ここには市販車生産の現場で蓄積されたノウハウも、生かされていました。

日本チーム特有のチーム力を持ってすれば、この難局も乗り切れると、考えていたのです。






日産は初参戦の不安を物ともせず快走し、ポルシェはその精密さ故か駆動系にトラブル発生しリタイヤ。

日産は1-2フィニッシュを達成し、見事連覇を成し遂げたのでした。




日産は、1991年を最後に、サファリから撤退しています。

そのサファリラリーも、2002年を最後にWRCカレンダーから外されました。

ですが、実は今年、サファリはWRCに復活しているのです。

7月開催の予定ですが、果たして開催出来るのか・・・

いずれは日産もWRCに・・・って無理だろうなぁ。
Posted at 2020/04/22 10:38:29 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2020年04月16日 イイね!

テレビでよく見た、あの建物は?

テレビでよく見た、あの建物は?私が子供の頃に観ていたテレビ番組。

そのロケ地には、東京都世田谷区が多く使われていました。

それには理由がありまして。

国際放映、円谷プロといった製作会社が、ここ世田谷にあったからなんです。

そんな世田谷の街並みの中で、忘れられないものがあります。

それは周りの風景とは一切融合せず、ひと際異彩を放っておりました。






高台にそびえ立つ、壁一面が丸窓の建物。

1面あたり25個ある窓が、4面全てに配されています。

それにちなみこの建物、「百窓」と呼ばれていました。

正式名称は「試みられた起爆空間」。

1966年に施工された建築作品です。

しかもこれは公共の建物ではなく、個人の住居なんだとか。

残念ながら1985年に解体され、現存はしていません。


この百窓、こんな番組に登場していました。





コメットさん



私の様なアラフィフ世代だと、「コメットさん」と言えば、このお方。





大場久美子さんですね。

こちらは1978年に放送された、第2期の作品。

でも私、なぜかあんまり観ていなかったんです。

百窓が登場するコメットさんは、その前、1967年放送の第1期作品になります。

主役は九重佑三子さん。

本放送時は0歳だったんですが、これは見覚えがあります。

間違いなく再放送なんですが、確かモノクロだった様な・・・


この百窓、一体どこにあったのでしょうか。

いろいろ調べていくと、世田谷区岡本にある急坂のそばだったそうで。

早速、いつもの航空写真で探してみました。






これは1975年撮影のものです。

上側をへの字に走る道が、東名高速道路。

折れ曲がる所のすぐ下に、自動車教習所があります。

その右側、赤い丸を付けた所が百窓です。

なんとなく、窓がたくさんある様子がわかります。



いろいろな番組に登場した百窓ですから、どこかに動画で残っていないかな?

いろいろと探してみましたところ、予想以上に鮮明な動画がありました。





百窓は、ほどなく登場します。

窓がアップで撮られているので、その様子がよく分かりますね。

それにしても、映像がカラーで鮮明です。



あれ? これ、ひょっとしてウルトラセブン?

えっ!!  これスペル星人だ!!

という事は・・・・これは欠番の12話だ!

うわぁ、マジでビックリしました。

まさか、こんな形で観られるなんて。

動画は後半部のみで、英語吹き替えです。

海外で放送されていた事もあったそうですが・・・それにしても、こんな形で封印作品が観られたとは!


ちなみに百窓は、スペル星人の拠点として登場します。

壁一面が窓の百窓は、どんな内部だったんでしょうかねぇ。
Posted at 2020/04/16 10:18:53 | コメント(8) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記
2020年04月14日 イイね!

賞品が届きました。

賞品が届きました。今朝、郵便受けに1通の封筒が。

エコから事務局の、けだまおやじさんからでした。

届いたものはと言いますと・・・






昨年のエコから年間大賞の賞品、キーホルダー。

そして、エコからステッカーセットでした。

そういえば、同じく受賞者のタカハシーノさんが、賞品が届いたと呟いていましたね。

タカハシーノさんは遠方なので郵送なんだなぁ。

きっとうちは、「シロクマは近いから取りに来て!」と言われるのかと思っていました。

けだまおやじさん、どうもありがとうございました。


ということは、あのキーホルダーは私宛ではなく、たぬきさん宛なんですね。

しかと渡しておきました。

ずっしりとした質感、そして黄色のステッチ。

たぬきさん、大変喜んでおりました。






このキーホルダー、よく見ると・・・

皮を二つ折りにして縫い合わせています。

横の部分ですが・・・なぜか合わせ目がありません。

あっ、これ磨いて仕上げているんですか!

それにしても、皮って跡が分からなくなる程、密着するんですね。


ステッカーセットは、N-ONE納車記念ということで、私宛でした。

どうもありがとうございました。

早速、まだステッカーの貼っていない、たぬきさんのN-BOX。

それに公道復帰が近いテントウムシに、貼らせて頂きます。


けだまおやじさん、重ね重ねありがとうございました。
Posted at 2020/04/14 23:27:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | エコから杯 | 日記
2020年04月10日 イイね!

軽トラ もう1つの役割

軽トラ もう1つの役割小さな車体でたくさんの荷物を運ぶクルマ。

それが軽トラの主な役割です。

でも、うちの近所の集会所を見ていると、ほとんど積載している気配がない軽トラも、ありやなしや・・・

これは、どういうことなんでしょう?


軽トラは働くクルマである他に、ミニマムトランスポーターとしての役割も担っているんです。

今、日本で最も安い新車は、このクルマです。






ハイゼット スタンダード


そのお値段たるや、693,000円!

もちろん、5速MT。

しかもエアコン、パワステレスという、漢な仕様になっています。

今時、モータスポーツのホモロゲ車でも、ここまでストイックなものは少ないでしょうね。

人が移動する為だけの道具として考えても、軽トラはコストパフォーマンスに優れているんです。

それに実際乗ってみると、結構乗りやすいんですよ。






キャブオーバー車なので、視点はちょっと高め。

しかもルーミーな室内からは、視界良好です。

また鼻先は、見えている部分がほぼ前端なので、取り回しも楽々です。

かなりヤバいんじゃない? くらい攻め込んでも、まだ余裕があったりします。






後方視界もご覧の通り。

遮る様なものが、何もありません。

以前はバモスに乗っていた義父。

四隅をしっかり面取りしていました。

時にはヘッドライトの光軸がずれる程の、ハードアタックもあったりで・・・

それが、このアクティになってからは、変わりました。

左前にうっすら擦りキズを付けたものの、あとはほぼ無傷。

軽トラの方が、乗りやすかったんでしょうね。

群馬の様な、公共交通インフラが十分でない地方都市。

そんな場所では、最もお手軽な移動手段となるのが、軽トラなんです。


令和の時代でも、コストパフォーマンスの高い軽トラですが・・・

これが昭和の時代まで遡ると、もっとコストメリットがありました。

それを最大限生かしたクルマが、1983年に誕生します。







スズキ マイティボーイ


それ以前に、初代アルトがありますが・・・

今回は「トラック」という括りで、こちらに注目します。

マイティボーイには、姉妹車の軽乗用、セルボがありました。

当時の軽貨物。

軽乗用には課税されていた15.5%の物品税が、軽貨物は驚きの非課税。

軽乗用に課せられた排ガス規制も、軽貨物はもっと緩い規制でした。


ちなみに私、丸目アクティ(550cc 3気筒)に乗っていたことがありまして。

エンジン始動時、最初は全点灯する警告灯に違和感がありました。

あれ? 排気温度の警告灯がない。

平成初めの軽貨物、触媒がなかったんです。

これには、ちょっと驚きました。


さて、話をマイティボーイに戻しまして。

それらの優遇を、最大限に活用したのがマイティボーイです。

驚くべきは、その価格。

初代アルトの47万円を下回る、45万円!

お手軽モビリティとしては、よく出来たクルマでした。


その後、物品税は、消費税導入に伴い、1989年に廃止。

この為、乗用と商用の差がなくなってしまったので、爆安軽トラは出来なくなりました。

ですが今でも軽トラには、税制面のメリットがあります。

それは、自動車税。

軽自動車の乗用では、10,800円。

これが商用になると、5,000円。

なんと、驚きの半額です。

例え荷物を積まないにしても、2人以下での移動が主であれば、軽トラは非常にメリットがあります。

なるほど、うちの近所で農業やっていない人でも軽トラに乗っているのには、こんな理由があるんですね。






もう1つ、軽トラの持つ魅力。

それはMTを駆使して、軽量ボディを少ないパワーで操れば・・・

これこそ21世紀に残された、プリミティブ スポーツカーです。

それはドライビング プレジャー以外の、何者でもありません。


私も、この乗り味を堪能したいのですが・・・

うちのアクティ、3ATなんですよねぇ。
Posted at 2020/04/10 10:20:57 | コメント(12) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記

プロフィール

「スバル360のブレーキシューを組み上げ、シュークリアランスも調整終了。
なのにエアが抜けない・・・。
そういえば、以前も結局4輪やらないとダメだった様な。」
何シテル?   04/17 18:01
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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2023/10/06 17:02:28
【告知】令和5年、那須合同ミーティング開催日決定♪  
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2022/03/14 12:53:29

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