技術の日産
こう呼ばれる様になったのも、ラリーで培った技術の裏付けがあったからでしょう。
そのラリーとは・・・
灼熱のアフリカ大地を5000kmに渡り疾走する、サファリラリー。
そして、その名声を盤石にした功労者は、言うまでもなく、このクルマでしょう。
510型ブルーバード
デビューは、1967年。
SOHCエンジン、4輪独立サス、ディスクブレーキ・・・
当時の先端技術を、惜しみなく投入しています。
先代410型と比べると、飛躍的な変更ぶりです。
これは「進化」と言える様なものではなく、名前以外が全て変わった「変革」だとも言えるくらいの変貌です。
これだけの性能を有する510型ブルーバードですから、ラリーでの活躍は想像に難くはありません。
日産のサファリチャレンジは、1963年から。
312型初代ブルーバード、G31型初代セドリックでの参戦でした。
合計4台が参戦し、結果は全車リタイヤ。
以降は、1966年の411型ブルーバードSSによる、総合5位、クラス優勝が最上位でした。
この時の参戦記が、その後、石原裕次郎さん主演映画「栄光への5000キロ」の原作となっています。
そして、1968年。
満を持しての510型ブルーバードの参戦です。
この年はH130型セドリックと参戦し、セドリックは完走するも、ブルーバードはリタイヤ。
翌1969年は総合3位に入り、クラス優勝、チーム優勝の2冠を獲得します。
そして1970年・・・
フォード エスコート、ポルシェ911と死闘の末、遂に総合優勝獲得。
念願の3冠に輝きました。
これは日産初の快挙ですが、サファリ史上でも初の完全制覇となったのです。
510型ブルーバードの優勝は、以上です。
えっ? ちょっと意外です。
あの名車510型ブルーバードは、サファリで優勝を1回しかしていないなんて。
後年、PA10型バイオレットは、1979年~1982年まで4連覇を達成しています。
それなのに、いくらなんでも、これは少ないと思います。
一体、当時どんな強豪がいたのでしょう?
ブルーバードは、誰に連覇を阻まれたのでしょうか?
その答えは、サファリラリーの主催者、国際自動車連盟(FIA)です。
1970年から、サファリはヨーロッパラリー選手権(ERC)の1戦として、組み込まれていました。
当時のヨーロッパ勢は、フォード、プジョー、ポルシェ等の強豪揃い。
そんな中、アジアの島国から来た小さいクルマに、これ以上でかい顔はさせられないと。
ヨーロッパ勢が有利になる様、翌1971年にコース変更をしてきたのです。
主な変更点は、ラリーの高速化。
指示速度が100km/hに近く、時には160km/hにも及ぶ様なコースが、設定されていたのです。
ライバルのポルシェ、プジョーは、2000cc以上の大排気量。
フォードはブルーバードと同じ1600ccながら、ツインカムです。
こうなると、1600cc OHCと非力なブルーバードで対抗するには・・・
灼熱のサファリロード5000kmを、全域フラットアウトで駆け抜けなければなりません。
これもう、到底無理な話です。
結果、510型ブルーバードは、1971年の参戦を断念しました。
見事「日産封じは成功せり」、ヨーロッパ勢は、そうほくそ笑んだ事でしょう。
そして迎えた、1971年のサファリラリー。
連覇を狙う日産は、ここナイロビに降り立っていました。
必勝を期した、このクルマと共に。
フェアレディ 240Z
高速ラリーに生まれ変わったのならば、クルマもそれに対応させるまでです。
日産はブルーバードに代わる新兵器として、フェアレディZという隠し球を投入して来ました。
持ち込まれたものは、240Z。
シリーズ最高馬力を有するZ432ではなく、こちらを選択しています。
泥と砂埃のサファリでは、精密機械と言われる4バルブDOHCのS20では、耐久性に難ありかと。
そこで絶大なる信頼性を誇る、OHCのL24を選択しているのです。
奇しくもL24は、前年覇者L16とボア×ストロークが全く同じ。
4気筒だったL16に、そのまま2気筒追加したものとなっています。
何は無くとも、耐久性重視の選択です。
その結果、1600cc 130psから、2400cc 210psへとパワーアップしていました。
この年のサファリも、前年同様にポルシェとの一騎打ち。
そんな日産にも不安材料が・・・
過去の経験を生かした改造が施されているものの、初参戦ゆえの耐久性に不安がありました。
いきなり参戦して易々と優勝させてくれる程、アフリカの大地は優しくない。
それを一番分かっているのは、当の日産自身なのです。
しかし、日産にも抜かりはありません。
もしもクルマにトラブルが発生しても、それを迅速に対応出来る、優れたサービスクルーがいるのです。
ここには市販車生産の現場で蓄積されたノウハウも、生かされていました。
日本チーム特有のチーム力を持ってすれば、この難局も乗り切れると、考えていたのです。
日産は初参戦の不安を物ともせず快走し、ポルシェはその精密さ故か駆動系にトラブル発生しリタイヤ。
日産は1-2フィニッシュを達成し、見事連覇を成し遂げたのでした。
日産は、1991年を最後に、サファリから撤退しています。
そのサファリラリーも、2002年を最後にWRCカレンダーから外されました。
ですが、実は今年、サファリはWRCに復活しているのです。
7月開催の予定ですが、果たして開催出来るのか・・・
いずれは日産もWRCに・・・って無理だろうなぁ。