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くまとっどのブログ一覧

2022年03月25日 イイね!

何故にこのタイトル?

何故にこのタイトル?先日、みん友の13さんが書かれた、洋楽80'sブログ

13さんとは同じ年なので、聴いてた音楽がほぼ同じなんです。

私もすっかり懐かしモードに浸らせて頂きました。

もう40年くらい前の話になるのですが、今回はちょっと80'sへトリップ。



多感な時期を過ごした、1980年代前半。

それまで音楽番組と言えば「ザ・ベストテン」でした。

それが中学生になり買って貰ったラジカセから、世の中にはFM放送なるものがあると知ったのです。

そこから音楽趣向は、邦楽から洋楽へ。

観る番組も、カツヤ コバヤシの「ベストヒットUSA」へと移り変わるのでした。

この頃の音楽は、音だけから映像もついた「ミュージック ビデオ」なるものへ。

「MTV」なるMV専門局が、アメリカで誕生するほど盛況だったんです。

そんな時代を象徴するのが、この洋楽80'sなんです。






初めて洋楽に触れたのは、多分70年代中頃。

小学校の低学年くらいかと。

その時聴いたのは、ビートルズやカーペンターズとか。

当時流行っていたというよりは、聴き継がれた名曲といった趣でした。

その時代に生きている洋楽で、初めて好きになったのは、この曲。






バグルス ラジオスターの悲劇


70年代後半から始まった新しいムーブメント、エレクトロポップ。

このバグルスとYMOから入り、PSY・Sを通ってDUFT PUNKへ。

バブル期には、2 nimitedへも寄り道しちゃいました。

この曲が私の音楽趣向を決めたと言っても、過言ではないでしょうね。

それにしても、ラジオスターの悲劇。

現代は「Video killed the radio star」です。

なるほど・・・それは悲劇でしょうね、ラジオスターにとっては。

見事な和訳です。


そう言えばこの時代、洋楽には邦題が付き物でした。

単語だけなら、原題そのままでしたけど。

流石にビートルズの名曲を「昨日」とは訳しませんでしたね。

でもこれが文章になると、原題のままだと何を唄っている曲なんだろう? 。

そんな訳で、様々な解釈の邦題が付けられたのでした。

ただこの邦題も、全てが名訳だったかというと・・・・?

むしろ、なぜにこのタイトル? というのも少なくなかったのではないでしょうか。

例えば・・・





シンディ ローパー ハイスクールはダンステリア


1983年、自身のシングル2曲目、メジャーでは初の曲です。

原題は「Girl just want to have fun」

ハイスクールもダンステリアも、原題にはありません。

でもハイスクールに通う女の子は、ダンステリアで踊っていたい。

そうなればきっと「fun」なんでしょうね。

なんとなく意味は繋がってるのかなと。

そう言えば、この曲で覚えた事があります。

それは「wanna」。

高校生の小僧には、分かりませんでした。

学校で習った事ないし。

でも、なんか聞いた事はあるよなぁ。

で、辞書を引いてみたんです。

それで知りました、「want to の省略形」だと。

ちなみに「gonna」も「going to の省略形」なんだとか。

あぁ・・「gonna」って、聞いたことあります。

そうやって英語を覚えた、思い出の曲です。





デュラン デュラン プリーズ・テル・ミー・ナウ


確かに、出だしで唄ってますものね。

でもこの曲、原題は「Is there something I should know」

へっ? なんでこのタイトルなの?

knowすべきsomethingがあれば、Tell meして!って事なの?

なんか意味的に近いと言えなくもないのかなぁ・・・?

これは邦題に1票!ですね。

最後はこちら。





クリストファー クロス ニューヨークシティ セレナーデ


歌声のギャップ番付があったならば・・・

東の横綱は、山下達郎御大。

西の横綱といえば、誰あろう クリストファー クロスでしょう。

この曲の原題ですが「Arthur's theme (Best that you can do)」

この曲もやっぱり、ニューヨークでもなければセレナーデでもありません。

「Best that you can do」は歌詞にあるので、なんとなく分かります。

ですが「アーサーズ テーマ」って、なに?


実はこの曲、1981年公開の映画「ミスター アーサー」の主題歌なんです。

それで「アーサーズ テーマ」と・・・まんま説明です。

私はこの映画を知らなかったので、最初は「???」でした。



洋楽も90年代になると、多少長い文章タイトルであっても、原題そのままが多くなりましたね。

シンディ ローパーも、あの邦題は今ではなかった事になっています。

このちょっと恥ずかしくなる様な邦題文化。

これも80's洋楽独特のものでしたね。
Posted at 2022/03/25 10:12:39 | コメント(7) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2022年03月11日 イイね!

嵐ヶ丘

嵐ヶ丘プリンを積んだトラックで広域農道を疾走していた、ある夜。

iPhoneを繋いだラジオから、この曲が流れてきました。





嵐ヶ丘


唄うは、ケイト ブッシュ

1978年、彼女のデビュー曲です。

タイトルは知らなくても、この曲、1度は耳にされた方も多いのではないでしょうか。

明石家さんまさんの番組「恋のから騒ぎ」で、オープニング曲として使われていましたので。

今回ミュージックビデオを、初めて見ました。

MVといえば、洋楽80'sの象徴。

海外アーティストのMVを紹介する、土曜夜のカツヤ・コバヤシの番組がありまして。

あれ、毎週観てました。

これはそれより前、MV黎明期の作品です。

まだ「スリラー」の様に、短編映画を撮る様な莫大なコストは、掛けられていません。

それにしてもこのMV、なんか凄いです。

「演じている」という感じがしません。

体の中で生まれた力が、手足と直結しているというか。

「こうしたい」と考えているのではなく「こうなった」結果と言うか。

天才芸術家のパフォーマンスの様に見えます。

この中には、デビュー前に習っていたバレー、パントマイムの要素も含まれていたりするそうで。

なんか、常人の理解より先へ突き抜けたものを感じます。



ところで、このタイトル「嵐ヶ丘」

なんだか荒々しい感じがします。

でも曲の感じは、ちょっと違う様な気が。

そもそも、なんで「嵐ヶ丘」なんだろう?

原題を調べて見ました。


Wuthering heights


ワザリング ハイツ?

直訳すると「風吹きすさぶ館」みたいな感じでしょうか。

嵐ヶ丘って、地名ではなくて建物の名前なんですね。

この曲、同名の小説からの影響を受けて、作られた様です。






1847年発刊 エミリー ブロンテの作品です。

なんと175年も前の作品なんですね。

実はこの本、読んだ事ないです。
(と言うか、そもそもあんまり本読んでないです・・・)

なので、wikiさんやら紹介HPを参照に、付け焼き刃的なあらすじ説明をしていきます。






舞台はイングランド中央部、ウェストヨークシャーにあるハワース。

荒涼とした草原が連なる、丘陵地です。

その地に住まう2つの家族。

「スラッシュクロス」に住む、リントン家。

そしてもう1つは「ワザリング ハイツ」に住む、アーンショウ家です。


ある日、アーンショウは、身寄りのない少年を引き取って来ます。

彼は「ヒースクリフ」と名付けられ、実子同様に育てられました。

アーンショウには、元々2人の子供がいました。

兄のヒンドリーと、妹のキャサリン。

ヒーチクリフは、ヒンドリーとは上手くいきませんでしたが、キャサリンとは一緒に遊ぶ仲に。

いつしか2人は、互いを意識する様になったのでした。



数年後、アーンショウが他界。

その日を境に、ヒースクリフの立場は一転します。

実子同様から、下働きへ。

身分の違いを強く意識させられるお国柄が、イギリスにはあります。

ましてやそれが19世紀であれば、尚更です。

ヒースクリフとキャサリンには、だんだんと距離が出来てしまいました。

その後、キャサリンは、リントン家の息子、エドガーと結婚。

程なくヒーチクリフは、ワザリング ハイツを出て行ったのでした。



3年後、ヒーチクリフは裕福な紳士となり、この地に戻ってきます。

自分をおとしめた人々に対して、復習するために。





概要は、こんな感じです。

この本、発刊当初は酷評されていました。

この復讐劇、今見ても残忍で執拗です。

それが19世紀の世であれば、到底受け入れ難いものなのは、当然かと。

あとストーリーが難解です。

登場人物が非常に多く、時系列もバラバラ。

結局、この作品が「世界の三大悲劇」として評価されるのは、20世紀になってからの事でした。






この曲のサビの歌詞。

幽霊となったキャサリンが、ワザリング ハイツに迎え入れる様に懇願するシーンを謳っています。


嵐ヶ丘・・・こんな悲壮感漂う唄だったとは。

ケイト ブッシュの声、歌い方からは、想像も付きませんでした。
Posted at 2022/03/11 10:54:44 | コメント(4) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2022年03月02日 イイね!

ターマックラリー スペシャリスト Vol 1

ターマックラリー スペシャリスト Vol 1ブログの間隔が、だいぶ空いてしまいました。

結局、2月は1本だけ。

いざ書こう!とPCに向かうも、なかなか文章がまとめられない・・・

「書かない」と「書けない」になるので、気を付けないとなりませぬ。



さて、今回のお題は、WRC 世界ラリー選手権。

ラリーには、ダート主体のグラベルラリーと、舗装路主体のターマックラリーがあります。

最近は半々か、ちょっとグラベルが多いでしょうか。

それが90年代以前まで遡ると、ほとんどがグラベルラリーでした。

年間タイトルを狙う様なワークスチームは、主戦場であるグラベルで速いマシンを作り上げてきます。

その結果、Gr B以降ではターボ + 4WDが主流です。


各ラリーには、それぞれ付与されるポイントがあります。

その合計数で年間のチャンピオンが決まる仕組みです。

チャンピオンを狙うワークスチームは、当然、全戦参戦。

ところがセミワークス、プライベーターとなると、それは資金的に難しい。

そこで得意なラリーだけスポット参戦するチームもあります。

中には数少ないターマックラリーだけに、全力で挑むチームも。

今回は、そんなターマックスペシャリストを取り上げていきます。

このクルマは、1970年代後半からGr 4, Gr Bで活躍していました。






フェラーリ 308 GTB



フェラーリと言えば、サーキット。

F1は元より、70年代の365 GTB/4 デイトナ、現代の488 GTE・・・

ロードカーベースの車両でも、数々のレースで勝利を挙げています。

そんなハイパフォーマンスなフェラーリ。

舗装のターマックやフラット ダートであれば、サーキット並みのパフォーマンスが発揮出来るのではないか?

そう考えたチームがあったとしても、不思議ではありません。

そこでフェラーリの中では小柄なミッドシップの308 GTBをベースに、Gr 4仕様のラリーカーを製作し、参戦するプロジェクトが動き始めます。

このプロジェクトには、フェラーリも参画。

ですが、マラネロで作られたものではありません。

フェラーリは、ボディとエンジンを、それぞれ単体で提供。

それをラリー仕様のGr 4にまとめあげたのは、市販車ベースのレース車両を開発していたミケロットです。

スチールのボディは、一部をFRPに変更し軽量化。

リアにはオーバーフェンダーが追加されました。

ラリー仕様なので車高もアップし、ボディ補強も追加しています。

3L V8のエンジンは、圧縮比アップを始め、インジェクション化。

ノーマル比 50psの300psまでパワーアップを果たしたのでした。







まずはヨーロッパのラリー戦に1978年より参戦。

1979年のモンツァでは初優勝を挙げています。

1982年からWRCにも参戦。

スポット参戦に選んだのは、フランスはコルシカ島のオールターマックラリー、ツールドコルスでした。

この年は、Gr 4とGr Bの混走。

WRCは前年参戦したこのクルマによって、新しい時代の扉が開かれていたのでした。




アウディ クワトロ


その後の主流となる 4WD + ターボを、初めてWRCに持ち込んだクルマです。

1981年よりGr 4で参戦しましたが、当初はターボトラブルが多発。

白煙を吐くシーンが多く見られました。

そして熟成を重ねてきた、2年目。

マイナートラブルは解決され、信頼性も大幅に向上しています。

そうなるとターボパワーを4WDで路面に叩きつけ、怒涛のトラクションで疾走するクワトロに、もはや死角はありませんでした。


そして、もう1台。

後年語り継がれる事になる名車が、ここコルス でデビューします。





ランチア ラリー


エンジンは過去3回マニュファクチャラーズチャンピオンに輝いた、フィアット 131に搭載されていた、2L 4気筒 DOHC。

それをベースにスーパーチャージド化し、アバルトにより更にチューニング。

そのエンジンをダラーラで製作されたチューブラーフレームに、ミッドシップで搭載。

最後はピニンファリーナデザインのボディを纏った、世にも美しいラリーカーをエントリーさせたのです。



コルシカ島に降り立った、2台のスーパーラリーカー。

いくらフェラーリと言えども、こちらはセミワークス。

しかもラリーフィールドは、全くの未知数です。

果たして、フェラーリに勝算はあるのか?






そして幕が切って落とされた、ツールドコルス 。

序盤からフェラーリが快走し、トップに立ちます。

そのまま逃げ切れるかと思いきや、メカニカルトラブルが発生。

残念ながら2位でのフィニッシュとなりました。

ですが、この時の2位リザルト。

この記録が、今もWRCにおけるフェラーリの最高順位として輝いています。

結局、優勝したのはあの2台のどちらか?

ランチアは、初戦故のマイナートラブルに泣かされ、完走するもノーポイント。

アウディは、怒涛の4WDシステムが災いし、プッシュアンダーに苦しめられ下位に沈んでしまいました。

となると、フェラーリに勝ったのは、一体?






地元フランスの意地を見せた、ルノー 5 ターボです。

操っていたのは、世界最速の広報部長、ジャン・ラニョッティ。

ツールドコルス 、一筋縄ではいかないラリーですね。



この結果を受けてかどうか、定かではありませんが、遂にマラネロが動き出します。

フェラーリ自らが、Gr B車両を開発する事になったのです。

そのクルマとは・・・





フェラーリ 288 GTO


車名の「GTO」、これは「Gran Turismo Omorogato」の略。

オモロガート、英語で言えば、ホモロゲーションです。

つまり、FIA GTカテゴリー(グループ B)の公認車両、という意味を表しています。

308 GTB Gr B (Gr 4)からの変更点です。






V8 DOHC 4バルブエンジンは、ツインターボ化。

その為、ターボ係数 1.4を掛けて4.0L以内になる様、排気量は2855ccへ下げられています。

その結果、パワーは100ps以上アップし406ps。

そのエンジンを縦置きに変更し、前後重量配分をより50:50へ近付けています。

この大パワーを受け止めるべくボディも、308に似ていますが変更が実は似て非なるもの。

ホイールベースを110mm延長し、幅も190mm拡大し、この暴力的なパワーユニットを抑え込むべく、より安定方向で改善されています。

それでも、ミッドシップ 2WDで、406ps。

時代は4WD化していく中、果たしてこんなモンスターマシンが、コルシカ島のワインディングで戦えるのか?

そんな予感は的中しました。

288 GTOが発表された翌年の1985年、ツールドコルスではランチア ラリーで死亡事故が発生。

1986年にも、同じくツールドコルス でランチア デルタS4で死亡事故と悲劇が続きました。

もはやGr Bは、人間がコントロール出来る様なシロモノでは無くなっていたのです。

これらの事故を受け、1986年を最後にGr BでのWRCは終焉します。

288 GTOは生を受けたものの、活躍する事なく使命を終えたのでした。


その後の288GTOは、エボルツィオーネと進化し、舞台をサーキットへ。

そして、あの名車へと昇華するのでした。





フェラーリ F40


フェラーリ創立40周年を記念して、誕生したクルマ。

そしてエンツォ フェラーリが見届けた、最後のクルマでもあります。

基本パッケージは、288GTOを踏襲。

エンジンを3.0L化し478psへアップし、ホモロゲモデルからロードカーへ仕立て直されました。

戦う事のなかった288GTOでしたが、その技術はF40で活かされたのです。


歴史に「たら・れば」はありませんが。

ツールドコルスを豪快なパワードリフトで駆け巡る、288GTOの勇姿は見てみたかったですね。

ですがそうなれば、きっとGr Bの終焉がもっと早くなっていた事でしょう。
Posted at 2022/03/02 10:27:13 | コメント(4) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記

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「スバル360のブレーキシューを組み上げ、シュークリアランスも調整終了。
なのにエアが抜けない・・・。
そういえば、以前も結局4輪やらないとダメだった様な。」
何シテル?   04/17 18:01
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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