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2019年07月30日

あのR381は、本当に日本グランプリ優勝車なのか

あのR381は、本当に日本グランプリ優勝車なのか 今回の内容は、以前みん友のmeganetさんが立てた仮説を、私が検証したものです。

その時は、ブログのコメントかメッセージでのやり取りだったので、しっかりとした記録になっていませんでした。

もし今後、本件を調査する方がいらした場合、参考にして頂ければと思い、ブログでまとめることにした次第です。


座間にある日産ヘリテイジコレクションの紹介文です。

日産R381については、以下の様に記述されています。





現車は、1968年日本グランプリ優勝車、とあります。

その真偽について、検証をします。



まずは、日産 R381の概要について。

1968年〜1969年の日本グランプリ制覇を目論み、開発されたレーシングカーです。

このマシンにおける技術的な特徴は2つ。





エアロスタビライザー



可動式2分割ウィングです。

コーナリング時に激しく横Gが掛かると、ロールによってリアイン側のタイヤが浮き上がってしまいます(インリフト)。





これを防止する為、イン側のウィングだけを立ててダウンフォースを発生し、リアイン側のタイヤを接地させて、駆動力(トラクション)を発生させる働きをします。





V12エンジン


前年の1967年日本グランプリ。

日産は1966年にプリンスと合併した為、プリンス開発のR380で参戦しました。

日産版になりA-IIに進化させるも、生澤徹のポルシェ カレラ6に惜敗。

更なる戦力アップを目指し、新パワーユニットとしてR380用直列6気筒を2機繋げたV12エンジンの開発に着手します。

このエアロスタビライザーとV12エンジン。

次回日本グランプリまでの1年間だけでは、同時開発が非常に困難です。

そこで、1968年の日本グランプリには、エアロスタビライザーのみ自社開発。

エンジンは、シボレー製ムーンチューンのエンジンで代用することにしました。

1969年は、本命の日産製 5L V12エンジンのGRXを搭載し、完全版R381で参戦する計画としたのです。


その後、エアロスタビライザーの様なハイマウントウィングが、当時のF1で強度不足によるトラブルが多発。

結果、ヨーロッパでは使用禁止となり、それに倣って日本も使用禁止となりました。






エアロスタビライザーありきのR381ですから、外してしまうとダウンフォースが決定的に不足します。

また1969年の日本グランプリが、例年の5月開催から10月開催へ延期が決定。

その結果、開発期間に猶予が出来たので、1969年には新開発R382が投入可能となり、R381 V12仕様での参戦計画は中止となりました。



続いて、R381 1968年優勝車の詳細検証を行います。





優勝したのは、北野元選手のゼッケン20。

この車両の特徴です。

フロントのエアインテークにスポイラーが付いています。





リアタイヤ直前のロゴ、「Nissan」とあります。






これは1968年、東京モーターショーでの写真です。

ゼッケン20、フロントスポイラー付き、Nissanロゴ。

スポンサーステッカーの削除、張替がありますが、これは優勝車そのものと思われます。





こちらはゼッケン19、砂子義一選手のものです。

途中オーバーヒートにより白煙を吹き上げつつ、満身創痍ながらも6位入賞を果たしました。

この車両の特徴ですが、サイドの「Nissan」ロゴは同じですが、フロントのスポイラーはありません。






続いては、R30 スカイラインのカタログからです。

この写真には、見覚えのある方も多いかと思います。

R30 スカイラインの特徴である、ハイデッキの説明に用いられていました。


R30 スカイラインの登場は1981年。

この時現存しているのですから、この車両が日産ヘリテイジコレクション保管車と思われます。

このR381はゼッケン20ですが、リアタイヤ前のロゴが「DATSUN」になっています。





これは背景から察するに、日産のデザインスタジオで撮影されたものと思われます。

ゼッケン20で「DATSUN」のロゴ。

R30 スカイラインのカタログ撮影に使用されたのは、この車両ではないかと思われます。

またゼッケン20の特徴であった、フロントスポイラーがこの車両にはありません。

このゼッケン20は、果たして日本グランプリ優勝車なのでしょうか?

なぜ「DATSUN」と書き換えられているのでしょうか?


考えられるのは、2つ。

優勝したゼッケン20から、スポイラーを外し「DATSUN」に変更したか。

あるいは違う車両をゼッケン20に変更して、「DATSUN」に変更したのか。










これは、1969年 ベルギーのブリュッセルで開催された、モーターショーでの写真です。

このR381は「DATSUN」表記になっています。

ですが、ゼッケンは19、砂子車です。

フロントスポイラーがないのも、砂子車の特徴と一致します。



R381は、日本グランプリ終了後、優勝したゼッケン20の北野車は東京、ゼッケン19の砂子車はロスへ、それぞれモーターショー出展の為、搬出されています。

当時アメリカでは、日産車は「DATSUN」ブランドで展開されていました。

その為、R381に表記してある「Nissan」ロゴを見ても、それが「DATSUN」と同じ会社のものであるとは、認知されにくいのです。

そこで砂子車には、アメリカでは認知度の高い「DATSUN」への書き換えが施されたのだと思われます。






北野車はその後、日産に戻されましたが、砂子車はブリュッセルでも撮影されていることから、すぐ日本には戻されませんでした。


当時日本のメーカーは、記念車であっても保管する習慣がありません。

例えば、トヨタ2000GTの速度記録樹立車。

記録が達成された後、廃棄されたと言われています。

しかも廃棄記録もないので、憶測でしかないのです。

過去の栄光よりも、更なる未来の発展へ。

そんな意識があったからかも、知れません。

トヨタ20000GTの場合は、後年その功績を称えてレプリカを製作し、現在に至っています。


日産も然りです。

優勝車の北野車であっても、シボレーV8搭載のR381-Ⅰは、新型の5.0L V12 GRX-1へ換装され、テスト、実戦に使用されました。

一方、海外へ搬出された砂子車は、1969年時点でまだベルギーにあります。

海外ショーの出展を終え日本に返却された頃、開発は既にR382へと移行完了後。

つまり、帰国した砂子車は、既にその使命を全うしていたのです。

ですが、逆に1968年優勝当時の面影を残す、シボレーV8搭載の現存車は、この砂子車ただ1台となっていたのです。


このR381は、2005年にレストアを施されています。

その時に、ブランド表記、スポンサーステッカー等を、優勝した北野車仕様で仕上げられ、現在に至っています。



今回の結論です。



日産ヘリテイジコレクションに収蔵されているR381は、1968年日本グランプリ優勝車のレプリカである。



実は私、この仮説を聞くまで、あの車両は優勝車そのものだと思っていました。
ブログ一覧 | 日産 | 日記
Posted at 2019/07/30 10:14:02

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この記事へのコメント

2019年7月30日 11:50
こんにちは
R380も第3回日本GP優勝車はトヨタ博物館にあって、日産にあるのはレプリカなんだとか。
トヨタ博物館はレプリカ車は、はっきり明記するんですが、こんなところにも社風の違いが見え隠れしてきますね、なるほど

ホンダはどうですか?
コメントへの返答
2019年7月30日 12:41
こんにちは。
コメントありがとうございます。

そういえばR380、トヨタ博物館にありますね。
あれがオリジナルなんですね。
知りませんでした。

で、調べてみたのですが・・・
日産合併後のR380A-Ⅱ以降は、日産でオリジナルを所有。
プリンス時代のR380A-Ⅰは思い入れがないのでトヨタに貸与、なんだとか。
ちょっと寂しい話ですね。

ホンダも似た様なものです。
流石に日の丸F1を捨てちゃった話はありませんが。

ですがバイクで、高橋国光さんが1961年のドイツで、初めてセンターポールに日の丸を掲げた250ccレーサー、RC162は、ホンダコレクションホール建設の車両収集時に、廃却車両置場の中から発掘したそうです。
2019年7月30日 12:16
日産R381や382と言えば黙っていられないKONIです(笑)

言われてみれば違うようですが、そこまで深く検証する人も多くいらっしゃるんですね。
レース直後のモーターショーとかの展示は、間違いなく実車だったようです。

よく見るとゼッケンの字体も、太くて丸くなっているようです。
ミラーの色もレース当時、スポイラーと同じ黃色に塗られていたのは北野車だけで、砂子、高橋車は白だったようです。
あとホイールなんかも違うようですが、タイヤまで言うとキリがありませんね。
コメントへの返答
2019年7月30日 12:50
こんにちは。
コメントありがとうございます。

中学生だった時に誕生したR30 スカイライン。
あの「DATSUN」表記は、そんな私でも気が付きました。
でも、まぁそういうこともあるのかなぁ、くらいでしたが。

日産の場合、「隠している」のではなくて、「しっかり調べていない」方が多い様です。

R382事件も同様です。
レース優勝後、行方不明になるって、どうなんでしょう?
それが近年、カリフォルニアで発見されるとか。

自動運転もいいですけど、自社の歴史も大切にしてほしいものです。
2019年7月30日 12:37
続けますが、レプリカと表示するしないに関わらず、少なくとも写真に写る範囲のスポンサーロゴやゼッケン、突起物の色や形状などは限りなく実車に合わせて欲しいですね。
それとも、こういう検証の楽しみを残してくれているのでしょうか?
コメントへの返答
2019年7月30日 12:54
その辺り、トヨタは忠実に再現してきます。

トヨタ2000GTの速度記録車。
あれは試作1号車がベースになっています。
その為、リトラクタブルヘッドライトのフタ形状が、市販車と異なっています。
市販車は三角形ですが、速度記録車は台形です。

トヨタは復元にあたり、そこをわざわざ試作仕様にして再現してきました。
速度記録車はリトラを使っていないので、開かないフタ形状は気にしない、というのもアリだったかもしれません。
ですが、しっかり合わせましたね。

さすがはモリゾーさんの会社です。
2019年7月30日 12:42
貴殿の記事を読んでるうちに当時小学生だった自分が蘇りました。
ありがとうございます。
コメントへの返答
2019年7月30日 12:59
こんにちは。
コメントありがとうございます。

日本グランプリの終焉が、1969年。
私は2歳でした。
後年、父からこの時代の話を聞くたびに、羨ましく思っていました。

6L グループ7マシンが、30度バンクに飛び込んでいく光景など、もう2度と見られないことでしょう。

そういえば2年程前に、フジへ行きました。
僅かに残っている30度バンクを前に、こんなところを600psのマシンで全開走行していたのか!
感慨深いものがありましたね。
2019年7月30日 14:50
こんにちは。

あれは確かスカイラインがジャパンの頃だったと思います。地元プリンス店での特別展示でR381を見た記憶があるんです。
国道4号線を挟んだ本社向かい側の中古車センターを会場として、ジャパンの特別仕様「シティボーイ」と一緒に展示されていて、しかし触り放題でコクピットにも座ってみたと思うんです。

エアロスタビライザーの色が黄色だったか水色だったか、それこそ記憶には残ってませんが、好きな青系の色だったらもう少し何か記憶しているはずなので黄色だったのかもしれません。となるとニューマンスカイラインと並んで写っている個体だったのでしょうか・・・ね。
コメントへの返答
2019年7月30日 18:30
こんばんは。
コメントありがとうございます。

えっ! R381に乗られたんですか!
座間に行けば見る事が出来ますが、さすがに触ることは出来ません。

R30の頃には塗り替えられて、黄色の北野仕様になっています。
ジャパンだと塗り替え前の可能性もありましたが、青ではなかったとなると、この塗り替え黄色仕様だったのでしょうね。
2019年7月30日 15:05
こんにちは♫

R381のリサーチご苦労様です。

一般的に日本って昔からのモノを大事にするように思われているようですが、そんな事は全然無くてヨーロッパに比べて見切りが早いと感じます。

最近になってメモリアルなモノへのリスペクトが高まっていますが、車を文化ととらえるところまではいっていませんねぇ。

合理性や効率も大事ですが、ヨーロッパのメーカーにあるような古い車をケアする部門の整備が必要ですね。
コメントへの返答
2019年7月30日 18:36
こんばんは。
コメントありがとうございます。

今回のブログ、1年程前から下書きに入っていました。
保存車が優勝車ではないと分かりましたが、ブログ化するには、映像がほしいと。
何処かにLAオートショー出展時の証拠写真がないか、ずっと探していました。

そうしたら、今回ブリュッセルでの写真が見つかり、思惑通りDATSUNの表記が。

どうにかこのブログも、無駄にならずに済みました。
2019年7月31日 12:44
こんにちは
多分そこまで詳しく検討する人はいない思われるので、問題にはしなかったのでしょう。ふと思ったのはウィングが赤もあったと記憶してたので、ちょっと調べてみたら、国光さんの18号車だったみたいですね。ホイルトラブルでリタイヤしたってありましたが、18号車はその後どうなったんでしょうね。当時シボレーV8を積んでいた為ニッサン車ではないとの悪口もあったとか。
コメントへの返答
2019年7月31日 12:55
こんにちは。
コメントありがとうございます。

日産って、あまり気にしていないのかもしれません。
例えば、この次のR382。
このクルマも優勝車が行方不明。
残った2台を使って優勝車レプリカを製作しますが、特にレプリカとは言っておらず。
近年、カリフォルニアで優勝車が発見。
一時は座間に2台並んでいました。

R381の北野車、国光車は、エンジンをV12に換装してR381-Ⅱになっています。
テストはレース参戦に使用して、以降廃棄されている様です。

そんな中で、懐かしのシボレーエンジンが海外から戻って来たので、優勝車仕様で復元されたのでしょう。

クルマにとってエンジンを他社製にするのは、そのクルマの存在意義にも影響しかねない問題だと思います。
やっぱりエンジンは、部品のひとつではないですよね。

ちょっと前のスカイライン (V37)も、ターボはメルセデスEGを使っていて、どうなんだろう?と思いました。

「技術の日産」
自動運転が自製技術ならば、それ以外はOEMでもいいってことなんでしょうかね。
2020年1月28日 20:42
日産は海外メーカーのノックダウン生産を創業以来何度もやってます、国産には拘らない文化。 対してトヨタはあくまで国産に拘る文化の違いです。

トヨタは昔のレーシングカーは資産税がかかるのを嫌い全て廃却した三河商人文化。日産は古いレーシングカーが沢山残っているレース好き文化の違い。

良い悪いではなく会社文化の違いと思います。
コメントへの返答
2020年1月28日 23:01
こんばんは。
コメントありがとうございます。

70年代辺りまでは、各社レース車を残す意識が、あまりなかったのかと思います。

日産の場合も、このR381や次のR382も残っています。
ですが、「残した」というよりは「残ってしまった」という印象です。

R382優勝車は、国内では行方不明という事になっていましたが、実はロスに残されていたものが近年発見されて日本に里帰りを果しています。

トヨタも3Lセブンは全車廃却していますが、5Lセブンはターボすら残っています。

あの当時で比較的多く残っているのは、ホンダF1くらいではないでしょうか。

あの頃のメーカー技術者は、過去優勝したクルマよりも、来年の優勝を目指したクルマの方が大切だと、何かの本で読んだ気がします。
2021年6月16日 3:23
こんばんは。私とちょうど同じような時期に、同じことを考えられていた方がいたとは驚きました。

何かのヒントになるかはわかりませんが、『仮面ライダー R381』で画像検索をかけると、73年頃に劇場版の仮面ライダーのスチール用に撮影されたらしいR381の写真が幾つか出てきます。

ゼッケン19で赤いミラーとウィング、というなんとも言えない姿になってますが、各部形状は日本グランプリの19号車そのままですし、ゼッケン自体も位置や書体が日本グランプリの時点から変わってませんでした。
何故かゼッケン周囲のサークルが図太く書き直されてましたが…

『栄光のビッグマシンたち』によれば日本グランプリに参戦した3台の内2台は69年の時点でV12仕様に改修されていたとのことですから、73年の時点で日本グランプリ参戦時の姿で残っていたマシンは一台しか存在しなかった筈で、その一台が19号車だったということは…というのが私なりの結論でした。
コメントへの返答
2021年6月16日 13:38
こんにちは。
コメントありがとうございます。

最初は私も優勝車だと思っていました。
ですがみん友さんの発言、「DATSUN」表記だった記憶から、なんか怪しいかも・・・と思いだした次第です。

仮面ライダー、世代的にはビンゴですが、これは知りませんでした。
なんか、この扱いはどうなんだろう? という思いです。
それにしても、なんでR381だったんでしょう?
レース参戦終了車って、当時はぞんざいな扱いだったんですね。

1973年には日本に戻っていたんですね。
R382の様に海外で行方不明とはならなくて良かったです。

日産からすると、過去からタイムスリップしてきた様な印象だったのでしょうかね、№19の砂子車は。

ところで1969年の日本GP。
もしも当初の予定通り、R381に5L GRX搭載だったら、同じ排気量のトヨタ7相手にどう戦ったのか。
6L GRX-3のR382の様にはいかず接戦となって、レース的にはその方が面白かったのでは?と思っています。

プロフィール

「@大都会パート12 さん ありがとうございます。
すみません、返事が遅くなりました。無事オフ会は終了して、帰路の途中です。残りは400km、月曜中に着けば良いので、のんびり帰ります。」
何シテル?   04/28 20:17
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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