いろいろな点で立ち位置が近い気がしないだろうか?両者とも特定のセグメントだけを対象とせず、フルラインに近い商品展開を行うメーカーであって、それだけに想定されるユーザー層の範囲も広い。そのくせハイクラスをあまり得意としない(笑)点でも共通する。
モータースポーツに熱心なのも共通だ。ご承知の通り、ラリー活動での歴史的な実績はいずれも華々しいものがある。個人的にはさらに、どちらも「エンジンが大したことない」点が相通ずるように感じている。こういうと誤解を招きそうだけど、たとえばBMWとかアルファあたりだとエンジン自体の魅力で人々を引き寄せるのに対して、プジョーにしてもフォードにしてもエンジンは一部の特殊系を除いて基本的には「黒子」扱いであって、原動機は信頼できる仕事ができていればそれでいい・・的な姿勢が潔く感じられるのだ。
私はフォードに親しむ前はプジョーびいきで、その頃のプジョーは末尾が5の世代だったが、一番好きなのは504だった。地味ながら楚々とした佇まい、居心地のよさそうなインテリア、タフそうな成り立ちなど、よき実用車としてのプジョーらしさが凝縮された存在であるように思えたものだ。
プジョーとフォードに共通点が多々あるとはいえ、この504に象徴される繊細な感覚は、フォードにはなかなか望めないものだった(たとえ欧州フォード車であっても)。それは、ひとえにピニンファリーナという名匠の関与がなせる技だったのだろう。ごく平凡なファミリーカーが、ピニンファリーナの手にかかることで、ふくいくとした薫りを放つような存在となったのである。まさにフォードにはない「美のマリアージュ」だ。
(余談だがフォードとピニンファリーナにも一応公式な関係はあった。2000年代にストリートKaとフォーカスCCをピニンファリーナが担当したが、これはデザインというよりオープンボディのコーチビルドをピニンファリーナが担ったと捉えるべきであろう)
大衆のための自動車にふさわしい品格を備える。なかなか難しいことであるが、多くのユーザーから選ばれさまざまな生活のシーンを彩る存在であればこそ、抑制された、しかしユーザーが誇らしく思えるような品位を持つのは大切なことではないかと思う。私がリアルタイムに知る限り、504、その後の5〜6の世代と、ピニンファリーナの関与が影に陽にみられた時代のプジョーにはそうした品位が確かにあった。
プジョーに対しては、末尾が7へ移った頃からはあまり関心が持てずにいて、特にステランティス入り以降は「見ないようにしよう・・」的なスタンスできた。近しい位置づけのオペルと同じ傘の下に入ったことで、ステランティスの戦略として、差異化のためプジョーが妙に目鼻の変わった振る舞いをさせられているように映るからだ。
控えめを由とする気風を許さないかの如き時代となり、いまはプジョーといえども一定の主張をしなければユーザーに認めてもらえないのだから仕方がないのだが。
一方で、現行の208はかつての205を彷彿とさせる印象もあり、久方ぶりにちょっと気を惹かれるモデルだ。もし将来フォードを降りなければならなくなったら現行ヤリスと並んで代替候補にいいかな、とも考えている。
トップ写真は職場近くに今なお存在している205カブリオレ。希少な2桁ナンバー、果たして実動車なのかお不動さんなのかは定かでない。
Posted at 2024/05/18 09:47:58 | |
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