(以下長文)
AUTOCAR JAPANの記事では、欧州時間7月7日をもってフィエスタの生産が終了したとのことである。日本との時差を鑑みるともしかすると今からそう遠くないタイミングで、フィエスタが最後のラインオフを迎えていたのかもしれない。1976年の登場以来、ヨーロッパにおけるポピュラーな小型車として多くの人々から受け入れられてきたフィエスタがその歩みを止めた。そのこと自体が現在の自動車市場の大きな変革のうねりを象徴しているとはいえ、フォードにとって決して「小さな存在でない」はずのフィエスタの歴史に終止符が打たれたのは、やはりとても残念である。
フィエスタの長い生涯に照らし合わせればほんのごく短い期間であるとはいえ、私も日本でフィエスタを2世代にわたり愛用している一人である。最初にフィエスタを迎え入れたのは2014年、ちょうど日本でB299が発売されたまさにその年に、前世代に当たる10年落ちのB256を手に入れたことに始まる。B256は日常の用途に適した商品内容で便利に使えた一方で、たまに遠出に駆り出せば惚れ惚れするようなロングツアラーとしてのスタビリティの高さに舌を巻いたものである。その鮮やかなまでに両翼が広いキャラクターに触れて、いかにもヨーロッパの典型的な小型車であることを実感した。
何より、私にはB256のスタイリングが白眉に思えた。当時のフォードのデザインテーマであったニューエッジ・デザインの路線上にありながら、初代Kaやフォーカスほどに急進的な印象こそ与えないものの、いい意味で中庸な練度の高い造形であった。Bセグハッチバックとして必要とされるパッケージングをきっちりと押さえた上で、かわいらしさと骨太さも兼ね備え、欧州フォードの一員としてのアイデンティティをしっかりと備えた研ぎ澄まされたスタイリングであり、私は今でも、立体造形物としての完成度は全フォード車の中でこのB256こそがピカイチであったと確信している。
とかく安っぽいとか味気ないなどと言われたインテリアも、私から言わせれば、クラスに相応しい素材を適切に選択してそこに余計な装飾や加工を施すことなく、居心地と使い勝手と生産効率を並立させた、工業デザインのお手本のような室内空間であって大いに感心させられた。同時期のイタフラ某車のように、表層的な質感向上のための加飾塗装が経年劣化でベタベタに変質するなどという醜態を晒すこともなかった。なぜならB256においては『樹脂は樹脂の肌理そのままであって、それ以上でも以下でもない』扱いがされていたから・・このことに象徴される、廉価な大衆向け小型実用車としての分をわきまえた潔い美意識こそが、B256フィエスタを貫いていた大きな魅力であったと思う。
2020年にたまたま自宅からわりと近い場所で程度優良なB299と出会い、B256と入れ替わりに迎えて今に至っている。同じ車名を名乗るのが信じがたいほどに様変わりした華やいだ姿形であり、正直に言えば初めは戸惑うことも多かった。自分のフォード遍歴の中でこれほど大仰なエアロパーツを身にまとった車種は初めてで(パフォーマンスバージョンたるフォーカスST170でさえスポイラー類はごく控えめだった)、大型のフロントグリルとともに、何だかフィエスタではない別な存在であるように映ったからだ。しかしいざ日々接してみれば、紛うことなくそれは欧州フォードの実用小型車であって、B256と大きく変わらない感覚で扱うことができた。納車日にディーラーから出発する際、敷地内の傾斜した路面でアゴを擦った時はさすがに両車の違いを思い知らされたが・・色々と付加装備が増し、だいぶ「今っぽく」アグレッシヴに変化した各所の意匠もあって、もしや使い勝手にシワ寄せが来ているのでは?と心配したことも杞憂で、特に気になっていた室内からの視界もほとんど支障はないことがわかった。居住性だって外から受ける印象ほどには閉塞感や窮屈感もなく(この点は、B256が広大なグラスエリアや明るいカラースキームの効果で居心地が抜群に良かったからなおさら気になっていた)、時々後席に乗せる母親からの評判も上々である。
ここだけはB256と違っていて欲しかったポイントが実用燃費で、フォード自慢の1.0EcoBoostは評判に違わないパワフルさでどんな時であっても痛快な走りが愉しめる反面、そのネーミングから期待するような高燃費はなかなか達成できていない。エアコンをフル稼働させる夏場の燃費はB256と大差なく期待外れである。
B299は日本でも結構な人気を得たことは記憶に新しい。うかつなことに2014年の発売当時、私はこの車の売れ行きに懐疑的だった。その前に入れられたフォーカスが前評判が高かったにもかかわらず鳴かず飛ばずなのに、知名度で劣るフィエスタはまず売れないだろう・・というのが嘘偽らざる見立てであった。しかしいざ販売が始まれば、商品内容の確かさに加えてメディアやユーザーの好意的な発信効果が相乗して、予想を超える好評を招き驚かされたものである。B299の日本での想定以上の好セールスは、フォード車がその根本的な出来の良さと裏腹に、どうにも不足していた「華やかさ」「ワクワク感」をわかりやすくアピールすることに成功した成果だったと思う。余談ながら、もしB299がマイナーチェンジを受ける前の、2008年登場の初期型の仕様で国内で発売されていたとしても、搭載されるエンジンの内容も相まってまずそこまでのヒットは望めなかったはずだ。
私のB256とB299は、もっぱら日々の細々した移動用途が主体の街乗りカーだが、双方を一度だけまったく同じ行程でロングツーリングさせたことがある。2019年と2022年に浜名湖で開催されたEFMへ参加するため、それぞれ東名を東京から浜松まで同じように走らせたのだが、どちらも120+αkmでの連続高速巡行を難なくこなしてみせた。ふだん近場の街中をちょこまか転がしている時とは異なった逞しさを覚えて、フィエスタの基礎体力を認識したものである。個人的にはB256の高速域におけるどっしりとした走行感覚がより記憶に深い。あまり高速走行に適したように見えない外観と裏腹に(この点、B299はいかにも速く走りそうに見える)、盤石なまでのスタビリティはB256の「非日常的な美点」であった。
2世代のフィエスタを乗り継いで、ヨーロッパの小型車というのはこういうものなのか、と納得している。おそらくある時点まで、ヨーロッパの市場ではB256的な、実質的で堅実な商品性が当たり前に受け入れられていたのだと思う。やがて市場は「質実剛健」だけでは飽き足らなくなって、それ以上の「魅惑力」をフォードとしても提供する必要に迫られた結果がB299だったのだろう。私は大衆向けの小型車に過度な装飾や演出は不要と信じて疑わないが、幸いなことにB299に乗っていても、そのキラキラ度合いは決して気に障るようなレベルでなく、快活なフィエスタのキャラクターをうまく表現できているように感じられむしろ気に入ってさえいる。B299を手にして、私自身の価値観念も明らかに変化したのだった。
昨年、まったく思いもよらない初代フォーカスとの出会いがあったこともあり、現在のB299の稼働率はずいぶん下がってしまってはいる。もちろん車両のコンディションには何ら問題なく、特に懸念点もないまま維持ができている。このあたりはこれまで付き合ってきたフォード各車と同様、信頼できるタフな相棒であって心強い限りである。主治医の守谷店もこれまでよく対応してくださるので心配事も少ない。
いくら望外の健康体とはいえ、さすがに車歴20年以上・走行10万キロ近くを重ねてきた初代フォーカスをファーストカーとするのは気が引けるので、B299にはもうしばらくの間は我が家で活躍してもらうつもりだ。フィエちゃん(妻はこう呼んでいる)、引き続きこれからもどうぞよろしく。私にとってのフィエスタ-祝祭-はまだ終わらない。
Posted at 2023/07/08 07:28:08 | |
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