
~遂に頂点か~
1987年。
オレも20歳になった。
日本はF-1ブームに沸いたんだ。
日本人初のフル参戦。
ホンダパワーの炸裂。
フジテレビによる全戦中継。
時には特番も組まれたよ。
チャンピオンを獲得したのはウイリアムズ・ホンダのネルソン・ピケ氏。
ホンダエンジンチームのドライバーとしては初、チーム(コンストラクターズ・タイトル)を2年連続で獲得。
遂にホンダエンジンの完全制覇達成。
世界にその名を知らしめたんだよ。
遂に頂点に立ったってことだよ。
中嶋選手の活躍も光ったよ。
シルバーストンでは4位でゴールしたんだ。
日本GPも大人気だ。
理由はもう想像に難しくないだろ?
だけど波乱があったんだよ。
なんと勝ったのはホンダじゃなく、フェラーリのゲルハルト・ベルガー選手だったんだ。
ルマンはまたもポルシェが勝ったんだ。
しかし何かが動き始めるんだよ。
WECではシルクカット・チームのジャガーXJR8がチャンピオンになって宿敵ポルシェを破ったんだ。
日本もトヨタ、日産、マツダがGr.Cにチャレンジするんだけど・・・・
国内フォーミュラはF-2からF3000シリーズになった。
星野一義選手はゼッケンナンバー1を死守。
グラチャンでも活躍を見せる。
面白いエピソードがあるんだけど、星野一義さんはレイトンハウスカラーだったんだよ。そしてチームメイトが関谷正徳選手だったんだ。
まだ国内Gr.AもGr.Cも相変わらず外国車が幅を利かせていたよ。
そしてインターTECではHCR31 スカイラインGTS-Rがデビューするんだ。
レーシングドライバーも「星野一義・(故)アンダース・オロフソン」組と必勝体勢。
だけどチェッカーを真っ先に潜ったのはワークスのフォード・シエラRS500だったなぁ。
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Nジャンとモータースポーツ | 日記
Posted at
2008/05/28 23:25:43