簡単に説明すると日産、IMPULファンになった経緯はこんな感じ。
少年時代スカイラインに初恋をすると、ブルーのレーシングケンメリスカイラインGT-Rに憧れを抱く。
父親のクルマは日産チェリー。
ディーラーの営業さんからポスターを貰う。
日産チェリー静岡のスポンサーを受けてFJレースを参戦していた静岡市出身の新人ドライバー「星野一義」という人物。
ブルーのレーシングGT-R、同郷人「星野一義」氏。
その描いていた夢がまさか現実になるとは…
居ても立っても居られず向かったのは富士スピードウェイ。
オイラはもう24になっていた。
そこで優勝したのは青いレーシングスカイラインGT-R。
ドライバーは白と黄色のあの人物だった。
そのあとはご想像。
時代はGr.AからJGTCへ。
シリーズ開幕当初はカルソニックIMPULがチャンピオンを獲るけれどもまだGTも創成期。
星野一義氏もドライバーとしての参加はしていなかった。
チャンピオンは影山正彦氏だった。
やがてレギュレーション変更でドライバーは二人一組が定められた。
その時に星野一義氏がGTに登場する事になった。
ブルーのスカイラインに星野一義氏の組み合わせは、オイラにとって火の打ち所も無い程の思い。
しかし年齢には勝てず、星野氏の身体は悲鳴を上げた。
氏はヘルメットを置いた。
チーム代表として指揮を振る日本一速い男。
強い青は健在だが王者には手が届かなかった。
毎シーズン、日産チームのドライバー体制を見ていると、エース級のドライバーはNISMOが持って行くのは誰の目にも明らかた。
IMPULはドライバー育成みたいな感じになっちゃっていた。
当然、ファンはヤキモキ。
それから数十年、GTのチャンピオンは夢物語だった。
今シーズン、まさかのNISMOの牙城が崩される。
セカンドNISMOと言えるCRAFT SPORTが逆に強さを見せていた。
エースのMOTUL AUTECHのドライバーは実力者。
だけど今年は運だけが無かった。
同時にカルソニックIMPULも確実にポイントを稼ぎ勝利も得てチャンピオンへのビッグチャンスが到来。
そして昨日を迎えた。
朝から落ち着かない自分。
殆どが上の空。
手にしているスマホだけ眺めていた。
気休めの筈のSNS。
少々荒めの気持ちがついつい出てしまった。
イライラでもなくドキドキでもなく妙な心境。
そしてレースが行われゴールを迎えた瞬間、今まで感じたことない空白を知る。
気付けば狂喜乱舞、止まらない涙が流れていた。
女房子供が出かけていた事はラッキーだった。
「ボクはただいるだけで、二歩も三歩も下がって見ているだけだから」という星野一義代表。
チームのコントロールは星野一樹氏がやっていたようだ。
というより、星野一義氏から学ぶ事をしていたのだと思う。
実は星野一樹氏、将来監督業としては父親の一義氏より優れた才能を見せるのではないかと思っているのは自分だけだろうか?
チームスタッフの立場もドライバーの立場も知っているのは氏の方だと思う。
一樹氏は今回のチャンピオン獲得で、どうやら今後の自分をココへきてハッキリ見えたと想像しているオイラである。
強い「青鬼」が帰ってきた。
青鬼の実力はあれど、威張りん坊の「赤鬼」が黙ったからだ。
そして他のチームより勝利の方程式の謎解きが巧みだった事も付け加えておきましょうか。
とにかくチャンピオンになった。
あのカルソニックブルーが。
SuperGTオンリーならば空白の27年を思うが普通。
なのに今はどこぞやのSNSのリール動画のように、これまでの事が流れていく自分。
ドライバーさんもチームの皆さんにも関係者の皆さんもスポンサーの皆さんもファンの皆さんも「おめでとう」の祝福を。
そして今回だけは自分自身のも「おめでとう」を言ってもいいかな(笑)?
¨フロントウィンドゥにKH¨
※画像:carviewさんよりお借りしました。
2022.11.07
Nジャン(N-JUNKIE) [ 静岡県 ]
☆もうひとつのゼッケン12への思い☆
Facebookユーザーの皆さん、宜しくお願い申し上げます。
・
https://www.facebook.com/shinichi.ishiguro.1/posts/pfbid02Lp9omfKaMfVe1LGYQZZ85yab6mnNMpZ36YBZY3TuSgZtgaza5zpcERw3ZX4Ttuagl?notif_id=1667771516870888¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif
Posted at 2022/11/07 09:07:33 | |
トラックバック(0) |
イチ日産ファンとして | 日記