(安岡正篤-「人物を創る」より)
「范文正(はんぶんせい)公、参知政事たる時、諸子に告げて曰く、吾貧しき時、汝が母とともに吾が親を養う。汝が母、躬(みずか)ら爨(さん)を執(と)る。而(しこう)し吾が親甘旨(かんし)未だ嘗(かつ)て充(み)たざるなり。今にして厚禄を得たれば、以て親を養わんと欲すれど親は在(いま)さず。汝が母も亦己(すで)に蚤世(そうせい)す。吾が最も恨む所の者なり。若(なんじ)が曹(ともがら)をして富貴の楽を享(う)けしむるに忍びんや。
吾が呉中の宗族(そうぞく)甚だ衆(おお)し。吾に於ては固(もと)より親疎(しんそ)有り。然(しか)れども吾が祖宗より之を視れば、則(すなわ)ち均(ひと)しく是れ子孫にして、固(もと)より親疎無きなり。苟(いやしく)も祖宗の意にして親疎無ければ、則ち饑寒の者、吾れ安(なん)ぞ恤(あわれ)まざるを得んや。
祖宗より来(このかた)、德を積むこと百余年にして、而して始めて吾に発して大官に至るを得たり。若(も)し独り富貴を享(う)けて而して宗族を恤(あわれ)まずんば、異曰何を以てか祖宗に地下に見(まみ)えん。今、何の顔(かんばせ)あってか家廟(かびょう)に入らんやと。是に於て恩例・俸賜(ほうし)、常に族人に均(ひと)しくし、幷(なら)びに義田宅を置くと云う」 - 「宋史・宋名臣言行録等」
宋の范文正公(仲淹、ちゅうえん)が大臣をしておった時、子供たちに告げて言うには、「私がまだ駈(かけ)出しの貧乏時代には、お前たちのお母さんと力を協(あわ)せて親を養っておった。当時お前たちのお母さんは自身で炊事をし、お前たちの祖父母はかつて御馳走を腹一杯食べたことはなかったのである。今出世して厚禄を得るようになったけれども、もはやその親はおらん。お前たちのお母さんも早世してしまった。これは私が最も遺憾とするところである。お前たちに富貴の楽しみを享受せしむるに忍びない。
郷里の呉には一族の者がおおぜいおる。もちろん自分には親しい者もあれば疎遠な者もある。しかしわが先祖からこれを見れば、等しくみな同じ子孫であって、もとより親疎の別などあろう筈がない。いやしくも先祖の心に親疎の別がないならば、一族の中の衣食に困っておる者をどうして私が憐れまずにおられようか。
先祖代々徳を積むこと百余年にして、初めて自分にその徳があらわれて大官になることができた。もし自分一人が富貴を受けて、一族を憐れまなければ、いつかの日死んだ時にどうして先祖の人たちに地下でお会いすることができようか。そこで、今までしばしば朝廷から賜ったものや俸禄を一族の人たちに等しく分配して、併せて一門一族を救済する田を設けようと思う」と。
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2010/12/29 03:40:20