(安岡正篤-「人物を創る」より)
「あんたは牛のけつじゃな」
東京の谷中に南隠という偉い禅僧がおった。ある日新進の仏教学者がやって来て、さかんに仏教を論じ、ついには達磨とか二祖大師慧可(えか、中国禅宗の第二祖)の「断臂(ぴ)の物語」などを取り上げてとうとうとまくしたてた。
ご承知のように二祖断臂の物語というのは、慧可が達磨に入門を請うた時に、どうしても許してくれなかった。そこで慧可は、ちょうど雪の降る日であったが、雪が腰を埋めるのもものとせず、夜通し達磨の門を去らずに頑張っておった。その姿に気づいた達磨が「お前はまだそんなことをしておるのか」と慧可に言ったときに、慧可は「私はいい加減な気持で教えを請いに来ておるのではありませぬ、命懸けで来ておるのです」と言って自分の臂(ひじ)を断ち、これを達磨に捧げて覚悟の程を示した。これにはさすがの達磨も感動して、初めて入門を許したという。
こういう物語であるが、これをその学者が「おそらくこれは伝説で、そもそも達磨自身果たしてどれだけ実在の人物であるか、ということすらあやしいものだ。禅などというものは、こういう学問的には甚だあやふやな基礎の上に立ったいい加減なものである」と、その学者もあまり出来ておらぬ人と見えて、いつの間にか脱線してきた。
そうしていろいろの書物を引用し、新しい研究の材料を羅列してやるものであるから、初めてそういう話を聞く禅師は「ほう、そんなことがあったか」と熱心に耳を傾けている。「どうだ古くさい和尚、俺の新研究に驚いたか」と学者も内心得意になってやっておったところが、だんだん禅師が黙り込んでしまった。そこで学者も、これ以上やるとご機嫌が悪くなるかも知れぬ。この辺が引揚げ時だと思ったので、そこそこにお暇乞いをすることにした。禅師は「いや、おかげさまで今日はたいそう面白い話を聞かせてもらった」と玄関まで見送って、さて別れの挨拶をすませて出ようとした時に、和尚はさも感に堪えぬような声でたった一言、「あんたは牛のけつじゃな」と言われた。
なんのことか分からぬので、「へえ」と言って帰って来たが、学者先生このことが苦になって仕方がない。「牛のけつじゃな」と言われたが、牛のけつというものはあまり見てくれのよいものではないから、褒めたこととも思えぬが、しかしあんなに真面目に感に堪えぬような声で言われたのであるから、いずれにしてもよほど意味があるに相違ないというので、辞引を引っぱり出してさんざん調べてみたが分からない。「牛のけつ」という熟語もなければ故事もない。百方苦心して、ふっと気づいたのが、あの禅の「十牛図」であります。これは人間の悟りの境涯のだんだん進化してゆく過程を、牛に譬えて説いた面白い物語でありますが、その十牛図を思い出して、どうせこの辺から出ておるに違いなかろう、というので始めから終わりまで調べてみたが、牛のけつらしいものはなにもない。
とうとう百計尽きて、ある日再び禅師のところへ出かけて行った。そうして無駄話の末に、「時にお教え願いたいことがある。先日禅師から「あなたは牛のけつじゃな」と言われましたが、どうも私、浅学寡聞にして、その意味がよく分かりませぬ。なにとぞお教え願いたい」と言ったところが、禅師は呵々大笑して「それだから学者は困る。牛はなんと言ってなくか、もう、といってなくじゃろ。けつはお尻じゃ。だから、お前さんはもうのしり(物知り)じゃなと言ったのじゃ」と言われた。これを聞いてその学者も、もうがっかりしてしまって、開いた口が塞がらんで帰って来たという。
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2011/01/20 00:01:02