今回はドイツ人ジャーマンより。バリバリの軍用車です。
【Type 82 Kübelwagen】
「タイプ82 キューベルワーゲン」です。
この車、ベースとなったのはこちら。

KdF wagen、つまり最初のビートル(VW38)ですね。
まず、KdFとは何ぞやと。
「Kraft durch Freude」(独語:訳すると「歓喜力行団」)という労働者団体があり、その頭文字を取ってKdFと呼ばれていました。
見た目には、この頃(1938年)から既に形はビートルでした。
アドルフ ヒトラーはある日、こう演説しました。
「国家を真に支えている国民大衆のための自動車であってこそ、文明の利器であり、素晴らしい生活を約束してくれる。我々は今こそ「国民のための車」を持つべきである!!」

あ、これは忘れて下さいw
ヒトラーは実はかなりの車好きで、スーパーチャージャー付きのメルセデスでドライブスルー、いや、ドライブするのがストレス解消だったんだそうです。
そして、あのフェルディナント ポルシェ博士がこの車を設計製作したのですが、労働者の皆さんはまずDAF(ナチス労働戦線)の会員になり、給料から5マルクをDAFに支払い証紙を貰い、貯蓄帳に貼り付けて、990マルクが貯まるとその貯蓄帳と引き換えに車が渡されるシステムでした。だいたい4年間貯蓄すると手にはいる計算だったそうです。

さあ、貯蓄しましょう!!

国民(フォルクス)達は、このポスターのような「自家用車のある豊かな暮らし」を夢見て、貯蓄に励みました。
しかし、戦争に突入し、その貯蓄の殆どは戦費として費やされてしまいました。手渡されるはずのKdF ワーゲンも・・・

このような姿になり、軍用車として戦線に送り込まれました。KdF(VW38)は国民の手に渡る事は少なかったのです。
スペックを。
空冷水平対向OHV4気筒、排気量985cc、最高出力は24馬力です。
このキューベルワーゲンに求められた性能は以下の通り。
1:オープントップであること
2:総重量950kg、うち車輌自重550kg、積載量(乗員3名と貨物)400kg
3:生産性が高いこと、大量生産が可能であること
4:軍用車輌だが、民間用にも簡単に転用できること
3~4は元々大量生産を目指した国民車、問題なくクリアです。
2については、最終的には乾燥重量600kg台となり、24馬力と非力でも時速80kmでの走行が可能でした。
1は元々KdF(VW38)には、オープンモデルがあったので問題無しでした。
VW38と同じく、リヤエンジンリヤドライブつまりRR駆動でしたが、軽い車体とRRのトラクション性能の良さで、悪路走破性は良かったそうです。四駆も試作されましたが、結局はRRのまま終戦まで生産されたのです。
ただ、牽引力は四駆では無いので、不足気味でギア比などを変更したタイプも作られましたが、今度は最高速が60km台に落ちてしまいました。

オープン状態、アメリカのジープのように、後席は向かい合わせでベンチシートに座る形式ではなく、バケットシート型の普通の座席でした、乗用車ベースであるので生産性優先でこの形です。
名前の由来である「バケットシート自動車 (Kübelsitzwagen = Kübel + Sitz + Wagen)」、「バケツ自動車 (キューベルワーゲン Kübelwagen = Kübel + Wagen)」はこのシートから来ています。

運転席、メーターはKdFの物をそのまま流用しています、そう、KdFもキューベルも「センターメーター」だったのです。
やはり流行りは繰り返すんでしょうかね。
中古市場・・・オークションでしか出てきませんね。生き残った現存車両は、敗戦国の軍用車両の常で非常に少ないのです。
日本の世界初の四輪駆動の軍用車両「くろがね四起」(九五式小型乗用車、以前紹介済み)も、現存車両は3~4台ですし。
お値段は数千万行くかも?。
アフリカの砂漠を、ロシアの泥沼や凍土を走り抜いた堅牢な軍用車、それがこのキューベルワーゲンなのです。
余談、戦後、KdFからフォルクスワーゲンへと社名を変更し、VWタイプ1として改めて販売された時に、この貯蓄帳を満額貯めていた人々が希望すれば、貯蓄帳と引き換えに(タイプ1、つまりビートル)車を渡したそうです。
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好きな車
Posted at
2016/06/27 22:31:16