今回はイタリア~ンで行きます。
久しぶりの黒ベコ・・・いや、黒牛さんの所からですよ。
スーパーカーブーマーな方々なら琴線にひっかかる・・・はず?。
【Lamborghini Urraco】
「ランボルギーニ ウラッコ」です。
1970年のトリノ オートショーでプロトタイプを発表、受注を開始、1973年に生産販売が開始されました。
ウラッコとはランボルギーニのお約束通り闘牛の名前から来ております。
最初の生産型、ウラッコP250です。
スペック
水冷V型8気筒SOHC、排気量2463cc、最高出力220馬力です。
ウラッコが生まれた背景、それはよく言われているのはフェラーリ ディーノの対抗馬だったというのがありますが。
本心はポルシェ911(この時代だといわゆる901型のナローポルシェ)に対抗できる2by2、つまり(一応)4人乗車ができるスポーツミッドシップカーを造り、特に当時911がよく売れていた北米市場を開拓すること、これが最大の目標でした。
副次的な目標は生産をなるべくオートメ化して従来のランボルギーニの車より比較的に安価な量販モデルにすることが第2の目標でした。
V型8気筒エンジンを横置きにして車体後方へ押し込み、それで2by2の4人乗車を実現しなければならないため様々な努力が施されています。
まず、それまでのランボルギーニのエンジンはNAのV型12気筒がメインでしたが、このウラッコのためにV型8気筒をわざわざ製作したのです。
それも狭いスペースに積まなければならないためまずはDOHCではなくSOHCを選択してエンジンの全高を下げ、また、ボアストロークも結構極端なショートストロークになっています、これもエンジンの全高を下げるためです。
つまり、エンジンのコンパクト化に並々ならぬ努力を積み重ねたわけですね、そりゃ同社の2シーターのミウラより50mm短い車体(全長4250mm)に4人乗車できるスペースと、さらにV8エンジンを横置きで車体後部へ押し込むという荒業をこなさなければならないわけですからね。
ウラッコ透視図、エンジンやトランスミッションをいかに小さく省スペース化したかがわかります。脚回りもマクファーソンストラットを採用してスペースを取らないようにしています。
その努力が実を結び、2by2のレイアウトを実現しました、ちゃんとリヤシートがあるのがおかわり🍚いやおわかりいただけるだろうか・・・・。
実際には、リヤシートの広さはこれぐらいなんだそうですがw、あくまでエマージェンシー的なシートですな。
そして、量販のための努力(効率化の追求)、この頃のランボルギーニの車は鋼管のフレームに外板を貼り付けていくほとんどハンドメイドの生産方法だったのですが、このウラッコは現在主流のモノコック(一部)が取り入れられたのです。
なんとこの1970年代に工業用ロボットを導入してライン生産しようと真剣に協議していたとか。
そして、その年間販売計画台数は目標!1327店!じゃなくて2000台!だったという・・・まさに牛のように鼻息が荒かったわけで。
しかし・・・これらの最早意識他界系いや意識高い系な目標が・・・販売面で足を引っ張る原因になってしまいました。
まず、そのコンパクト化したV8エンジン。
これの開発はランボルギーニにとしては新機軸の塊だったので難航、試作品ではトラブル多発でネガ潰しに時間がかかってしまいました。
そして、生産ラインの高効率化ですが、実現するには当然資金がかかりますが、その頃にランボルギーニの本業であるトラクターの販売が、当時南米のボリビアで勃発したクーデターの余波を受けて苦境に立たされてしまったのです、つまり屋台骨が複雑骨折だよ!な状態に。
ランボルギーニという会社は本来はトラクター屋さんなんですよ、日本で言えばイセキやヤンマーがスーパーカーを造っているような物ですね。
これが現行のランボルギーニのトラクターですが、お値段は本体価格で3000万円!(輸入されていますよ)・・・まあっ!お買い得だわっ!・・・では無いな、お家が大地に建つ価格だw。
でも、トラクターって国産でも大型の物は1000万円オーバーとかは軽~く行きますからね、農機って高いんですよホント、後付けアタッチメントでも数百万円とかしますから、建機もそうですけどね。だから北海道では大型農機が必要ですから、隣近所で共同出資で購入して使い回していますね。
1973年にどうにか販売を開始しましたが・・・そう、この頃に更なる追い討ちをかけるようにオイルショックが始まってしまいました、当然販売は低迷、このままではいけないと手をうつことになり。
1974年にイタリアの税制(排気量2000cc以上は税金が高い)にあわせたP200も販売、スペックは水冷V型8気筒SOHC、排気量1995cc、最高出力182馬力です。
しか~し、本国イタリアでも正直売れなかった、総販売台数は・・・ろ、66台・・・。
なぜ売れなかったか?話は簡単SOHCだったからですね、イタリアンはDOHCのクワトロヴァルボーレ(4バルブ)が大好きですから。
そうかいそうかい、よくわかりましたよ、じゃあこれならどうだ!と
1975年に排気量を3000ccにアップ、エンジンをDOHC化したP300に進化、いや、DOHCが搭載出来るのなら最初からそうしろよ!とか言っちゃダメです!w。
スペックは水冷V型8気筒DOHC、排気量2997cc、最高出力250馬力です。
これにより、P250は翌1976年には生産中止、約520台程の販売台数だったそうです。
尚、排ガス規制が厳しくなった北米向けに
バンパーなどを改良し、エンジンもエアポンプやサーマルリアクター装着して排ガス規制をクリアしたP111を販売、中身はP250ですが馬力は180馬力程に低下しており、販売台数は21台程・・・だったそうです。
目標の北米市場の開拓は、排ガス規制と相まって大失敗してしまったわけですね。
P300は1979年まで生産され、その総生産台数は190台ほど・・・出すのが遅すぎましたな、ライバルのポルシェも930型へ移行してそちらは売れていますし。この年を持ってウラッコは生産終了となりました。
では、ウラッコの変わり種もひとつ。
ウラッコ ラリー
ボブ・ウォレスが1973年秋から暮れにかけて1台だけグループ5の規定に沿って試作したレース用車両です。
これのために製作された3リッターDOHCエンジンが後にP300に搭載されました。
さて、ここで皆様ランボルギーニ シルエットという名前を覚えていますか?。
これがランボルギーニ シルエットです、1976年のデビュー。
実はシルエットという車はこのウラッコをベースにタルガトップ(オープン)にして、更にエアロの装着やリヤシートを撤去して(まあ、無いに等しいただの重りのようなシートでしたしw)2シーター化した車なのです、でも、中身的にはウラッコP300(エンジンも同じ)なんですよ、だから意外と知られていない正式名はランボルギーニ シルエットP300なのです。
ウラッコと同じく北米での販売拡大を目指して製作されましたが、しかし・・・ポルシェ911の牙城は崩せず、販売台数はたったの53台だったそうです・・・。
さて、中古市場
ウラッコP200を発見、生産台数も少ないしさぞかし高額なんだろうな・・・約700万円程、あれっ?、意外と暴騰していないのですね、まあ、不人気ではありますし。
海外のオークションでもP250やP300で1000万円は行っていませんね、やはりカウンタックやミウラのようには高騰していないようです、不人気でしたからw。
様々な新機軸を取り入れ、そして生産体制まで見直して2by2の量販モデルとして気合い充分で開発、打倒!ポルシェ911!そして北米制圧!と鼻息荒く闘牛のように牛突猛進!、しかし高過ぎた目標と時代の波という赤いマントに翻弄され肩透かしを喰らって、販売的には年間目標2000台が約6年間で700台程とさっぱりで、そのまま時代の波に消えていった不運な車、しかし、このウラッコがあったからこそ
いわゆるベイビーランボルギーニであるガヤルドや
現行のウラカンへと繋がったのです、それまでV型12気筒エンジンしかなかったのですから。
ベイビーランボルギーニ達を産み出したマイルストーンでもある大事なモデル、それがランボルギーニ ウラッコです。
購入するなら?、ANSA(アンサ)マフラーぐらいで後はもうレストアとメンテナンスで、冷却系が弱いそうなのでそこは対策ですかね。磨きあげて雨の日は乗らない、これかな。
個人的にはシルエットも好きですけど、どちらも実物を拝んでかしこみかしこみ奉って神社建立したい所です。
まずは実物を見てみたいなぁ。