今回は国産車の超大御所、行きます。
久しぶりの六連星(むつらぼし)から・・・いや、別に黒くはないですしアレだと三人程多いですしむしろ青色ですよ。
はい、スバルさんですね。

へあぁぁ~ぁぁぁあ~!目がっ!目があぁぁ~っ!👓💦
違っ!
【SUBARU 360】
「スバル360」です・・・大丈夫かな?、大好きですが間違い御容赦で。
1958年のデビュー、この頃の日本は高速道路の建設計画が立ち上がりそのための法整備も開始、また「最早戦後では無い」という言葉が経済白書に踊り輸出倍増で経済もウナギ登り(所謂神武景気の頃)、戦後復興から個人の所得倍増のために働いていた頃ですね。しかし、自家用車は当時の三種の神器(白黒テレビ、選択肢いや洗濯機、冷蔵庫)よりも高額で庶民には高嶺の花でした、泡沫な自動車メーカーが様々な低価格車によるアプローチをしましたが普及には至らず。しかし、1955年に通商産業省(現・経済産業省)の担当者であった川原晃重工業局自動車課技官らがまとめた国民車育成要綱(案)が立ち上がり、それに則って造られたのがこのスバル360です。

初期モデルです(通称出目金さん)。スペックはこちら。
強制空冷2ストローク直列2気筒、排気量356cc最高出力は16馬力。リヤエンジンリヤドライブのレイアウト・・・あれっ?なんかこういう車が他にもあったような?。
「国民車構想」というのは欧州などでも昔からありまして。一番有名なのは。
「これからの国家の評価は鉄道ではなく、高速道路の長さで決まる。自動車が金持ちの階級のものである限り、それは国民を貧富の二階級に分ける道具にしかならない!。国家を真に支えている多くの国民大衆のための自動車であってこそ!文明の利器であり素晴らしい生活を約束してくれる。我々は今こそ『国民のための車』を持つべきなのであ~る!」

ジィ~~ク(半拍)ジオンっ!・・・・違っ!ww。
はい、某「総統閣下」ですね、この画像は閣下自身による演説の練習風景だそうで珍しいそうです。

その構想から生まれたのがこのkdf後のVWタイプ1(ビートル)ですね。当時の国民達は自家用車のある生活を夢見て毎月の給料から10ライヒマルクを支払い印紙を購入、その印紙を貯蓄票に貼り付け貯蓄票が満額になったらそれと引き換えにkdfを入手する、そういうシステムでしたが、実際には満額になっても引き換えられず造られたkdfは軍用車両になり貯蓄は戦費にまわされたという・・・ある意味「戦費稼ぎの詐欺」となってしまいました・・・・。
いや、閣下、国民は貯蓄ショーメー!だったと思いますよw。
これには後日談がありまして、戦後VWになった訳ですが戦前戦中に貯蓄票を満額貯めていた人にはその貯蓄票と引き換えにタイプ1を渡したそうです。
日本のもそのドイツの国民車構想を下敷きにして、スバル360ができたとも言われていますね。

RRレイアウトもビートルと同じ、違うのはエンジンが2サイクルだし水平対向では無いこと(360は直列2気筒です、メーカーがスバルということでボクサーと勘違いされやすいですが)

これがスバル360の2サイクル強制空冷直列エンジン、ね、ボクサー(水平対向)ではありませんよ。
ドアは後ろ側にヒンジがある前側解放です。ビートルはカブトムシでしたからスバル360は「てんとう虫」という愛称があったとか。
お世辞にも4人家族が乗るには小さな車でしたが「夢のマイカー」つまり自家用車が買えると・・・しかし、1958年当時のスバル360の販売価格は425,000円だったそうです。
当時の大卒初任給は13,500円ほど、つまり当時の1万円を現在に換算すると約15万円ほど、それで現在の価値に直すと車両本体価格は現在の感覚では638万円ほどになります・・・嘘ぉ!、まだまだ高嶺の花だったのです。
しかし、このスバル360はその後小改良をしながら約12年間生産販売されました、その間に国民の所得も倍増し(大卒初任給が4万円までに向上)、最終的には車両本体価格215万円(現在の感覚で)にまで下がったそうです。
16馬力しかありませんが乾燥重量で384kgとフルモノコックボディによるかなり軽量なボディ、大人4人乗車で最高速度は83km出せたそうです、エンジンを総統閣下いや相当カッカさせてぶん回してでの話ですが。
ここで、スバル360のTVCMです。
ガヤがうるさいな(-""-;)。
ある意味今のスバルのドラマ仕立てCMに繋がっている?、スバル奥様ww、このあたりで主婦層にもマイカー所有をアピールしはじめていたんですね高度成長期でしたし。まあ、家庭の大蔵大臣は奥様というのは今も変わらない訳ですからw。
モデルチェンジしない・・・いえいえ12年間という長いモデルスパンでしたので小改良された部分も多いです、アクリルガラスから材質変更されたり、サイドウインドーは最初前後スライド式だったのが下へ下がる方式になったりと様々。

商用3ドアバン(ワゴン)もあったんですね、これは可愛いな!。
さて、長い期間愛されたてんとう虫でしたが、1967年にその刺客は浜松(当時、現在は東京)からやって来ました。

はい、NコロことホンダN360ですね(紹介済)、低廉な価格(スバル360の425,000円に対して約310,000円)、360cc4サイクルで経済性も良く31馬力とリッター100馬力に迫る高出力、あのMINIを模範とした2ボックスFFのレイアウトによる余裕の空間、はい、売れない訳がありません(何故N360は安く販売できたのか?、ホンダは既に2輪の販売網を持っていてそれを利用することで中間マージンを排する事が出来たからです、エンジンもCB450というバイクからの流用ですし)。
それまで軽自動車の販売1位はスバルの独壇場だったのですが、Nは販売後僅か数ヶ月でトップを取りました。総生産台数を見てもスバル360が12年間で39万台ほど、N360は5年間で65万台に達したそうです・・・圧倒的ではないか、我が軍(ホンダ)は(by 某一郎氏・・・嘘)
当然、スバルもただ指を咥えて見ていた訳ではありません。
まず25馬力まで出力向上され、1968年8月には若年層を狙ったスポーツモデルとしてツインキャブを装備、36psを発揮するEK32型エンジンを搭載したヤングSSと25psだが内外装をスポーティ仕様としたヤングSを発売しました。

これがヤング(カップ焼きそばでは無い)SS、外観はヘッドライトカバー、ストライプやSS(総統閣下の親衛隊では無い)の文字が。

内装、ナルディ(っぽい)ハンドルとかタコメーターとかでナウなヤングにバカうけ(🍘煎餅ではない)な装備の数々・・・はい、売れませんでした。
無理やり馬力を上げたので低速トルクが死んでいく・・・俺のRが死んでいく状態だったそうです。
1970年、後継のR2に引き継ぎ生産を終了しました。
さて、中古市場
古いしマニアも沢山居るしさぞかし・・・後期モデルで安ければ70万円あたりから見つかりますね、上で100万円あたり、(ペ)ヤングSやSSの役物で200万円あたり、あら、案外値上がりしていないな。
値段的には旧車入門編?と思われがちですが、価格が安ければ何らかの問題を抱えている個体もありまして、結局補修や全塗でフルレストアしたら数百万円逝っちゃいました~なんてのもよくあるお話です。
やはりフロアが腐ってやがる・・・遅すぎたんだな個体も多いそうです。
購入するならそれこそ分解も辞さないレベルでじっくり見ましょう。
部品については長期間の生産であることやマニアも多いのでそれなりにはあるそうですが、ゴムや樹脂部品は年々厳しくなっているようです。また、事故車を無理矢理パテで昇天ペガサスMIX盛りで治した(ように見せかけている)個体もあったりします。こういうのは大概下地の地金が腐っているそうです。

日本の庶民をモータリゼーションの夜明けに導き、国民車として長く愛されその愛らしい小さな車体で頑張り続け、その志はタイプ1(ビートル)やドゥシュヴォ(シトロエン2CV)やMINIやチンク(フィアット500)にも決して劣る事の無い車(言い過ぎですか?)、それがスバル360です。
所有するならやはり(ぺ)ヤングSSが良いかなぁ、ハンドルは本物のナルディのウッドステアリング、エンジンはそのままを維持、シートはMINIがよくつけているコブラシートで(ヘッドレストが無いバケットシート)、脚周りは締め上げる方向で、スバル360はかなり柔らかいので。それか外観スタンダードでエンジンはSSというのも悪くない、商用3ドアバンでそれをやるのも良いかも?、タイヤはホワイトリボンにホイールは鉄チンにムーンアイズのムーンディッシュ装着で。
やはり可愛い車だなぁ(*´ω`*)