今回はホンダさんからです。
独創的で流麗なスタイルのクーペをご紹介。
【HONDA 1300 Coupe】
「ホンダ1300 クーペ」です。
だいぶ前に紹介したセダンのホンダ1300 99S

1969年デビューのこちらですね。
漫画「SS」で若かりし頃のダイブツさんが乗っていた車、これのスポーティーさを増したモデルで2ドアクーペもあったのです。

これが1300のクーペです、1970年デビュー。
ホンジャマカスペック!(は?)
「強制空冷」4気筒SOHC、排気量1298cc、最高出力95馬力、横置きエンジンのFF駆動式です。
大別するとグレードが2種類ありまして、クーペ7とクーペ9があります。
このスペックはシングルキャブレターの7のものです。9は4連キャブレター装備で馬力は110馬力になります。

内装、ホンダZ(初代)でも採用されていたスポーティーな「フライトコクピット」ですね、メーター類がドライバー側を向く包みこむような配置です。
さて、強制空冷って何?になっているかと、つまりこのホンダ1300は空冷エンジンなんです。
N360もそうでしたが、初期のホンダ車のエンジンは空冷主流だったのです、その理由は・・・後程。
では、強制って何?
DDAC(Duo Dyna Air Cooling system、つまり一体構造2重壁空冷方式)という機構が装備されていまして、外気をフロントグリルから取り込む他に、エンジンには空気の通路を設けてあり、そこにファンで強制的に風を送り冷却するという方式を採用していたのです。つまり、空冷ポルシェの逆方向と思っていただければ、ポルシェはエンジンが後ろにありその一番後ろ側に冷却ファンが付いています。

これがホンダ1300(画像はセダン)のエンジンルームです、エンジンブロックはなんとアルミですよ。
拡大してもラジエーターらしきものは見当たりませんね。
ところで画面左側のエンジンの横になんらかのタンクみたいなものがあるんですが、実はこれオイルタンクなんです。
一度エンジンオイルをこちらへ循環させて冷やし、またエンジンへ送るといういわばオイルクーラーのようなものですね、タンクの外壁には冷却フィンも付いています。
尚、潤滑方式はドライサンプ式を採用・・・ってスズ菌のバイクかなこれ?、ある意味油冷ですやん。
では、何故ホンダは空冷にこだわった(固執したとも言える)のか。
「水冷は加熱された湯を空気で冷やすのだから、エンジンを直接空気で冷やす方が単純合理的で軽量化にもなる」本田宗一郎氏はこういう考えを持っていた人だったのです。
しかし、若手のホンダの技術屋の一部はこの考えに懐疑的だったそうで、宗一郎氏と真っ向から対立、しまいには「あなたは現場の技術者ですか?、それとも創業者(つまり社長)ですか?」と宗一郎氏は技術者達に問い詰められる始末、これが引き金となり宗一郎氏の現場引退に繋がったそうです・・・つまり、ある意味老害化していたのかも。
さて、1300の排気量でしかも空冷エンジンで110馬力を発生、その技術力は世界からも称賛され、当時のトヨタの社長を「ホンダは1300ccの排気量でしかも空冷で100馬力オーバーを達成しているんだぞお前らっ!💢」(当時のトヨタでは100馬力を達成していたのは1800ccのエンジンでした)と激昂させる程でしたが、販売すると・・・色々と酷評も受けるようになりました。
まず、軽量化(コストダウンも勿論目標)のための空冷エンジンが仇に・・・更に新機軸のDDACがトドメを刺してしまったのです。
まず、空冷だからヒーターの効きが悪い、また温風が油臭いだののクレームが、そして構造がシンプルで宗一郎氏の言う通り軽量化に繋がるはずだった空冷エンジン、それが複雑な機構のDDACのせいで逆に重くなってコストアップしてしまったという本末転倒な状態にw。
確かにエンジンは直4の4連キャブで高回転まで良く回るのですが・・・
【ピーキーすぎてお前にゃ無理だよ!(by金田)】なエンジン特性でしたし。
実はクーペではちょびっとデチューンしてあるんですよこれ(セダンの77は100馬力、99は115馬力でした)、少し出力を絞ってトルクを稼ぐためにね、つまり「街中では扱いにくい車」だったんですね。
さらにさらに重くなったエンジンが扱いにくさに輪をかけてしまった・・・フロントヘビーすぎてさらにFF駆動が輪をかける・・・はい、曲がりにくいいや曲がらない車なんですわコイツ。
FFを知り尽くしている腕のある人ならそれを生かして速く走れたそうですが、まだ当時はFRやRR駆動が主流でしたしね、速く走ろうとするとトルクステアとの戦いを強いられたそうです。
また、空冷であること自体がトラブルの素だったそうで、高速道路や普通に走っているぶんには問題無しでしたが、いざ渋滞にハマってしまうと・・・強制冷却ファンが付いているとはいえ冷却が追い付かずにオーバーヒート気味に、油と水、熱を奪える量は水の方が上ですからねぇ・・・つまり比熱率というやつですね(スズ菌も結局バイクで油冷を止めたのはこれが理由ですよ)。
若い技術者達が宗一郎氏に対して懐疑的になったのは、結局本田宗一郎氏という人はバイクから始まった人だから、車に対してもバイクの理論を当てはめようとしたのではないかなと、そこに若手の皆さんが疑いを持ったということではないかなと思われます。
しかし、この時宗一郎氏に反発して一度はホンダを離れた人が、後にホンダの社長になったりと人生何があるかわからないものですね。

と、言うわけで販売的にはかなり苦戦、1973年には生産中止となり後継車(ホンダ145クーペ、外観はライトが角目2灯に変更)ではエンジンを水冷化し出力も90馬力まで下げられました。
格言:「過ぎたるは及ばざるが如し」
ホンダ1300とはまさにこういう車だったのかなと思います。
さて、中古市場。
不人気車でしたが、昭和の旧車ですから好事家の皆さんには好まれているようで、9が流通の主流で最低で180万円あたりからで(走行10万越えの要レストア)、上は300万円越え~ASK(応談)と幅が広いです。やはり旧車、高め安定といった感じですね。そもそも売れていないからタマが少ないのもありますけど。

N360やライフ(初代)の軽自動車のホンダから、普通乗用車への移行の魁となり、宗一郎氏も「やるならば先行しているトヨタや日産の鼻をあかしてやるぐらいのものを造らんとダメだろ!」と気合い充分、しかし、その理論はバイク発で車では果たして?なものであり、発表の時には世界を驚かせた新機軸も結局は仇となり障害となり、いざ販売してみたらその居住性や走りのほうは酷評で、「偉大なる失敗作」というありがたくない称号まで授かってしまいましたが、後の初代シビックに繋がる基礎を作った車、それがこのホンダ1300クーペです。
所有するなら?、まあ、磨き上げてノーマル維持で行くのが良いでしょうね、まずはレストアをメインで。
冷却系の強化は必須でしょうからオイルタンクを撤去して現在の高効率なオイルクーラーを装着しそこにも冷却ファンを付ければ結構イケるのではないでしょうか?。
となると電気系の強化も必要かな、後は軽く下げてロンシャンあたりの旧車用アルミホイールを装着、サスやショックの脚回りの見直し、可能なら4輪ディスクブレーキ化(ノーマルはリヤはドラムブレーキ)、こんな所でどうかと。
最早貴重な工業遺産、大事に残すべきですね。
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Posted at
2020/11/01 00:51:54