前回、ホンダの至宝である

RC30ことVFR750Rを取り上げたわけですが。
こんなのをホンダさんが出しちゃったらねぇ・・・あちらも黙っちゃいないわけですよ。はい、ヤらしい所がね・・・いわゆるHY戦争でバチバチな時代でしたし。
と、いうわけでヤマハさんからです。
【YAMAHA FZR750R】
「ヤマハ FZR750R」です。
まずは1985年

はい、TECH21ですよ、ワークスレーサーであるFZR750でバチバチの戦争をホンダと繰り広げていました、画像は8耐でライダーはケニー ロバーツと平忠彦、この年はエンジントラブルでリタイアとなりました。
翌86年から更に戦闘力を高めたYZF750で出場するわけですが、またトラブルでリタイアしてしまいます。

1987年にさらに手を加えて遂にヤマハは優勝、翌1988年も優勝と2年連続優勝を果たしました。画像は1988年のチームラッキーストライクのYZF750、マギーとドゥーハン組、TECH21チームはまたしてもゴール前でエンジントラブルでリタイア・・・最早平忠彦は8耐に呪われているとまで・・・。
そのレーサーYZFのレプリカとして。

当初、FZR750を1987年に販売、しかしこのFZR750は車体はFZR1000の物で、エンジンは

こちらのFZ750のエンジン少々手を加えてそのまま載せている状態、しかもFZR1000のフレームって当時のFZR400のフレームの拡大版でして、つまりありもののフレームやエンジンの集合体がFZR750だったのです。
まあ、最初はこういう無難な造りにするのが、私がヤマハを優等生だなと感じる部分なんですが。勿論ハンドリングのヤマハらしい街乗りでは使いやすいレーサーレプリカですよこれも。
しかし、そのありもので造り上げた成り立ちから、言い方は悪いのですが「羊の皮を被ったヤギ」だったわけで。

そこに、ホンダが同年に限定1000台とはいえRC30を出したものですからヤマハのいつもの法則が発動してしまいました。
法則とは?、「ブチ切れてからの後だしジャンケン」ですね。ヤマハさんという会社は基本優等生なメーカーなんですが、特にこの時代は相手がホンダとなると、見境なくしてブチ切れてしまいます。
そうかいそうかい、じゃあウチもキレちゃうぞと・・・スーパーバイク世界選手権にはウチも出たいし、そのためのホモロゲーションを取りたいし。
まず、純ワークスレーサーであるYZF750を用意します。
とりあえずコイツに保安部品をつけてみよう、いやもうまんまで行こうや、だから45度傾斜のシリンダーブロックはそのままで勿論4気筒20バルブだよ。
ホンダさんのRC30はアレを使ってるんだ、ふーん、じゃあウチも使っちゃうもんね~と開発を進めて

FZR750R、1989年に爆誕しました。
コイツにもRC30みたいに開発コードからの通り名があります、むしろこの750Rはそちらの開発コード名で呼ばれる事が多いです、その名は・・・・
【OW-01】
たま~に間違えて覚えている方を見かけますが「オーダブル オーワン」ではないですよ、オーダブル・・・

ゼロワンです。
「オーダブル ゼロワン」が正しい読み方です。
では、スペック。
水冷並列4気筒DOHC20バルブ、排気量749.2cc、最高出力77馬力です。
上記しましたが、エンジンはFZ750から始まったジェネシスエンジンを改良したもの、前方45度に前傾したシリンダーブロック、それに合わせたダウンドラフトタイプのキャブレーター、そしてヤマハお得意の1気筒あたり5本のバルブ。これはトヨタでも採用されて4A-GEエンジンにも搭載されましたね、アレはヤマハと共同開発していますから。
ホンダが使ったアレとは、チタンコンロッドのことです。このOW-01でも採用されています。強度をあげつつ軽量化も可能ですが加工が大変だしコストも高い、量産車両には贅沢すぎるパーツを惜し気もなく投入、RC30と同じくピストンリングは1気筒あたり2本としています。

車体については各ディメンジョンはYZFに準拠、フレームも今までの使い回しでは無くほぼYZFと同じ新規設計のアルミボックスフレームを採用、外装もFRP製と徹底しており、車両乾燥重量はFZR750が203kgだったのに対してOW-01は187kgとかなり贅肉を削ぎ落としています。
そして、特筆すべきは。

金色に輝くオーリンズ!
市販車初、純正でオーリンズのタンク別体式サスペンションをリヤに採用、圧、伸側の細かい調整が可能です。アフターでは無く純正なんですよこれは。

排気には勿論伝統のEXUPを採用、集合部にバルブを取り付けアクセルの開度に合わせて開閉する排気デバイスですね。
とまあ、これ、やりすぎじゃね?レベルの贅沢さ、当然販売価格も凄いことに・・・。
さて、そのお値段ですが、車両本体価格・・・
【¥2,000,000】\(*゚Д゚*)♪
はい、ゼロを数えてぇ・・・いちじゅうひゃく・・・2百萬円也!(^_^;)。
当然、当時の国産バイク最高額、逆輸入であるFZR1000の実勢価格よりもとんでもなく高額です・・・。

開発「やりすぎちゃったぁ~テヘペロ☆」

営業「オイイイイイイイイ~ッ!💢」
恐らく、ヤマハ社内ではこうなったんじゃないかな~とw
しかし、多分ホンダさんのRC30の売れ行きを横目で見ていたでしょうから、自信はあったんじゃかいかな~と。
そんな所もヤマハさんの優等生な(ヤらしい)所かと。
当然、高額ですし量産も手がかかりますから、限定台数500台とホンダさんより少なくして販売となったんですが、購入希望者が殺到。
まあ、バブル真っ只中とはいえ人数は台数にたいして3倍以上だったとか。投機目的な輩も居たらしい、後で中古市場紹介でそれがわかりますよ。
あっという間に応募者で埋め尽くされ、販売は勿論抽選方式となったそうです。
ほぼワークスレーサーが200万円のハーレーぐらいの価格で買えるんですから(市販レーサーのバイクはその倍以上します)、そりゃプライベーターチームは欲しがりますよ勝つまではするでしょうね。
200万円のバイクが一瞬で「完売」したそうです・・・。
輸出仕様もあり、そちらは121馬力に達するそうで、メーターも280kmフルスケールの物が装着されています、ただ調べてもあまり詳しい情報が出てきません。1992年あたりまで輸出されていたみたいなんですが。
国内仕様もインシュレーターやメインジェット、イグナイターやスピードメーターを輸出仕様に交換すればフルパワー化ができるみたいですが。
翌年の1990年の鈴鹿8耐に

この頃お馴染みになっていた、6年目のTECH21チームですが。この年はOW-01をベースにしたYZFで出場、平忠彦&ケニーロバーツのコンビで遂に初の優勝となりました。
市販車ベースで遂に優勝をもぎ取ってしまったし、平忠彦の呪いすら解いてしまったのですからOW-01の戦闘力は本物だったという証かと。
さて、中古市場ですが。
上記しましたが、恐らく投機目的じゃねぇの?な超極上の「新車」状態の1台を発見、そのお値段は・・・
【¥6,030,000】(´ロ`ノ)ノ!!
六百飛んで三萬円でございます・・・・。
いや、走行がヒトケタって・・・シートにビニールがついたまんまだし、これ、絶対投機目的でどこかで寝かせていただろ。
他にも1台ありましたが、こちらも走行数千キロでお値段は400万円台、RC30より元々生産台数が少ないのでかなりの高額中古価格です。恐らくヤマハの中古市場価格ではトップクラスかも・・・。
2台しか見つけられませんでした、逆輸入車があるのかは解らずです。

♪ホンダさんからお手紙(果たし状)着いた
ヤマハさんたらそれ見てキレた
仕方がないのでOW-01造った
さっきの手紙(果たし状)のご用事なあに~♪
と、最早脊髄反射かよ!なレベルでヤマハが反応、そしてブチキレ。もうあれもこれもそれもオーリンズもつけちゃう!とやらかし気がつけばとんでもない市販価格になってしまいましたがそれでも一瞬で完売、レースシーンでもその圧倒的な力を見せつけたまさに究極のレプリカ・・・じゃねーなこれ!、こちらがレーサーのベースになっているんですから。
最早「公道も一応走れるレーサー」と言っても過言ではないバイク、それがヤマハFZR750R(OW-01)です。
所有・・・無理っ!w、まあするならスリップオン装着と、軽量なアルミ鍛造か欲を言えばカーボンホイールを装着で。
後は輸出仕様純正パーツへの交換でフルパワー化と徹底的に整備ですかね。
特にリヤのオーリンズは経年劣化でガス抜けをしやすいそうですから、本国へ送り返してオーバーホールかな。
ただ、以前は職人さんが手をかけて整備補修していたそうですが、最近のオーリンズは部品交換っ!、ガス注入っ!、ヨシッ!と現場猫状態なんだそうでw、しかもサスペンションオーバーホールに後ろ向き姿勢&高額になったそうですがね。
だいたい2年に1回ぐらいはガス圧のチェックと注入はした方が良いそうです。
あ、外装FRPだっけ・・・コイツも補修や修正が必要なヤツですやん。
ヤマハさんさぁ、ホンダさんはやっていますよ?、RC30のリフレッシュプランを。
あの~、これこそ脊髄反射をするべき所では!、ヤマハさんでパーツの再販とかリフレッシュプランとかってほとんど聞いた事がありませんけどねぇ・・・。
せっかくの渾身の一台が、もったいないですよ。