たまには変わった車をご紹介
知っている方は知っている、知らない方は(多分)全く知らない・・・そんな車です。
今回のお国はドイツ(旧東ドイツ)から。
【VEB Sachsenring Trabant】
「VEB ザクセンリンク トラバント」です。
はいっ!最早?の嵐ですよね~w。

トラバントとはこんな車です。旧東ドイツで生産されていて、旧ソ連や東欧などでも販売されていた大衆車ですね。
外観は古めかしいですが、1990年の生産終了までほぼこの姿のままだったというね・・・。
とりあえずスペックから(P601)。
空冷2サイクル2気筒、排気量594cc、最高出力23馬力です。
遅そう・・・いえいえ、ボディがかなり軽い(乾燥重量620kg、今の軽自動車よりかなり軽い)のでちゃんと100kmは出せますから・・・いや、遅いだろw。
ナチスドイツが敗戦して東西にドイツが分割された後、東ドイツのザクセン州にあったホルヒ・・・という高級車を得意とする自動車メーカーがかつて存在したのですが、その跡地と工場を引き継いでVEBザクセンリンクが誕生。
VEBとは「Volkseigener Betrieb」(ドイツ語)を省略したもので和訳すると「人民公社」という意味合いです。
戦前戦中のアウトウニオン(簡単に言えば自動車製造組合)の流れを組む会社で、当時としては技術力は高いほうでした。
戦後から数年たったある時、東ドイツでも国民車構想が立ち上がりその一環として開発されたのがこのトラバントです。

これが最初に生産された1957年デビューのP50、軽自動車よりひとまわり大きいぐらいの車格、駆動方式はFF(前輪駆動)でエンジン配置も横置きと当時としては意外と先進的な車でした。ただしエンジンは2サイクルですけどね、しかも混合給油(エンジンオイルをガソリンタンクに50:1とかで直接入れるタイプ、つまり草刈り機と同じ)というね。
トランスミッションは4速MTですが、シンクロメッシュ機構が無いいわゆるノンシンクロ(コンスタントメッシュといいます)のマニュアル、変速にはダブルクラッチ操作が必須です・・・走り屋養成マシーンかな?w。ブレーキも前後輪共にドラム式、効かなかったとか。
ちなみにトラバントという名前は、ドイツ語で衛星とか仲間とか随伴者という意味合い、1957年にソ連(当時)でスプートニク1号(世界初の人工衛星)が打ち上げられたことにちなんだネーミングです。愛称は「トラビ」と呼ばれていました。

1962年から排気量を若干アップ、車格も少し大きくなったP60(P600)へチェンジ。

そして、1964年からこのP601へチェンジ、これ以降は小改良のみでほぼこのままの姿で1990年まで生産されました。

お尻も可愛いでしょ。
さて、ではこのトラビにまつわるよくある噂・・・・
「トラバントのボディはボール紙(ダンボール)で出来ている」
これは流石に・・・無いんです・・・が、【一応】外装はFRP(強化プラスチック)の「ようなモノ」です。
プラスチックと聞いてえっ?となるかもですが、この年代あたりではFRPボディの車はイギリスなどにも沢山ありました。例えばロータスとかね。
むしろ、それを1957年に採用しているんですから最先端(当時)ですよ。
ただし、その製法が・・・ねw
普通FRPとはガラス繊維(グラスウール)などをプラスチックの樹脂で固めて作るんですが、このトラバントのは・・・「綿」です、いやホントにw。
ガラスウールじゃなくて木綿の繊維が使われているんですよ!w。
その綿を心材にしてプラスチックで固めてあるわけですね、そしてそのプラスチックも・・・石油原料由来のプラスチックではなくて、「松ヤニ由来のプラスチック」で更に「羊毛の成分を配合して強化」されているというね・・・。
ですからFRPに製法は似ていますが、正しくは「繊維強化プラスチック」(Duroplast:フェノプラスト)という別モノです・・・。
うーん、鉄鋼や石油由来の原料を使わないなんて・・・な~んてエコなんでしょw。

ナチスを東ドイツに置き換えてください。
まあ、これには実は裏事情がありまして。
東西ドイツの時代、東側ドイツでは鉄鋼が慢性的に不足していたからというのが理由でしてね。
これは東西ドイツが再び統一されるまで解消されなかったのです。
よって、「大衆車ごときに大事な鉄鋼を回せるかボケェ!」となったわけですね、ある意味苦肉の策です。
また、このトラバントに対する性能要求が「家族4人が乗れて、乾燥重量が600kgを越えないこと」というのがありまして、それを実現するためでもありました、少し重量が越えちゃっていますがw。
ちなみになぜボール紙と揶揄されたか?、最終型あたりでは物資の不足からかなり造りがテキトーになり、ボディがボコボコな個体もあったから・・・らしいw。でも、実は東ドイツの人たちもトラビの事を「Pappe(パッペ)」つまり「紙」とも呼んでいたそうですがね、それが誤解の理由というのが真相。

運転席、うーん、シンプルこの上ない。これで1980年代後半の最終型あたりなんですよ。1960年代の車と言われても疑いをかけられなさそう。
えっ?、燃料計ですか?、そんなもんありませんよ。

助手席の前にガソリンタンクがあるので(衝突したら下手したら火ダルマだね)、そこに棒があるので計って下さい(本当)、つまりディップスティック方式ですね、オイルゲージと同じです。ちなみにガソリン供給はポンプなども無く、自然落下式・・・バイクかよ!w。
はぁ?、ヘッドライトのハイビームの切り換えだぁ?贅沢だねぇ~、そんなモノはヘッドライトの下に切り換えスイッチがあるから、(いちいち)車から降りて切り換えるんだよ!(本気と書いてマジ)w。

つまりこうですか?わかりませんw。
そして、このトラビという車、価格は約4000東ドイツマルク。当時の東ドイツの平均的な月給は600~800東ドイツマルクだったそうですから、だいたい半年~1年分ですかね。
あら、そんなに高くない、じゃあ購入しましょとなるわけですが、当時東ドイツではこんな言葉がありました。
「子供が生まれたら、トラバントを注文する」
はい?、どういうこと?。
実はトラビって、発注してから納車されるまでの期間が異常だったんです。
「納車までに平均約10年、長いと17年ぐらいはかかる」。
嘘みたいですが本当の話w
ジムニーが1年以上とか・・・軽く越えてしまっています。
1980年代で、トラビのバックオーダーは620万台ほどを抱えていましたが、年間の生産能力(台数)は15万台ほどだったそうですw。

欲しがりません勝つまで(納車されるまで)は、つまりこうですか?わかりませんw。

最早東ドイツの国民はこんな感じだったのかも・・・違っ、これ鳥肌閣下w
まあ、実際のところは中古車も沢山あったから、それが流通していたそうですけどね。
慢性的な物資不足もありますが、根本的な問題が、それは「工場で働く労働者達のやる気が無い」、これですね。これはまあ、共産主義(社会主義)の悪い所、なんぼ頑張っても、残業したとしてもサボったとしても与えられる給料は「同じ」なんですよ。変わらないんです。
そもそも共産主義ではお金は平等に分配という前提ですからね。
だから残業という概念も無ければサービスという概念すら無い、そういう事を頑張っても収入は変わらないのですから。ただ、国家が掲げる何ヶ年計画みたいな目標をクリアすれば良いのです。
つまり噛み砕いて言えばボランティアや募金の支払いを国家が延々とやっているということ。それを平等に享受できるんですから。
ただテキトーに仕事をしとけばとりあえず平等に給料が与えられるようになったら、あなたは頑張りますか?、私だったら嫌ですねw。そして、ソ連や東欧への輸出を優先していたからとも。
トラビがダメなら、他の車を買えばよろしくってよ。
いや、そんな「パンを食べられないならブリオッシュを食べればよろしくってよ」とどこぞのギロチンにかけられた王妃(の侍女が言ったそうですねアレは)みたいなこと・・・。

消防も

軍隊も

警察も(憲兵隊だそうです)

駐車場でも(1978年頃の東ドイツの風景)
トラビだらけ!、というか、このトラバント以外の車は東ドイツには無かったのです。
だから競争が無い→頻繁なモデルチェンジの必要が無いのです。
また、車体もラダーフレーム(ジムニーと同じだね)なので、ボディの載せかえも容易ですから様々なバリエーションが造れます。

ステーションワゴンもあったんですよ。
現在のロシアでも、そんな何十年も基本型のままで、モデルチェンジをしていない車は沢山ありますね。

UAZ(ワズ)とか・・・これ、実は2021年の最新モデルなんですよw。

ラーダ ニーヴァとか(47年ぶりにフルモデルチェンジしたそうですw、これも小型で可愛いから好き、紹介済)。
共産主義(社会主義)はそもそも競争がありませんから・・・進化が遅い。これも悪い所です。

1989年11月にベルリンの壁が崩壊して、東ドイツからトラビが西ドイツへ大量に流入したわけですが。
元、東ドイツ国民は目の前を走るメルツェデス(徳大寺)やらBMWやらアウディやらVWやらを見て未来の車か?と驚き。
元、西ドイツの国民は東から流入してきたトラビを見て私は過去にタイムスリップしたのかな?と思ったそうでw。
大量に流入した(というかそれしか無かった)トラバント、旧東ドイツ国民たちも「俺たちはなんてオンボロ車を押し付けられていたんだ」と気付き、当然西ドイツの車(中古車)へと買い換えられて行きました。

最早トラビは粗大ゴミ扱い(本当にゴミ回収ボックスに置いてあるの図w)。
更に2サイクルエンジンですから環境に良い訳が無く。

走る姿はこんな感じ、70年代の2サイクルバイクかなこれはw。
現在ではベルリン市街にトラビで入るには、特別な許可が必要だそうですよ。
一応VEBとしてもただ手をこまねいていたわけではなく。

トラバント1.1という近代化改修を施した車を1991年から造ったんですが。エンジンはVWポロの4サイクル水冷1100ccエンジンを積み、電装系なども近代化されていてようやく普通の車になったそうですが、価格が一気に16000マルク以上に跳ね上がり旧東ドイツ市民には買えず、また、旧西ドイツから程度の良いVWやアウディなどの中古車も入ったのでそちらを買うようになったので全く売れず、ほとんどは近隣の東欧諸国で売れて4万台ほどで生産終了になったそうです。
実は・・・トラビはモータースポーツにも参戦していまして。

トラバントP800というラリーカーを作成して、なんとあのWRCに参戦しているんです。
スポット参戦でしたが1986~1989年の1000湖ラリーにグループ0という排気量1000cc以下のカテゴリーで3台体制で参戦、89年には参加台数が少なかったとはいえ上位に入賞しています。空冷2サイクル2気筒のままでボアアップされていて80馬力ほどでしたが、やはり車体の軽さと整備のしやすさが効いていたそうです。
前後ドラムブレーキもそのままで・・・怖いなぁオイw。
さて、中古市場・・・ありません。
実は日本国内の公道では走れません。排気ガス規制や安全基準をクリア出来ないのです。
1980年代後半に、日本のとある輸入業者さんが輸入販売を試みた事がありますが、やはり排気ガス規制の壁をどうしても乗り越える事が出来ずに断念したんだそうです。
個人輸入で入手して、私有地内を走らせている(保存している)人は居る・・・のかな?。「日本トラバントクラブ」なるものが検索すると出てくるんですが?。
上記のトラバント1.1(VWエンジン)ならかなり頑張れば・・・いくらかかるかは解りませんが。

いい画像だな、老シスターに大事にされているトラビの図
トラビは現在のドイツでは絶滅したのか?、いいえ、そんな事はありません。
まず、統一後の1990年に「Go トラビ Go」という映画がドイツで制作されました。東西統一後に元東ドイツで慎ましく暮らしていた家族が、夢のイタリア旅行にトラビで行くというロードムービー的コメディ。

映画のワンシーン、ルーフキャリアに荷物を載せたらトラビが傾いたの図(さすがに誇張ですがw)
そして、2000年代に入ると、元東ドイツ国民だった人々の中で「東ドイツもそんなに悪くは無かったな」という懐古の気持ちが沸き上がったそうで、まあ、共産主義体制での労働と統合されてからの労働はかなり違っていて、元東ドイツの人々はかなり疲弊していたし、賃金格差も広がっていたからなんですが。

また、ベルリンには2006年に東ドイツ博物館が設立されたりもしました。
DDRとはDeutsche Demokratische Republik(ドイツ語)の略で、東ドイツ民主共和国という意味です。そこ、ダンスダンスレボリューションではありません。
そんな懐古の気運が高まりスクラップ行きばかりだったトラビ達も人気が再燃。
同じベルリン市内に

トラビワールドというレンタカー屋さんがあり、実際にトラビを運転できるそうです。

こちらはなんとEV(電気自動車)化されたトラビもあるそうです。
とまあ、オンボロ車ではあるんですが、今なお元東ドイツ国民には愛されている車なのです、スタイルも可愛いですし。

元、西ドイツ国民が郷愁を感じる車はVW タイプ1、つまりビートルですね(ドイツでは「ケーファー」と呼ぶのが一般的)。

元、東ドイツ国民が郷愁を感じる車はこのトラバントなんだそうです。
タイプ1はメキシコビートルや1303などは何度か運転した事があるので、機会があればトラバントにも乗ってみたいな。
ドイツには行ってみたいんですけどね、見たいミュージアムが沢山あるので。
ポルシェ博物館でしょ、VW博物館でしょ、ムンスターの戦車博物館でしょ、このDDR博物館でしょ・・・うーむ、他にも沢山あるなw。
あと、ソーセージ食べてみたい、ヴァイスヴルスト(白ソーセージ)とかブラートヴルストとか・・・ジュルリw