今回は久々のトヨタさんから。
かなり古い車です。軽自動車より上を目指した、ある意味日本のモータリゼーションの発展に貢献した車です。
【TOYOTA Publica】
「トヨタ パブリカ」です。
今回は初代に絞ります、何故なら意外とモデルスパンが長いので。
1961年、これまでは軽自動車が主役でしたが、トヨタがそれより少し上の大人2人子供2人の平均的な家族4人が広々と使える車、つまり軽とリッターセダンの間を埋めるクラスの車をと開発したのが

トヨタ、パブリカです。
ちなみにこのパブリカという車名、トヨタが一般公募をかけて決定された名前で、採用者には100万円贈呈とかなり太っ腹な企画でした。1961年あたりの大卒初任給は14000円ぐらいの頃での100万円ですから、1000万円に近いぐらい貰える感覚かなと、全国から108万人の応募があったそうです。ご存知の方も多いかと思いますがPublic(パブリック、大衆とか公的とかの意味)とCar(カー)を繋げた造語です。

これじゃないですよw、こちらはパプリカです、踊るのも無しで。
スペック
空冷水平対向2気筒OHV4バルブ、排気量697cc 、最高出力28馬力です。

エンジンは空冷2気筒の水平対向エンジン、U型と呼ばれる形式です。
当初は697ccから始まり最終的には790ccまで拡大されて36馬力に馬力が向上しています。ユニット前方の黒いカバーの中にはシロッコファンが入っていて、それを回転させて冷却する強制空冷方式を採用しています。これはシトロエン2CVのエンジンを参考にしたそうです。まあ、ある意味逆向きの空冷ポルシェ911かと、気筒数が足りませんが。エンジンやトランスミッションをフロントアクスル(前輪の車軸)の前にオーバーハングして搭載、これで室内長の確保に貢献しています。実はこれを採用出来た理由があるんですが後程。

ボディはトヨタ初の本格的なモノコック構造を採用、足回りはフロントはなんとダブルウィッシュボーン式を採用、駆動方式はFRです。リヤは横置きのリーフスプリング(板バネ)方式でこの時代の平均的な物、前後ブレーキはドラム式です。ちなみに乾燥車両重量は580kgとかなりの軽量、軽量化のためにエンジンやトランスミッションの部品の一部はアルミ製とかなり贅沢な造りです。透視図を見るとわかりますがエンジンやトランスミッションはかなり前方に追いやられていて、このおかげか車両重量配分はほぼ50:50を達成しており、合わせてハンドルのロックトゥロックは2回転半とかなりクイックなハンドリングを与えられていて、実は走りの実力も結構高かったりします。

サイドビュー、スタイル的には2ドアセダン、当時の軽自動車プラスアルファぐらいの全長ですが、エンジン配置のおかげで軽自動車より広々としたキャビン、全体的にスクエアな感じですが角は丸く落とされていて柔らかなスタイルです。

リヤビュー、1961年あたりは方向指示器の色規定はなかったのでストップランプ兼用のウインカータイプ。形状的には当時よくあったいわゆる柿の種形状です。小ぶりなテールフィンがこの時代の車感がありますね。

車内、ベンチシート風ですが分割式で前後とリクライニングは調整可能、トランスミッションはコラムシフト式の4速MT、どこかフランス的な柔らかそうなシートです。

インパネ回り、基本的にシンプルなスピードメーターのみの物、タコメーターはありませんがエンジンの回転に合わせて変速のタイミングを促すランプや、燃料が4リットル以下になったら点灯する燃料警告灯などがついています。

フロント回り、冷却のためのグリルは台形風な形状、鉄のバンパーにウインカー、丸目のヘッドライトとオーソドックスなスタイル、今見ると可愛い顔をしていますね。どこか当時の英国車的な雰囲気かと。
軽自動車より上の家族で使う車として販売、当時の価格は38万円ほどとかなり頑張った価格設定でしたが、この頃になると軽自動車も内装などが向上していて価格も少し安い、なので当初は売れなかったそうです、そこで翌年1962年から魅力向上のために色々と手を講じました。

トヨグライド、つまりATモデルの追加、トルコン式の2速ATを搭載、MTと同じくコラム式の操作です。

商用のパブリカ バンも追加、ビジネスユースにもパブリカをと販売、結構売れたとか
更に1963年には

トヨタ初の量産オープンカーであるパブリカ コンバーチブルも発表、他にも内装の豪華さアップやラジオを標準にしたりで商品力が回復したそうです。
そして1966年に更なるビッグマイナーを実施。

まず、エンジンを790ccまで拡大、馬力も36馬力へ向上、フロント回りのデザインを大幅に変更しグリルが小型化

リヤ回りのブレーキランプ類が縦型から横型へ、アンバーのウインカーも採用されました。
スーパーという名のスポーティーグレードも追加されて

スーパーのインパネ、スピードとタコメーター、中央に燃料計などを装備、スポーティーなインパネに変化しています。

もちろんコンバーチブルもマイナーチェンジです。
そして、このパブリカを元に製作されたのが

こちらは1962年に発表されたプロトタイプ、そう、後のトヨタ スポーツ800こと通称ヨタハチです(紹介済)。基本的なコンポーネントやエンジンは排気量をアップして共有している車、ヨタハチのデビューが1965年でしたからむしろ後期のパブリカはヨタハチからエンジンを流用した形となります。つまりパブリカが無ければヨタハチも無かったのです。
ちなみにパブリカは国内のレースでも活躍していて

日本で初開催された日本グランプリ、それの360cc以上のクラスに大量投入されたパブリカは、三菱もスバルも寄せ付けない速さと加速の伸びを披露して、最後は1・2・3フィニッシュどころか、それに続いて4・5・6・7とゴールに跳び込んでくるのが全部パブリカだったという圧勝ぶりだったのです。下馬評では海外でレース経験のある三菱500やスバルが有利とされていましたが、蓋を開けたらほとんどレース経験が無かったトヨタのパブリカが圧勝したのです。このことからも軽量なボディと理想的な重量配分、オーソドックスですが堅実なFR駆動が効をなしたということかなと。
最終的には1968年まで生産販売され、1966年販売のカローラのボトムを支える車種として開発された

二代目パブリカにバトンを渡して生産終了、二代目もいずれまたやります。
さて、中古市場
後期800ccがメインで、その中に前期700ccもチラホラ居るといった感じ、下は180万円あたりから、上は250万円~応談となっています。クラシックカーの域ですが案外安め?、しかしコンバーチブルになると上は1000万円近くだったりと相場はバラバラです。通常型はスバル360の相場に近い感じなので引っ張られてるのかな?、まあ、勿論安くはないのですが。

日本のモータリゼーションを軽自動車から上の600~800ccクラスへ、大人2人子供2人を乗せられる車へ引き上げるために、実はこの計画は官公庁が考案したんですがその波に乗ったのはトヨタのみ。しかし軽自動車を持たないトヨタとしてはこのクラスに賭ける如くかなり気合いを入れて開発、気がつけばやり過ぎて当時の小型スポーツカーレベルの能力が備わったスモールファミリーカーが誕生w、それを当時の軽自動車プラスアルファぐらいの価格で販売、最初は質実剛健すぎて豪華になりつつあった他社の軽自動車に販売面で苦戦するも、トヨタ初の量産オープンカーにしたり商用バンを追加したりして魅力度アップで販売も軌道に乗り、約7年の長めのモデルスパンとなり名前のとおり大衆に愛された小型セダン、それがトヨタ パブリカ(初代)です。英国風に表現すれば日本のブレッド&バターカーを目指した車ですかね。
所有するなら?やっぱり800ccのスーパーかな、初期700ccも好きですけど。外観はフロントにチンスポイラーぐらいにして軽くローダウン、マフラーはセンター2本出しにしたいかな。フロントとリアのバンパーは撤去してよりレーシーに。ブレーキはアルミのフィンつきのドラムブレーキカバーに交換で。

これ良いな、英国の古いブレッド&バターカーのレーサー風でカッコよい、どこか英国フォードのアングリアみたいな感じですね、ハリポタで空を飛んでたヤツですね(紹介済)。ナンバーをつけるなら右側にオフセットしてつけたいな。

サーキットを走らせるならロールバーは必須ですね、古い車ですし。

車内、後付けのタコメーターはつけたいところ、流石に公道レベルでここまではやらないかなw。シートはコブラシートのバケットを入れたいな。

これがコブラシートのローバック、画像の車両はローバーのミニ、こういうクラシカルな小型車によく似合うシートです。NAのロドスタに装着しているのを見たことがあります。

後期800のレース仕様、これもアリです。

後期のコンバーチブル、足回りだけお洒落しても良い感じですね、これも良いなぁ。
まあ、入手してもまずは大幅なレストアから始めないとでしょうから、レストア代も入れたら500万円ぐらいは軽く越えちゃうんでしょうね。初代パブリカはイベントで前期も後期も見ましたけど、小柄で可愛くてお洒落な車ですよ。
さて、余談
このパブリカ、開発開始は1956年からでした。つまり生産販売までに約6年の歳月を費やしているんです。何故こんなに開発期間が長かったのかというと、1956年に開発を開始した試作車「1A1型」は、実は前輪駆動車としてのスタートだったんです。そう、最初は小さい車体で広い室内空間を確保すべくFF車として開発していたのです。しかし、当時のトヨタはFF車の開発経験が浅くて、当初から59年初期の第2次試作までFF駆動で開発してきましたが、コスト、サービス、耐久性などに解決できない問題が残ると判断して一度ご破算にしてコンセプトから見直しを図り、最終的にFR駆動に設計変更したために長い開発期間となりました。FFの経験が浅くて信頼できるレベルの耐久性を持つドライブシャフトが造れなかったから断念したらしいです。そのためFFとしての設計の名残でエンジンやトランスミッションがフロントアクスルより前方に追いやられた配置となったのです。
ちなみに、最終的にパブリカが完成するまでに30台の試作車が製作されて、全ての試作車の総走行距離は100万キロを越えたとか。いかにこのクラスに軽自動車を持たないトヨタが情熱を賭けていたのかがわかりますね。小型大衆車として完成度が高かったのはこういう理由からなのです。