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マヨイガのブログ一覧

2025年03月21日 イイね!

好きなバイク(゚ー゚*)

今回はヤマハさん。
当時としては未来志向なバイクだったんですが・・・時代がまだ追い付いていなかった、そんなバイクを。

【YAMAHA GTS1000】です。

この車名でピンと来る人は少ないだろうなぁ・・・。
1992年のケルンショーで発表、1993年に


GTS1000(A)として販売開始、ちなみに(A)はABSつきのことです。ABSも設定されていました。系統的にはツアラーですね。


一応こちらのFJ1200の後継ということになります。
スペック
水冷4サイクルDOHC4気筒20バルブ(5バルブエンジン)、排気量1002cc、最高出力100.6馬力です。まあ、0.6はほぼ誤差かと。


エンジンは20バルブで1気筒あたり5バルブとなります。そう、いわゆるシリンダーブロックが前傾35度の水冷20バルブ、この頃のヤマハの名機ジェネシスエンジンを搭載、FZR1000系統のエンジンですね。燃料供給はキャブレターではなくEFIの電子式です。本来であれば145馬力は出せるエンジンですが、あえて最高出力は100馬力に抑えてトルクに振ってある特性です。この頃は欧州全体でもバイクの最高出力が100馬力制限になるかも?というのもありましたので。しかし、いくつかの国々の反対でそれは潰えたそうですが。ちなみに純正マフラーには当時としては珍しく触媒がついていたそうです。


見ての通り、フロント側は片持ちスイングアームの足回り、一般的にはハブステアと言われているタイプですが、このGTSはいわゆるビモータのハブステアとはかなり毛色が違います。フレームが横から見るとオメガの文字に見えることから「オメガクレードル」と呼ばれていました。


こちらがほぼフレーム単体、確かにオメガの文字っぽいのがわかりますね。
さて、ビモータのハブステアと何が違うのか?


これがGTSのステアリング回りの図面、ビモータはフロントホイール内のハブを両側からロッドで動かす感じなのでハブステアですが、GTSのステアリングはユニバーサルジョイントとボールベアリングを用いたボールナット式、片持ちスイングアームで前輪を保持して、ハンドルと前輪がサスなどで繋がっていないのはビモータと同じなんですけど、つまり操舵の方法がGTSは古い車のやり方なのです。 


そもそも、ビモータの場合はフロント側も両持ちのスイングアームなので全く違うんですけどね。フロントスイングアームの上に見える赤いロッドがハブステアリングへの伝達ロッドです。


フロントブレーキは282mmのローターに6ポッドのブレーキキャリパー、この大きなバイクでシングルローター?となりますがこれは仕方がないことでして。


前輪を右側面から、片持ちスイングアームなのでブレーキローターが装着できないのです。なのでフロントフェンダーも片側で固定されています。フロントタイヤサイズは17インチの130/60と結構太めで特殊なサイズでした。普通はこのクラスは幅120サイズが一般的ですけど。


リヤは2ポッドキャリパーのシングルローターです。動力伝達は一般的なチェーンとスプロケット式。タイヤサイズは17インチの170/60サイズ、これも少し特殊なサイズですね、幅160か180が一般的なんですが。リヤサスはモノショックで一般的な物、リヤスイングアームの根元にわりと垂直に装着されています。取り付け位置は上記のフレーム単体の画像がわかりやすいです。


メーター回り、アナログ式の一般的な物、燃料計もついています。セパレートハンドルですがほどよい前傾姿勢で長距離も苦にならないとか。


両側のパニアケースもOPで用意、さらにタンデムシートの後ろにボックスケースをつけているのが多いとか。
さて、まさに近未来感マシマシで、急ブレーキでも前後同時に沈むのでいわゆる握りゴケの心配が皆無とのことですが、正直評判はあまりよろしくなかったそうで、特にフロントタイヤの接地感がかなり希薄なんだそうです。さらにリヤも通常のタイプに比べたら接地感覚が希薄だそうで、一般的に市販バイクはリヤステアなんですが、GTSはその感覚も薄いからなんかコーナリングが怖い時もあるとか、GTSを評する言葉で出るのが「なんか全体的にふわふわしてる」とか「丸太に乗ってるみたいな感覚」とか「テレスコピック式に比べたら何をしても応答がない感じ」とか「特にフロント側のインフォメーションが希薄で信用できない」など結構な言われようです。まあ、一般的なバイクのフロントテレスコピック式のサスで慣れている人がほとんどですから、この新しい感覚に不安を覚えてしまうのは仕方がない部分もあるかと。


全ての反応や動きが画像の明るくなっている部分、つまり車体の下部てほぼ完結してしまうので、腰や上半身などに伝わる情報が希薄なんだそうです。それが接地感のなさに繋がっているじゃなかろうかと、それと低速でのUターンがかなりやりにくいんだとか。けっしてテレスコピック式より劣っているわけではないんですよ、むしろパニックブレーキ時の安定感は素晴らしいレベル、走行時の安定感もこれまた素晴らしいんですが、その新しい感覚に馴染めない人が多かったということなのでしょうね。ビモータのテージ1Dも出始めは色々と酷評されていましたし。
そして最大の泣き所、乾燥で250kgちょい、パニアなども装備したら270kg越えの車重、ツアラー系ですから重いのは普通かもですが取り回しはとても大変とのこと。センタースタンドも装備しているんですが、かけようとしたら倒しそうと躊躇するレベルだそうです。ちなみに輸出メインで国内での正規販売はなし、なので逆輸入車としての販売だったそうで、日本での販売価格は180万円あたりと当時としては外車並みの高額販売でした。それも日本では売れなかった(そもそも日本国内で売る気はなかったけど)原因かなと、メイン市場の欧州でも高級バイク扱いだったそうです。最終的には海外では1999年あたりまでは販売されたそうなので、そこそこ長めの販売期間でした。
さて、中古市場・・・無いですw。
元々逆輸入車で当時としては高めのバイク、日本にいる台数もかなり少ないかと。個人販売系サイトで56万円(走行3万キロ越え)がありましたが中古車としての販売は見当たらず、まあ多分高くても100万前後かなと。海外ではそこそこ流通しているみたいですが市場価格はわからず、どれぐらいが相場なのやら?。















当時の最新技術を惜しげもなく投入、恐らく市販バイク世界初のフロント片持ちスイングアーム、ボックス風なオメガクレードルフレームなど新機軸てんこ盛りなバイクでしたが、いざ乗ってみるとかなり不思議な乗り味で、それが不安感に繋がってしまい一部では低評価、後継のバイクが生まれなかったことから恐らくヤマハ的にもちょっと失敗作だった可能性が高いですが、そのどっしりとした安定感は唯一無二でツアラーとしては完成度は高かったと思われるバイク、それがヤマハGTS1000です。
購入するなら?、私はパニアとかは無しで好きじゃないので。マフラーはFZR1000用のが流用できるそうです。とりあえず集合管にして軽快感を出したいかな。足回りは・・・フロントはイジれないでしょうね。リヤサスは普通のモノショックですからオーリンズに交換するかな。タイヤはフロント120幅、リヤ160幅にしたい・・・というかノーマルの幅は特殊なのでやらざるを得ないかと。
しかし、世の中このGTSをベースに改造したバイクも色々とありまして。






いわゆるスカチューン(剥ぎ取り系チューン)、後方はやりすぎでは?w。ヘッドライトは片側3個ずつの縦に6個、GTSの近未来感をさらに引き立てたような一台ですね。


これはカフェレーサー風、サイバーパンクなカフェレーサー感が良いですね。


こちらも近未来系スカチューンかな、基本剥ぎ取りをしてやると重々しさが無くなって良い感じ、引き算が良いみたいです。リヤはプロアーム流用かなこれは。


どこかヤマハの旧車風、XJ感がありますね。やはり基本的には剥ぎ取り系チューンが良いみたいです。
去年、久しぶりに見かけましたが、やはり重戦車感があるバイクでした。そのGTSはマフラー交換ぐらいでしたがそれでも良い感じ、その新感覚な乗り味を試してみたいです。

余談

1980年代中頃からヤマハはこのフロント片持ちスイングアームを色々と試作していました。


こちらのRADD MC2が最初のプロトタイプ、これはアメリカのサスペンションメーカーRADDがFZ750のエンジンをベースにフロントをスイングアームにしたMC2というモデル。1986年に製作されてヤマハも勿論協力しています。カウルはFJみたいだな。


そこから3年後の1989年の東京モーターショーにMorpho(モルフォ)というコンセプトモデルを展示、これはライティングポジションの変更も可能で、色々と変化するのでメタモルフォーゼからのモルフォと命名されました。当時話題になったバイクです。勿論これもフロント片持ちスイングアーム式。


その翌年に、さらに有機的なデザインになったコンセプトモデルであるMorpho2に発展、このあたりで足回りの雰囲気がGTS1000に似てきていますね。ヤマハはこのフロント片持ち方式を結構長い間研究していたのです。結局・・・全てが身を結んだとはいえない感じになりましたが、モルフォで提示した可変ポジションは当時の運輸省からダメ出しされたそうですし。しかしなんだかんだで市販型を出せたのは素直に凄いことだなと思います。
Posted at 2025/03/21 16:24:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク
2025年03月07日 イイね!

好きな車(^-^)

今回はホンダさんから。
初代、二代目はバリバリのスポーツだったのに・・・どうしてこうなった?、そんな太陽のスポーツのお話です。

【HONDA CR-X delsol】
「ホンダ CR-X デルソル」です。

1992年、それまでのサイバーCR-Xの後継として


デルソルは誕生しました。
キャッチコピーは「太陽のスポーツ」、車名のデルソル(delsol)とはスペイン語で「太陽の」という意味です。
峠や環状でよく壁や崖下に突き刺さっていたw二代目サイバーCR-X、その後継ですからさらにスポーツ度を増したモデルなんだろうと期待値は高かったんですが・・・まあ、色々とありましてw。
スペック
水冷並列4気筒DOHC16可変バルブ、排気量1595cc、最高出力170馬力です。
こちらのスペックは最上級グレードであるSIRのものでVTEC装備です。他にSOHC16バルブ1595ccVTECエンジン、130馬力のVGi、1493ccSOHCエンジンのVXiというグレードもあります。


こちらは1.6リッターVTECのSIRの名機B16Aエンジン、8000rpmまで回るいかにもホンダテンロクVTECなエンジンです、VTECが切り替わるとンバァァァァァァ~!な音のヤツですね。最高出力170馬力は当時のテンロクNAとしては最高のもの、リッター100馬力を越えてしまいました。じゃあ先代サイバー(160馬力)より速いのでは?、いや、それがちょっとねぇ・・・後程。
足回りは前後共にダブルウィッシュボーン、ブレーキは前後ディスクブレーキを採用、基本的には先代サイバーを流用した感じですね。トランスミッションはMTとATが全グレード選択可能。


サイドビュー、リヤはハッチバックではなくなりリヤウインドーが垂直に、初代、二代目のコーダ・トロンカ(テールを垂直に切り落としたようなスタイル)とは明らかに違います。どちらかと言えばクリフカット的ですね。トランクルーム回りの形状から一見ミドシップにも見えますが、エンジンは前でFF駆動ですよ。


リヤビュー、初代や二代目よりクーペ感が強いスタイルなのがわかります。


車内、初代、二代目はリヤにワンマイルシートと呼ばれた後席がある2by2でしたが、このデルソルでは完全に2シーターとなりました。


シートはサポートが強めのセミバケ風、造りはかなり良かったそうです。真ん中の差し色はボディカラーに対応していて、かなりお洒落感が増しています。


インパネ回り、右からスピード、中央がタコ、左がその他のわりとシンプルな計器類、一応オープンカーですのでメーターハウスの形はゴーグルをイメージしたものだそうです。


さて、この車の最大の売り、「太陽の」という名前のとおりルーフが開閉します。全グレードで電動と手動式の開閉が選択できるようになっていました。電動ルーフの開閉がなかなかユニークでして


電動開閉ルーフの名称はトランストップと申します、メーターハウスの右上側に黒いスイッチがありまして。これをスイッチオンすると


リヤのトランクルームのトップが上にせり上がるように移動します。


ルーフのフロント側のロックを手動で解除、するとルーフ後方が持ち上がり、後ろのトランクルームのトップの中へ収納されます。そしてトランクルームのトップが元の位置へ戻って終了となります。ルーフを閉める場合はこれを逆にやる感じです、開閉にかかる時間は約45秒とのこと、それなりに時間がかかりますね。ちなみにこのトランストップの車両はルーフの素材が通常のスチール、手動式の開閉のトップのルーフはアルミ製だったそうです。手動式は軽量化されていたんだとか。


開くとタルガトップ的なスタイルとなります。


ちなみにクリフカット的なリヤウインドーはなんと上下に動いて開閉できるようになっていて、スイッチで完全に開くことが可能、開くと上の画像のようにロールバー付きのオーブンといった雰囲気が味わえる二度美味しいギミックです。
後程のお話を、このようにかなり凝ったギミックも装備、これはデルソルは売れたでしょとなりますが、正直皆様このデルソルって実物を見たことは少ないのでは?、はい、商業的には爆死でした。
なぜ売れなかったか?、二代目サイバーはどのグレードでも850kg~910kgほどの車重で、同年代のベースになったシビックより軽くそれも速さの秘訣でした。それに対してこのデルソルは1040kg~1180kgとかなり重くなってしまいました。これにより走りの面が結構スポイルされてしまったわけです。タルガトップオープンというスタイルである以上車体に補強が必要ですし、トランストップ機構自体の重量も結構重い(50~60kgぐらいだとか)ので、さらに車重にプラスになってしまう。トドメは上記のとおりトランストップ車のルーフは耐久性を考えたのかスチール製・・・そりゃ重くなりますわなw。なのでホンダCR-X デルソルを検索すると最初に出てくる検索候補は「ホンダCR-X デルソル 遅い」なんです。やってみてくださいw。
なのでいろんな意味で刺さりまくっていた初代バラスポ、二代目サイバーのユーザーからはなんかデルソルは軟派で軟弱な車になってしまったと酷評でした。ただ、重くなった分車体の安定性は上がったという意見もありますね。
こういう車でしたからレース仕様等はありませんでした。ただ、初代バラスポの最初のキャッチコピーは意外にも「デュエット クルーザー」だったんですよ、それからマイチェンの度にスポーツ色を強めて行き、二代目サイバーは走りのCR-Xへ進化したのですが、ホンダが当初目指したのは二人のための特別な空間的な車だったのです。なのでデルソルでは初代初期のバラスポでの本来の路線への回帰、つまり「新しいスポーツの提案」としてこのようになったんだとか、ただ色々と新機構を盛り込み過ぎて重くなりすぎたわけですね。本来二人のためのスポーツだったわけですから・・・似たようなコピーの車が他社にも居たなw。そして特に二代目サイバーはよく突き刺さってたものですから、一部から白い目で見られたのもあってホンダ的にはそれは不本意だったのかなと。
それとマツダのNAロドスタの存在も開発のきっかけになったようです。しかし時期的にバブル崩壊、それとトランストップ付きのSIRだと210万円越えと当時のテンロクスポーツとしては高めの価格設定も裏目となりました。最終的には1998年で生産販売を終了、この後CR-X系の血脈はしばらく止まることになりました、一応後継のハイブリッドのアレが出るまではですが。
ちなみに北米などにも輸出され、そちらでは「シビックCR-X」(初代、二代目も)の名前でした。あちらではそれなりに売れたそうです。
さて、中古市場
VGiやVXiの手動式ルーフのATなら80万円あたりからあります。それぞれのMTだと100万円あたり、そしてSIRは電動ルーフもそうではないのも、特にMTは300万円越えも散見されます、もう走行距離関係なくです、かなり価格帯の幅が広いですね。そもそも売れていないのでタマ数が少ないというのもありますが。

 















CR-Xとしては三代目、特に二代目サイバーはバリバリの走りの車だったのでこのデルソルにも期待がかかりましたが、いざ販売されたら高い!重い!遅い!の三拍子で走り屋さん達の期待をことごとく裏切って酷評、販売面では不人気車となり爆死、しかし、本来ホンダがCR-Xに対して与えたコンセプトであるデュエット スポーツという面では歴代て最も体現した車、それがホンダ CR-X デルソルです。
所有するなら?、手動式トップのSIRかな、まずは軽量化でルーフやボンネットを社外のFRP製にしたい。エンジンはロムとVTECコントローラーでイジイジして、足回りは車高調で固めてローダウン、外観は軽めに

この無限のバンパーは付けたいな。というか無限のエアロ装着で、リヤは初代インテグラタイプRの純正ウイングを装着すると似合いますよ、マフラーも無限が良いな。

こちらはEGシビック




こちらはEKシビック


EGやEKシビックの顔面を移植したのもいますね。これはこれで似合うな。シビソルとかシビ顔と呼ばれているみたいです。




こんな感じの軽めな感じも良いなぁ。ホイールは無限のも良い。
サイバーは今でもたま~に見かけますが、中古のお値段が物によっては500万円近く、デルソルは全く見かけなくなりましたね。絶滅危惧種です、手厚い保護が必要な車かと。

余談
初代、二代目にあったCR-Xのコンプリートモデルである「無限CR-X.pro」(二代目サイバーはpro.2)




実はデルソルにも「無限 CR-X pro.3」があったんだそうです。エンジン関係はそのままで、エアロや内装や足回りやホイールやマフラーなどが専用品だったんだとか。さすがにこれはお目にかかったことがありません、というか現在国内で何台残っているのやら?、あったら中古価格もかなり高額になりそうですね。
Posted at 2025/03/07 17:33:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | 好きな車
2025年02月21日 イイね!

好きなバイク( ゚ー゚)

今回はイタリアから。
よく「バイク界のフェラーリ」と称されるあのメーカーからです。

【MV AGUSTA 750S】
「MV アグスタ 750S」です。

だいぶ前にガラケーのころにF4を紹介して以来だし、1000文字制限があったので(だから初期の記事は画像も1枚で短いんです)、今回はまずMVアグスタってどんな会社?からやります。


こちらがMVアグスタ社のマーク、社名のMVとは?「Meccanica Verghera」、イタリア語で「メカニカ・ヴェルゲーラ」と読みます。ヴェルゲーラとは最初に工場を設立した場所の地名、メカニカは力学とか工業という意味です。つまり「ヴェルゲーラ工業」といった感じの意味合い、フルネームだと「Meccanica Verghera Agusta」、「メカニカ・ヴェルゲーラ・アグスタ」となります。アグスタは創業者のジョバンニ・アグスタの名前からですよ。ちなみにアグスタ家は伯爵の爵位を持った名家です。
元々は航空機メーカーからのスタートでした、1907年にジョバンニ氏が設計した航空機が初飛行に成功、その後はあのカプローニ航空機に参加、カプローニ氏を知りたければジブリの「風立ちぬ」を見てください。1923年にジョバンニ・アグスタ航空機会社を設立、その一方で2サイクル単気筒100ccほどの小さなモペットも製作販売していました。第二次大戦でイタリアが敗戦、航空機生産は禁止されたので、以前は片手間だったバイクの生産に本腰を入れてMVアグスタを創業したのです。とまあ、大まかにはこんな感じの成り立ちであります。
そんなMVアグスタは1950年代には並列4気筒のバイクを製作、その後20年間ほとレースでは常勝という強豪となりました。ホンダがドリームCB750fourを販売したのが1969年、その遥か前からレースで並列4気筒エンジンのバイクを走らせていた会社なのです。




こちらは750Sの前に製作販売していたMVアグスタ600、4Cとかツーリズモと呼ばれていました。この時点でもうDOHCの並列4気筒というのがわかるかと。そう、空冷並列4気筒エンジンのパイオニアでもあったのです。
この600の後継となる、今回紹介するMVアグスタ750Sはこちら、1972年のデビューです。これ、実は1969年デビューのホンダのCB750fourに触発されて造られたんだとか。


どこかカフェレーサー的な雰囲気ですが、このバイクはつまりレーサーレプリカのハシリと言えるバイクなのです。元はレーシングバイクでそれを公道仕様にしたような感じなのです。
スペック
空冷並列4気筒DOHC8バルブ、排気量788cc、最高出力67馬力です。
車名は750ですが、排気量は750ccより大きいです。


空冷並列4気筒、DOHC8バルブのエンジン、DOHCであることを示すような独特のカムカバー、ホンダの750fourはSOHCでしたが、アグスタ750Sはツインカムエンジンを採用していました。なるべく排気経路が真っ直ぐになるように配置されたマフラー、エキマニの曲線美が独特の味わいです。


反対側、比較的に左右対称な造り、


エアクリーナーが存在せず、ファンネルだけがついたキャブレターは24Φのデロルト製です。わりと小径のキャブが採用されています(ちなみにホンダCB750fourは28Φです)。


フロントはワイヤー作動のドラム式ブレーキ、600ではワイヤー式のディスクブレーキを採用しましたがイマイチ効きが悪かったそうで、なのでドラム式になったんだとか、600のディスクの効きが悪かったのは油圧式じゃなかったのが原因、750Sのドラム式はグリメカ製のブレーキです。フロントフォークはΦ35mmの正立フォーク、チェリアーニ社の物を採用。フロントホイールはアルミ製の18インチです。


リヤ回り、ホイールはフロントと同じくアルミリムの18インチ、ツインショックのリヤサスペンションはセバック社の物、駆動方式は何故かシャフトドライブ式です。これは本来のレーサーはチェーン&スプロケットの一般的な物でしたが、この頃のMVアグスタは市販車両でプライベーターがレースに出るということに難色を示していたからだそうで、つまりプライベーターがレースにアグスタのバイクで出場して、負けたり転けたりするのがとても嫌だったからだとか、つまりレースの名門であるアグスタのバイクの名前を汚してくれるなということですね。だからこそ600はアップハンでツアラー系のポジションなのも同じ理由、あえてレースでは不利になる機構を選らんで採用していたのです。


メーターは機械式のタコとスピードの二眼メーターをアルミでカバー、ハンドルはトップブリッジ下に装着するクリップオンタイプのセパレートハンドル、かなりレーシーなハンドル回りです。


独特なフューエルタンクの形、その丸い形からディスコボランテ(イタリア語で空飛ぶ円盤、つまりUFO)と呼ばれていました。


シートはシングル風のデザイン、基本1人乗りなポジションです。この辺もレーサーレプリカであることの現れかと。だけどレースには出てくれるななんですけどね。
排気量は750cc以上ありますが、わりと小径のキャブがついていたりで、最高出力は67馬力と控えめ。動力性能的にはCB750fourと大差ない感じだとか。ただしお値段は1969年当時CB750の新車価格が385000円、その3倍ぐらいのお値段だったそうです。現代の感覚だと400万円台ぐらいだったのかなと。日本でも村山モーターズにより少数が輸入販売されたとか。
尚、この750Sは仕様地向けに姿を変えていたそうでして。


こちらは北米向けの750S アメリカ、タンクが四角くなり抉れていて、シートカウルがついています。


サイドカバーにもアメリカの文字が入ります。


1974年に少数が造られた・・・らしい?750SSというモデル。ロケットカウル付きでさらにレプリカ感がマシマシですが、コレについては詳しくはわからず、後付けのカウルの可能性もあります。カウルをつける改造は結構行われたそうなので。
生産は1974年までと短期間、総生産台数も諸説アリで400台ぐらいではと言われております。かなり希少なバイクであることは間違いないかと。アグスタのバイクはあまり大量生産はしませんから、この時代はハンドメイドに拘っていたので。
さて、中古市場・・・おいくら万円なんでしょうか?w、稀に市場に出ますが応談(ASK)ですし、日本でも所有している方はいるそうですが台数は1桁台だとか。上記のとおり生産台数は少ないそうなので4桁万円(1000万単位)にはなりそうですね。














イタリアの名門バイクメーカー、創業は第二次大戦後と比較的新しいメーカーですが、並列4気筒エンジンを早くから採用してレースでは常勝チーム、市販車はあえてレースでは不利になるパーツを装着してプライベーターのレース参加を阻害したりとプライドも高く、まさにバイク界のフェラーリと呼ばれるのもこのレース至上の考えから。そんなアグスタがホンダCB750fourに触発されて造った真のレーサーレプリカ、それがMVアグスタ 750Sです。
所有・・・・㍉w
出来るなら一切イジらないですね、とにかく整備がメインになりそう。細部まで磨き上げてコンディションを保つのが目的になりそう。ミュージアム入りでもおかしくは無いバイク、動体保存を目的にするべきかと。実物をまずは見てみたいバイクのうちのひとつです。

余談
バイクメーカーとしてのMVアグスタは1971年に世襲の2代目の社長が死去、その弟が経営していましたが1977年にバイク製造から撤退、解散しています。以降は航空機に注力したアグスタ社として活動

アグスタのA109、主にヘリコプターを生産する会社になりました。日本でも一部の県警が採用したそうです。イタリアの軍用観測ヘリとしても活躍しています。


同社のマングスタ攻撃ヘリコプター、アグスタは現在もイタリアの軍事航空産業会社でもあります。旅客機も試作したようですが、販売には至らなかった模様。
そして1997年、当時のイタリアのカジバグループがバイクメーカーとしてのMVアグスタを再興したんですが、2004年から大まかな流れですがカジバからプロトン→イタリアのGEVI(なんと1ユーロで売却)→ハーレーダビットソン→元のカジバグループでの創業者と流転して、ここ近年はオーストリアのKTMグループの傘下となっていました。しかし、昨年末ぐらいにご存じのとおりKTMが経営破綻、ちなみにKTMって1991年にも一度倒産しています・・・懲りろよw、そして傘下のMVアグスタの去就が不安視されていましたが、イタリアのピエラ・モビリティグループに入ることが決まり、現在は問題は解決した状態です。
2000年代の新生アグスタでも750Sは販売されていまして。


こちらがMVアグスタ 750S ブルターレです。ブルターレとはイタリア語で「獰猛」という意味、2005年に販売、要はF4のネイキッドバージョンですね。この時代のアグスタは80万円台で中古がありますよ、ただし、日本の渋滞ペースで走るとクーラント吹いただの、ラジエーターキャップが飛んだだの、樹脂部品が溶けただののお話も多数ですけどね。なので一部ではブチコワーレなんて称号もw、新車時は高額でしたが繊細な子なんです。
Posted at 2025/02/21 15:58:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク
2025年02月07日 イイね!

好きな車(^-^)


スズ菌w、バイクじゃないですよ。
今回はスズ菌四輪の初めて物語をご紹介、今回も古~い車です。

【SUZUKI Suzulight】
「スズキ スズライト」です。

まあ、かなりを古い車なのでパッとは思い浮かばないかなと。
そもそも、スズ菌とはどういう成り立ちの会社なのかを簡単に。
1920年に鈴木式織機製作所として創業、織機メーカーで始まった所はトヨタと同じだったりします。創業者である鈴木道雄氏は事業の多角化のため自動車産業への進出を目指し、1936年イギリスの小型乗用車


オースチン・セブンを導入して研究に着手、数台の試作車を製作しました。この後乗用車の生産工場も建設したのですが、太平洋戦争の戦火拡大で乗用車生産計画は中止、この頃は国からの受注で工場で砲弾などを生産していたそうです。戦後1952年に空冷2ストローク単気筒の自転車取りつけ用の補助エンジンによって輸送機器メーカーとしても発展。1954年には本格的なオートバイである


コレダCO型を発売、これもバイクのほうでいずれやります。そして1955年には


このスズライトによって四輪車市場に進出しました。実はこのスズライト、スズ菌初にして日本初となる本格的な量産軽乗用車だったりします。年式的にもあのスバル360(こちらは1958年のデビュー)より先に量産されています。
スペック
空冷2サイクル並列2気筒、排気量359cc、最高出力15.1馬力です。
スバル360の時にも書きましたが、1950年代のいわゆる日本の国民車構想に添って造られた車です。戦後、1947年から日本は小型車の生産をGHQから許され、1949年には4サイクルエンジンの軽自動車は360ccまで、2サイクルは240ccまでという上限がありました。
スズ菌は長年の夢であった四輪事業への参入を軽自動車でやると決定、海外からシトロエンの2CVやVWのタイプ1(ビートル)、ロイト・LP400、ルノー4CVなどを海外から購入し、走らせたり分解したりと細かく研究、ベースとして選ばれたのは


こちらのロイト・LP400、戦後に生まれたドイツのスモールカーです。LP400といってもランボルギーニじゃないですよw。なぜこのロイトがベースとして選ばれたのか、。4サイクルエンジンや、エンジンの縦置きレイアウトは当時のスズ菌ではカムシャフトの研磨機や精密な特殊ギアの歯切り機がなく、それらの高度な工作機械を購入するのは会社の体力的に難しいという理由で採用困難となった。モノコック構造の導入も当時のスズ菌が持っていた技術では難しく、参考車両4車のうち消去法でベース車として残ったのは、スズ菌でも実績のある2サイクルエンジンを搭載し、エンジン本体を横置きにしているために特殊ギアが不用で簡易なバックボーン・フレーム構造でシャーシ製造の難度も低いロイトが一番容易であろうと思われたからでした。こうしてロイトを分解、参考にして自社で造れるところは作成、厳しいところは正直丸パクりもやって


試作車が完成、それをさらにテストしたり不具合を治したりして・・・いたんですが、走れば振動でアームが折れただの、ドライブシャフトがネジ切れただの、駆動輪はハブごとモゲて転がってっただのw、一緒に油圧ブレーキのパイプも千切れてノーブレーキなので摩擦で止まるのに任せたというのを国道1号線でやっていたとか。今なら事件です事案ですw。


こうして1955年、スズライトは完成したのです。車名は車名はスズキのスズ+光明を意味する“ライト(light)からのの造語です。


2サイクル空冷並列2気筒、359ccのエンジン、ファンがついていて実質強制空冷に近いです。このエンジン上記のロイトの丸パクりだったりします。まあ、他国他社でもやっていたことです。当初は当時の2サイクルの規定上限の240ccになおして製作したのですが、前年の1954年に2サイクルエンジンも360ccまでと軽自動車の規定変更があり、排気量を359ccにしたそうです。駆動方式はなんとFF駆動です。この時代軽自動車はRRが主流だったのに、かなり先進的なんですよ。1956年にはセッティングなどの見直しを行い最高出力18馬力に向上しています。



サイド、こちらは3ボックスセダンのSS型で小さなトランクルームつきの2ドアセダンとなります、可愛いなコイツ。ブレーキは前後ドラム式、足回りはコイルによる四輪独立懸架式、しかもこの時代によくあったリーフスプリング(板バネ)式ではなく前後でコイルスプリング(バネ)式だったのです、1955年でこれはスゴくね?


そうですねっ!w
でもコレには理由がありまして、そもそもスズ菌、これを造る前はバイクしか造っていなかったわけで、板バネ(リーフスプリング)を造ったことが無いの造る機械も無いの・・・w、実際それでバイクで慣れていたコイルスプリングにしたんだとか。しか~し、コイルスプリングによる四輪独立サスが当時の未舗装の悪路で悲鳴を上げてしまい足回りの骨折が続出w、1956年7月生産車からは前後共に横置きリーフスプリングによる独立懸架式に変更しています。いや、最初からそうしなさいよ!w。当時の車の足回りでリーフスプリングが多かったのは未舗装路が多かったというのもあるんですわ。コイルスプリングだと当時は四輪用に使うには強度が足りなかったんです。


インパネ回り、シンプル極まり無い初期のVWビートルみたいだ。鉄板剥き出しでただ色を塗っただけ、メーターはスピードと何故か電流(アンペア)計のみ・・・なんで?、時代を感じさせます。シートベルト?無いよそんなもんw。


古いから画像がなかなか無いの、サイドビューとセットですが車内を、これは補助席ですか?なこれまたシンプルなシートです、この辺は2CVの影響かな?。
1955年の発表時この3ボックスセダンのSSだけではなく


横開きのテールゲートを持つハッチバック風だが実は商用登録のライトバンであるSL


こちらが横開きのSLのテールゲート、セダンより可愛いじゃないか。


SLの車内、補助席が1つとスペアタイヤがあるのであんまり積載できないそうです・・・オイオイ。


そしてピックアップのSPの3種で販売、つまりキャリィのご先祖様ですね、いや、マイティボーイかな?。


少し遅れてデリバリーバンのSDも加えられました。
日本初の本格的な量産軽自動車、しかもバリエーションに富んでいてこれはさぞかし発表から4日で5万台も受注して一時発注停止・・・


君のことだよジムニーノマド(シエラの5ドア)w、月販1200台って見積りが甘くないですかスズ菌さんw。
さておき、当初販売は大苦戦、最初の1年目は売れたのはたったの30台、生産がほとんどハンドメイドというのもあったんですが、SSで42万円という価格(同年デビューの初代トヨペット・クラウンは96万5000円)、ちなみにこの頃の大卒初任給は6000円、軽自動車としては値段が高すぎたのです、今のスズ菌からは考えられませんが。当然販売はその後も伸び悩み会社が傾きかけたという状態、そして欲張りすぎた4種類もの車種の造り分けも合理的ではなかったので、1957年には需要の多かったバンのSLのみに生産が絞られました。つまりこの後の軽自動車はハッチバックという概念も何気に(仕方なく?)果たしていたのです、まさに先駆者だな。
最終的には1959年までSL型のみを生産




二代目のスズライトTLにバトンタッチしました・・・いや、これ、なんかもの凄く「アレ」に似てね?w。
スズ菌の名誉のために書いておきますが、モーリス・ミニマイナー(つまりクラシックMINIの初代)は1959年8月のデビュー、スズライトTLは同年7月のデビュー、スズライトTLのほうが少し早いんですだからパクりじゃねーから!w、そこっ!ミ(ピー)ジー(ピー)って言うな!w、まあ、FFレイアウトの小型車でマンマキシマム ザ ホルモンじゃなくてマンマキシマム・メカミニマム(いわゆるホンダさんとこのM・M思想)で設計したら姿形が似てくるんでしょう、多分w、ホンダさんの所のN360のデビューは1967年ですからだいぶ後ですよ。
さて、中古・・・・無いっすw。
この次の次の世代の三代目?スズライトあたりは出てくるのですがバンがメインです。それでASK(応談)か300万円台、初代はもう年式的に博物館行きの車ですから、ボロボロでも100万円台ではないかなと、要レストアは間違いないです。同じ世代のスバル360初代(デメキン)の中古も応談でした。400万円台かな?、いったいスズライトはおいくら万円になるのやら?。



















スズ菌の初めての軽四輪自動車は、日本で初めての量産軽自動車でもありました。海外の車を参考にし、いわゆるリバースエンジニアリング(解体調査)までやって生産してみたものの、試作車はトラブル続きで大苦戦、やっと完成して販売したら今度は当時としては価格が高くて売れず、そんな苦労の末にようやく安定、日本のモータリゼーションの躍進に貢献した車、それがスズキ スズライトです。
所有・・・無理だなw、まずタマがない。あっても朽ち果てかけたようなのしかないらしいので、イジるよりフルレストアをやるのが優先、路上復帰をさせるのがまず先かなと、イジるのはなしでしょう。走らせるだけで奇跡のレベルですし。ホイールだけお洒落にするのが良さげですね。もう博物館行きレベルの車ですから。
戦前からのスズ菌の夢、四輪事業に打って出た記念碑的な車、まずは実物を見てみたいな。

余談
最終的な路上テストは箱根の峠越えだったそうで、2台でテストを開始して2号車は登りきる前にオーバーヒート、1号車は箱根の急な坂を登りきり目標をどうにか達成(他社もこれをよくやっていたとか)、そしてそのまま向かった先は梁瀬自動車(現ヤナセ)へ、当時おそらく日本で最も自動車(特に外車)の有識者だったと思われる


梁瀬次郎社長に試作車の評価をしてもらうためでした。社長の試乗後の評価は「これは売れるよ、すぐに売り出しなさい」とのお墨付きをいただいたそうです、これがスズライト販売への自信の根拠となったとか。


このお方がスズキの創業者であらせられる鈴木道雄氏、戦前からの夢を叶えて、軽自動車のスズキを造り上げた御方です、勿論二輪もね。スズ菌罹患者は五体投地で拝み崇拝すること!w。
Posted at 2025/02/07 16:51:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車
2025年01月24日 イイね!

好きなバイク( ´∀`)

2025年の最初はヤマハさんで、本格的な市販トレール(つまりオフロード車だね)バイクはコレから始まったと言っても過言ではないバイクです。

【YAMAHA DT-1】です。

1967年の東京モーターショーに展示されて、1968年3月にデビューしたのが


ヤマハトレール250DT1ことDT-1です。本来ヤマハトレール云々の名前は日本国内向けの正式名、DT-1のみは海外向けの名前なんだそうです。
スペックはこちら
空冷2サイクル単気筒、排気量246cc、最高出力18.5馬力です。
当時、日本では未舗装路も普通にあった時代、そういうところも日本ではそれこそホンダのカブで走ったり、他にあってもスクランブラー的なバイクしかありませんでした。


こんな感じ、これはアメリカでヤマハが販売したトレールマスター100というバイクでアメリカ向けに輸出していました。オフ車というよりかは当時のオンロードモデルをベースにアップマフラーにしたいわゆるスクランブラーですね。こういうモデルは輸出向けでありましたが、オンロードベースで車体が重たいとか、排気量が足りなくてパワーが足りないなどの不満点も多かったのです。そんな時にアメリカから「もっとオフロードを気軽かつおもいっきり走れる市販バイクを造ってほしい」という要望が来たのです。当時アメリカで上の画像のようなバイクのトレール系のレースが人気だったからなんですが。しかし、上記のとおり日本は未舗装路もオンロードバイクで普通に走っていたので、ヤマハ的にはそんなん言われても何がなんやら?状態、とりあえずアメリカ側に要望や外観などを数値化してくれと逆に依頼


そんな時、丁度ヤマハは公道レースは制したから今度はオフロードのレースで勝つぞと、画像のYX26というオフロードレーサーを開発していたのです。


YX26はその後国内のオフロードレースで快進撃、画像のライダーに見覚えが・・・これは忠さんじゃねーか!


目玉のマークでお馴染みのアフターパーツメーカーである「SP忠男」の社長、鈴木忠男さんですよ(今もご健在です)。バイク用マフラーブランドとしても有名です。実は忠さんは若い頃ヤマハ所属のオフロードレーサーだったんです。海外でも活躍していました。
さておき、アメリカから来た細かい回答は「エンジンは排気量250cc、モトクロスだけでなくトライアル的要素も兼ね備えること。公道でも獣道でもガンガン走れるバイク」とのこと。そこでヤマハは
(1)車重は100kg以下にすること。
(2)狭い山道を走行するため、車幅はできるだけスリムにすること。
(3)最高出力よりエンジントルクを可能な限り大きくすること。
この3つを目標に開発したんですが・・・あれ?ちょっと待て、これってあのオフロードレーサーをベースにしたら行けるんじゃね?となったわけです。なのでそれをベースに保安部品をつけたりスタイルやデザインを見直したりしたのがDT-1(表記はこれで行きます)となります。ちなみにDTという名前は、Dが当時のヤマハ内で250ccクラスを表す記号で、Tはそのままトレールから来ています。その後のヤマハの2サイクルオフロード(トレール)市販車に受け継がれていきました。


後のDT230ランツァまでですね。


違いますっ!w


まずはエンジン、2サイクル空冷246cc単気筒ピストンバルブ式、18.5馬力を発生し2.32kgのトルクを5000回転で発生させます。2サイクルなのでエンジンオイルを必要としますが、なんと分離給油式を採用しております。ガソリン給油の度にエンジンオイルをタンクへ(混合給油)は必要なしです。古い2サイクルエンジンのオフロードだから混合かなと思っていましたがw。


シンプルなキャブレター、しかしそのおかげで分解整備は楽とのこと、ジェット変更などのセッティング変更も容易です。つまりイジりやすいとか。


フロントは3.25幅の19インチタイヤで勿論ブロックパターン、ブレーキはシングルカムのシンプルなドラム式、正立式フロントフォークのインナーチューブはφ34㎜、175㎜のストロークは当時のバイクの中では最大のストローク量でした。


リアホイールは18インチで4.00幅の18インチタイヤ、ブレーキはフロントと同じくドラム式でフロントと同じ大きさ、ツインショックを直立近くまで立てて装着してストローク量は90㎜とこれも当時のバイクとしては最大のストローク量です。スプロケットも1丁刻みで用意されていたとか。


灯火類、古いバイクなのでシンプルですね。今に比べると明るく・・・は無いかな。


スピードとタコ分離式のメーターまわり、いかにも昔のバイクらしいこれまたシンプルな物、結構大きく数値が書かれていますがノーマルではここまでの性能は・・・しかし、ヤマハはちゃんとある物を用意していました、後程。


フレームは鋼管のクレードルタイプ、シートは前後に長い2ケツも想定した物、肉厚でお尻に優しそうですね。タンクの造形は拘ったそうで丸みを帯びた美しい形で容量は9.5リッター、ヒートガード付きの排気側が絞られたアップのチャンバー、流石はデザインのヤマハこの頃からだったんですね。乾燥重量は124kgで目標の100kg切りはできなかったそうですが、当時としてはかなりの軽量かと。


上で後程と書いたことについて、この図面がGYTキットの一覧、GYTとはGeneral Yamaha Tuningの略で、つまりレース参戦用のパワーアップパーツを純正で発売していたのです。燃焼室形状とプラグの位置を変更したアルミ製のシリンダーヘッドと放熱に優れたアルミのシリンダーブロック、スペシャルなキャブレター、専用のピストンやピストンリングと専用のチャンバーやスプロケットがセットになっていてそれを普通に販売していたんです。


GYTキットのアルミシリンダーとピストン、他にキャブレターやシリンダーヘッドやスプロケットもあります。


こちらがキットのチャンバー、かなり先が絞られた形状です。これらを組み込んでセッティングすれば30馬力ぐらいにパワーアップするとか。


こちらがそれらを組み込んだDT-1のオフロードレーサーです。フロントホイールは21インチに変更、レーサーですから当然灯火類はありません、でも実は市販のDT-1も最初期はウインカー類はオプション扱いだったんだとか。つまり市販のDT-1をイジってオフロードレーサーを造れるようにしていたんですね、素晴らしいな。




内外のオフロードレースにもDT-1ベースのレーサーで参戦、国内ではデビュートゥウィンを飾りました、忠さんさすがです。良く見てみるとヘルメットの前側に手書きで二つの目玉が書いてありますが、これは当時から忠さんのトレードマークだったんだそうで、それを自分の会社のマークにしたんだそうです。
その後、エンジンをピストンバルブ式からピストンリードバルブ式に変更したDT-1Fにマイナーチェンジ、1970年にはヤマハ2サイクルオフロード車の代名詞的な名前であるDT250に変更になりました。なのでDT-1としては1970年までとなります。初期のDT250も大きな違いはありませんけどね。
さて、中古市場
綺麗にレストアされているヤツは100万円オーバーで上は140万円あたり、もう50年以上前のクラシックバイクの域ですからさすがに高額での取引となっています。欲しがる人も多いそうです。レストアベースなら2~30万円あたり、ただしオクなどによる個人取引で程度は酷すぎるのもある感じ・・・結局レストアしたら気がついたら100万円ぐらい行ったなんてこともあるそうです。構造はシンプルなのでレストアはしやすいほうですが、何分古いバイクなので部品が無い、部品取り車も用意したほうが良いそうです。
















市販車としては日本初の本格的トレール(オフロード)バイクとしてアメリカからの要望で誕生、発売すると日本だけじゃなくアメリカでも販売は好調で、当時のヤマハの生産ラインの半分を割り当てたほど。ノーマルでは最高速はそれほどでもですが、太いトルクで未舗装路でも粘り強い走りを見せ、また純正販売のレーシングキットを組めば手軽にオフロードレーサーとしても使える仕様に変更できる手軽さ、それらがウケて特にアメリカでかなりのヒット作となった1台、それがヤマハトレール250DT1(DT-1)です。


男のクルマって・・・昔のジムニーにもそんなキャッチフレーズがあったような?w

所有するなら?これは完全なノーマルで乗るべきかと、もう年式的にもクラシックバイクですし。レストアをメインで、スピードは緩めで林道や街中をトコトコ走る感じが良いかなと。


このオフロードレーサーを参考にして、サイドにゼッケン、フロントフェンダーをアップタイプにするのも良さげですね。


まあ、やはり磨きあげてそのまま乗るのが良いかな。服装に気を使って乗って街中を走ってもお洒落かなと。こういうクラシックオフローダーも最近は人気ですから。
実はこのDT-1、昔居た部署の上司で車もバイクも旧車好きな方が居て、その人が所有していました。車はトヨタのTE27レビンやマツダのNAのロドスタやスズキのカプチーノなど他にも色々、バイクはホンダドリームCB750フォアのK1やカワサキのZ2、小さいのはホンダのイーハトーブやエルシノアやヤマハのYA-1などこれまた色々所有している方でしてね。これら全てクルマもバイクもほとんど自分でレストアしたとか。内心どれか1台くれ!(特にCB750フォア!)と思っていましたw、その当時でもDT-1はお洒落だなと、今なら本当街乗りや林道をトコトコ走りたいです。

余談

トレール走行が学べる、「ゆかいなトレール教室」・・・ヤマハはDT-1を発売した後に国内でこういうイベントを開催していたんだそうです。
で、皆さん口を開けて何を叫んでいるのかなコレw。


DT-1の発売と同時に、オフロード ビギナーの方を中心に効果がわかりやすい土の上で、ブレーキのかけ方や体重移動のコツ、車体の挙動変化など、オフロードバイクの正しい扱い方や楽しさを体験してもらう機会を提供したんだとか、ちなみにこういう安全教育みたいなのは今でも継続しているんだそうです、オンオフ問わずでね。まあ、他社も色々とやっていますがこういうのには参加したことが無いなぁ。オヤジだけど改めて参加してみようかな。
Posted at 2025/01/24 17:07:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク

プロフィール

https://youtu.be/_7GUy8yG1FY?si=lSyULS32vRT3H-VT またマン島TTの良い動画を見つけたので、曲はグランツからのSoul on displayです。この曲も好きでねやっぱり合うな!、昨今はBMWのS1000RR(画像)が多いそうですよ。」
何シテル?   08/27 17:36
マヨイガです。現在北海道在住、出身(実家)は福岡だったりします。 怖がる事はない。恥ずかしがる事はない。オヂサンと一緒にアブナい世界に行こうね…(嘘です嘘) 追...
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