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マヨイガのブログ一覧

2021年09月26日 イイね!

愛車と出会って1年!

愛車と出会って1年!9月26日で愛車と出会って1年になります!
この1年の愛車との思い出を振り返ります!

■この1年でこんなパーツを付けました!
ヨシムラサイクロン
フェンダーレスキット
ステッププレート
ハンドルグリップ
ナポレオンミラー
USB電源


■この1年でこんな整備をしました!
オイルとエレメント交換

■愛車のイイね!数(2021年09月26日時点)
45イイね!

■これからいじりたいところは・・・
後はブレーキパットかな

■愛車に一言
まだまだ走るよ!

>>愛車プロフィールはこちら
Posted at 2021/09/26 23:07:53 | コメント(2) | トラックバック(0)
2021年09月25日 イイね!

好きな車(*^ω^)


たまには変わった車をご紹介

知っている方は知っている、知らない方は(多分)全く知らない・・・そんな車です。
今回のお国はドイツ(旧東ドイツ)から。

【VEB Sachsenring Trabant】

「VEB ザクセンリンク トラバント」です。
はいっ!最早?の嵐ですよね~w。


トラバントとはこんな車です。旧東ドイツで生産されていて、旧ソ連や東欧などでも販売されていた大衆車ですね。
外観は古めかしいですが、1990年の生産終了までほぼこの姿のままだったというね・・・。
とりあえずスペックから(P601)。
空冷2サイクル2気筒、排気量594cc、最高出力23馬力です。
遅そう・・・いえいえ、ボディがかなり軽い(乾燥重量620kg、今の軽自動車よりかなり軽い)のでちゃんと100kmは出せますから・・・いや、遅いだろw。
ナチスドイツが敗戦して東西にドイツが分割された後、東ドイツのザクセン州にあったホルヒ・・・という高級車を得意とする自動車メーカーがかつて存在したのですが、その跡地と工場を引き継いでVEBザクセンリンクが誕生。
VEBとは「Volkseigener Betrieb」(ドイツ語)を省略したもので和訳すると「人民公社」という意味合いです。
戦前戦中のアウトウニオン(簡単に言えば自動車製造組合)の流れを組む会社で、当時としては技術力は高いほうでした。
戦後から数年たったある時、東ドイツでも国民車構想が立ち上がりその一環として開発されたのがこのトラバントです。


これが最初に生産された1957年デビューのP50、軽自動車よりひとまわり大きいぐらいの車格、駆動方式はFF(前輪駆動)でエンジン配置も横置きと当時としては意外と先進的な車でした。ただしエンジンは2サイクルですけどね、しかも混合給油(エンジンオイルをガソリンタンクに50:1とかで直接入れるタイプ、つまり草刈り機と同じ)というね。
トランスミッションは4速MTですが、シンクロメッシュ機構が無いいわゆるノンシンクロ(コンスタントメッシュといいます)のマニュアル、変速にはダブルクラッチ操作が必須です・・・走り屋養成マシーンかな?w。ブレーキも前後輪共にドラム式、効かなかったとか。
ちなみにトラバントという名前は、ドイツ語で衛星とか仲間とか随伴者という意味合い、1957年にソ連(当時)でスプートニク1号(世界初の人工衛星)が打ち上げられたことにちなんだネーミングです。愛称は「トラビ」と呼ばれていました。


1962年から排気量を若干アップ、車格も少し大きくなったP60(P600)へチェンジ。


そして、1964年からこのP601へチェンジ、これ以降は小改良のみでほぼこのままの姿で1990年まで生産されました。


お尻も可愛いでしょ。

さて、ではこのトラビにまつわるよくある噂・・・・

「トラバントのボディはボール紙(ダンボール)で出来ている」

これは流石に・・・無いんです・・・が、【一応】外装はFRP(強化プラスチック)の「ようなモノ」です。
プラスチックと聞いてえっ?となるかもですが、この年代あたりではFRPボディの車はイギリスなどにも沢山ありました。例えばロータスとかね。
むしろ、それを1957年に採用しているんですから最先端(当時)ですよ。

ただし、その製法が・・・ねw

普通FRPとはガラス繊維(グラスウール)などをプラスチックの樹脂で固めて作るんですが、このトラバントのは・・・「綿」です、いやホントにw。
ガラスウールじゃなくて木綿の繊維が使われているんですよ!w。
その綿を心材にしてプラスチックで固めてあるわけですね、そしてそのプラスチックも・・・石油原料由来のプラスチックではなくて、「松ヤニ由来のプラスチック」で更に「羊毛の成分を配合して強化」されているというね・・・。
ですからFRPに製法は似ていますが、正しくは「繊維強化プラスチック」(Duroplast:フェノプラスト)という別モノです・・・。
うーん、鉄鋼や石油由来の原料を使わないなんて・・・な~んてエコなんでしょw。


ナチスを東ドイツに置き換えてください。

まあ、これには実は裏事情がありまして。
東西ドイツの時代、東側ドイツでは鉄鋼が慢性的に不足していたからというのが理由でしてね。
これは東西ドイツが再び統一されるまで解消されなかったのです。
よって、「大衆車ごときに大事な鉄鋼を回せるかボケェ!」となったわけですね、ある意味苦肉の策です。
また、このトラバントに対する性能要求が「家族4人が乗れて、乾燥重量が600kgを越えないこと」というのがありまして、それを実現するためでもありました、少し重量が越えちゃっていますがw。
ちなみになぜボール紙と揶揄されたか?、最終型あたりでは物資の不足からかなり造りがテキトーになり、ボディがボコボコな個体もあったから・・・らしいw。でも、実は東ドイツの人たちもトラビの事を「Pappe(パッペ)」つまり「紙」とも呼んでいたそうですがね、それが誤解の理由というのが真相。


運転席、うーん、シンプルこの上ない。これで1980年代後半の最終型あたりなんですよ。1960年代の車と言われても疑いをかけられなさそう。
えっ?、燃料計ですか?、そんなもんありませんよ。


助手席の前にガソリンタンクがあるので(衝突したら下手したら火ダルマだね)、そこに棒があるので計って下さい(本当)、つまりディップスティック方式ですね、オイルゲージと同じです。ちなみにガソリン供給はポンプなども無く、自然落下式・・・バイクかよ!w。
はぁ?、ヘッドライトのハイビームの切り換えだぁ?贅沢だねぇ~、そんなモノはヘッドライトの下に切り換えスイッチがあるから、(いちいち)車から降りて切り換えるんだよ!(本気と書いてマジ)w。


つまりこうですか?わかりませんw。
そして、このトラビという車、価格は約4000東ドイツマルク。当時の東ドイツの平均的な月給は600~800東ドイツマルクだったそうですから、だいたい半年~1年分ですかね。
あら、そんなに高くない、じゃあ購入しましょとなるわけですが、当時東ドイツではこんな言葉がありました。 

「子供が生まれたら、トラバントを注文する」

はい?、どういうこと?。
実はトラビって、発注してから納車されるまでの期間が異常だったんです。
「納車までに平均約10年、長いと17年ぐらいはかかる」。
嘘みたいですが本当の話w
ジムニーが1年以上とか・・・軽く越えてしまっています。
1980年代で、トラビのバックオーダーは620万台ほどを抱えていましたが、年間の生産能力(台数)は15万台ほどだったそうですw。


欲しがりません勝つまで(納車されるまで)は、つまりこうですか?わかりませんw。


最早東ドイツの国民はこんな感じだったのかも・・・違っ、これ鳥肌閣下w
まあ、実際のところは中古車も沢山あったから、それが流通していたそうですけどね。

慢性的な物資不足もありますが、根本的な問題が、それは「工場で働く労働者達のやる気が無い」、これですね。これはまあ、共産主義(社会主義)の悪い所、なんぼ頑張っても、残業したとしてもサボったとしても与えられる給料は「同じ」なんですよ。変わらないんです。
そもそも共産主義ではお金は平等に分配という前提ですからね。
だから残業という概念も無ければサービスという概念すら無い、そういう事を頑張っても収入は変わらないのですから。ただ、国家が掲げる何ヶ年計画みたいな目標をクリアすれば良いのです。
つまり噛み砕いて言えばボランティアや募金の支払いを国家が延々とやっているということ。それを平等に享受できるんですから。
ただテキトーに仕事をしとけばとりあえず平等に給料が与えられるようになったら、あなたは頑張りますか?、私だったら嫌ですねw。そして、ソ連や東欧への輸出を優先していたからとも。

トラビがダメなら、他の車を買えばよろしくってよ。

いや、そんな「パンを食べられないならブリオッシュを食べればよろしくってよ」とどこぞのギロチンにかけられた王妃(の侍女が言ったそうですねアレは)みたいなこと・・・。


消防も


軍隊も


警察も(憲兵隊だそうです)


駐車場でも(1978年頃の東ドイツの風景)
トラビだらけ!、というか、このトラバント以外の車は東ドイツには無かったのです。
だから競争が無い→頻繁なモデルチェンジの必要が無いのです。
また、車体もラダーフレーム(ジムニーと同じだね)なので、ボディの載せかえも容易ですから様々なバリエーションが造れます。


ステーションワゴンもあったんですよ。

現在のロシアでも、そんな何十年も基本型のままで、モデルチェンジをしていない車は沢山ありますね。


UAZ(ワズ)とか・・・これ、実は2021年の最新モデルなんですよw。


ラーダ ニーヴァとか(47年ぶりにフルモデルチェンジしたそうですw、これも小型で可愛いから好き、紹介済)。
共産主義(社会主義)はそもそも競争がありませんから・・・進化が遅い。これも悪い所です。


1989年11月にベルリンの壁が崩壊して、東ドイツからトラビが西ドイツへ大量に流入したわけですが。
元、東ドイツ国民は目の前を走るメルツェデス(徳大寺)やらBMWやらアウディやらVWやらを見て未来の車か?と驚き。
元、西ドイツの国民は東から流入してきたトラビを見て私は過去にタイムスリップしたのかな?と思ったそうでw。

大量に流入した(というかそれしか無かった)トラバント、旧東ドイツ国民たちも「俺たちはなんてオンボロ車を押し付けられていたんだ」と気付き、当然西ドイツの車(中古車)へと買い換えられて行きました。


最早トラビは粗大ゴミ扱い(本当にゴミ回収ボックスに置いてあるの図w)。
更に2サイクルエンジンですから環境に良い訳が無く。


走る姿はこんな感じ、70年代の2サイクルバイクかなこれはw。
現在ではベルリン市街にトラビで入るには、特別な許可が必要だそうですよ。

一応VEBとしてもただ手をこまねいていたわけではなく。


トラバント1.1という近代化改修を施した車を1991年から造ったんですが。エンジンはVWポロの4サイクル水冷1100ccエンジンを積み、電装系なども近代化されていてようやく普通の車になったそうですが、価格が一気に16000マルク以上に跳ね上がり旧東ドイツ市民には買えず、また、旧西ドイツから程度の良いVWやアウディなどの中古車も入ったのでそちらを買うようになったので全く売れず、ほとんどは近隣の東欧諸国で売れて4万台ほどで生産終了になったそうです。

実は・・・トラビはモータースポーツにも参戦していまして。


トラバントP800というラリーカーを作成して、なんとあのWRCに参戦しているんです。
スポット参戦でしたが1986~1989年の1000湖ラリーにグループ0という排気量1000cc以下のカテゴリーで3台体制で参戦、89年には参加台数が少なかったとはいえ上位に入賞しています。空冷2サイクル2気筒のままでボアアップされていて80馬力ほどでしたが、やはり車体の軽さと整備のしやすさが効いていたそうです。
前後ドラムブレーキもそのままで・・・怖いなぁオイw。

さて、中古市場・・・ありません。
実は日本国内の公道では走れません。排気ガス規制や安全基準をクリア出来ないのです。
1980年代後半に、日本のとある輸入業者さんが輸入販売を試みた事がありますが、やはり排気ガス規制の壁をどうしても乗り越える事が出来ずに断念したんだそうです。
個人輸入で入手して、私有地内を走らせている(保存している)人は居る・・・のかな?。「日本トラバントクラブ」なるものが検索すると出てくるんですが?。
上記のトラバント1.1(VWエンジン)ならかなり頑張れば・・・いくらかかるかは解りませんが。


いい画像だな、老シスターに大事にされているトラビの図

トラビは現在のドイツでは絶滅したのか?、いいえ、そんな事はありません。

まず、統一後の1990年に「Go トラビ Go」という映画がドイツで制作されました。東西統一後に元東ドイツで慎ましく暮らしていた家族が、夢のイタリア旅行にトラビで行くというロードムービー的コメディ。


映画のワンシーン、ルーフキャリアに荷物を載せたらトラビが傾いたの図(さすがに誇張ですがw)

そして、2000年代に入ると、元東ドイツ国民だった人々の中で「東ドイツもそんなに悪くは無かったな」という懐古の気持ちが沸き上がったそうで、まあ、共産主義体制での労働と統合されてからの労働はかなり違っていて、元東ドイツの人々はかなり疲弊していたし、賃金格差も広がっていたからなんですが。


また、ベルリンには2006年に東ドイツ博物館が設立されたりもしました。
DDRとはDeutsche Demokratische Republik(ドイツ語)の略で、東ドイツ民主共和国という意味です。そこ、ダンスダンスレボリューションではありません。
そんな懐古の気運が高まりスクラップ行きばかりだったトラビ達も人気が再燃。
同じベルリン市内に


トラビワールドというレンタカー屋さんがあり、実際にトラビを運転できるそうです。


こちらはなんとEV(電気自動車)化されたトラビもあるそうです。

とまあ、オンボロ車ではあるんですが、今なお元東ドイツ国民には愛されている車なのです、スタイルも可愛いですし。



元、西ドイツ国民が郷愁を感じる車はVW タイプ1、つまりビートルですね(ドイツでは「ケーファー」と呼ぶのが一般的)。


元、東ドイツ国民が郷愁を感じる車はこのトラバントなんだそうです。

タイプ1はメキシコビートルや1303などは何度か運転した事があるので、機会があればトラバントにも乗ってみたいな。

ドイツには行ってみたいんですけどね、見たいミュージアムが沢山あるので。
ポルシェ博物館でしょ、VW博物館でしょ、ムンスターの戦車博物館でしょ、このDDR博物館でしょ・・・うーむ、他にも沢山あるなw。
あと、ソーセージ食べてみたい、ヴァイスヴルスト(白ソーセージ)とかブラートヴルストとか・・・ジュルリw
Posted at 2021/09/25 11:40:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車 | クルマ
2021年09月11日 イイね!

好きなバイク(*^ω^)


前回、ホンダの至宝である


RC30ことVFR750Rを取り上げたわけですが。

こんなのをホンダさんが出しちゃったらねぇ・・・あちらも黙っちゃいないわけですよ。はい、ヤらしい所がね・・・いわゆるHY戦争でバチバチな時代でしたし。
と、いうわけでヤマハさんからです。

【YAMAHA FZR750R】
「ヤマハ FZR750R」です。

まずは1985年


はい、TECH21ですよ、ワークスレーサーであるFZR750でバチバチの戦争をホンダと繰り広げていました、画像は8耐でライダーはケニー ロバーツと平忠彦、この年はエンジントラブルでリタイアとなりました。
翌86年から更に戦闘力を高めたYZF750で出場するわけですが、またトラブルでリタイアしてしまいます。


1987年にさらに手を加えて遂にヤマハは優勝、翌1988年も優勝と2年連続優勝を果たしました。画像は1988年のチームラッキーストライクのYZF750、マギーとドゥーハン組、TECH21チームはまたしてもゴール前でエンジントラブルでリタイア・・・最早平忠彦は8耐に呪われているとまで・・・。
そのレーサーYZFのレプリカとして。


当初、FZR750を1987年に販売、しかしこのFZR750は車体はFZR1000の物で、エンジンは


こちらのFZ750のエンジン少々手を加えてそのまま載せている状態、しかもFZR1000のフレームって当時のFZR400のフレームの拡大版でして、つまりありもののフレームやエンジンの集合体がFZR750だったのです。
まあ、最初はこういう無難な造りにするのが、私がヤマハを優等生だなと感じる部分なんですが。勿論ハンドリングのヤマハらしい街乗りでは使いやすいレーサーレプリカですよこれも。
しかし、そのありもので造り上げた成り立ちから、言い方は悪いのですが「羊の皮を被ったヤギ」だったわけで。


そこに、ホンダが同年に限定1000台とはいえRC30を出したものですからヤマハのいつもの法則が発動してしまいました。
法則とは?、「ブチ切れてからの後だしジャンケン」ですね。ヤマハさんという会社は基本優等生なメーカーなんですが、特にこの時代は相手がホンダとなると、見境なくしてブチ切れてしまいます。

そうかいそうかい、じゃあウチもキレちゃうぞと・・・スーパーバイク世界選手権にはウチも出たいし、そのためのホモロゲーションを取りたいし。

まず、純ワークスレーサーであるYZF750を用意します。
とりあえずコイツに保安部品をつけてみよう、いやもうまんまで行こうや、だから45度傾斜のシリンダーブロックはそのままで勿論4気筒20バルブだよ。
ホンダさんのRC30はアレを使ってるんだ、ふーん、じゃあウチも使っちゃうもんね~と開発を進めて


FZR750R、1989年に爆誕しました。
コイツにもRC30みたいに開発コードからの通り名があります、むしろこの750Rはそちらの開発コード名で呼ばれる事が多いです、その名は・・・・

【OW-01】

たま~に間違えて覚えている方を見かけますが「オーダブル オーワン」ではないですよ、オーダブル・・・


ゼロワンです。
「オーダブル ゼロワン」が正しい読み方です。
では、スペック。
水冷並列4気筒DOHC20バルブ、排気量749.2cc、最高出力77馬力です。
上記しましたが、エンジンはFZ750から始まったジェネシスエンジンを改良したもの、前方45度に前傾したシリンダーブロック、それに合わせたダウンドラフトタイプのキャブレーター、そしてヤマハお得意の1気筒あたり5本のバルブ。これはトヨタでも採用されて4A-GEエンジンにも搭載されましたね、アレはヤマハと共同開発していますから。
ホンダが使ったアレとは、チタンコンロッドのことです。このOW-01でも採用されています。強度をあげつつ軽量化も可能ですが加工が大変だしコストも高い、量産車両には贅沢すぎるパーツを惜し気もなく投入、RC30と同じくピストンリングは1気筒あたり2本としています。


車体については各ディメンジョンはYZFに準拠、フレームも今までの使い回しでは無くほぼYZFと同じ新規設計のアルミボックスフレームを採用、外装もFRP製と徹底しており、車両乾燥重量はFZR750が203kgだったのに対してOW-01は187kgとかなり贅肉を削ぎ落としています。
そして、特筆すべきは。


金色に輝くオーリンズ!
市販車初、純正でオーリンズのタンク別体式サスペンションをリヤに採用、圧、伸側の細かい調整が可能です。アフターでは無く純正なんですよこれは。


排気には勿論伝統のEXUPを採用、集合部にバルブを取り付けアクセルの開度に合わせて開閉する排気デバイスですね。
とまあ、これ、やりすぎじゃね?レベルの贅沢さ、当然販売価格も凄いことに・・・。
さて、そのお値段ですが、車両本体価格・・・

【¥2,000,000】\(*゚Д゚*)♪

はい、ゼロを数えてぇ・・・いちじゅうひゃく・・・2百萬円也!(^_^;)。
当然、当時の国産バイク最高額、逆輸入であるFZR1000の実勢価格よりもとんでもなく高額です・・・。


開発「やりすぎちゃったぁ~テヘペロ☆」

営業「オイイイイイイイイ~ッ!💢」

恐らく、ヤマハ社内ではこうなったんじゃないかな~とw

しかし、多分ホンダさんのRC30の売れ行きを横目で見ていたでしょうから、自信はあったんじゃかいかな~と。
そんな所もヤマハさんの優等生な(ヤらしい)所かと。

当然、高額ですし量産も手がかかりますから、限定台数500台とホンダさんより少なくして販売となったんですが、購入希望者が殺到。
まあ、バブル真っ只中とはいえ人数は台数にたいして3倍以上だったとか。投機目的な輩も居たらしい、後で中古市場紹介でそれがわかりますよ。
あっという間に応募者で埋め尽くされ、販売は勿論抽選方式となったそうです。
ほぼワークスレーサーが200万円のハーレーぐらいの価格で買えるんですから(市販レーサーのバイクはその倍以上します)、そりゃプライベーターチームは欲しがりますよ勝つまではするでしょうね。
200万円のバイクが一瞬で「完売」したそうです・・・。

輸出仕様もあり、そちらは121馬力に達するそうで、メーターも280kmフルスケールの物が装着されています、ただ調べてもあまり詳しい情報が出てきません。1992年あたりまで輸出されていたみたいなんですが。
国内仕様もインシュレーターやメインジェット、イグナイターやスピードメーターを輸出仕様に交換すればフルパワー化ができるみたいですが。

翌年の1990年の鈴鹿8耐に


この頃お馴染みになっていた、6年目のTECH21チームですが。この年はOW-01をベースにしたYZFで出場、平忠彦&ケニーロバーツのコンビで遂に初の優勝となりました。
市販車ベースで遂に優勝をもぎ取ってしまったし、平忠彦の呪いすら解いてしまったのですからOW-01の戦闘力は本物だったという証かと。

さて、中古市場ですが。
上記しましたが、恐らく投機目的じゃねぇの?な超極上の「新車」状態の1台を発見、そのお値段は・・・

【¥6,030,000】(´ロ`ノ)ノ!!

六百飛んで三萬円でございます・・・・。

いや、走行がヒトケタって・・・シートにビニールがついたまんまだし、これ、絶対投機目的でどこかで寝かせていただろ。
他にも1台ありましたが、こちらも走行数千キロでお値段は400万円台、RC30より元々生産台数が少ないのでかなりの高額中古価格です。恐らくヤマハの中古市場価格ではトップクラスかも・・・。
2台しか見つけられませんでした、逆輸入車があるのかは解らずです。





♪ホンダさんからお手紙(果たし状)着いた
ヤマハさんたらそれ見てキレた
仕方がないのでOW-01造った
さっきの手紙(果たし状)のご用事なあに~♪
と、最早脊髄反射かよ!なレベルでヤマハが反応、そしてブチキレ。もうあれもこれもそれもオーリンズもつけちゃう!とやらかし気がつけばとんでもない市販価格になってしまいましたがそれでも一瞬で完売、レースシーンでもその圧倒的な力を見せつけたまさに究極のレプリカ・・・じゃねーなこれ!、こちらがレーサーのベースになっているんですから。
最早「公道も一応走れるレーサー」と言っても過言ではないバイク、それがヤマハFZR750R(OW-01)です。

所有・・・無理っ!w、まあするならスリップオン装着と、軽量なアルミ鍛造か欲を言えばカーボンホイールを装着で。
後は輸出仕様純正パーツへの交換でフルパワー化と徹底的に整備ですかね。
特にリヤのオーリンズは経年劣化でガス抜けをしやすいそうですから、本国へ送り返してオーバーホールかな。
ただ、以前は職人さんが手をかけて整備補修していたそうですが、最近のオーリンズは部品交換っ!、ガス注入っ!、ヨシッ!と現場猫状態なんだそうでw、しかもサスペンションオーバーホールに後ろ向き姿勢&高額になったそうですがね。
だいたい2年に1回ぐらいはガス圧のチェックと注入はした方が良いそうです。
あ、外装FRPだっけ・・・コイツも補修や修正が必要なヤツですやん。

ヤマハさんさぁ、ホンダさんはやっていますよ?、RC30のリフレッシュプランを。
あの~、これこそ脊髄反射をするべき所では!、ヤマハさんでパーツの再販とかリフレッシュプランとかってほとんど聞いた事がありませんけどねぇ・・・。

せっかくの渾身の一台が、もったいないですよ。
Posted at 2021/09/11 11:55:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク | クルマ
2021年09月06日 イイね!

私のドリームカーはコレだ!

私のドリームカーはコレだ!
はい、また乗っかります。
ランチア デルタは散々書いたのでタイトル画像のみです。

フェラーリ ディーノ

言わずと知れたディーノ、跳ね馬マークはついてません。206と246がございます。
特に206はアルミボディーで150台ほどしか生産されていなくて希少、現在相場は80万ドル・・・っていくらなんだ(ソロバンパチパチ・・・)、1億円を越えてるみたいです(・・;)。

ロータス ヨーロッパ

これも言わずと知れたですね。やはりこのカラーのスペシャルが良いな。
現在の相場はシリーズ1で1500万円あたり、シリーズ2がその手前、画像のスペシャルは900~1000万円あたりが相場、ちなみに近場に・・・ヨーロッパのシリーズ2とエリート(二代目)を所有している方が居ます・・・マジで。

シボレーコルベット スティングレー

一番好きなのはC2コルベットですが、このC3も好きだったりします。アイアンバンパーだと高額で1000万円あたり、後期バンパーは(いわゆる5マイルバンパー)下は360万円あたりからありますね。
初期のアイアンバンパーは本当に綺麗ですよ。
尚、「スティングレー」(エイのこと)の名前が付くのはC2とC3です。C4からは単にコルベットという名前になります。

乗りてぇ~乗ってみたい~。

Posted at 2021/09/06 18:16:40 | コメント(0) | トラックバック(0)
2021年09月04日 イイね!

好きな車(*゚ー^)



メ~ツ~ブ~シィ~!🐾

お前はいきなり何を言い出しているんだ?、はい、今回は三菱から行きますね~。

しかし、だ。

ホント今の三菱の車で欲しいなと思わせる車が全く無いなぁ~!。
ラリアート復活は喜ばしいんですけど、何、ランエボもSUVにするってホントぉ?、バカなのかな?、だったらそんなゴミ造らなくていいよ資源の無駄だし、それならパジェロを継続生産して、世界初の本格的クロカンEVに改良すればいいじゃん♪いいじゃんいいじゃんスゲーじゃん(はい?)w。
もういい加減(アホの)益子前CEOの呪いから脱却しようよ・・・いや、あのお方は草葉の陰へと逝ったからますます呪いが強化なんですけどね・・・最早呪怨だ👻w。

あと、もうオッサンいや日産とスパッと参上!じゃなくてスパッと手を切れ!、話はそれからだ・・・・

さておき、三菱と言えばラリー(異論は認めない)、ターボ&フルタイムAWD(4WD)の礎を築いたコイツを忘れてはいけません。
ある意味、ランエボ達のプロトタイプと言えるかと。

【MITSUBISHI GALANT VR-4】
「三菱 ギャラン(ドゥ) VR-4」です・・・って、おい、なんかヘソ毛が見えてるぞ・・・。

1987年10月、6代目にモデルチェンジしたギャラン、シグマやらラムダやらの名前はかなぐり捨てて生誕しました。
その約2カ月後に


インタークーラーターボ、フルタイムAWDで武装した「VR-4」が出現。
ところで「VR-4」って何ぞや?
それは「Victory Runner 4WD」から来ています・・・はい、以外と安直だったりします、まんまですw。
まずはスペック(初期型)
水冷直列4気筒DOHC16バルブインタークーラーターボ、排気量1997cc、最高出力205馬力です。

さて、まずは1981から1986年まで(というか大事故でランチアチームから死亡者が出たし、観客も他のチームの事故に3名ほどが巻き込まれて死亡した)、WRCはグループBカテゴリーがまさに狂乱麗舞のパワーウォーズ状態。




え~、まず、グループBというカテゴリーがどれだけ頭がおかしいラリーだったかと言いますと。
ホモロゲーションは200台ほど市販型(っぽい何か)を造ればOK!
ターボ、スーチャー、4WDだろうがミッドシップだろうがとにかく市販型(のような何か)を200台造れば出場OK!。つまり、プロトタイプに毛が生えた程度でただ保安部品をつけたぐらいのでもOKだったのです。
改造範囲は恐ろしく広くて、ボディはプラスチック(一部パーツはFRPですらなかったとか)にパイプフレームは当たり前、ボディの型だけ市販車のシルエットを残していればミッドシップにすることもOKだったし。
まあ、現在でのイメージ的には「SUPER GTの車両で市街地や砂利道や峠を激走する」と思っていただければいいかなと。
更にラジエターをリヤウイングの内部に移動させたりとか、水冷ブレーキだの特殊燃料(燃えても炎が透明で見えないとてもヤバいヤツだね)だの・・・ん?ドライバーの安全性だと?ハハハハ・・・


嘘みたいですが本当にこうだったのです。まずは「速さが正義」、選手たちから競技の安全性に苦言が出まくってもアウトオブ眼中!、エンジン出力も小型ハッチバック系で400馬力ぐらいなら「当たり前」、最終的には600馬力を軽く越えていました・・・そんなので市街地やら砂利道やら峠道やらをかっ飛んで走るんですから、そりゃ人間が操れる限界なんて軽~く天元突破、当然もうFRやRRやMRの2WDでは真っ直ぐ走ることですら難しいわ~な状態でした。

そのグループBに参戦しようとしていた三菱は


スタリオン ラリー4WDを開発、市販(勿論限定で)も目前さて参戦するぞ・・・というところでそのグループB自体が消滅、お蔵入りとなりました。
しかし、新しいカテゴリー「グループA」に移行すると決まり、改造制限は厳しくなりましたが(いや、グループBがユルすぎたんだが)、市販で5000台(後程3000台に基準は引き下げ)生産すれば勿論4WDでも出場OK!。
ならば、スタリオンで培った技術を新しい車に投入すれば良いんじゃね?となりスタリオンから生まれ変わったのがVR-4なのです。


一見、地味~な4ドアセダンですが・・・
まず、エンジンは名機4G63!


はい、後にランエボ達の心臓となるエンジンですね。
これにインタークーラーとターボで武装、駆動方式は勿論フルタイムAWDです。
サスペンションはフロントがストラットとスタンダードな造りですが、リアはダブルウイッシュボーンと凝ったものを装備していました。




コックピットも正直見た目は地味~な感じですが、変速は5MTだったり、よく見ると何気にシートがセミバケ風だったりと結構スパルタン。
FFベースでフロントヘビー+4WDということで曲がりやすいクルマでは無かったのですが、車速感応式の4WSで対応、車速により同位相、逆位相になるタイプですねと、何気に(当時の)ハイテクを装備。
はい、まさにヴィクトリーガンダ・・・じゃなくて、Victory Runnerの名に恥じない「ラリーで勝ちに行く」ための車でした。
そして、1989年からWRCに本格参戦




1993年のシーズンの途中でランエボにバトンを渡すまで活躍しました。
1991年、1992年のコートジボアールラリーで、日本人ドライバーである篠塚建次郎選手によるWRC優勝という快挙も果たしています。後にパリダカなどでも有名になったあのシノケンさんですね。
参戦中にこの2回も合わせて6回優勝をしています。
VR-4は後の日本車による、WRCグループAラリー席巻の地盤を築いたのです。

市販型も実は毎年のようにマイチェンや改良が加えられていて、初期型では205馬力だったのが、最終型ではタービンの大型化やインタークーラーの容量アップなどで240馬力にまで引き上げられています。
また、いわゆる役モノ(特別仕様)も様々で


特に1990年の10月には、ビスカスLSDやサンルーフ、専用デカールや専用ボディカラーであるオニキスブラック塗装の 「VR-4 モンテカルロ」も販売されています。これ好きだな~、昔、実物見たけど地味カッコ良いんですよ。
更に競技用に装備を簡略化して、車体を軽量化したRSグレードなども用意されました。

余談ですが、6代目のギャランとしての特別仕様車で

「AMG」があったんですよ。はい、あのメルツェデス(徳大寺風表記)でお馴染みのAMGによるチューンのギャランです。
しかし、勘違いされやすいんですが、これVR-4がベースでは無いんですよ。
タービン?ついてません、インタークーラー?ありません、それどころかAWDですらありません、FFなんです。
実はギャランのNAモデル(エンジンは同じ4G63)がベースなんです。お間違え無いように・・・私もしばらく勘違いしていましたが。
通常のギャランの2リッターNAモデルは140馬力ですが、このAMGは170馬力を出力しています。ちゃんと4G63エンジンをドイツのAMGに送って「指標エンジン」をチューン&製作してもらっていたそうです。これ、かなり激レアな車ですよ。
まあ、その前にはなんかトチ狂った「デボネアAMG」なんてのもありましたがw、この頃の三菱は、メルツェデスやAMGが大好きでしたからね(でも、セダン系のデザインスタイルは何故かBMWに寄って行きましたがw)。
1993年まで生産販売、ラリーの世界ではランエボへバトンを渡しましたが、VR-4というグレードは8代目のギャランまで継承され


最終的には2.5リッターにまで排気量を拡大、AWDのまま馬力も280馬力となりました。つまりスポーティーセダンとしての高級路線に舵を切ったのですか・・・正直販売面では苦戦してしまいました。

さて、中古市場
面白い現象が起こっていますね。
実は6代目つまり初代VR-4の方が後の8代目VR-4よりもかなり価格が高額なんです。
馬力も排気量も上がった8代目は120~高くて170万円(走行2万キロの極上)あたりで推移していますが、6代目ギャランのVR-4は走行15万キロの過走行でも90万円から、走行の少ない後期型240馬力のVR-4だと270万円以上とかなり値上がりをしています。
やはり、レース(ラリー)イメージというのは大事なのだよこれでわかったかい三菱さんよ!。
つまり以前紹介したST185セリカと同じ現象が起こっているのです、まあ、ランエボの直系のご先祖様でもありますからね。ランエボの改造手法も結構流用出来るらしいですし。






一見地味目なセダンですが、グループB消滅で潰えたスタリオン 4WDの悲願を受け継ぎ、まさにVictory(勝利)のために生を受けたRunner、グループAクラス黎明期に活躍し、日本車によるWRC席巻への土台を築き、その魂はしっかりとランエボと受け継がれた車、それが三菱ギャランVR-4です。
個人的にも、この初代VR-4が一番好きですね、8代目も外観は垢抜けて性能も上がっていて良い車なんですが・・・普段使いメインならこちらかな。
しかし、やはりラリーでの活躍という裏付けがありますからね、そういう車のほうが中古では評価される・・・事実、セリカ(185)と同じく中古車実勢価格がそれを物語っています。
所有するなら?、脚とマフラーぐらいで、その前に内張りを引っぺがしてエンジンも下ろしてボディーを徹底的に整備、これですね。
剛性は高い車ですからそれを取り戻す、まずはそこからでしょう。
後はラリーイメージで、ラリアートカラーにしたい所。ホイールは白いO.Z一択!、フィンタイプが似合いそうです、エンケイのRC-T4かT5でも良いかも。
本音は黒のVR-4 モンテカルロが良いなあ、ガンメタのエンケイRC-T5かO.Zのスーパーツーリズモあたりを履かせたいですね。

最後にもうひとつ余談。


グループBのラリーカー(モノによっては600馬力越え、排気量は2リッターあたりのAWD)と

現在のWRCのラリーカー(トヨタのヤリスWRC)
ちなみにこちらは380馬力(1600ccでですよ、勿論AWD)

さて、どちらが速いのでしょうか?。

それは、コースにもよりますが、現代のWRカーのほうがタイムは速いんだそうです。

つまり、なんぼ馬力があっても、それを確実に伝達できなければ結局危ないだけ、現代のWRカーはそれを伝達する電子デバイスなどがグループBカーより遥かに優秀なのです。ましてグラベル(未舗装路)なら尚更ですから。

「過ぎたるは、及ばざるか如し」、まさにこれなんですね。
Posted at 2021/09/04 07:20:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車 | クルマ

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「あーこれこれ、ニセコ方面で昔見かけたクラウザードマーニ、本人不在でしたけどね。ZODIACのエンブレムが入っててえっ?マジ?ってなりましたよ。その時は知らなくて後で東本昌平さん所有と知ってやっぱりかとなりました。今年の4月頃に内地で開催された個展に展示されていたそうです。」
何シテル?   08/13 08:11
マヨイガです。現在北海道在住、出身(実家)は福岡だったりします。 怖がる事はない。恥ずかしがる事はない。オヂサンと一緒にアブナい世界に行こうね…(嘘です嘘) 追...
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