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マヨイガのブログ一覧

2025年02月21日 イイね!

好きなバイク( ゚ー゚)

今回はイタリアから。
よく「バイク界のフェラーリ」と称されるあのメーカーからです。

【MV AGUSTA 750S】
「MV アグスタ 750S」です。

だいぶ前にガラケーのころにF4を紹介して以来だし、1000文字制限があったので(だから初期の記事は画像も1枚で短いんです)、今回はまずMVアグスタってどんな会社?からやります。


こちらがMVアグスタ社のマーク、社名のMVとは?「Meccanica Verghera」、イタリア語で「メカニカ・ヴェルゲーラ」と読みます。ヴェルゲーラとは最初に工場を設立した場所の地名、メカニカは力学とか工業という意味です。つまり「ヴェルゲーラ工業」といった感じの意味合い、フルネームだと「Meccanica Verghera Agusta」、「メカニカ・ヴェルゲーラ・アグスタ」となります。アグスタは創業者のジョバンニ・アグスタの名前からですよ。ちなみにアグスタ家は伯爵の爵位を持った名家です。
元々は航空機メーカーからのスタートでした、1907年にジョバンニ氏が設計した航空機が初飛行に成功、その後はあのカプローニ航空機に参加、カプローニ氏を知りたければジブリの「風立ちぬ」を見てください。1923年にジョバンニ・アグスタ航空機会社を設立、その一方で2サイクル単気筒100ccほどの小さなモペットも製作販売していました。第二次大戦でイタリアが敗戦、航空機生産は禁止されたので、以前は片手間だったバイクの生産に本腰を入れてMVアグスタを創業したのです。とまあ、大まかにはこんな感じの成り立ちであります。
そんなMVアグスタは1950年代には並列4気筒のバイクを製作、その後20年間ほとレースでは常勝という強豪となりました。ホンダがドリームCB750fourを販売したのが1969年、その遥か前からレースで並列4気筒エンジンのバイクを走らせていた会社なのです。




こちらは750Sの前に製作販売していたMVアグスタ600、4Cとかツーリズモと呼ばれていました。この時点でもうDOHCの並列4気筒というのがわかるかと。そう、空冷並列4気筒エンジンのパイオニアでもあったのです。
この600の後継となる、今回紹介するMVアグスタ750Sはこちら、1972年のデビューです。これ、実は1969年デビューのホンダのCB750fourに触発されて造られたんだとか。


どこかカフェレーサー的な雰囲気ですが、このバイクはつまりレーサーレプリカのハシリと言えるバイクなのです。元はレーシングバイクでそれを公道仕様にしたような感じなのです。
スペック
空冷並列4気筒DOHC8バルブ、排気量788cc、最高出力67馬力です。
車名は750ですが、排気量は750ccより大きいです。


空冷並列4気筒、DOHC8バルブのエンジン、DOHCであることを示すような独特のカムカバー、ホンダの750fourはSOHCでしたが、アグスタ750Sはツインカムエンジンを採用していました。なるべく排気経路が真っ直ぐになるように配置されたマフラー、エキマニの曲線美が独特の味わいです。


反対側、比較的に左右対称な造り、


エアクリーナーが存在せず、ファンネルだけがついたキャブレターは24Φのデロルト製です。わりと小径のキャブが採用されています(ちなみにホンダCB750fourは28Φです)。


フロントはワイヤー作動のドラム式ブレーキ、600ではワイヤー式のディスクブレーキを採用しましたがイマイチ効きが悪かったそうで、なのでドラム式になったんだとか、600のディスクの効きが悪かったのは油圧式じゃなかったのが原因、750Sのドラム式はグリメカ製のブレーキです。フロントフォークはΦ35mmの正立フォーク、チェリアーニ社の物を採用。フロントホイールはアルミ製の18インチです。


リヤ回り、ホイールはフロントと同じくアルミリムの18インチ、ツインショックのリヤサスペンションはセバック社の物、駆動方式は何故かシャフトドライブ式です。これは本来のレーサーはチェーン&スプロケットの一般的な物でしたが、この頃のMVアグスタは市販車両でプライベーターがレースに出るということに難色を示していたからだそうで、つまりプライベーターがレースにアグスタのバイクで出場して、負けたり転けたりするのがとても嫌だったからだとか、つまりレースの名門であるアグスタのバイクの名前を汚してくれるなということですね。だからこそ600はアップハンでツアラー系のポジションなのも同じ理由、あえてレースでは不利になる機構を選らんで採用していたのです。


メーターは機械式のタコとスピードの二眼メーターをアルミでカバー、ハンドルはトップブリッジ下に装着するクリップオンタイプのセパレートハンドル、かなりレーシーなハンドル回りです。


独特なフューエルタンクの形、その丸い形からディスコボランテ(イタリア語で空飛ぶ円盤、つまりUFO)と呼ばれていました。


シートはシングル風のデザイン、基本1人乗りなポジションです。この辺もレーサーレプリカであることの現れかと。だけどレースには出てくれるななんですけどね。
排気量は750cc以上ありますが、わりと小径のキャブがついていたりで、最高出力は67馬力と控えめ。動力性能的にはCB750fourと大差ない感じだとか。ただしお値段は1969年当時CB750の新車価格が385000円、その3倍ぐらいのお値段だったそうです。現代の感覚だと400万円台ぐらいだったのかなと。日本でも村山モーターズにより少数が輸入販売されたとか。
尚、この750Sは仕様地向けに姿を変えていたそうでして。


こちらは北米向けの750S アメリカ、タンクが四角くなり抉れていて、シートカウルがついています。


サイドカバーにもアメリカの文字が入ります。


1974年に少数が造られた・・・らしい?750SSというモデル。ロケットカウル付きでさらにレプリカ感がマシマシですが、コレについては詳しくはわからず、後付けのカウルの可能性もあります。カウルをつける改造は結構行われたそうなので。
生産は1974年までと短期間、総生産台数も諸説アリで400台ぐらいではと言われております。かなり希少なバイクであることは間違いないかと。アグスタのバイクはあまり大量生産はしませんから、この時代はハンドメイドに拘っていたので。
さて、中古市場・・・おいくら万円なんでしょうか?w、稀に市場に出ますが応談(ASK)ですし、日本でも所有している方はいるそうですが台数は1桁台だとか。上記のとおり生産台数は少ないそうなので4桁万円(1000万単位)にはなりそうですね。














イタリアの名門バイクメーカー、創業は第二次大戦後と比較的新しいメーカーですが、並列4気筒エンジンを早くから採用してレースでは常勝チーム、市販車はあえてレースでは不利になるパーツを装着してプライベーターのレース参加を阻害したりとプライドも高く、まさにバイク界のフェラーリと呼ばれるのもこのレース至上の考えから。そんなアグスタがホンダCB750fourに触発されて造った真のレーサーレプリカ、それがMVアグスタ 750Sです。
所有・・・・㍉w
出来るなら一切イジらないですね、とにかく整備がメインになりそう。細部まで磨き上げてコンディションを保つのが目的になりそう。ミュージアム入りでもおかしくは無いバイク、動体保存を目的にするべきかと。実物をまずは見てみたいバイクのうちのひとつです。

余談
バイクメーカーとしてのMVアグスタは1971年に世襲の2代目の社長が死去、その弟が経営していましたが1977年にバイク製造から撤退、解散しています。以降は航空機に注力したアグスタ社として活動

アグスタのA109、主にヘリコプターを生産する会社になりました。日本でも一部の県警が採用したそうです。イタリアの軍用観測ヘリとしても活躍しています。


同社のマングスタ攻撃ヘリコプター、アグスタは現在もイタリアの軍事航空産業会社でもあります。旅客機も試作したようですが、販売には至らなかった模様。
そして1997年、当時のイタリアのカジバグループがバイクメーカーとしてのMVアグスタを再興したんですが、2004年から大まかな流れですがカジバからプロトン→イタリアのGEVI(なんと1ユーロで売却)→ハーレーダビットソン→元のカジバグループでの創業者と流転して、ここ近年はオーストリアのKTMグループの傘下となっていました。しかし、昨年末ぐらいにご存じのとおりKTMが経営破綻、ちなみにKTMって1991年にも一度倒産しています・・・懲りろよw、そして傘下のMVアグスタの去就が不安視されていましたが、イタリアのピエラ・モビリティグループに入ることが決まり、現在は問題は解決した状態です。
2000年代の新生アグスタでも750Sは販売されていまして。


こちらがMVアグスタ 750S ブルターレです。ブルターレとはイタリア語で「獰猛」という意味、2005年に販売、要はF4のネイキッドバージョンですね。この時代のアグスタは80万円台で中古がありますよ、ただし、日本の渋滞ペースで走るとクーラント吹いただの、ラジエーターキャップが飛んだだの、樹脂部品が溶けただののお話も多数ですけどね。なので一部ではブチコワーレなんて称号もw、新車時は高額でしたが繊細な子なんです。
Posted at 2025/02/21 15:58:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク
2025年02月07日 イイね!

好きな車(^-^)


スズ菌w、バイクじゃないですよ。
今回はスズ菌四輪の初めて物語をご紹介、今回も古~い車です。

【SUZUKI Suzulight】
「スズキ スズライト」です。

まあ、かなりを古い車なのでパッとは思い浮かばないかなと。
そもそも、スズ菌とはどういう成り立ちの会社なのかを簡単に。
1920年に鈴木式織機製作所として創業、織機メーカーで始まった所はトヨタと同じだったりします。創業者である鈴木道雄氏は事業の多角化のため自動車産業への進出を目指し、1936年イギリスの小型乗用車


オースチン・セブンを導入して研究に着手、数台の試作車を製作しました。この後乗用車の生産工場も建設したのですが、太平洋戦争の戦火拡大で乗用車生産計画は中止、この頃は国からの受注で工場で砲弾などを生産していたそうです。戦後1952年に空冷2ストローク単気筒の自転車取りつけ用の補助エンジンによって輸送機器メーカーとしても発展。1954年には本格的なオートバイである


コレダCO型を発売、これもバイクのほうでいずれやります。そして1955年には


このスズライトによって四輪車市場に進出しました。実はこのスズライト、スズ菌初にして日本初となる本格的な量産軽乗用車だったりします。年式的にもあのスバル360(こちらは1958年のデビュー)より先に量産されています。
スペック
空冷2サイクル並列2気筒、排気量359cc、最高出力15.1馬力です。
スバル360の時にも書きましたが、1950年代のいわゆる日本の国民車構想に添って造られた車です。戦後、1947年から日本は小型車の生産をGHQから許され、1949年には4サイクルエンジンの軽自動車は360ccまで、2サイクルは240ccまでという上限がありました。
スズ菌は長年の夢であった四輪事業への参入を軽自動車でやると決定、海外からシトロエンの2CVやVWのタイプ1(ビートル)、ロイト・LP400、ルノー4CVなどを海外から購入し、走らせたり分解したりと細かく研究、ベースとして選ばれたのは


こちらのロイト・LP400、戦後に生まれたドイツのスモールカーです。LP400といってもランボルギーニじゃないですよw。なぜこのロイトがベースとして選ばれたのか、。4サイクルエンジンや、エンジンの縦置きレイアウトは当時のスズ菌ではカムシャフトの研磨機や精密な特殊ギアの歯切り機がなく、それらの高度な工作機械を購入するのは会社の体力的に難しいという理由で採用困難となった。モノコック構造の導入も当時のスズ菌が持っていた技術では難しく、参考車両4車のうち消去法でベース車として残ったのは、スズ菌でも実績のある2サイクルエンジンを搭載し、エンジン本体を横置きにしているために特殊ギアが不用で簡易なバックボーン・フレーム構造でシャーシ製造の難度も低いロイトが一番容易であろうと思われたからでした。こうしてロイトを分解、参考にして自社で造れるところは作成、厳しいところは正直丸パクりもやって


試作車が完成、それをさらにテストしたり不具合を治したりして・・・いたんですが、走れば振動でアームが折れただの、ドライブシャフトがネジ切れただの、駆動輪はハブごとモゲて転がってっただのw、一緒に油圧ブレーキのパイプも千切れてノーブレーキなので摩擦で止まるのに任せたというのを国道1号線でやっていたとか。今なら事件です事案ですw。


こうして1955年、スズライトは完成したのです。車名は車名はスズキのスズ+光明を意味する“ライト(light)からのの造語です。


2サイクル空冷並列2気筒、359ccのエンジン、ファンがついていて実質強制空冷に近いです。このエンジン上記のロイトの丸パクりだったりします。まあ、他国他社でもやっていたことです。当初は当時の2サイクルの規定上限の240ccになおして製作したのですが、前年の1954年に2サイクルエンジンも360ccまでと軽自動車の規定変更があり、排気量を359ccにしたそうです。駆動方式はなんとFF駆動です。この時代軽自動車はRRが主流だったのに、かなり先進的なんですよ。1956年にはセッティングなどの見直しを行い最高出力18馬力に向上しています。



サイド、こちらは3ボックスセダンのSS型で小さなトランクルームつきの2ドアセダンとなります、可愛いなコイツ。ブレーキは前後ドラム式、足回りはコイルによる四輪独立懸架式、しかもこの時代によくあったリーフスプリング(板バネ)式ではなく前後でコイルスプリング(バネ)式だったのです、1955年でこれはスゴくね?


そうですねっ!w
でもコレには理由がありまして、そもそもスズ菌、これを造る前はバイクしか造っていなかったわけで、板バネ(リーフスプリング)を造ったことが無いの造る機械も無いの・・・w、実際それでバイクで慣れていたコイルスプリングにしたんだとか。しか~し、コイルスプリングによる四輪独立サスが当時の未舗装の悪路で悲鳴を上げてしまい足回りの骨折が続出w、1956年7月生産車からは前後共に横置きリーフスプリングによる独立懸架式に変更しています。いや、最初からそうしなさいよ!w。当時の車の足回りでリーフスプリングが多かったのは未舗装路が多かったというのもあるんですわ。コイルスプリングだと当時は四輪用に使うには強度が足りなかったんです。


インパネ回り、シンプル極まり無い初期のVWビートルみたいだ。鉄板剥き出しでただ色を塗っただけ、メーターはスピードと何故か電流(アンペア)計のみ・・・なんで?、時代を感じさせます。シートベルト?無いよそんなもんw。


古いから画像がなかなか無いの、サイドビューとセットですが車内を、これは補助席ですか?なこれまたシンプルなシートです、この辺は2CVの影響かな?。
1955年の発表時この3ボックスセダンのSSだけではなく


横開きのテールゲートを持つハッチバック風だが実は商用登録のライトバンであるSL


こちらが横開きのSLのテールゲート、セダンより可愛いじゃないか。


SLの車内、補助席が1つとスペアタイヤがあるのであんまり積載できないそうです・・・オイオイ。


そしてピックアップのSPの3種で販売、つまりキャリィのご先祖様ですね、いや、マイティボーイかな?。


少し遅れてデリバリーバンのSDも加えられました。
日本初の本格的な量産軽自動車、しかもバリエーションに富んでいてこれはさぞかし発表から4日で5万台も受注して一時発注停止・・・


君のことだよジムニーノマド(シエラの5ドア)w、月販1200台って見積りが甘くないですかスズ菌さんw。
さておき、当初販売は大苦戦、最初の1年目は売れたのはたったの30台、生産がほとんどハンドメイドというのもあったんですが、SSで42万円という価格(同年デビューの初代トヨペット・クラウンは96万5000円)、ちなみにこの頃の大卒初任給は6000円、軽自動車としては値段が高すぎたのです、今のスズ菌からは考えられませんが。当然販売はその後も伸び悩み会社が傾きかけたという状態、そして欲張りすぎた4種類もの車種の造り分けも合理的ではなかったので、1957年には需要の多かったバンのSLのみに生産が絞られました。つまりこの後の軽自動車はハッチバックという概念も何気に(仕方なく?)果たしていたのです、まさに先駆者だな。
最終的には1959年までSL型のみを生産




二代目のスズライトTLにバトンタッチしました・・・いや、これ、なんかもの凄く「アレ」に似てね?w。
スズ菌の名誉のために書いておきますが、モーリス・ミニマイナー(つまりクラシックMINIの初代)は1959年8月のデビュー、スズライトTLは同年7月のデビュー、スズライトTLのほうが少し早いんですだからパクりじゃねーから!w、そこっ!ミ(ピー)ジー(ピー)って言うな!w、まあ、FFレイアウトの小型車でマンマキシマム ザ ホルモンじゃなくてマンマキシマム・メカミニマム(いわゆるホンダさんとこのM・M思想)で設計したら姿形が似てくるんでしょう、多分w、ホンダさんの所のN360のデビューは1967年ですからだいぶ後ですよ。
さて、中古・・・・無いっすw。
この次の次の世代の三代目?スズライトあたりは出てくるのですがバンがメインです。それでASK(応談)か300万円台、初代はもう年式的に博物館行きの車ですから、ボロボロでも100万円台ではないかなと、要レストアは間違いないです。同じ世代のスバル360初代(デメキン)の中古も応談でした。400万円台かな?、いったいスズライトはおいくら万円になるのやら?。



















スズ菌の初めての軽四輪自動車は、日本で初めての量産軽自動車でもありました。海外の車を参考にし、いわゆるリバースエンジニアリング(解体調査)までやって生産してみたものの、試作車はトラブル続きで大苦戦、やっと完成して販売したら今度は当時としては価格が高くて売れず、そんな苦労の末にようやく安定、日本のモータリゼーションの躍進に貢献した車、それがスズキ スズライトです。
所有・・・無理だなw、まずタマがない。あっても朽ち果てかけたようなのしかないらしいので、イジるよりフルレストアをやるのが優先、路上復帰をさせるのがまず先かなと、イジるのはなしでしょう。走らせるだけで奇跡のレベルですし。ホイールだけお洒落にするのが良さげですね。もう博物館行きレベルの車ですから。
戦前からのスズ菌の夢、四輪事業に打って出た記念碑的な車、まずは実物を見てみたいな。

余談
最終的な路上テストは箱根の峠越えだったそうで、2台でテストを開始して2号車は登りきる前にオーバーヒート、1号車は箱根の急な坂を登りきり目標をどうにか達成(他社もこれをよくやっていたとか)、そしてそのまま向かった先は梁瀬自動車(現ヤナセ)へ、当時おそらく日本で最も自動車(特に外車)の有識者だったと思われる


梁瀬次郎社長に試作車の評価をしてもらうためでした。社長の試乗後の評価は「これは売れるよ、すぐに売り出しなさい」とのお墨付きをいただいたそうです、これがスズライト販売への自信の根拠となったとか。


このお方がスズキの創業者であらせられる鈴木道雄氏、戦前からの夢を叶えて、軽自動車のスズキを造り上げた御方です、勿論二輪もね。スズ菌罹患者は五体投地で拝み崇拝すること!w。
Posted at 2025/02/07 16:51:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車

プロフィール

「「スズキ株式会社は、スズキを代表するスーパースポーツバイクGSX-R1000、GSX-R1000Rのエンジン、電子制御システムを大幅に改良し発表しました」、今年はGSX-Rの40周年で特設サイトが開かれていたりしますが、米国や欧州で改良型を出すんだ。日本では売らないようですが。」
何シテル?   07/31 20:47
マヨイガです。現在北海道在住、出身(実家)は福岡だったりします。 怖がる事はない。恥ずかしがる事はない。オヂサンと一緒にアブナい世界に行こうね…(嘘です嘘) 追...
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