
中学3年の夏。
No.1シード校になった高校があった。
後にオレの母校になった。
当時、強豪の名電工を下し夏の甲子園静岡県大会優勝候補となっていた。
しかし、惜しくも静岡高校に敗れてしまう。
その静岡高校は静岡県大会で優勝。甲子園ではあの水野投手がいた徳島県代表、池田高校に3-2で敗れてしまう。
その池田高校はこの年の甲子園全国優勝を成し遂げた。
オレが高校に入学した。
当時の野球部はまだ行ったことのない甲子園を目指して練習を重ねていた。
吹奏楽部だったオレはパーカッション(打楽器)担当で吹奏楽部ではリズムを刻む。
野球の応援に吹奏楽と応援団は欠かせない。
何度も合同練習を重ねた。
高校1年の夏。
静岡県大会で応援を開始。
この時、初めて応援の楽しさを知った。
だが、古豪、静岡高校に準決勝で負けてしまった。
その静岡高校が甲子園に行くことになった。
高校2年の夏。
今度は浜松商業に準決勝で負けてしまった。
その浜松商業が甲子園行きの切符を手にした。
高校3年の夏…
順当にコマを進め、初の静岡県大会決勝に進出。
念願の甲子園は目の前だった。
対戦は東海大工業(現:東海大翔洋)。
吹奏楽部は部員が減った。OB達が協力してくれたが、パーカッションはオレ一人。
ドラムセットを叩いていた。
いつもは人数の少ない吹奏楽部が大楽団になっていた。
1回裏。先制したわが母校。
優勝に近づいたと沸きに沸いた。
だが…乱れる我が母校野球部。
試合運びが崩れて逆転。
最後には差をつけられて敗れてしまう。
熱い夏は終わった。
甲子園は夢のままだった。
ただ、応援の楽しさやドキドキ感を教えてくれた我が母校。そして野球部。スタンドのエネルギー。
Nジャン、18歳の夏…
応援にハマるキッカケはココにもあったんだろうなぁ。
それから19年後、我が母校は念願の夏の甲子園へ出場。
2回戦、強豪の山口県代表 宇部商に敗北。
だが、初の甲子園大会出場は誇らしかった。
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Posted at
2009/05/29 22:45:27